アリとキリギリス
病室に近づくにつれ、心臓の鼓動が速くなり、心なしか息苦しさも感じていた。人生を賭けた大勝負の時とはこんな感じなのだろうか。
503号室の前に立った。プレートには宮内美里とある。そう彼女は私の親友だった。つい最近までは。
そして私はこれから確かめなければならないのだ、彼女が・・・美里があのことに気づいているのかどうか・・・
「貴子?ゴメンゴメン、連絡遅くなって」
美里から電話をもらったのは今朝だ。スマホを見たときに最後に私からの着信が残っていたこともあり連絡してきたのだ。寝不足と不安感に襲われつつ、恐る恐る出た電話越しの妙に明るい声に思わず拍子抜けしてしまった。
「う、うん、連絡取れなかったから心配してたんだよ、何してたのよ」
と平静を装いつつ探りを入れる。
「いやあ、それがどうも事故にあっちゃったみたいで入院してるんだ、街中の〇〇病院にね」
「あったみたい?ってどういうこと?」
恐る恐る聞き返すと、
「それがね、どうも頭思いっきり打ったみたいでさ、そん時の記憶がないんだわ、これが」
おどける美里の明るい口調に、今まで自分を押しつぶしそうになっていた不安感がスッと引いていくのを感じた。
「えっ、大変じゃない!事故って?どこでよ?」
「えっと、一昨日?会社から帰る時に〇〇駅のホームでね、落ちたみたい。というか覚えてないんだけどね、そん時頭打ったのかな?ちょうど電車の下に潜り込んだみたいでさ、いやあ、まあ日ごろの行いがよかったからさ」
「もう!びっくりしたじゃない、心配かけないでよ!」
と感情があふれ涙声になった・・・フリをした。そして冷静に美里のセリフを分析した。落ちた時の記憶はないということか・・・。そう彼女をホームから突き落としたのは私なのだ。
私には付き合って1年になる浩司という彼氏がいる。バイト先で知り合った彼を紹介してよと美里にしつこく言われるものだから、一緒に遊びに行ったのが半年前くらいだったと思う。そのころから浩司の態度が急によそよそしくなったのを感じてたので、彼のスマホをこっそりのぞいてみたら、案の定美里と浮気しているようだった。
どちらかというとおっとりした性格の私は、天真爛漫自由気ままな彼女にいつもおいしい所を持っていかれていた。彼女からすれば私は自分を引き立てる最高のツレに違いない。だからせっかくできた彼だけは美里に紹介したくなかったのだ。
彼を取られたくはない。しかしもうそれは単なる引き金でしかなかったのかもしれない。彼女に対する積もり積もった愚痴・不平・不満・妬み・嫉みは、堰き止めることもできずあふれかえってしまった。
私は彼女の帰宅途中に後をつけた。そして○○駅のホームで私は群衆をかき分け美里の後ろについた。彼女は電話中で全く後ろに気づいていない。私はためらっていた。でも彼女の電話の会話から相手が浩司だとすぐに気づいた。
「えー。大丈夫だよ、気づいてないって!あの子トロいから」
ドン!もう冷静さは微塵もなかった。彼女は前のめりに宙を舞った。
無我夢中だったからだろうか・・・その時のことは全く覚えていない。私は気づくと家で毛布にくるまって震えていた。急に現実に引き戻され、私は自分がやってしまったことにおびえていた。
ルルルルル・・・・電話のベルが突然、私を浅い眠りからたたきだした。美里からの着信だった。と同時に私の恐ろしい計画は失敗に終わったのだと愕然とした。いや、もしかしたら美里のご両親が美里のスマホで連絡してきたとか・・・・
「冷静に冷静に・・・」
何度もつぶやきながら考えを巡らす。落ち着くんだ、仮に本人からだとしても私には気づかなかったはず。大丈夫、大丈夫、大丈夫・・・
「・・・もしもし?」
「貴子?ゴメンゴメン、連絡遅くなって」
私は、一息つくとシャワーを浴びた。PCの電源を入れる。表示された曜日は日曜日。決行の日は金曜日だったからかれこれ食べてなかったんだな・・・。そう考えながらゆっくりとミルクティを飲んだ。
