第163話 人間界襲撃事件(後編)
ミリアが言った辺りは、幸いにもまだ燃えていなかった。
誠達三人は偶然見つけた空き家に入ると、それぞれ椅子に座って休むことにした。
ふと誠の膝小僧を見たミリアが、誠に声をかけてきた。
「マコト様、お膝を擦りむいておられますね」
「あ、ほんとだ」
言われて初めて、誠は自分が怪我をしていたことに気付いた。
おそらく、家に向かって倒れてきた電柱の衝撃に吹き飛ばされた時に、膝を擦っていたのだろう。
傷口を見ていると、徐々に痛みが襲ってくる。
今まで何とも感じなかったのは、突然色々なことが起こってそれどころではなかったからだろうか。
「少しお待ちください」
すると、ミリアがかざした掌から暖かい光が生まれて、擦りむいて血が滲んだ誠の膝小僧をみるみる包み込んでいった。
「な、なに? これ……!」
驚きながら誠が尋ねると、ミリアは優しく微笑んで、
「擦りむいたところを治しております。すぐに終わりますので、今しばらくお待ちください」
「……まほうみたい」
暖かい光によってみるみる治っていく膝の擦り傷を見つめながら、誠は息を呑んだ。
「はい、大正解ですよ、マコト様」
ふんわりと頬笑むミリアの言葉を聞いて、誠はこの暖かい光が魔法なのだと知った。
「きゅうけつきって、まほうがつかえるんだね」
初めて目にした本物の魔法に誠が釘付けになっていると、ミリアが頷いて肯定の意を示してくれる。
そうしてミリアの回復魔法による治療を受けながら、誠はイアン達を見回して、気になっていたことを尋ねた。
「ねぇ、なんでみんなもえてるの? かみさまのおともだちと、おともだちになったから、かみさまがまもってくれるんじゃないの?」
誠の問いかけに、イアンが申し訳なさそうに目を伏せる。
「ごめんね。僕達の隊長が怒っちゃったから、こんなことに……」
「イアンのたいちょうが、もやしたの?」
冷蔵庫の裏にイアンと一緒に隠れていた時、突然聞こえた低い声を思い出しながら、誠は尋ねた。
黙って顎を引くイアン。
「じゃあ、イアンたちも、ぼくのこともやすの?」
自分を助けたふりをして油断させ、後から燃やす作戦だったのではないか。
そんな考えが頭をよぎり、誠は背筋が凍る思いをする。
しかし、イアンは勢いよく椅子から立ち上がると、首を大きく横に振った。
「いや、僕達は違う! 僕達は、逆なんだ。何回も止めようとした。でも、隊長は全く聞いてくれなくて」
イアンの言葉に、誠の膝小僧を治療しているミリアも悲しそうな表情をする。
そんな二人を見て、誠は考えを改めた。
「……イアンたちは、ぼくのなかま?」
「ああ、そうだよ」
イアンの言葉を聞いて、誠が胸をなでおろしていると、
「しかしイアン様、ずっとこのままというわけにはいきません。ここもいつ燃やされるか分かりませんし。話を聞いた限りでは、マコト様はお母様とはぐれてしまったのですよね」
「そうだね。……じゃあ、僕がその辺を探してくるよ。人間達が集まって避難してる場所がないか」
ミリアの言葉に頷いたイアンは、少し考え込むとすぐに顔を上げた。
「承知致しました。マコト様のことは私にお任せください」
「ありがとう」
ミリアに礼を言って、イアンは黒いマントを翻して外へと飛び出していった。
「そともえてるのに、だいじょうぶなの?」
「はい、イアン様は強いお方ですから」
ミリアの笑顔を聞いても、誠の不安は拭えなかった。
しかし数分後、息を切らしたイアンが戻ってきたのだ。
「マコト、ママに会えるよ」
イアンの言葉を聞いて、誠はパアッと顔を輝かせた。
「ほんと!? ママ、ぶじ?」
「ああ、きっと無事だよ」
そうして誠はイアン達に連れられて、避難所へと足を運び、無事に母親と再会することが出来たのだ。
「イアン」
「ん?」
闇の中去っていく黒い背中に声をかけ、誠は何かを差し出した。
「これ、たたかいでのどかわいたとおもうから、のんで」
「これは……?」
イアンが不思議そうに、赤い四角の紙コップを見つめていると、
「トマトジュース!」
「とまと……じゅーす?」
「ぼくのだいこうぶつなんだ」
首を傾げるイアンに、誠は満面の笑みを浮かべる。
「ありがとう。貰っとくよ」
こうして二人は別れたのだった。
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だが、一つの出来事が誠を絶望のどん底に突き落とす。
母親が『剛』と命名した赤ちゃんを産んだ後に、静かに息を引き取ったのだ。
吸血鬼達の襲撃から逃げるため必死に走り、体力を枯渇してしまったことが原因とされた。
妊娠中、妊婦の栄養はお腹の赤子にも行き渡る。
そのため、誠の母親の体力は通常よりも格段に落ちていた。
そんな時に、ここ数ヶ月使っていなかった体力をフル活用してしまったのだから、肉体が悲鳴を上げるのも当然のことだ。
「____嘘つき」
______ママ、無事って言ったじゃないか。イアン。
あの吸血鬼に怒りをぶちまけても意味がないことは分かっていた。でも、そうでもしなければ、誠は母親の死を受け入れることが出来なかったのだ。
あの時、友達と遊ばずに真っ直ぐ帰宅して母親と一緒に逃げていれば、少しでも長く母親と居られたのに。
そう思わずにはいられなかった。悔しさと後悔から、誠は自分の命を救ってくれた恩人に強く当たってしまったのだった。
その後、誠は都内に住む親戚の鈴木家に預けられ、産まれたばかりの剛は田舎町のまま、母方の祖父母に育てられることになった。
誠はまだ小学生で、これからも義務教育を受け続けなければならないため、剛との別居は致し方ないことである。
そう大人達が判断した結果だった。
そうしていつもとは違う生活を送り始めた誠だったが、彼の吸血鬼に対する怒りは日に日に増していった。
何故、自分達の町を燃やしに来たのか。何故、燃やされるのが自分達の町だったのか。
日々、そんな疑問を抱きながら、誠は成長していった。
そしてある時、またしても誠の運命を変える出来事が起こった。
吸血鬼達に対抗する組織として『吸血鬼抹消組織』(通称・VEO)が発足されたのだ。
誠が十二歳、剛が五歳の時だった。
VEOの志願年齢は十六歳からだったため、当時の誠は志願できなかった。
しかし、VEOは毎年志願者を募るということだったので、誠は志願年齢に達するまで、VEOの隊員になるために様々なトレーニングを重ねた。
そして四年後、十六歳になった誠は早速『吸血鬼抹消組織』に志願し、無事に合格通知を貰うことが出来た。
前線には出ずに、ひたすら鍛練を続ける毎日だった。
それでも良かった。むしろ誠は、鍛練にやりがいを見出だしていた。
この鍛練を頑張って続ければ、あの吸血鬼達よりも強くなれる。強くなれば見返せる。そう思うだけで、身が引き締まった。
____もっと、もっと、もっと強くならないと。
誠は努力に努力を重ね、同期の中でもトップの実力をつけた。
そして、VEOが発足されてから実に八年が経った。
二十歳になった誠は、ついにVEOの隊長に任命されたのだ。
彼が村瀬雪と出会ったのは、それからちょうど三年後のことだった。




