第94話 本当に残念だったよ
その頃、市場では、スピリアの所に走っていたキルが目を見張っていた。
彼女の眼前、王都から逃げるように走ってくるたくさんの吸血鬼達が悲鳴をあげていた。
「な、何なの、これ……」
逃げまどう吸血鬼達に、キルは思わず唖然とした。
何かあったのだろうか、とキルの胸がざわつき始める。
「あ、あんた、鬼衛隊だよな!?」
不意に、逃げてきた吸血鬼の男がキルを見て尋ねた。
彼に腕を掴まれて、キルは痛みに顔を歪めながらも顎を引く。
スピリアとの戦闘で、当然ながら腕も負傷しているキル。
その腕をおとなの吸血鬼に強く掴まれたのだ。
痛みは相当のものであろう。
だが、そんなことなど知らない男は、助けを求めるように必死にキルを見つめ、
「や、やっぱりな! 頼む! 助けてくれ! 天使が来たんだ!」
「て、天使……?」
「ああ! 王都の方からだ! なぁ頼むよ!」
男はキルの腕を掴んで懇願してきた。
「わ、分かりました! ここで待機していてください。私が天使を食い止めます!」
キルは男を見上げて頷き、弾かれるように王都に向かって走り出した。
※※※※※※※※※
「……これで最期だからね」
ウォルが弓矢を引いてニヤリとほくそ笑む。
「くっ……」
「リッ……」
誠はフォレスの双剣で刺された背中の痛みに耐えながら、何とか起き上がろうと身を起こそうと試みる。
スピリアはウォルの水矢で貫かれたお腹を押さえて、フォレスとウォルを睨むように見上げる。
だが、双方の抗いもこの状況では意味を成さない。
「じゃあね!」
フォレスの双剣とウォルの弓矢が光を放つ。
もう無理だ、と誠とスピリアが思ったその時。
「うあああっ!」
双子天使の後ろで控えていた天兵軍が突如として叫び、大きな土埃に包まれた。
「あん?」
フォレスが背後を振り返って眉をひそめ、ウォルも弓矢の攻撃を止めてそちらを振り返る。
「誰?」
ウォルが反対側____市場の方に視線を移すと、そこには短剣を片手に構えた吸血鬼が居た。
桃色の髪を肩の上まで伸ばした小さな吸血鬼____キルだった。
「キル……」
誠が市場と王都の境界に居るキルを見て声を絞り出す。
「マコト……! それに、あの子も……」
キルは今までフォレスとウォルを睨んでいたが、ふと視線を落として倒れている誠とスピリアに気付く。
キルの黄色の瞳が揺れ、短剣を握りしめる手が震える。
怒りだった。
王都に居た吸血鬼達を恐怖を感じさせ、おまけに誠とスピリアまで怪我を負わせた双子天使への怒り。
それがキルの胸の中でフツフツと湧き上がる。
「許さない……! 皆を怖がらせて、本当は関係ないマコトまで傷付けて……! 許さないから!」
言うが早いか、キルは地面を蹴り上げて短剣を片手に双子天使へと飛び込んでいった。
「へぇ、キミも死にに来たんだ。馬鹿だね」
キルを嘲笑いながら、ウォルは弓矢を放った。
「ふっ!」
キルは飛び上がって水矢を避け、着地するとすぐに走り出す。
「隙あり!」
「ぐっ!」
そのままウォルの懐に飛び込んで、短剣を振るう。
ウォルが身に付けている白銀の鎧から火花が散り、ウォルが痛みに声をあげ、すぐに後ろに飛ぶ。
「何だ、ちょっとは強くなったんじゃん……」
頬に汗を浮かべて歯を見せながらも、ウォルは突然のキルの強さに少し驚いたようだった。
攻撃を受けたお腹を押さえて、しかしその顔は嬉しそうだ。
「やっとマシな戦いが出来るようになったね!」
体勢を立て直し、再びウォルはキルに飛びかかっていく。
「訓練したもの! 今度は負けられないわよ!」
それに、とキルは心の中で言葉を紡ぐ。
王都の方から逃げてきたあの男と約束したのだ。
キルが必ず天使を食い止める、と。
約束を果たすためにも負けるわけにはいかない。
キルの短剣とウォルの弓が火花を散らしてぶつかり合う。
武器越しに睨み合う二人。
だが、ウォルの方は楽しそうな笑顔を浮かべていた。
キルはウォル相手に必死なのに、ウォルは余裕綽々といった表情である。
訓練を重ね、天使の襲撃にも負けないように努力してきたキル。
その彼女の努力でも、ウォルには敵わないと言うのだろうか。
「オレのことも忘れんじゃねーぞ、おい!」
「うあっ!」
ただウォルを倒すこと、それに気を取られていたキルは、フォレスの存在を忘れていた。
背後から斬りつけられ、痛みに声をあげる。
前のめりに倒れそうになったところを、ウォルに弓で殴られる。
「うっ!」
たまらず転び、キルは痛みに悶えた。
前からはウォルが、後ろからはフォレスが攻撃を繰り出してくる。
フォレスに気付くのが遅れたために、挟み撃ちにされてしまったのだ。
「何でか分かんないけど、キミ怪我してるしね。努力したのか知らないけど、それじゃあ意味無いでしょ」
ウォルに核心をつかれて、キルはハッと目を見張った。
スピリアに急に攻撃されて、既にキルの体はボロボロだった。
ミリアの回復魔法で回復したとは言っても、完全なる復活が出来たわけではない。
普段と同じ力は出ないし、本気も出せない。
そんな状態で強敵二人に挑めば、確実に負ける。
分かっていたことだ。だが、それでも挑まずにはいられなかった。
傷付き倒れた誠とスピリアを目の当たりにした。
ここに来る前に男と約束を交わした。
その事実がキルを奮い立たせたのだ。
戦わなければならない、と。
「な~んだ、ちゃんと戦えると思ってたのにつまんないの~」
ウォルが、倒れながらもなお起き上がろうとするキルを見下ろす。
「あいつらを助けに来た正義のヒーローみたいだったけど、キミが来てもどうにもならなかったね。残念」
言葉の通りに悲しそうな表情をしてみせるウォル。
しかし、表情とは違って彼の口から発せられた言葉には感情が一切込められていない。
「本当に、残念だったよ。さようなら」
ウォルはそう言って柔らかく微笑んだ。




