第142話 初心を忘れずに
あまりにも予想外のことだったのか、グレースは赤い瞳を丸くして呆気に取られた様子で呆然と立ち尽くしていた。
私は頷いて、
「頼める、かな」
「わ、わたしで良いの? 氷結鬼の……王女なんて」
「うん! グレースがぴったりだと思ったから」
何事にも一生懸命だしね、グレースは。
「わ、わたし、この村を危険にさらしたんだよ? それでルミも氷結鬼としての記憶を消されて、人間の姿にされたし、他の皆は封印されちゃったんだよ?」
アワアワと散々焦ってから、『わたしはこの村にとっての邪魔者なのに』とグレースは自信なさげに目を伏せた。
グレースの言葉に、お母様も悲しげな表情をする。
だけど、私は断言した。
「それでも、私はグレースにお願いしたいの」
「ルミ……」
グレースはキュッと唇を引き結ぶと、
「わ、わたしで良いなら……頑張る」
何度も小さく頷いて、自分自身に言い聞かせるように拳を握った。
「良かったじゃない、グレース」
腕を組み、微笑を浮かべた後藤さんが、グレースに歩み寄る。
「後藤さん」
「アコ」
グレースも後藤さんを見て嬉しそうに顔をほころばせている。
「しっかりしなさいよね。村瀬さん……雪に託されたんだから」
「うん! 任せて! って……」
力強く両手の拳を握っていたグレースは、脱力したかのようにその拳を緩めて、
「「ええっ!?」」
グレースの驚愕の叫びは二重となって木霊した。
何故か。私もビックリしてグレースと同じように叫んだからだ。
「何よ。一応エールのつもりだったんだけど?」
ツンと顎をしゃくり、後藤さんは拗ねたように言った。
「そ、それは分かってるんだけど……」
「ね」
グレースが顔を引きつらせながら何度も頷き、私はグレースに同意を求める。
グレースは私の同意に賛同してくれた。
二人とも感じたことは同じのようだ。
「なっ……! 二人でこそこそしてないで、はっきり言いなさいよ!」
後藤さんは組んでいた腕をほどいて下ろし、拳を握って叫んだ。
顔は紅潮していて、額に汗も滲んでいるように見える。
怒っているような、照れているような表情の後藤さんに、グレースは平然と言い放つ。
「アコがルミのこと、呼び捨てで呼んだから」
「雪って……呼んでくれた……!」
対する私は、後藤さんが『雪』と下の名前で呼んでくれたことに感動のあまり、両手で口を覆っていた。
後藤さんはそんな私の仕草をちらりと見ると、余計に頬を真っ赤にして、
「だ、だって! グレースが『いつまで苗字呼びなの?』とか……聞くから……!」
「純粋に気になったんだもん。でもまさかこんなに早く実践してくれるなんて思ってなかったよ」
大真面目に言ってから、目を細めて唇を横に引いて白い歯を見せ、ニマニマするグレース。
後藤さんは言葉にならない言葉で懸命に言い訳しようとしていたけど、それは叶わずただ口をパクパクしていただけだった。
私は、後藤さんが『雪』と呼んでくれたことが素直に嬉しかった。
思わず後藤さんの両手を握って、
「ありがとう! あ、あの! 私も亜子ちゃんって呼んで良いかな?」
「えっ、えぇ……まぁ良いけど」
ズイ! と顔を引き寄せて(おそらく)キラキラと目を輝かせた私から顔をのけ反り、後藤さん……改め、亜子ちゃんは若干引き気味だけど頷いてくれた。
やった! これで本当の友達三人目!
心の中でガッツポーズをしていると、グレースが尋ねてきた。
「何でアコには『ちゃん』付けなの? わたしのことは呼び捨てなのに」
どこか嫉妬しているような表情。
「な、何となく……ていうか、グレースのことも最初は呼び捨てじゃなかったよ?」
『ルミの意識』を頼りに記憶を遡って、私はグレースが絶対に言い返せないような過去を暴露した。
私とグレースも、もちろん最初は初対面。
当然ながら、『ルミちゃん』『グレースちゃん』と言う風に呼び合っていたのだ。
それなのに____。
「あれ? そうだっけ?」
首を傾げて眉をひそめるグレース。
私は予想外のグレースの言葉に面食らって、思わず大声を上げてしまった。
「何で忘れてるの!? それは覚えてるよ!?」
私じゃなくて『ルミ』が、だけど。
「あ、そうだった、そうだったー。思い出したよー。そう言えばそうだったねー」
何かひどい棒読み感がするのは気のせいだろうか。
ものすごーく、グレースの目が泳いでいる気がする。
私の目がおかしくなければ……。
絶対思い出せてないな、と思いつつ、そんな細かいことは別に良いやと思い直す。
過去よりも今を大事にしないといけないしね。
「ねぇ、ルミ、このあと時間あるかしら?」
ポンと肩に手を置かれて振り向くと、氷結の女王・ルミレーヌ____お母様が優しく微笑んでいた。
「……少しなら」
少し考えてから、私は答えた。
今日は人間界で言ったら土曜日。
本当ならあと一日ここでゆっくりしても良いけど、王宮に長居するわけにもいかない。
それに人間界に戻って、一日だけでも疲れた身体を癒した方が良いだろう。
まだ皆には言ってないけど、私は明日の朝には人間界に戻るつもりでいた。
「それなら良かった。私達氷結鬼の復活を祝って、今日はパーティーをしようと思うの。一緒に楽しまない?」
「ありがとう! お母様!」
「あ、あの、あたしも良いんですか?」
背を向けてパーティーの準備を始めようとしたお母様の背中に、不安げに亜子ちゃんが尋ねる。
「ええ、勿論よ。あなたも一生懸命頑張ってくれたんだもの。是非参加してほしいわ」
「……ありがとうございます」
亜子ちゃんは嬉しそうに頬を緩めた。
そして、氷結鬼の復活をお祝いする、名付けて『氷結鬼復活おめでとうパーティー』が始まった。
そんな題名はないけど、私が勝手に名付けたのだ。
「女王様、開会のお言葉を」
氷結鬼の一人が、お母様にワインの入ったグラスを手渡す。
「ありがとう」
お母様は腰を上げて立ち上がると、パーティーの参加者全員を見回して、
「ブリス陛下によると、この村は完全に私達氷結鬼の領土として認定されたそうです。その喜びと感謝の思いを込めて、そしてどんな時も初心を忘れずに、これから共に邁進して参りましょう」
お母様の言葉が終わると、場内から大きな歓声が上がった。
時折口笛を鳴らすような音も聞こえる。
皆、本当に氷結鬼の復活を喜んでいるようだった。
木材で作られた大きな大きな机には、高級料理店のような豪華な食材が並べられていた。
「今日はバイキングだぞ、好きなだけ食べるんだ!」
お母様にグラスを手渡した氷結鬼の掛け声に、他の皆が喜びの声をあげる。
こうして色々な料理を味わったり、思い出話に花を咲かせたり、私達は『氷結鬼の復活おめでとうパーティー』を日が暮れるまで堪能したのだった。




