第二章 最強アイテムは夏 <1>
夏休みの直前、学生にとってある数値や評価がデータとなって各個人に送られてくる。つまり、成績表のことだ。これだけは、いくら社会が変わっても受け継がれている。誰が初めに決めたことなのか、いい加減うんざりする。気分が落ち込む理由は単純で、出来が悪いそれだけだ。勉強を頑張ればそれはそれでやらないより、少しは成績も上がるだろう。しかし、上がったからと言って、そこでまた気を抜いてやらないでいると下がる。極々当たり前のこと。何が問題かと言えば、現状を維持しつつ更に頑張る、これができない。授業の内容がどうとかそういうことじゃなく、その習慣が身についていないから結果としてこうなってしまう。それが本日、開示される。
されなくていいのに……
だが、今年の俺は少し違う。成績表の事なんかまったく眼中にない。それは、例のオンラインゲームで必要なものが明日、全て揃うのだ。なんたる偶然、なんたる神様の悪戯。休み期間中の最大の楽しみがネットゲームとはまさに駄目人間のお手本。まだまだ一年生、なんとでもなる。そう本気で思っていた。
今日は半日で終わる、みんな夏休みの予定で頭いっぱいだろう。隣で石本姉妹が水着がどうとか、海がなんだとか話している。実は先日、石本姉妹からその海の件でお誘いがあった。どうやら、親戚の人と行く予定だったのがキャンセルになったらしく、女ばかりで行くのもつまらないから、いつもコンビを組んで話題になっていた俺と梅田の駄目ンズに、白羽の矢の的として選ばれたようだ。この姉妹にとって俺達は、一応友達の部類にセッティングされてるみたいだ。梅田はその矢にいとも簡単に貫かれたようだが、俺はその矢を躊躇なく手刀で叩き落とした。しかしその後が大変だった。そりゃもう集中砲火のように攻撃されたさ。しかもあの双子だけならまだしも、他の女生徒まで参戦してくる始末。困り果てている時、他の男子に救援をお願いするが誰も近寄ろうともしない。
それは何故か。それは、このクラスの勢力分布図がほぼ女性で支配されているからだ。まったく男女平等とはよく言ったものだ。どう見ても今の世の中は女性社会で成り立っている。歴史の授業に出てきた男尊女卑の社会にまで戻してくれとは言わない、だがせめて平等という言葉を守ってほしいものだ。小さな頃、父から男は度胸、女は愛敬と言われたことがある。しかし、今時の女性は愛敬もあれば度胸も座ってる。更には権威もあれば財力までフル装備してやがる。どうやら働き蜂と女王蜂との地位の差は、永遠に埋まることはないようだ。押し問答をしていたとき、たまたま新見の姿が視界に入った。あいつは涼しい顔をして教室から消えていった。
やつでも歯が立たないという事か……
あのクールなところは正直羨ましい。
「私達の誘い断るんだ?」
「何様のつもり?」
「なんとかならないの?」
「それ、格好つけてるつもり?」
「これって男としてどうなの?」
「バカじゃないの?」
「だから成績悪いのよ」
成績は関係ないだろう……
「女が頭下げてるのよ?」
下げるどころか、罵声受けてるのだが。
腹立たしさや失望を感じながら、なんとか沈静させることができ、とにかく断ることができた。そもそも行くに行けない理由が俺にはあった。
それにしても、まさかこれがコンビの仲を揺るがすクエストの始まりだったとは、思いもしなかった。
その後、塚原先生からの伝達事項の話も終わり、これで晴れて夏休みに突入する。
浮かれた気分で、鞄に宿題が沢山詰まったPCを締まっていると、梅ちゃんから話があるからと呼ばれた。
その話は、非常に切羽詰った内容だった。
それは、入学式から一ヶ月ほど経過した頃まで遡る。
葵サプライズクエストが一先ず決着、そしてゲーム会社に登録の申請を済ませ、あとは登録完了通知を待つのみ。その間、ただ普通に学園生活を楽しんでいた。
