第1話 え? 私、死んじゃうの?
ごく普通の会話や当たり前の日常。
『学校』という小さな社会で弾かれた私にとって、それは手に入れようとしても手に入れられないものだった。
高校に入学して二ヶ月が経っても、人付き合いが苦手な私には一向に友達が出来なかった。
いざ誰かを前にすると、緊張して上がってしまい、上手く言葉を紡ぎ出せなくなる。
そのせいで不快感を与えてしまったのか、今ではクラスメイトの誰からも話しかけられない。
相手が人間じゃない他の生物ーーたとえば亜人界に住む吸血鬼や天界の天使となら、普通に話せるだろうか、と思ったりするけれど。
今の私は、完全に『ひとりぼっち』という状態になっていた。
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そしてあくる日の朝。
私ーー村瀬雪は、布団の上で目を開けた。
いつも通りの景色だ。
天井に垂れ下がっている電気を見つめながらボーッとする。
今日も、行かなきゃいけないんだ……。全然楽しくもない学校に。
でも私の唯一の生きがいは、家で笑顔を振りまいてくれるおじいちゃんだった。
おじいちゃんは今年で七十歳。
定年退職した後も何とか働いていた学校と契約を結んで、今もなお教師の仕事を続けてくれている。
学校に行きたくないのは事実だけど、そんなおじいちゃんのことを思うと、とても申し訳ない気持ちになってしまう。
おじいちゃんのためにも我慢して行かなきゃ。
「おーい! 雪! ご飯じゃぞー!」
一階からおじいちゃんの声が聞こえてきた。
「はーい」
私は急いで返事をして時計を見る。
枕元に置いているデジタル時計には6:30と表示されていた。
「はぁ、降りなきゃ……」
私はため息をついて立ち上がり、ドアを開けて階段を降りる。
降りるたびにミシミシと音を立てる階段に少し不安になりながら、右手側にあるリビングに入る。
入った途端に、美味しそうな匂いがしてきた。
いつもの匂いだ。
おじいちゃんの卵焼き。私はこれが世界一美味しいと思っている。
実際、おじいちゃんが作る卵焼きはふわふわで、且つ表面には食欲をそそる茶色い焦げがついている。
ダシの味と非常に相性が良く、お箸で卵焼きを挟むとそのダシがじゅわっと溢れてお皿にこぼれ落ちる。
そして口に運ぶと、卵の甘さが口いっぱいに広がる。まさに至福、最高の卵焼きだ。
その最高の卵焼きが今日も机に並べられていた。
私の分と、おじいちゃんの分。
「はぁ」
私はまたため息をつく。
おじいちゃんがこんなにも美味しい卵焼きを作ってくれるから、ますます学校に行きたくなくなるのだ。
ずっと家にいたい。そう思ってしまう。
ーーなんて、それはただの言い訳だけれど。
「ほら、ぼさっとしてないでちゃっちゃと食べないと遅刻するぞ」
おじいちゃんがフライパンを洗いながら私に言う。
「うん」
私は素直に頷き、イスに腰掛けた。
食卓の上には卵焼きとウインナー、そして綺麗な焦げ目のついた食パンが置かれていた。
「そういえばまだやっとるんじゃのう。このニュース」
おじいちゃんの声に顔を上げると、おじいちゃんが台所からテレビを眺めていた。
つられて見ると、大きな『速報』という字幕が表記されたニュース番組で、女性キャスターが真剣な顔つきで報道していた。
画面が変わり、黒いマントを身にまとった集団の画像が映し出される。
『今朝未明、またしても都内で吸血鬼集団が現れました。未だに人が襲われたという情報は入ってきていませんが、近隣住民は不安を募らせるばかりです』
キャスターが話し終わるとVTRが流され、都内の上空を飛んでいる黒い集団の映像が映し出された。
その中でそれを見物している一般人の歓声とともに、その集団のマントがはためく音が聞こえてきた。
ーー吸血鬼、か。
そのニュースを見ながら私はそう思った。何で人間界に来てるのかな。
不思議と怖いとか奇妙とか恐ろしいとかそんな感情は湧いてこないけど。
『ここで改めて、この吸血鬼たちについて説明をさせていただきます』
キャスターが続けた。
『彼らは、私達人間が住んでいる人間界よりも上の世界である吸血鬼界、正式名称・亜人界に住んでいる種族です。目的は未だに不明ですが、今月あたりから何度かこちらの人間界に姿を見せ始めるようになりました。調査隊が出動し、詳しい状態を調べていますが、人間界と吸血鬼界を繋いでいるワープらしき空間も見つけられていないとのことです』
じゃあ、どうやって亜人界から人間界に来てるんだろ。
私はふと疑問を持ちながらおかずを口に運ぶ。
「雪も気をつけるんじゃぞ。こんな奴らに噛まれでもしたら大変じゃ」
おじいちゃんが警告してくれた。
「うん」
私は短く頷いて、再びテレビに目線を戻す。
不意に、その集団の長のような吸血鬼の顔がアップで映し出された。
肩につきそうなほどの美しい黒髪、細く赤い瞳に鋭く光る真っ白で長い牙。
カッコいい……。
「時間大丈夫なのか? 雪」
気づかないうちにその吸血鬼に見入ってしまっていたようで、おじいちゃんの声にハッと驚いてしまう。
時計を見ると七時十五分。そろそろご飯を食べ終えて制服に着替えないといけない時間だった。
私は大急ぎで残りのおかずを口に運んだ。
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「行ってきます」
玄関で制靴を履き、つま先でトントンと床を蹴って足にフィットさせる。
「行ってらっしゃい。気をつけるんじゃぞ」
おじいちゃんが労ってくれた。
やっぱりおじいちゃんは優しいな。
そう思いながら私はおじいちゃんを見つめる。
シワのある顔だけど、そこから溢れる笑顔にとても安心させられる。
世界一のおじいちゃん。
……ん? さっき卵焼きにも世界一って言った気が……。
まぁ、いいや。それぐらい私にとっては心の支えなんだもん。卵焼きと一緒にするのは少々気が引けるけど。
「ん? どうした?」
おじいちゃんがきょとんとした顔で尋ねる。
しまった! 色んなことを考えていてついおじいちゃんを見つめすぎた!
