第162話 人間界襲撃事件(中編)
「大丈夫?」
倒れてきた電柱を咄嗟に避けることも出来ず、誠は目を瞑った。
すると、頭上から少し低い声が聞こえてきた。
誠が目を開けて顔を上げると、倒れてきていたはずの電柱____ではなく、肩につくほどの黒髪の少年が居た。
「あ……えっと、うん」
目の前の少年は、白いブラウスの上から黒いマントを羽織っており、誠よりもいくらか身長が高そうだった。
彼の不安そうな赤い瞳が、小さくうずくまっていた誠を捉えている。
誠が頷くと、その少年はふわっと笑った。
「良かった。ごめんね、急に怖い思いさせちゃって」
「……だれ?」
誠が尋ねると、少年は胸に手を当てて、
「僕は吸血鬼のイアン。とりあえずここは危ない」
イアンと名乗った少年は、辺りを素早く見回してから誠を抱き上げて走った。
「えっ……うわぁ」
急に抱き上げられて、誠は驚いて声をあげてしまう。
「あそこが良い」
そう言うと、イアンは誠を抱えたまま物陰に隠れた。
「よし、ここならもう大丈夫だよ」
「なんで、れいぞうこのうしろにかくれたの?」
自分を床に下ろしてくれたイアンに、誠は尋ねる。
イアンが誠とともに身をひそめたのは、誠の家の冷蔵庫だったのだ。
「僕の結界だけじゃ限界があるからね。もうワンクッション必要なんだ」
「わんくっしょん?」
小首を傾げて尋ね返す誠を見て、イアンは小さく笑った。
「ふふ、安全ってことさ。君の家、半分は潰れてるけど、もう半分は生き残ってる。本当に不幸中の幸いだよ」
「そっかぁ」
「君の名前は?」
イアンに尋ねられて、誠は口を開いた。
「……まこと」
「マコトくんかぁ。良い名前だね」
「うん! ママがね____」
『ママがつけてくれた』。
そう言いかけて、誠は絶句した。その母親は今____。
「ママ、いえにいなかったんだ。きのうまでは、ぼくがかえったら『おかえり~』っていってくれてたのに」
「……そっか」
「ママね、おなかにあかちゃんがいるの。だからひとりでいたらあぶないんだ」
懸命に訴える誠に微笑みかけ、イアンは誠の頭を撫でた。
「ママは大丈夫だよ。きっと別の場所に避難してるんだ」
「ひなん?」
その言葉を聞いて、誠には思い当たる節があった。
実は家に帰っている途中に『ひなん』という言葉を何回も聞いていた。
放送で流れた言葉は、今も誠の耳にうっすらと残っている。
「じゃあ、ぼく、『ひなん』できなかったの?」
「大丈夫。マコトのことは僕が守るから」
「ねぇ、イアンはなんでにげないの?」
「……え?」
イアンの表情が固まったのにも気付かず、誠は畳み掛けるように言った。
「イアンもにげないとあぶないよ?」
「僕は大丈夫なんだ。マコトの町を攻撃した奴らは、僕のこと攻撃しないから」
目を伏せ、どこか哀しげに口元をほころばせるイアン。
「なんで?」
「えっとね……」
イアンがその理由を説明しようと口を開いた途端、
「おい、イアン」
二人の頭上から低い声がした。
「た、隊長……!」
イアンは咄嗟に誠を自分の背に隠し、声をかけてきた人物____鬼衛隊の隊長を見上げた。
イアンと同じように黒いマントを羽織っており、その顔には左右に分けられ、先端がくるりとはねた黒髭が生えている。
隊長は口を開いてそんな髭を上下に動かし、
「何をしている。さっさとお前も協力しろ。……ここに人間は居なかったか」
隊長は訝しげに眉を寄せた後、悔しげに舌を鳴らす。
「は、はい、居なかったですよ。でもその前に、ここで休憩していっても良いですか?」
イアンの問いかけに、今度こそ隊長の眉が寄せられた。
「はぁ? 休憩だぁ? ふざけてんじゃねぇぞ」
「ごめんなさい。ちょっと、足を挫いちゃって」
「何だ、そんなことか。なら俺が肩を貸してやるよ」