昼休みに、食堂で梅ちゃんといつものように食事をしていたときだった。 石本姉妹が、両手に購買で買った菓子パンやサンドイッチ、ジュースを持って空いてる席を探す為、うろうろとしていた。それに梅田が気が付いて呼び止め、同席することになった。初めは差し障りのない会話で盛り上がっていた。普段何をしてるとか、どんな遊びをしてるとか。そして徐々に彼氏や彼女の話題に変わっていく。年頃の男女が避けては通れない分野ではあるのは間違いがない。すると、梅田が事もあろうに言わなくていい事を口走った。あの葵サプライズの事だった。
「こないだ、ヒカルが他のクラスの子から告白されて、相談に乗ったことがあったよ」
俺は自分の事を言われて渋面した。そして咄嗟に「しっ!」っと右手でゼスチャーする。
すると、梅田が俺の顔を見て異変を感じ焦って謝罪した。
「ごめん」
怒るつもりは更々ない。しかしコンビ内の極秘事項で暗黙の約束事だったのは言うまでもない。
まったく……
だが、そんな事はお構いなしに、石本コンビは詳細を知ろうとする。当然と言えば当然の反応なのかもしれない。梅田は自分が起こしたこの失態をなんとか取り繕おうとする。
俺は俺で、食べ残っていた豚カツを口に頬張り黙秘の体勢を決め込む。
「え!そうなの?」「誰?誰?」「どこのクラス?」
「あ、でも僕もあまり詳しく知らないから……」
「えー教えてよ」「相手の子の名前ぐらい知ってるんでしょ?」
「そこまでは……」
「ふーん、そうなの?」「ちょっとぐらい教えてくれてもいいのに」
梅田の防衛線はすでに突破されたらしく、俺の所へ戦火が飛んできた。
「どうなのヒカル君?その子と付き合ってるの?」
無視無視……
甘美な情報の漏洩はネズミ算のように広がる危険性が高い。だからこれ以上提供するわけにはいかない。
それにしても、先ほどから質問責めてくるのは姉の綾で、妹の亜美はジッと状況を見守っている。性格の違いがよく分かる光景だった。
「ねえねえ、亜美」
「あなたも気になるでしょ?」
「私は……別に……」
なぜか、困っているように見えた。こういった話題が苦手なのか、それともただ単に興味がないのかそれは分からない。
「あたしは、ちょっと興味あるんだけどなぁ」
こいつは……
昼休みの時間も残りわずかになってきたことだし、そろそろもう良い頃合だろう。
「はいはい、おしまい」
そして、立ち上がり食べ終わった食器を返却口へ運んだ。
綾にしてみれば、敵本陣まで詰め寄り、あと一太刀あれば大将の首を刎ねることができた。しかし、俺がひらりと背後から峰打ちを食らわせ気絶させた。そんなような心境で、とても無念に思っているのだろう。
つまりこのやり取りの最中、梅田の胸中に何らかのフラグが立った。
それは、石本亜美の事が気になる存在と変化して、日が経つと共に恋心となって宿った。
どのタイミングでそうなったのかは判らない。でも、男女物語のはじまりは得てして単純なものだと俺の自説論の一頁に書き込みされた。
梅田は真剣だった。俺はその気持ちに胸打たれ、渋々首を縦に振った。
まあ、つまりそういうことだ。
夏休みに入って初めの土曜日、俺は緯度34度42分17.22秒、経度136度59分49.224秒の地点に水着姿で、眩しいサンレイを全身に受けながらじりじりとした砂浜に立っていた。
なぁ〜んでこんなところにいるんだろうなぁ〜俺……
はは……
「ヒカル、ありがとな」
そう言って梅田が寄って来る。
オレンジカラーのサーフパンツで、所々色抜きしたような柄。初めて会ったときも思ったが、やはり体格はがっしりしていて色黒だ。
俺は、ネイビーの両サイドに赤と黄色の縦帯線入りサーフパンツ。 梅田の体格には負けるが、中学で部活をしていたおかげで、その名残がまだ残っている。
そして嬉しそうな梅田のその表情には、今日ここに来た理由がなんであるか十二分に理解できていて、意気込みのようなものを感じさせた。