私はすでに次のことを考えていた。なんにせよ美里が生きているということが確定したのだ。問題は私の犯行だと気づかれていないかどうかだ。落ちる瞬間に私の顔を見られたりしていないのだろうか・・・。話ではその時の記憶がないということだけど・・・。本当に記憶がないとしてもそれは一過性の記憶障害とも考えられる。もし私の顔を見ていて、そのことを思い出したらその時はどうしたらいい?いや、彼女のことだ、実は何かに気づいているのかもしれない。でも、もし気づいているなら私にわざわざ連絡するような回りくどいことをしなくても警察に連絡すればいいだけの話だし・・・。
私は見舞いに行って実際に確かめることにした。本人はその時の記憶がないと言っている。最悪私の犯行ということがばれていて復讐から呼び出すようなことがあったとしてもだ、相手は怪我人だ。まさかその場で襲ってくるようなことはあるまい。
ネットで○○病院を検索しHPで施設案内を見る。美里が入院しているという503号室は個室のようだ。日曜日は面会時間が短いようだ。私はそそくさと身支度を整え病院に向かった。
病院に向かう途中の花屋で適当な花を買う。殺し屋ってこういう時花束の中に拳銃とか隠していったりするんだろうか・・・などとつまらないことを考えつつ病院に向かった。
案内板で503号室位置を確認する。日曜日で外来が休みということもあり閑散としている。足早に私は病室に急いだ。早く事実を知って安心したい気持ち半分、逃げ出したい気持ち半分といったところだろうか。503号室の前に立ち、ネームプレートを確認する。そっと扉に耳を当てる。・・・静かだ。他に見舞いに来ている様子はない。ぐっと取っ手を握りしめる。もはやそれは親友を見舞いにきたといった感じでではまるでなかった・・・
少し扉を開きゆっくりと中を見る。美里は雑誌を読んでいた。
「美里、お見舞いに来たよ」
小さな音量で声をかけると、
「わー、貴子来てくれたんだ!中に入って入って!」
となかなかの音量で話し始めた。相変わらずテンションが高い。私は促されるまま病室の入り、ベットの横にある椅子に腰を掛けた。
「お、思ったより元気そうでよかったよ」
声が上擦ってしまった。確かに頭を打ったのであろう、包帯がまかれてはいたが本人いたって元気な様子だ。
「まあ、さすがにホームから落ちちゃったからね、頭打ったのとあちこち打撲はあるけどね、ほんと落ち方がよかったみたいで。ほら線路の間?っていったらいいのかな、そこにスポっとはまってさあ、電車の下にうまいこと潜ったみたいな形になってたんだって!ほんと私って運がいいわ!」
・・・ほんとこういう奴に限って運がいい。その分私がこいつに運を吸われてしまっているような気がして嫌な気になった。だが、気を取り直して本来の目的を遂げなければ。
「でなんでこんなことになったのよ、結構混む時間だから押された拍子によろめいたとか?」
我ながらずいぶん回りくどい言い方をするなと思いつつも、美里の表情の変化を見逃すまいと全神経を集中させる。
「まあ混む時間だしね・・・警察の人もさっき来たんだけど、特に誰かに押されているのを見たとか目撃証言もないみたいなんだよね。まあ一昨日の話だし、まだ日にちもたってないからかもしれないけどさ」
さっき警察来ていたのか・・・。こういうのってどうなんだろう、事件と判断されたら捜査とか始まるんだろうか。いざ警察と聞いてしまうと心臓の鼓動がいっそう激しくなるのを感じた。
「そっ、そうなんだ・・・。なんか怖いね。でもほんと気を付けなよ」
「ありがとー!ほんと持つべきは親友だね」
もう私にとってアンタは親友でも何でもないけどね・・・と思いつつ、どうやら記憶がないことに関しては本当のように感じられ若干安堵した。
しばらくとりとめもない会話に終始する。私の心は少しずつ平穏を取り戻しつつあった。日曜日ということもあり面会時間は17時までのようだ。あと30分といったところか。話をそろそろ切り上げようとしたところ、
「実は・・・貴子に言っておかなきゃと思っていることがあるんだ・・・」
と美里が切り出した。
「えっえっ、何?あらたまっちゃって」
私の心臓は一気に収縮した。
「実は・・・ほんと言いにくいんだけど・・・この前浩司君から告白されたんだ・・・」
なんだ、そんなことか。アンタらが浮気していることなんてすでに気付いてるっつーの。そんな浮気男くれてやるわ、と思いながらも
「えっ、そんな・・・ひどいよ・・・」
