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Fade-Out  作者: 瀬河尚
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第一章  春、香る <4>

午前の授業は予定通り何事もなく終了した。

 そう、何もなく。

 頭の中にアップロードされないままだった。

「はあ……」

 溜息をつくと幸せが逃げると聞いたことある。だけど、すでに前途多難だからついてるわけで。あれは逃げるのではなく、もう逃げて追うことができずに諦めることではないかと思うのだが。

 屋上へ弁当片手に気分転換しようと向う。


 重量ある屋上の扉を開けると、昨日と同じで見えない空気の壁に押し戻されてしまうぐらい風が雪崩れ込む。

 扉を閉めて腰を落ち着ける場所を探すが、昨日とは違う雰囲気で賑やかだった。

 通常授業の日は、ここで休憩している生徒は多い事を知った。

 空いているベンチがないので、仕方なくフェンス際の壁にもたれ座り込んで弁当を食べることにした。

 プラスチック製の弁当箱の蓋を開けると、おかずランキング上位に入るものが詰まっていた。卵焼きとウインナー、そしてハンバーグ。あと半分がご飯と真ん中に梅干一個。

 弁当箱に添えられていたプラスチック製の箸で卵焼きを一つ頬張ると、お茶がないことに気が付いた。

 些細なことだけど、なんとなく苛立つ。

 しかし空腹と梅干の効果も相まって喉を詰まらせない程度の潤いをもたらしてくれている。

 人が多くてなんとなく気持ちが落ち着かない。

 いそいそと昼食を済ませ、気分転換をすることもなく教室へ戻ることにした。

 少し俯き加減でトボトボ教室に向う途中、背後から俺を呼び止める。

「今泉君?」

 振り返ると、淵なしメガネを掛けたおさげの女生徒が立っていた。

「俺?」

「うん、そう君」

 背丈は妹と同じぐらい。日焼けした顔から、どこかの体育会系のクラブにでも所属しているのだろう。それと喋り方にどことなく覇気を感じる。一見格好いい印象の女性。

「君にお願いがあるの」

 彼女は少し首を傾げ、俺を覗き込むように見つめている。

 唐突な状況に片足が一歩下がる。

「これ遥ちゃんに渡してくれない?」

「はい?」

 手紙を差し出す。

「えっと、これって……」

「いいの、とにかく渡してくれれば」

 今どき手紙なんて珍しいと思った。

「じゃ、頼んだからね」

「お、おい!」

 彼女はスカートが靡くのも気にせず足早に去っていく。

 またしても正体不明の女生徒。手紙を見つめ佇む俺を、行き交う生徒が不審な目で見る。恥かしさのあまり手渡された手紙をポケットにねじ込む。

 自分宛ではないのに何故かドキドキする。

「遥のやつ、女にもモテるとは……」

 なんだか遥に負けた気がして悔しい。

 俯くどころか敗者の心境で教室に戻る。

 席に座り頭の中で想像を巡らせながら連絡事項の有無を確認する。

  検索すると3件届いていた。

 一つ目はクラブ活動について。二つ目は体力測定について。そして三つ目が健康診断についてだった。

 一件ごと添付ファイルを開く。

 まずクラブ活動については、各クラブ代表者からの人員募集だった。ポスター画像とアピールする文章が書き綴られている。

 どこにも入部するつもりはないから削除。

 次の体力測定の件は、測定数値の入力注意事項が説明されていた。

 つまり入力は各自ミスのないようにってことだ。

 削除。

 最後の健康診断については、各クラスの決行日時と前日の注意点が記されていた。後日メールにて結果報告が送られてくるようだ。

 これはあのゲームで必要だから覚えておく必要があった。

 重要というファイルを作成して保存。


 午後の授業が始まる。

 PC画面を見つめるも心ここにあらず。視界がぼやけて記憶の中にいた。

 ゲームの話や昨日屋上で会った女、そして手紙を手渡す女生徒。

 授業初日からアドベンチャーゲームのような複線が頭から離れない。

 こんな事では駄目だと思い、両手で頬を叩く気合を入れた。

「よし!」

 背中にペンで突く感触がして振り向くと、梅田がヒソヒソと耳打ちをする。

「どうしたんだ?」

「へ?」

「いや、今は授・・・」

「こら今泉!なに授業中に大声出してるんだ!」

 周りを見るとみんなが注目してクスクスと笑い、先生は怒り心頭のご様子。

 状況は非常に窮地であり苦境。しかも限界を一気に突破するほどの緊張感と、手には今までに経験したことのないほどびっしょりとした汗。

「えっと……」

 挙動不審で心拍数を突きあげる。

 「いやほら先生も覚えがあるでしょ?午後の授業は食後の満腹感でつい眠気で勉強に身が入らないことが多いじゃないですか。で、たぶんそれは俺だけじゃないんじゃないかと思ってみんなにも先生の大事な授業に集中してほしくて、わざとこの身を犠牲にして一芝居したわけですよ。ど、どうだみんな目が覚めたか?」