「どういたしまして」
俺は俺で人数合わせで来ているわけだが、来てしまった以上それなりに楽しむことにしていた。
「それにしても……暑いぃ」
目の前を手で日陰を作っても、砂浜からの照り返しでまったく意味がない。
「ほんと、暑いですね」
ビーチパラソルの日陰で座りながら亜美がそう言った。
ハワイアンブルーがベースのスカート付きアンダーワイヤービキニで左の胸のところには椰子の葉がプリントされていて白い肌によく似合っていた。普段見えない部分は、とても女性らしく見入ってしまいそうだった。男ならそれを褒めてあげるのも一つの甲斐性。
「よく似合ってんじゃん」
亜美は恥ずかしそうに俯き
「ありがとうございます」
梅ちゃんが惚れてしまった理由がなんとなく分かった気がした。
「お待たせ」
着替えが終わって更衣室から綾が走ってくる。
「おう、待ってやったぞ」
「偉そうに」
綾は目を細め、俺の高飛車な言葉にそう答えた。
黒縁のサンフラワーカラーでホールタービキニ。薄っすらと日焼けした肌がその山吹色と似合っていた。そして、妹よりもスレンダーで、この姉妹だけで歩いていたら、ナンパ目当ての男は間違いなく声を掛けてくるだろう。
どんな仲だろうと、周りの男達からは羨ましく見られているはずだ。そういう意味では、なんとなく優越感に浸れて気分がよかった。
そんなことを考えている間、梅田は俺の隣で一生懸命、浮き輪とビーチボールを膨らませていた。
律儀なやつだ……
「なあ、梅ちゃん」
「なに?」
俺は梅田ににじり寄り耳打ちした。
「俺は姉と遊んでるから、梅ちゃんはここで妹と遊んでてくれ」
梅田は俺が何を言わんとしているのか、すぐに理解してくれた。
「あ、ああ、すまん」
そう言って微笑した。俺は右手を握って親指を上に立てた。
「グッド・ラック」
「うん」
俺は早速、綾に駆け寄り
「姉ちゃん、俺といっしょにあっちへ泳ぎにいかない?」
綾は振り向きざま、睨んできた。
「なにそれ?ナンパ気分?」
「はは」
三枚目を自分から引き受けた以上、これぐらいの道化は必要だろう。
「いいじゃねえか、いこうぜ」
不本意ながら、その誘いに乗ってやろうという口調で
「はいはい、わかったわよ」
「じゃあ、亜美と梅田君も」
「あ、いいのいいの」
「妹さんは梅田に任せて、俺達だけでいこうぜ」
そう言って、綾の右手首を掴んだ。
すると綾が、俺の手を振り払うと疑うようなじろっとした目付きをした。
「何か企んでる?」
う
鋭い
まあ、当然か……
どうしたって不自然だった。だが、俺のここでのミッションは出来る限り梅ちゃんと亜美を二人きりにさせることだ。それには、なんとしても綾を俺といっしょに別行動させる必要がある。
「何にもございませんことよ〜おほほほほ」
道化もここまですると胡散臭いか……
益々、疑いは深まったようで綾の眉間には皺が寄っていた。
「まあ、いいわ乗ってやろうじゃないの」
綾は両手を自分の腰に胸を張ってそう言った。
この女、侮れん……
「じゃ、そういうことで」
俺はまた綾の右手首を掴んで、波打ち際へ引っ張っていった。
海にゆっくり入っていくと、火照った体が冷やされてとても気持ちよかった。
徐々に全身を海水に沈めていき、一度頭が隠れる程度まで潜って勢いよく海上に跳ね上げた。顔に残った海水を手で払うように拭うと、綾が俺の行動を一部始終見ていた。
「子供みたいにはしゃぐのね」
「なにが?」
「なんでもな〜い」
小笑いして、沖の方向へ泳いでいった。
俺は綾を追うように泳いだ。
朝、最寄の駅に集合したときから今に至るまで、綾の性格をちょっとだけ理解しつつあった。でも、亜美についてはまだどう接して良いのか判断しかねていた。それは、綾は投げかけられた言葉には、必ずと言っていいほど投げ返してくれる。