と沈んだ表情を浮かべてみる。すると間髪入れず
「私も親友の彼氏だし、そんなこと考えられないって断ったんだけど・・・、でも何回もお願いされて・・・ね・・・」
コイツ、よくもまあ、いけしゃあしゃあと、とハラワタ煮えくりかえる思いだったが、ある意味いつも通りといえばいつも通りだ。いつも私の幸せを横からかっさらっていくんだから。「アリとキリギリス」でいえば私は完璧アリのポジションだろう。でもいつか逆転してやる。しかし次の瞬間私は凍り付いた。
「ゴメンね、だから手を引いてほしいの、貴子が私を突き落としたこと誰にも言わないからさ」
な、なんで、気づいていたの?何?何?どういうコト?私の頭の中は?で埋め尽くされた。
「私もさ、ビックリ知っちゃったよ、まさかアンタに突き落とされるなんてね、これって殺人未遂になんのかな?怖いよねーほんと。でも私の強運のおかげで、これくらいで済んだしね、ずっと親友だよね、た・か・こ♡」
終わった。完全に弱みを握られた。私はこの先一生このことをネタにうまいこと使われていくんだろう。奴隷・・・まさに私にっぴったりの言葉だ。アリはキリギリスには勝てない。やっぱり美里には勝てないんだ・・・。私は落胆した。その時ベットの脇の机に果物ナイフに気づいた。もう私は自分を止めることはできなかった。ナイフを握りしめると、
「いい加減にしてよ、私が今までアンタに振り回されてどんな気持ちでやってきたかわかる?いつもいつも私の幸せを横取りしてきて。私はアンタの養分じゃない、私っだって幸せになる権利はあるんだから!」
もはや言葉にならない言葉で泣き叫んだ。殺すしかない。私の気持ちはこの一点に集中した。この病室に入ることは見られていない。何とか逃げおおせることができるかもしれない。私は枕を奪い取ると美里の顔に押し当て押し倒した。ミスは許されない、今度こそ、今度こそ仕留める!確実に確実に!そしてこいつの呪縛から解き放たれるんだ!私は美里の首筋に狙いを定めた。
その時だった。私の力がふっと抜けた。力が入らない。それどころか眠くて仕方がない時のような、もう何も考えられないような感じになった。スゥーっと私の意識が遠のいていった・・・
* * * * * *
私の名前は宮内美里。○○病院に入院している。深夜2時をまわったところか。今私は502号室にいる。目の前には親友の貴子が眠っている。いや正確には親友だったといったほうが正しいかもしれない。
一昨日、私はこの女に駅のホームで突き落とされそうになった。落とされそうになった、というのは、実際はもう電車がホームに入ってきていたので電車の側面にあたって跳ね飛ばされたのだ。私が押された時、私のバッグと貴子のショルダーバッグが絡んでしまっていて貴子もろとも跳ね飛ばされたのだ。運が悪かったのは貴子がホームの柱に激突してしまってその衝撃で意識がなくこの有様。私は跳ね飛ばされた衝撃はなかなかひどかったものの、貴子が変にクッションになったおかげでこの程度で済んだのだ。
しかしこの女、昔からカモっていたけどまさか歯向かってくるなんて全く思ってなかった。浩司とのことも感づいてたのか。しかしまあ今回の結果も今までの私たちの関係を考えてみたらそういうことなんだなとつくづく思うよ。ダメな奴はどんだけ頑張ったって駄目なのよ。よくそういう星の下に生まれたとかいうけど、まさにそう思うわ。
けどこんなにチューブに繋がれちゃって、全く無様ね。フーン、これって人口呼吸器?もう自分で呼吸できないのかな。ああこのスイッチ切っちゃうと全部止まっちゃうんだね。
それにしても、マジ怖い。なんてったって実際殺されかけたんだからね。もう二度と前のような関係には戻れないか。危険因子確定だし。もう生かしておけないよね。つーか結構この感じだと危ないのかな。残念だね、貴子、ほんと今まで楽しかったよ。今頃どんな夢見てるのかな?もしかして夢の中で私を殺しちゃったりしてるのかな?でも残念だね。どこまで行ってもアリはアリ、キリギリスにはなれないんだよ。おとなしく私の養分になってればよかったのにさ。生まれ変わったらもう少しいい人生を送れるといいね。というと静かにスイッチを切った。
「じゃあね、貴子」