 ごくりと唾を飲み込む。

 クラスの視線は俺にアンカーを打つように離れず、不自然な空気が流れる。

「なっ……」

 先生が口を動かそうとした瞬間、

「う、うん。危うく寝てしまうとこだった助かったよ今泉」

 咄嗟に、梅田がそう言った。

 先生は梅田の言葉に意表を衝かれたのか、口に出そうとした言葉を飲み込む。

「そ、そうか……」

 とりあえず授業を続けようと、進行状況を確認している。

 なんとかなるもんだと胸を撫で下ろし、油のような汗を手で拭う。心拍は急降下して口が渇く。

 それにしても、梅田のあの援護は絶妙なタイミングだった。


 なんとか波乱の授業も終わり、座学でこれほど精神的に追い詰められたことはないというほどに疲れ果てていた。

 あまりの虚脱感に上半身が机の上に倒れ込む。

「疲れた」

 後ろを振り向くと、梅田は呆れた顔で俺を見ていた。

 頭を下げて、

「すまん、助かった」

「まったく、こんなハラハラした授業初めてだよ」

 そう言いながら、梅田は手のひらで冷や汗を掻いた顔を扇いでいた。

 そして二人ともほっと一息ついた。

「しっかし、あの梅田の援護はナイスだったなぁ」

「うん、僕もあれはさすがに自分で自分を褒めてやりたい気分だよ」

 変な境遇で仲がよくなるってのは漫画の世界だけだと思っていたけど、現実にあるものなのだと正直驚きだった。

 そんな俺と梅田のやり取りを一部始終見ていた石本姉妹が、両手で口を押さえて笑っていた。

 隣の席のそんな行動が気にならないはずもなく。

「そこの二人……笑いすぎ」

「だって、ねえ?」

 双子は息ぴったりにそう言いながらお互いの顔を見合わせる。

「くそっ」

「それにしても、あれってなんだったの?」

 双子の妹がそう尋ねる。

「い、いやあれは」

 姉も畳み掛けるように、

「そうそう、あれほんと可笑しかったよねぇ」

「だよねぇ。突然だったから余計に可笑しくって」

 まさか本当の理由を答えることなんてできるはずもなく、

「いいんだよもう、忘れてくれ」

 両手で頭を抱え込む。

 そんな俺を後ろから梅田がポンっと一つ慰めるかのように手のひらを背中に置いた。

「訳は知らないけど、とにかくお疲れさん」

「ありがとさん」

 たぶん、このクラスでの知名度は急上昇しただろう。

「この二人見てると漫才みたいだよねぇ」

「ねぇ」

「あはは」


 以後の授業はなんとか全て終わった。

 最悪な一日だったのは間違いない。だけどその反面思わぬ収穫もあった。あの双子の姉妹に少し近づいた感じがしたのは悪くない。別に気にしていたわけではないが、男として嫌われているよりは幾分マシだと思う程度。

 つまり状況は意に反して気分の良いものではない。だが得たものは失った大きさより、倍の大きさかもしれないという事。

 それにしても、小中学の頃は自分なりのクラスへの浸透手段が意識しなくても確かに存在していた。でも、高校に進学したことで何か異型の歯車が知らないうちに噛み込みカスタマイズされて、この二日間で別の俺という人間になろうとしていることに躊躇いを感じている。

 それは自覚できるほどに変化するのは、あまりにも急なことで感覚が追いついてこない。たぶん、これは何かのときに読んだことがある、人格形成の発達ということなんだろう。自分のことが理解できないまま成長していくのは気持ちが良いものではない。

 このことは俺だけではなく他の生徒も同じはずだ。だが果たして、これに気がついている生徒が何人いるだろうか。

 世の中、知らなくても良い事だっていくらでもある。逆に知ったことにより損してしまうことがあるかもしれない。それはひょっとすると後者の分野になるのではと、恐怖にさえ思えてならない。

