第123話 わたしのもの
「……お前がユキに触るな!」
拳を固く握り締め、イアンはグレースを睨み付けて怒りを露わにした。
「何よ、別に良いじゃん。ユキはわたしのものなんだから」
グレースはイアンをさらに挑発するように、氷の粒がついた雪の頬をペロリと舐めた。
その仕草に鳥肌が立つような悪寒を覚えるイアン。
悪寒に背中を押されるように、イアンは腰に挿していた剣を抜いて駆け出した。
「イアン!?」
「隊長!!」
驚いたキルとレオが声をかけるが、イアンにその声は届かない。
目を見開き、その赤い瞳に怒りを宿して、イアンはグレースに向かって走っていった。
グレースは怒りを露わにしたイアンを嘲るかのように目を細めて薄く微笑むと、雪を吹雪で包み込んで地面に寝かせた。
そして雪の耳に顔を寄せて囁く。
「ちょっと待っててね」
「はああああっ!!!」
イアンは剣を構えたまま、グレースめがけて一直線に突っ込んでいく。
「まぁ、ちょうど良いかも」
グレースは一人呟き、
「記憶を消されたルミの敵、取ってやる!」
小さく手を掲げて、
「【氷柱針】!」
迫ってくるイアンに向かって、鋭く尖った氷の塊を投げつけた。
イアンは剣でそれを弾く。
「氷が駄目なら……【火炎放射】!」
イアンに向かって手を掲げ、炎をぶつける。
しかしそれも綺麗に避け切るイアン。
「くっ……! なら、こっち! 【灼熱渦】!」
グレースは詠唱し、イアンの周りに炎の渦を出現させた。
「うわっ!」
突然現れた炎の渦に、イアンは思わず足を止めてしまう。
「ふん、流石にこれは避け切れないでしょ、完全に包囲してるんだもん」
「くそっ、これじゃ周りが見えない!」
イアンは渦の中で歯を食いしばった。
「今度こそ! 【火炎放射】!」
炎の渦に取り囲まれて身動きが取れない状態のイアン。
隙ありとばかりに、グレースは炎をぶつけた。
「ぐわぁっ!!」
渦の中からイアンの叫び声が聞こえ、グレースは拳を握り締める。
「やった!」
対するキルとレオは、ハッと目を見開いた。
「イアン!」
「隊長!」
二人の声が重なるが、渦の中のイアンには届くはずもない。
「そのまま周りの炎もぶつけてやる!」
叫び、グレースは何かを横に押し潰すように両手を曲げて力を込めた。
すると、まるで遠隔操作でもされているかのように、今まで立ち上っていただけの炎の渦が一気に中央に寄った。
「ぐわあああっ!!!」
再び聞こえるイアンの叫び。
グレースは、渦のように空中を巻いていた炎さえもイアンにぶつけたのだ。
「吹き飛べ!!」
そのまま腕を空に押し上げると、炎も一緒になって天へと舞い上がる。
炎にまみれていたイアンは、炎と共に押し上げられて吹き飛び、勢いよく地面に落下した。
「イアン!」
「隊長!」
アスファルトに転がったイアンに、キルとレオが急いで駆け寄ってイアンの上体を起こす。
「貴様! よくも隊長を!」
レオがグレースを睨み付けて言うと、
「何よ、そっちから勝負挑んできたんじゃん」
心外だとばかりに、グレースは白い長髪に指を通して風になびかせた。
「許さないぞ! 氷結鬼!」
レオは立ち上がり、腰の鞘から剣を抜いた。
「待ってよ、レオ! レオまでやられちゃう!」
イアンの上体を支えながら、キルがレオを見上げて叫ぶ。
「レオ……駄目だ……」
イアンも傷だらけの顔で、レオを見上げる。
しかし、レオはグレースを真っ直ぐに見据えたまま、
「隊長を頼む」
キルにそっと伝えて、片手剣を持ってグレースに立ち向かっていった。
「これでも俺は炎の使い手だ。そんな作り物の炎など相手じゃない!」
「作り物? 言ってくれるじゃん。作り物じゃないんだけどっ!」
グレースはそう言って掌で炎を生み出し、レオに向かって投げつけた。
「【炎嵐】!」
レオも片手剣の刃に炎を纏わせ、グレースの炎の球を受け止めた。
炎術同士がぶつかり合い、激しく火花を散らす。
「ユキを返せ!」
「嫌だ!」
魔法と能力で押し合いながら、叫ぶ吸血鬼と氷結鬼。
「分からない奴だな。なら力ずくで取り戻してやる!」
「ルミは渡さない!」
