第二章 最強アイテムは夏 <2>
夏休み初日、今日は長々と待ったあれが届く。学生ならCD2枚ほどある容量の宿題ファイルに答えを入力し始めるのが普通。だが、すでに頭の中の優先順位は最下位に位置していて、天使と悪魔の戦いも宿題のファイルが届いた時点で、天使が白旗を掲げていた。しかも、その天使の白旗は敗北の意味ではなく、宿題の問1を読んだ結果だった。そして無駄な戦闘を回避できた俺の悪魔は、白いシンメトリーで大きな屋敷の庭に、メイドが運んできた紅茶でティータイムと洒落込んでいる。その紳士な悪魔は、鼻下でカップを揺らし香りを嗅いだあと一口飲むと、背中に翼を持ったメイドに一言こう言ってティーカップを投げつける。
「君、温度が低いから茶葉が開ききっていないぞ」
目に涙を貯めたメイドが、割れたカップの破片を震えた手で拾う。
そして俺は誓った。
天使よ、8月下旬にはお前がこの屋敷の主人だ・・・
昼食を済ませ自室でサイト閲覧をしていた時、下階から母が俺宛の荷物が届いたと部屋まで運んできた。手渡すなり母は、この荷物は何か問いかけてきた。そして俺はこう答えた。
「参考書のセット」
「ふ〜ん」
そう鼻で答えた母の視線は、ゲームサイトが映ったPCのディスプレイを見ていた。
「頑張ってね」
顔は微笑んでいても、その目は間違いなく疑っていた。
TVドラマなら、オープニングで出演者の名前の横にこいつが犯人と書かれているようなもの。それでも、説教のひとつも言わなかった母は偉大だと関心した。
厳重に梱包された包装には、スリーエスと社名ロゴがプリントされている。いつもなら丁寧に梱包を解くところだが、それさえも忘れるぐらい中の品物を早く見たいがために手付きが焦っていた。封が開いていくと、新品独特の匂いが俺を更に挑発する。そして、次々と正体不明だった付属品のヘッドギアやFRセンサー、DVDあと説明書が目の前に姿を現す。一つ取り出すごとに品定めしていた。
ヘッドギアは、工事現場で使うヘルメットのような物を想像していたが、意外にシンプルでコンパクトにできている。外見は黒のメタリックで、内側にはセンサーの受信機と思われる施しがされていた。例えるなら足ツボマッサージにある沢山の小さな柔らかい凸凹だ。試しに装備してみると、額から後頭部にかけてバンドで固定でき、その後頭部から野球のグローブのように太い指が2本前頭葉に向けて頭の形に添って伸びている。両耳には骨伝道型ヘッドホンが取り付けられていて、左耳からはその延長に小型のマイクが付いていた。そして、各所には折りたたみ出来るように間接部もあった。気になっていディスプレイは、ゴーグル型湾曲液晶ディスプレイで、額のバンドに取り付け上下に開閉できるように作られている。その形は少々大きめだが、軽量化と長時間プレイでもあまり眼精疲労しないように工夫されていた。これに付いていた説明書をさらっと読むと、他の用途には使えないようで、このゲームの為だけに開発されたようだ。あとFRセンサーだが、コットン生地の手袋を利用していて、通気性をよくする為、等間隔に穴がくり抜かれていた。リストバンドから手の甲側だけ縫うように細いケーブルが、全てのセンサーに繋がっている。センサー本体は第一関節から指先まですっぽりと包んでいて、プレイ中は両手10本全てに装備しなければいけないようになっていた。これらを見ていると、益々どんな世界なのか興味が沸いてくる。すると導かれるように説明書を手に取り、ログインするための手順要項を読み漁った。DVDをドライブに挿入して、次々と出てくるウィザードの問いかけに答えていく。黙々と設定をしている間、今までにプレイしたネットゲームは、ユーザーを退屈させないために気分を高揚とさせるような演出映像が流れる事が多かった。しかし、このゲームにはまったくそれがない。母がこれを運んできてから、すでに4時間が過ぎようとしている。好きでやっている事とはいえ、さすがにこれでは飽きがきてしまう。一息入れようとキッチンから飲み物を持ってくることにした。時計を見ると18時を回っていて、キッチンに行くと母は晩御飯の支度をしていた。そんな母を横目に俺は冷蔵庫を開け、ペットボトルにコップ一杯分ほどのオレンジジュースを見つけた。そしてそれを手に取り部屋に戻ろうとする。
「もう少しでご飯よ」
母は俺を見るなりそう言う、そして俺はそれに無言で頷く。部屋に戻るのを諦め、ペットボトルのキャップを取り外しジュースを一気に飲み干した。仕方なく作業を中断して晩御飯が出来上がるのを、リビングでテレビでも見ながら待つことにした。
「ただいまぁ」
ソファーに座ってしばらくすると、遥が部活から帰ってきた。そして帰ってくるなり脱いだ靴を散らかしたまま、俺が座っているソファーに荷物を投げ置き、キッチンで冷蔵庫の扉を開けて何かを物色し始めた。
「おかえり」
母はテーブルに食器を並べながら遥にそう言った。
「なーんだ、ジュースないじゃん」
