第116話 最終手段使っちゃうから
揺れるグレースの赤い瞳。
私は彼女にまた『一緒に村に戻ろう』と言われたのだけど、
「だ、だから駄目って言ったじゃん。私は人間界で普通に暮らしたいの」
思わず声が裏返ってしまったけど、私は真っ直ぐに自分の意見を口にした。
「何で言うこと聞いてくれないの? 『ルミ』はわたしの言うこと何でも聞いてくれたよ?」
信じられないと言いたげな表情で、私を見つめる長い白髪の氷結鬼。
『ルミ』と呼ばれることに耐えきれず、
「私は……『ルミ』じゃない!」
と強い口調で言ってしまってから、私は口調を和らげて慌てて言葉を紡ぐ。
「た、確かに、元々の私は氷結鬼で『ルミ』って名前で、あなたとも一緒に遊んでて、よくあなたの言うこと聞いてたのかもしれない。でも私にはそんな記憶は無いの。記憶が無いまま想像で『ルミ』を演じるのは嫌だ」
私の言葉を不安そうな表情で聞いていたグレースは、パッと表情を輝かせた。
「それなら心配しなくて良いよ。一回言ったけど、村に戻ればもしかしたら記憶が戻るかも……」
「私は記憶が戻ってほしいんじゃないの!」
再び、私は大声を出した。
止めどなく吹き荒れる真っ白な吹雪の中で、私の声が木霊する。
それでもビュービューと大きな音を立てる吹雪には勝てず、その声もすぐに消えてしまった。
私の大声に、グレースが顔を強張らせる。
「私は今まで通り人間界に居たい。ここでおじいちゃんと一緒に『村瀬雪』として暮らしたいの。氷結鬼に戻るつもりなんてない」
グレースに鋭い視線を向けながら、私はハッキリと言った。
それでも懲りないのか、グレースは困ったような笑みを浮かべる。
「出来れば手荒な真似はしたくないんだよ。お願い、分かって」
「嫌だ」
分かってたまるものか。
私を無理矢理自分の思い通りに動かそうとする人間____鬼の言うことなんて。
私はグレースを睨み付けたまま、早くこの話を切り上げようと、
「お願いだから、私を解放して。『学校』に戻して」
「『ルミ』はズルいよ。わたしの言うことも聞いてくれないのに、自分の言うことは通そうとするの?」
確かにグレースの言うことは尤もだ。
グレースの話は聞かないで、自分の要望だけ通そうだなんて虫が良すぎる。
「そ、それは……確かに申し訳ないけど……」
私は思わず声を詰まらせた。
言い訳など出来るはずもなかった。
だって、人の言うことは聞かないでおいて自分の言い分だけを分かってもらおうなんて、理不尽過ぎる。
この件についてはグレースの言い分が正しかった。
「でも、だからってあなたと一緒に吸血鬼界に戻るわけじゃない。……それだけは絶対に変わらないから」
グレースの赤い瞳を真っ直ぐに見据えて、私は断言した。
「さっきから言ってるじゃん。手荒な真似はしたくない。最終手段は考えてるけど、出来れば使いたくないんだよ」
もはや苛立った様子で、グレースは長く息を吐いた。
さっきから『手荒な真似』とか『出来れば使いたくない』とか言ってるけど、一体何をするつもりなんだろう。
「手荒な真似って何なの? あなたが本当に私を……『ルミ』を大切に思ってくれてるのはすごく伝わってくるよ。でもそんな相手に手荒な真似するのって違うんじゃないかな」
思い切って尋ねてみた。
「何よ、村には一緒に戻ってくれないのにそんな言い方するのって違うんじゃないかな~」
私の顔を覗き込むように前のめりになったグレースは腰に手を当てて、不機嫌そうに言った。
「だ、だって……さっきも言ったけど、私はここに居たいの」
グレースの気持ちに応えられないのは私としてもショックだけど、本当にこればかりは仕方ない。
なのに……。
「もう良いよ」
グレースは体勢を整えて真っ直ぐに立つと、私に向かって掌を突き出した。
「どれだけ言っても分かってくれないなら、最終手段使っちゃうから」
そう言って、私に鋭い視線を投げかけるグレース。
彼女の瞳が赤い光を放った。
その途端、グレースの掌からも無数の氷の粒が放出されていく。
私達を覆うように猛威を振るっていた吹雪も、グレースの掌に吸収されるように集まっていく。
「ぐ、グレース、何を……」
言い終わる前に、私の視界は真っ白に包まれて、やがてプツリと音を立てて暗転した。
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氷結鬼グレースは、雪に向かってスッと掌を突き出した。
周りを覆うように吹き荒れていた吹雪とともに、真っ白な氷の粒になった雪の体がその掌に吸い込まれていく。
「ふぅ、やっとルミがわたしの中に入ってくれた」
雪____氷結鬼ルミの身体を取り込んだ氷結鬼グレースは、満足げに息をついた。
やっと彼女の目的が果たされた。
全ては氷結鬼と融合して、新たな素体となるために。
ルミを取り込んだ直後、グレースの身体に変化が起こった。
瞳の色が赤色から黄色に変わり、雪のように白い髪から短い黒い角が生える。
黒いマントが剥がれて、代わりに氷結鬼の体を纏ったのは純白のワンピースだった。
ルミとグレースが融合した新たな姿、それは____
「氷結の女王ルミレーヌ」
グレース____もとい、氷結の女王ルミレーヌは、そう声を漏らした。
変化した自分の身体を見回して、湧き上がる喜びをその表情に宿す。
ルミレーヌが微笑んだ瞬間、吹雪が一瞬にして消し飛んだ。
そしてその吹雪によって形作られていた異空間が消滅し、元の空間____放課後の教室へと戻る。
「む、村瀬さん……?」
突然現われた白髪の氷結鬼に、教壇に立って終礼をしていた担任の教師が目を見開く。
本来の村瀬雪の席に腰掛ける者は誰もおらず、机の後ろに立っているのは人間が見たこともないような生物だった。
「村瀬……」
隣の席の風馬が先生と同じ表情でルミレーヌを見上げている。
そして離れた席に座っていた亜子は、青い顔をしてルミレーヌを見つめていた。
「そ、そんな……」
心結に先手を打たれた、と亜子は悔しげに唇を噛んだ。
彼女の瞳に映るそれは、絶対に誕生してはいけない存在だったのだから。