でも、亜美は投げかけるとキャッチしたまま、投げてこない事が多い。だから、どんなことを考えているか読み取りにくい。性格やいろんな問題があるのだろう。だけど、他人に自分の事が理解されにくいのは、非常に損だと思う。すでに、俺の中では亜美と綾ではこれだけの差が生じている。だから、この人選はとても楽だ。逆に梅ちゃんが苦労しているのではと、心配になるぐらいだった。
海底に足を付けると、海面が胸の下ぐらいになる場所まで泳いだところで、綾が話し掛けてきた。
「ねえ」
「どうした?」
先ほどと違って、少し神妙な表情をしていた。
「どっちが、ピエロ?」
「はい?」
その表情と質問の意味は、何が言いたいのかなんとなく分かる。
「大体、察しは付くけど」
「……」
見抜かれているようだ。
女とは恐ろしく鋭敏なセンサーを持ってる生き物だと思った。
誘導尋問だったとしても、何時かは話すことになる。ならここまで状況判断されてるのだから、隠す理由もない。
「まあ、誰がどう見たって、俺だよな」
「でしょうね」
俺が答えた言葉なんか聴かなくても分かると言たげな口調だった。
たぶん、彼女の頭の中ではすでに俺の事が有罪と示す陪審員で、犇めき合っていたのだろう。
「世の中って……」
「複雑で残酷ね……」
綾はこの雲一つない大空を見上げてそう言った。
俺も、空を見上げたが横目で綾を見ていた。
こいつは、何が言いたいんだ……
しばらく、海水の小波と風切り音、そしてどこから聞こえてくるのか鳥の鳴く声を鑑賞をしていると
「お腹空いたし、お弁当にしましょうか」
今度は清清しい表情をしてそう話す。
「お、おう……」
不思議なやつだ……
この短時間の間に、俺が心の中で呟いた言葉を総合すると、綾は人ではない何か違う未知の生命体になっているのではと、想像してしまった。
そしたら、つい笑いが混み上げてきて声が出てしまった。
「どうしたの?」
「いや、なんでもない」
久々に心のクリーンアップしたようで、そんな気分に成れただけでもここに来た甲斐があったと思えた。
波打ち際まで戻ってくると、梅ちゃんと亜美は楽しそうにしていた。
梅田は左手を頭に、亜美は口に手を抑えて笑っていた。傍から見ると微笑ましい光景だ。
うまくいったみたいだな……
午後はあまり気にすることなく行動できそうだ。
綾が亜美に近寄ると耳打ちして
「ちょっとお手洗い」
そう言って、二人とも更衣室の方へ歩いていった。
俺としては、現状報告が聴けそうで、好都合だった。そして二人が視界から消えると、俺は梅田に詰め寄った。
「どう、調子は?」
梅田の口調は軽い。
「今のところ、お互い気軽に話し出来てていい感じかな」
嬉しさが、笑顔に滲み出てるようで、この言葉を聴かなくても伝わってくる。
「そっか、よかったな」
「うん」
先ほどの亜美の表情からすると、友達以上にはランクインしてるようで、あとは梅田がどこまで彼女を掴むかだと思った。
しかし、これからが一番難しい。人間は常に同じ感情を保っていることはまず有得ない。五感に感じることが少し変化するだけで、マイナスにもプラスにも唐突に変わることがある。それはすごく自然なことで、誰にでも当てはまること。だから、今は良くても次会った瞬間、気が変わることは予測の範囲内と考えていてもよいかもしれない。つまり一時の小さな幸福に胡座をかくのはとても危険なのだ。事に、女性に関しては女心と秋の空と言われるほど移り変わりやすい。
そう考えると、単純なのか複雑なのか判らなくなる。数学とか物理のようにそれに対応した方程式で答えが出せるものは、分かり易くていい。いっそ、そうできたらどれだけ楽だろうか。恋愛の大半はそんなことで時間を消費している。それが有意義なのか無駄なのかそれは誰にも答えが出せないだろう。ただ、そういった積み重ねが、愛を深く太く強い絆にしているのは間違いないとは、なんとなく理解していた。これから先、それを実感でたなら、なんとなくではなく自説論の一頁に自信を持って加えることができるだろう。
