第111話 わたしを、選んで
「わたしの本当の姿、見てみる?」
心結ちゃんに問われて、私は心の準備も出来ていないのにいつの間にか頷いていた。
「分かった。じゃあ、見ててね」
私が頷いたのを確認してから、心結ちゃんは深呼吸をして両手を広げた。
すると彼女の体から冷気のような風が吹いてきて、私は思わず腕を顔の前にやった。
それでもどんな風に『心結ちゃん』が『グレース』に変わるのか、見たいという気持ちは抑えられなかった。
冷たい風から顔を守って目をしばたかせながらも、目の前で起こっている変化を、私はしっかりと見届けた。
まず変わっていったのは髪の毛だった。
サイドテールに結んでいたヘアゴムが外れて髪が下ろされ、肩まで付くくらいの長さになった心結ちゃんの髪。
それが冷気をいっぱい浴びて、どんどん白くなっていく。
そしてそれと同時に背中辺りまで髪が伸びていった。
次に変わっていったのは服装だった。
桃色のリボンに濃い赤色のセーラー服が氷のような粒に包まれる。
絶えず吹き付ける冷たい風によってその粒が外れた時には、心結ちゃんはイアンさん達吸血鬼と同じ黒マントを羽織っていた。
黒いマントの下の服装はこうだった。
黒いシャツの上にカーディガンのような柔らかい布地の白い羽織もの。
長い足を引き立てる真っ黒のタイツの上には、雪のように真っ白な長ブーツを履いていた。
『心結ちゃん』から『グレース』に変貌を遂げた彼女を一言で表すなら『白黒』という言葉が適切だと思った。
それでも赤い瞳は『心結ちゃん』の時と変わることなく、しっかりと私を見据えていた。
心結ちゃん____グレースは目を瞑ってから、ふぅと息を吐いた。
そして再び目を開いて赤い瞳で私を見つめて、
「これが、わたしだよ」
グレースの言葉に、私は黙って頷いた。
グレースは吸い込まれそうに綺麗な顔立ちをしていた。
勿論『心結ちゃん』の時の彼女も可愛らしい顔立ちなのだけど、『グレース』になるとその綺麗さがより増しているように思えたのだ。
「これでも、何も思い出せない?」
眉を下げて不安げに、グレースは尋ねてきた。
私は重く頷いた。グレースの姿を見ても何も思い出せなかった。
「そっか……」
グレースは残念そうに顔を背けた後に、口角を上げて私を見た。
「わたしのことは思い出せなくても良いよ。それより、一緒に村に帰ろうよ。村に帰ればもしかしたら色々思い出せるかもしれないし」
そう言って、グレースは私の両手を包み込むように握って顔を輝かせた。
両手がひんやりと冷たくなり、私は思わず彼女の手に包まれた自分の手を見下ろす。
グレースはもう一度私の手を包み込んで、
「ねぇ、そうしない?」
私は困った。そうは言っても私はおじいちゃんと二人暮らしだ。
彼女の話を聞く限りでは、お母さんもおじいちゃんも私に隠されていた過去については何も知らなかった。
だから正直に事情を説明することは出来ないし、何よりおじいちゃんを一人ぼっちにはしたくない。
おじいちゃんは、お母さんが亡くなってから一人で一生懸命私を育ててくれた。
私がグレースと一緒に吸血鬼界にある氷結鬼の村に帰れば、そんなおじいちゃんの恩を裏切ることになる。
「ごめんなさい。村には帰れない」
だから、私はグレースに謝って誘いを断った。
私が本当は吸血鬼界に住んでいた氷結鬼と呼ばれる種族で、刑罰として人間界に送られたという話を疑うつもりはない。
それでも『村瀬雪』は人間だし、私が今まで育ってきた環境は人間界だ。
過去を知ったからと言って、氷結鬼として暮らすわけにはいかない。
「何で……? 何でなの……?」
グレースはハッと目を見開き、赤い瞳を揺らして私を見つめた。
「い、一緒に帰ろうよ! だってわたしは、そのために、ルミと一緒に村に戻るために、わざわざ人間界に降りて『氷下心結』として今まで生きてきたんだよ?」
私から目を逸らして視線を宙で彷徨わせ、
「それなのに、ルミが村に戻ってくれないなんてあり得ないよ。わたしは、今まで一体何のために頑張ってきたの……?」
再び私を見つめたグレースの表情は、憤りと怒りに溢れていた。
「人間じゃないってバレないように必死に人間みたいに振る舞った! 亜子の配下について一生懸命、友達のルミを侮辱してからかった!」
そうして叫ぶグレースの瞳が潤み、涙が零れてくる。
「ルミに帰ってもらうために、今までのこと全部話した! わたしの本当の姿もこうして晒した! それなのに……ルミは一緒に帰ってくれないの?」
涙を流しながら、グレースは私を見つめた。
「ごめんなさい……私にはおじいちゃんがいるから」
私が言うと、グレースはまた目を見開いた。
「何年って時間を一緒に過ごしてきた親友よりも、本当のあなたを知らないただの老いぼれを選ぶの? ねぇ、信じられないんだけど! ルミが……ルミが分かんないよ!」
包み込んだ私の両手におでこを擦り付けて、グレースは叫んだ。
「お願い……ルミ。わたしを、選んで……」
祈るような、願うような、弱々しい声。
そんな彼女を前にして、私は怒りを抑えるのに必死だった。
「私は、グレースが分からないよ!」
気付けば、耐えきれずにそう叫んでいた。
グレースが私の両手からおでこを離して顔を上げ、絶望に満ちた表情をする。
そんな顔を見てしまうと、余計に私の怒りが膨らんできた。
この子は、なんて自分勝手なんだろう。
「私が氷結鬼としての記憶を無くしているって分かってて、次から次へと過去を話して、一緒に帰ろうって誘ってきて。挙げ句の果てにはおじいちゃんの侮辱?」
私の両手から手を離し、慌てふためくグレース。
冷や汗が頬をつたって流れていた。
「ち、違うの、ルミ。ごめん、わたしはルミのおじいちゃんのことなんて知らないから。ただ、親友のわたしよりも……」
「許さないから!!!」
許さない。おじいちゃんは老いぼれなんかじゃない!
私を育てるために必死に努力してくれた優しい人だ!
「る、るみ……」
「私はルミじゃない! 村瀬雪なの!!」
亡くなったお母さんがつけてくれた大事な名前。
それを呼ばずして、勝手に『ルミ』ばかり連呼するグレース。
もう友達なんかじゃない。友達だなんて思いたくない。
「もう二度と! 私に関わってこないで!!」
____生まれて初めて、私は誰かを拒絶した。