お互い互角の力で、どちらも決して譲るまいと必死に力を込める。
「やるじゃん……。やっぱり吸血鬼は強いね……でもっ!」
グレースは再び掌をかざして炎を生み出し、投げつけようと腕を振りかぶった。
しかし、
「なっ……!?」
グレースは、正面に突き出した掌を見たまま目を疑った。
何故か掌から炎が放射されないのだ。
一体何があったと言うのか。
グレースはそう考えかけてから、ハッと我に返った。
急いで前を見れば、レオの剣撃が迫ってきていた。
反射的に後ろに体重をかけるが間に合わない。
「ああっ!!」
グレースの腹部に、レオの剣撃が炸裂。
レオに腹部を切られ、グレースは痛みのあまり叫んだ。
土埃を上げながら後退して地面に膝をつき、お腹を押さえる。
「くぅ……こんな時に能力が切れるなんて……! 人間に化けて術式も最近使ってなかったのに、今日一気に使いすぎたからか……」
急に能力が使えなくなった原因。
それをグレースは術式の使いすぎだと推測した。
ここ半年以上、『氷下心結』として生活していたため、術式を使う機会が全く無かったのだ。
練習を暫く怠った後のクラブ活動などと同じように、能力使っていなければ体が追い付かずに、その効力が早い段階で切れてしまう。
今のグレースの場合、短時間の戦闘で何度も術式を使ったため、特に能力の消耗が著しくなったというわけだ。
「どうした! その程度か!」
レオは、へたりこんだまま動けないグレースを挑発した。
「くっ……」
レオを見上げて悔しげに唇を噛むグレース。
「約束通り、ユキは返してもらうぞ」
レオは、地面に横たわっている雪に歩み寄っていく。
吹雪が巻き起こった影響で、氷の粒が雪の茶色の髪に降りかかり、雪の髪が真っ白になっていた。
と、雪がふと目を開けた。
「ユキ、大丈夫か」
レオが尋ねるが、雪は焦点が定まっていないかのようにボーッとしたままだった。
「……ユキ?」
雪は暫くレオを見つめていた。
それからお腹を押さえて悶絶しているグレースへと視線を移して、
「グレース……」
と一言声を漏らした。
「ユキ?」
眉を寄せるレオに構わず、雪は弾かれたように立ち上がった。
そのせいで少しふらつきながらも、グレースの元へ駆け寄って、
「グレース! 大丈夫?」
グレースの丸くなった背中を優しくさすり、雪は心配そうな顔でグレースを見つめた。
「ルミ……」
初めて真剣に心配されたことに驚きながら、グレースも雪を見上げる。
「何でこんなところに居るの?」
雪の問いに、グレースは面食らったように目をぱちくりさせた。
「……え? だってそれは、あなたと一緒に村に戻るために……」
「うん。だったら早く帰ろうよ」
雪は真面目な顔で頷いてから、辺りを見回して不思議そうな顔をした。
「ここ、どこ? 見たことない所だけど」
「ユキ、何言ってるんだ?」
レオが剣を鞘にしまいながら尋ねる。
「あなた、誰?」
しかし雪は、近付いてきたレオを怪訝そうに見つめた。
そして血が滲んだグレースのお腹に視線を移してハッと目を見開き、
「もしかして、あなたがグレースを傷つけたの!?」
「ゆ、ユキ? お前を取り戻すためにやったことだぞ?」
頬を引きつらせながら、レオは必死に訴える。
一体雪が何を言っているのか、レオには分からなかった。
雪はグレースの肩を持つような発言をしたのだ。
「ひどい、グレースは何も悪くないのに、こんな酷いことするなんて……!」
雪はレオを見上げて瞳を潤ませた。
「ち、違うんだ! ユキ!」
レオは慌てて弁解しようと口を開くが、雪は構わず掌を掲げて雪玉を生み出した。
「グレースにはもう手は出させない。私が相手になる!」
「ユキ!!!」
レオは叫ぶが、雪はレオを敵意の眼差しで見つめるだけ。
「私はユキじゃない!」
雪は顔を歪めながらそう叫んだ。
その声に、レオだけでなくグレースやイアン、キルも驚いて目を見開いた。
「私はルミよ!」
敵意を剥き出しにしながら、今にも泣きそうな顔で、雪___ルミは声を張り上げる。
ルミの高い叫び声が、少し曇った空に響いた。