とにかくこのまま行けば俺の役目も無事にミッションコンプリートだ。
やれやれだな……
それから少しして、石本姉妹が戻ってきた。
4人パラソルに揃うと、姉妹は持ってきた弁当を広げ始めた。俺と梅田はそれを囲うように座る。弁当の蓋を開けると、なかなかバラエティに富んだおかずが並んでいた。亜美が割り箸をそれぞれに配り終わると綾がこう言った。
「これ亜美が全部作ったの」
「あたしは料理苦手だから……」
人を外見で判断しちゃいけないと言うけど、この場合、外見は良く似てるから性格で判断すると、口には出せないが納得。
ただ、言わなければ判らなかったのにとも思った。
「お口に合うか判りませんが、どうぞ、召し上がってみてください」
そういって少々不安げに微笑む。
ここはまず、梅田の出番だと思い、肘で軽く押した。
梅田は何?っと言いたげな顔をするが、すぐに気がついたのか、おかずを一つ取って口に頬張った。俺を含め3人が梅田の顔に注目する。
そして飲み込むと当たり前とばかりに感想を述べた。
「うん、おいしい」
それを聴くと姉妹は安心したように、お互いを見合って喜んだ。
ここで不味いと言うやつはほぼいないわけでして……
処世術と言えばそれまでだが、世間一般でいうところのコモン・センス。
因みに、ほぼを付けた理由は俺自身の事。
昔小学生の頃、手作りチョコレートが苦くてつい不味いと言ってしまったというまさに苦い思い出。
俺も一つ食べてみた。確かに美味い。文句の付けようがなかった。
「お、うまいうまい」
すると綾が横槍を入れてきた。
「ヒカル君が言うとなんか嘘くさいよね」
「信用ないなぁ」
ほんと失礼なやつだ……
「あ、それと俺の名前にわざわざ君をつけなくていいから」
姉妹はまた顔を見合わせて同時に話す。
「なんか、恥ずかしいよね……」
「なんか、恥ずかしいです……」
「君がついてると、なんか上から目線で呼ばれてるみたいで嫌なんだ」
「そうなんだ」
「そうなんですか」
「それと梅田の事も梅ちゃんでいいよな?」
そう言って、梅田に話題を振る。
「なあ、梅ちゃん」
「あ、うん、それでいいよ」
なんなく了承。ただ、梅田の反応が鈍い。たぶん、亜美の件で頭の中がいっぱいいっぱいなのだろう。
気持ちは分かるが、気後れは事を仕損じるぞ……
せっかくミッションのアフターサービスしてるのに。してあげていると恩を売るつもりはないが、そう呼ばれることは決して損にはならないはず。
「わかった」
「はい」
それについては、綾、亜美共になんの抵抗もなかったようだ。
「じゃあ、あたし達のことも、綾と亜美でいいよ」
「それはちょっと……」
即、反対した。
「なんで?自分のことは強制して、あたし達は駄目なの?」
「冗談だよ、あはは」
「ほんとヒカル……って意地悪」
「なんか、まだ恥ずかしい……」
「まあ、どうしてもって言うなら君付きでも構わないけど」
「それにしても、綾はよく喋るのに、亜美は無口だな」
弁当を食べ始めてからもそうだ、やはり綾と比べて亜美は無口と言われてもおかしくないほど、口数が少ない。
「そう?」
「うん」
「そんなことないですよ」
「そうかい」
「はい」
「お家ではよく喋るよ」
「まあ、梅ちゃんとよく喋ってたみたいだし、別にいいか」
そう言った途端、亜美の表情が一瞬曇った。梅ちゃんは気付いていないみたいだが、俺は見逃さなかった。
「ちょっとトイレ」
そう言って俺はこの場所を離れた。
亜美は何かが噛み合っていないそんな気がした。視点もあっちこっちと落ち着きがない。綾はハキハキと会話に加わってくる。やはり亜美には何かがあるような気がしてならない。
まさか、梅田とうまくいってないのか?