膝を折ってしゃがみ、イアンに自分の肩を差し出す隊長。
しかし、イアンはそれを丁寧に断った。
「あ、大丈夫です。すぐ歩けるようになるので。僕もすぐ追い付きますから」
「そうか? ……まぁ、分かった。じゃあ早く来いよ? 人間どもに思い知らせてやるんだからな」
「はい」
隊長は、いつまで経ってもそこから一歩も動かないイアンを不思議そうに見つめながらも、足早に去っていった。
「はぁ、危なかった……」
イアンは冷蔵庫にピタリと背をつけ、大きく息を吐いた。
____ぼくのこと、まもってくれた。
誠が安心したように息を吐くイアンを見ていると、イアンのお腹からぐぅぅぅ、と低い音がした。
「おなかすいたの?」
「ああ、うん。いっぱい動いたからね」
誠に尋ねられて、イアンは恥ずかしそうに頭を掻いた。
「あ、ちょっとまって」
今、自分が隠れているのは冷蔵庫の後ろだ。そしてキッチンの辺りは電柱の犠牲になっていない。
それならば______。
誠は立ち上がると、冷蔵庫の表側に回って扉を開いた。
「マ、マコト? 何やってるんだ。見つかっちゃうよ」
イアンが慌てていると、誠が再び後ろ側に戻ってきて、
「はい」
と、平たいお皿を差し出した。
「なに? これ」
「まえのよるごはん。イノシシのにくいためだよ」
「イノシシ?」
「うん、きばがうぃーってのびてるこわいぶたみたいなやつ」
誠はイアンにお皿を渡すと、自分の口の端に人差し指を突っ込んで、上に引き上げてみせた。
誠としては、必死にイノシシの尖った長い角を表現しているつもりなのだ。
誠の変顔とも言える表情を見たイアンは、思わず吹き出していた。
「ぷっ、あははははは! なんか僕達みたいだね」
「え?」
誠が不思議がっていると、イアンは誠の真似をするように口の端を持ち上げた。
白くて少し長い牙が露になる。
「ほんとにきゅうけつきなんだ」
誠はイアンの牙を見て、目の前の少年が本当に吸血鬼なのだと確信した。
絵本の中に出てきた吸血鬼も、イアンのように黒いマントを羽織って長い牙を持っていたからだ。
フレンドリーな性格や先程自分を守ってくれたことから、誠は確信した。
____このひとは、いいきゅうけつきだ。
「おなかすいてるなら、たべていいよ」
誠はイアンのお腹が鳴っていたのを思い出し、お皿を指差した。
「え? でも悪いよ。マコトのご飯でしょ?」
「ううん、イアンがおなかすいてるから、イアンにあげたい」
首を横に振る誠を見て、イアンは優しく微笑んだ。
「ありがとう。じゃあちょっとだけ食べよっかな」
そうして一番小さな肉を両手でつまみ、かぶりつく。
「うん! すっごく美味しいね!」
「ほんと? よかったぁ」
イアンの驚いたような笑顔を見て、誠は心の底から満足していた。
しかしふと先程のことが気になったので、イアンに尋ねてみることにした。
「さっきのひと、だれ?」
「僕の仲間で、偉いヒト」
誠は左右に伸びた髭を生やした男の言葉を思い出しながら、イアンに尋ねた。
「さっきの、どういうこと? 『おもいしらせてやる』って」
「あ、それは……」
イアンの目が泳いだ瞬間、またしても彼を呼ぶ高い声がした。
「イアン様!」
イアンは咄嗟に誠を背に隠したが、声をかけてきた人物を見て嬉しそうな声をあげた。
「ミリア!」
「イアン様、何をしておられるのですか? あ、その方は」
背中まで伸びた黄髪の上に白い花冠を乗せた吸血鬼・ミリアが誠を見つめる。
「マコト。逃げ遅れちゃったみたいなんだ」
イアンは誠のことをミリアに説明した。
「他の皆様に見つかったら大変です。向こうの方はまだ焼けていませんから、あちらに避難しましょう」
「そうだね」
イアンは頷くと誠を抱えて、ミリアが言った方向へと走っていった。