「お兄ちゃんが、さっき飲んじゃったわよ」
「あっそ」
「それより、もうちょっとでご飯だから先にお風呂入ってらっしゃい」
「はーい」
遥は適当に返事すると、セーラー服の胸元の紐を解きながらバスルームへ向った。いつもながら遥の行動は、がさつだ。
俺が持っている女性のイメージをことごとく壊してくれる。気を使えとは言わないが、もう少し御淑やかな振舞いができないものだろうかと、いつも思う。するとバスルームからバタバタと走る足音が近づいてきた。足音の主は、恥かしげもなく下着姿でソファーに投げた荷物を鷲掴みすると、またバスルームへ戻っていった。
「これ!そんな格好で」
今の行動が母の目に留まったようだ。
確信犯は、照れ笑いをしてバスルームの扉を閉めた。
まったく・・・
30分程して、遥がバスルームから出てくるとすでに食事も出来上がっていた。そしていつものように、3人で食事をした。
「ごちそうさま」
食事を済ませた俺は、早々に自室へ戻った。飽きていた気分は、時間が経つとまた興味が沸いてくるようで、黙々と作業を再開する。
設定や入力事項も終わり、ちょっとしたインストールも完了した。あとは一度PCを再起動させて、ログインするだけとなった。
よし!・・・
再起動の間、各付属品を自分に取付けていると、遥がいきなり部屋へ入ってきた。
「お兄ちゃん、なにかDVD貸して」
そう言って俺の姿が目に入ると、ビックリしていた。そして不思議な物を見るような表情に変わる。ご尤もな反応だった。付属品をフル装備した姿を初めて見たら、誰だってそうなるだろう。
「なに・・・それ・・・」
ゆっくりと歩み寄り、怖い物に触れるように手を伸ばしてきた。俺はその手を払い退けると眉間に皺を寄せた。
「ノックぐらいしろ、それとそこから勝手に持って早く出て行ってくれ」
「う、うん・・・」
こちらをちらちらと見ながら、棚からいくつかDVDを手に取り、自室へ戻っていった。たぶん遥の事だ、今見たことを母に告げ口するだろうと予測した。そしたら間違いなく母はここに来るだろう。そのあと、ひと悶着あって気分を害する状況になるのは明らかだった。
どうするか考え込んだ。
今日はここまでにしておくべきか・・・
それと、こうも考えた。
逆に、これを遥に説明して防衛策をとるか・・・
「うーん」
ここまでセットアップして、ログインをお預けではあまりにも今日の俺は報われない。そう考えると結論は一つしかない事になる。
俺は装備を外し、遥の部屋へ向う。ノックして入室の了解を得ると、扉を開けあの状況の意味を細かく説明した。その間、遥は理解できたのかできなかったのか分からないような返事をしていたが、とにかく一通り話した。そして、最後に最重要事項の件を約束させ、再度念を押して自室に戻った。安心はできないが、今夜は大丈夫だろうと思った。早速、例の物を装備してログインの体勢をとる。説明書によると、リラックスできる環境でプレイしてくださいということだった。椅子の背凭れを後ろに傾け、普通に座っている体勢よりも寝る姿勢に近づけるようにした。あとこのゲームは、開始のエンターキーを押したあとはキーボードやコントローラなど付属品以外の装置を一切使用しない。要するに、従来のような十字キーやボタンを押すという行為が必要ないのだ。すると次第にPC画面は真っ暗になり、一瞬電源が切れたという錯覚に陥いるが、アイディスプレイに映像が映り始めたことで、そうではないと判る。初めは靄がかかったような白い映像で、ハッキリとした視覚エフェクトに変わっていく。徐々に気持ちが吸い込まれていくようで、鼓動の高まりに反してリラックスした精神状態になっていった。しばらくその状態が続くと、カメラのフラッシュのような閃光が3回光った。
なんだ?・・・
その閃光で目が眩み、目に映る映像を戻すため何度も瞬きをする。しばらくして画面はブラックアウトした。するとディスプレイ中央にこのゲーム会社の社員だろうか、一人の若い女性の上半身が映り語り始めた。
「はじめに」
「弊社の商品をご購入また、ご登録いただき誠に有難うございます。一同を代表して、ここにお礼申し上げます。」
「さて、この商品についていくつかの注意点を説明させていただきます。」
「このゲームは、リアルを可能な限り忠実に再現されたファンタジーワールドです。美しく綺麗な映像の反面、ショッキングな映像も含まれています。予めご了承ください。また、プレイ中はリラックスできる環境でお楽しみください。その他、操作方法やトラブルに関しては説明書をご参照ください。」
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「では、心ゆくまで The Transmigration Of The Soul の世界をご堪能ください。」
ナレーションが終わると、また先程と同じく白い閃光が目の前に広がった。
そして、いよいよゲームがスタートする。