 こうまで平常心を揺さぶられるとは思いもしなかった。

 常々平穏を求めるなら、心の天秤は常時平均でなくてはならないとそう自分に言い聞かせている。

 それはどちらに傾き過ぎても良い結果にならないと考えているからだ。これは誰かから聞いたことでもなんでもなく、今までの経験に培われてきた自論から来た拘り。

 但し、拘っているくせに生かせていないのがとても悔やまれて病まない。でも、いつも最後には考えることに疲れて、どうでもいいやって事になりこの妄想は完結する。

 少しは悩んだだけの対価があっても良さそうなものだが、何も得ていないことに気がつくと無駄な時間を使ったといつも後悔する。

 ほんと、どうにかならんもんかねぇ。


 待ちに待った帰宅。

「ただいま」

「おかえりなさい」

 やっと今日抱え込んだ問題を一気に解消することができる。

 玄関にあいつの靴がない。遥はまだ帰ってきてないみたいだ。

 とりあえず遥の部屋へ向う。

 勝手に部屋に入ると怒られるけど、なんとなくこの手紙は一時も早くこの手から手放したかった。

 一応いないと判っていても、扉をノックする。当然返ってくる返事はない。

 内開きの扉を開けると、そこは女の子1色で俺と同じく6畳ほどの部屋。

 壁紙は白の下地に、所々テディーベアのような熊の絵のプリント模様が施されていた。ベッドの脇には、お気に入りの大きなアイドルポスターが張ってあった。

 ただそれが誰なのかは俺は知らない。

 まったくもって、そういうことに興味がないからだ。

 机の横にはぬいぐるみと写真立て。その中には遥と数人の友達と思われる写真が入っていた。

 机は綺麗に整理整頓されていた。そっとその中央に手紙を置いた。

 ここならすぐに気づくだろう。

 これでクエスト一件コンプリート。

 そそくさと遥の部屋を後にして、自分の部屋へ行き毎日の日課であるメール確認をした。その後、梅田に教えてもらった公式サイトを覗いてみることにした。

「これか」

 夢中のあまり、口から声が漏れる。

 まず公式サイトにメンバー登録。そして詳しい説明を読んでゲームソフトの購入画面のOKアイコンをクリック。

「今できるのは、ここまでだな」

 それにしてもこのソフトの中身は、ゲームで使用する付属品とログイン時のちょっとしたシステム上のプログラムであることが分かった。

 今までプレイしたゲームよりいろんな点で違っていて、聞いたことのないアイデアが盛り込まれているようだ。


「ただいまー」

 遥が帰ってきた。

 勝手に不法侵入したことを、追求される前に自白しておいたほうが多少はあいつも執行猶予付きで許してくれるだろう。

 部屋を出て階段を下りると、そこにスリッパに履き替えた遥が居た。

「遥、ちょっといい?」

「なに?」

「今日学校で、女生徒からお前宛ての手紙預かってな。とりあえずお前の机に置いたから見てやってくれ」

 そう聞くと、何か感じ取ったのか遥の目が少し険しくなった。

「ふぅん、誰から?」

「聞こうと思ったけど聞けなかった」

「なにそれ、バカじゃないの」

「バカとはなんだ、バカとは」

「バカだからバカって言ったのよ!」

 なんで怒っているのか見当がつかない。

「お前なにか心当たりあるのか?」

「そんなのないけど、その手紙お兄ちゃん宛に決まってんじゃん」

「はぁ?お前に渡してくれって言ってたぞ」

「もう!判ってないなぁ」

「判ってないのはお前だろ、それになんでそう決め付けるんだ?」

「そんなの見なくたって判るもん」

 こうまで反論される上にバカ扱いされて苛立ちが込み上げる。

「わかるもんか」

「もう超ウザい。このバカ兄!」

 台所からパタパタと走る音がした。

「ちょっとちょっと玄関でなに騒いでるの」

 母さんが様子を見に来た。

「近所迷惑じゃない」

「もういい!あたしお風呂入る」

「机に置いたからな!」

「勝手にあたしの部屋に入らないでよ。このキモ兄!」

「お前なぁ、自分は勝手に入って来るくせに!」

「ついて来ないでよ!最低!」


文章修正 12/09

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