頭から湯気でも出てきそう……。
「な、なんでもない! 行ってきます!」
熱くなった顔を見られるのが恥ずかしくて、私はドアを乱暴に開けると急いで家を飛び出した。
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「はぁ」
信号を待ちながら、私はため息をついた。
あれだけ家では楽しい気分だったのに、そこから一歩外に出ると一気に気分が沈んでしまう。
私が皆から距離を置かれていじめられているのは、やっぱり私の人付き合いの仕方が下手くそだからだろうか。それとも何か別の理由があるのだろうか。
どっちにしろ、私だってこんな生活は嫌だ。すぐにでも変えたい。
先生に相談しても『自分が変わらなきゃ』と言われて終わり。
先生は頼りにならない。どれだけこちらが訴えてもなぜか相手の味方につく。
最終的には私が悪いみたいな雰囲気になるのだ。
「はぁ」
またため息が出てしまった。
朝だけで何回ため息ついてるんだろ、私……。
そんなことを考えていると、いきなり向こうの道路の方が騒がしくなった。
「ん?」
私は道路の方に目を向ける。
すると、何やら黒い集団が空を飛んでいた。
今朝ニュースで見た吸血鬼集団だ!
……と思ったけど、あれ? 何かおかしい。
吸血鬼達が集まって何やらわちゃわちゃしているように見える。
「ん……?」
目を細めてよく見てみると、何と吸血鬼達は三人がかりで四人目の吸血鬼をボコボコと攻撃していたのだ。
わちゃわちゃなんて生易しいものじゃない! しかも攻撃側の三体、何か持ってる!
遠すぎてよく見えないけど、その道具で真ん中にいる吸血鬼をボコボコ叩いていた。
ど、どうしよう。で、でも、私には何も出来ないし……。
キョロキョロと辺りを見回してみるけど、皆は私と同じように吸血鬼達を見上げているだけで、焦っている様子なんてない。
皆、気付いてないのかな。これいじめだよ……。私もいじめられてるからよく分かる。
数人でたった一人に暴力を振るうのは、明らかにいじめだ。
私は暴力を振るわれてるわけじゃなくて、無視されてるだけなんだけど。
もう一度空を仰いだその時、そのうちの一体が腰から光る銀色の細いものを取り出した。
ぱっと見、剣みたいな……。
って! 本当に剣だったらあの人が刺されちゃう!
どうしよう……! 何とかして助けないといけないけど、私じゃ何も出来ないし……。でもこのまま放っておくわけにはーー。
私は俯き、必死に頭を回転させた。いじめからあの吸血鬼を助けられて、なおかつ帰宅部の私が出来ること……。
すると突然、誰かが叫ぶ声がした。
「危ない!」
その直後に足元が陰った。
ん? 何か上にあるのかな。
そう思って空を見上げた私は言葉を失った。
攻撃されている吸血鬼めがけて、別の一体が大きな光を作り出していたのだ。
しかも特大級の大きさで、その辺一帯が光で覆われてしまうほどだった。
ビュン! とその一体が中央の吸血鬼に向かって光を放った。
吸血鬼はすんでのところでかわす。
よかった……。
ところが安心したのもつかの間。
「そこの子! 逃げて!」
さっき『危ない!』と言った人とはまた別の人の声がした。
しかも私を見てる……?
私はもう一度空を見上げた。
「……え?」
吸血鬼が光をかわしてくれたことに安堵しすぎて、その後を考えていなかった。
それは何とまっすぐ私の方に落下しようとしていたのだ。
「に、にににに逃げなきゃっ!!」
なのに……。
「動かない!!」
何で? 何で!? 嘘でしょ!?
まるで金縛りにあったかのように、足が地面に張り付いたまま動かないのだ。
逃げなければ、あのビームに当たって間違いなく即死だ。
足が、身体全体がブルブルと震え出してくる。
そしてその間にも、刻々と私の方にその特大のビームは迫ってくる。
もう、ダメだ。
私はこの世の終わりを見た気がした。
「おじいちゃん、ありがとう」
それからダメな孫でごめんね。友達一つ作れないダメダメな孫を許してね。
こんな所で呟いても届くはずないけど、おじいちゃんにお礼を言って私は静かに目を閉じる。
足が動かないのに焦ったって無駄だ。ここは潔く死を迎えよう。
眩しすぎる光が迫ってきて、目の前が真っ白になった。
遠くで叫び声が聞こえた気がしたーー。