そんなはずは
梅田から報告を聴いた感じだと嬉しそうだった
気のせいだろうか
なんであれ、俺が気にする必要はない。
今日の俺は綾が言うピエロ。道化師は道化師らしく場を盛り上げていればいい。
そうだな
午後からは、何かに囚われて気を使うことなく、自分らしく行動した。ただ一点だけ気をつけながら。それはミッションとかそういうことではない。梅田との友情。石本姉妹のことは、その友情の複線に過ぎない。だから俺が今重要な事は友情を壊さない事、それだけだ。
心地いい疲労をした体は、よい具合に日焼けしていた。
その後、俺達は今朝集合した場所まで戻り、夕焼けの陽の下、楽しかった思い出を惜しむようにお別れの挨拶をして、それぞれの家路に着いた。
家に帰ると、母はキッチンで夕飯の支度、遥は自室にいた。
「あら、おかえりなさい」
普段と何も変わらない母が玄関にやってきてそう言った。
「疲れたでしょ、お風呂沸いてるから入ってらっしゃい」
「うん」
俺は洗い物を洗濯機に放り込み、風呂に入る。湯船に体を沈めるとチクチクと日焼けした肌に染みる。首まで浸かるとひとつ息を吐き出し、天井の明かりを見つめた。
あれでよかったのだろうか……
今日の出来事を思い出していた。
湯から上がり、髪を洗って火照った体にシャワーで水をかけ風呂場からから出た。バスタオルで全身を拭き、Tシャツと短パン姿でキッチンに向い冷蔵庫からよく冷えたミルクを取り出しマグカップに注ぐ。そして一気に飲む。 冷たいミルクが喉を通り過ぎていく感触が気持ちよかった。母が食材を包丁で切っている脇から空になったマグカップを洗い場に置くと、リビングでソファーに深々と座りこみテレビを見ながら寛いだ。別に見ようとして見ていたわけじゃない。外国語の分からない俺が、洋物の音楽を歌詞の意味も理解できないままただ気分で聴いている。そんな感じで、ただ目に映る映像を眺めていただけだった。
リビングの空調はよく効いていた、まるで流れる空気がダイヤモンドダストのように冷たく、それが肌をシャーベットのような舌触りで優しく触れ冷やしてくれた。
「ご飯の用意できたわよ」
母が俺を呼んだ。呼ばれるまま俺は食卓に向い食事を始めた。しばらくして遥も椅子に座り食べ始めた。
「顔赤いね」
フォークに白身魚のフライを刺したまま、俺に話し掛ける。
「わかるか?」
「うん、超真っ赤」
「そうか」
母も食事をしながら話す。
「今日は水分いっぱい摂って寝なさいよ」
「なんで?なんで?」
いつもの母の自説論話しだ。
日焼けは軽い火傷で、焼けた肌は多くの水分を消費している。だから、消費した分、補給しようとする。とにかくいつもよりいっぱい水分を摂っていればとりあえずはいいと言う事らしい。ただし、コーヒーや紅茶は駄目。含まれているカフェインは利尿作用が働き、体内水分を放出してしまう。補給するなら、吸収しやすいスポーツドリンクか水ということになる。
母の医学書じみた話しはこれまで数え切れないほど聴いてきた。どれも浅く広い知識だが適切な対処法だった。
俺はそんな話しをいつも物静かに聞くだけ。遥は身を乗り出すように興味深々で、聴いていた。語り聞かせる立場としては、遥のほうが可愛いと思うだろう。
「ごちそうさま」
食事を済ませ自室に戻り、いつものようにメールチェックする。そして、ヘッドギアを頭に取り付け、両手にFRセンサーを装備する。椅子の背凭れを少し倒しリラックスした体勢でキーボードのエンターキーを押す。
一部語句修正しました。