第一章 春、香る <1>
春……誰もがその空気に初々しさを感じ新たな門出を思わせる季節。
どうにか高校に進学することができていた。
一宮市立青香高等学校。
ここの制服は紺色のブレザーで左胸に校章の刺繍が施されている。下はグレーのズボンに黒の革靴。エンブレムの模様の出来の良さもあってどんな学生でも賢く見えそうな格好だ。
上着に腕を通すとき、やさしく触れる裏地のひんやりした感触が、気持ちを引き締めてくれる。
晴々とした入学式日和。
家から40分ほど歩き、校門の手前で立ち止まって辺りを眺めてみると、校舎の周りに満開の桜が咲き誇っている。その花びらは春のそよ風に乗せひらひらと舞っている。まるで歓迎してくれているように。新入生達はまだ着慣れぬその制服に、早く馴染もうと学校の雰囲気を吸収しているかのようだった。
とりあえず中3のとき担任だった青木先生には感謝している。
受験当日、面接の質問の一つに、
「この学校を志望した理由を教えてください」
というのがあった。
普段口にしない言葉を色々使って答えたけど、青木先生に要望していたのは男女共学、それと実家から通える範囲であることの2点のみ。
選考した3校の中で、それに該当したのはここしかなかった。
あの進路相談の時、適当にあしらわれたと不満を抱いていた記憶は、今はもう薄れていた。あれこれ時間を掛け選考した結果なのか、それとも仕事の片手間の3校なのかは分からないが、今はいろいろ考えてくれた3校なんだと思えるようになっていた。
とにかく人それぞれここに入学することになった過程はどうであれ、これからの3年間を楽しいものにしたいと、そう決意できたことに喜びを感じている。
校門をくぐった脇に大きな掲示板がある。そこには新入生の案内用紙が貼り付けてあった。
どうやら 1−B 出席番号 5番と決まっているようだ。
冴えないどこにでもいるその5番男子生徒。
ただ、そんな男でも今までに6人の女生徒からアプローチされたことがある。
自分で思っているより異性からの評価はそれほど悪くはないみたいだ。
過去のことをあれこれ思い出すのはあまり好きじゃないけど、大まかにこんな感じだった。
まず事例その1、学校で突然告白しておきながら、数日で返事を聞くまでもなく気が変わったように、友達でいましょう。
事例その2、手を変え品を変えコンタクトしてくるものの、その気がないのを察知したのか特になにもなく自然消滅。
事例その3、友人に相談を持ちかけ間接的に接触を試みるが、友達の友達はやっぱ友達止まり。
まあ、こんなところ。
それにしてもこういうのは、告白した相手も自分と同じ気持ちならすんなり意気投合するのだろうけど、そうでなければ強引に告白してきた相手の存在を意識させることになる。する側は一世一代の大舞台を演じ、された側はその舞台を見て感動するか、それとも落胆するか。
感想はいつでもいいと言われ、数日その主役の事を意識してちらちらと目で追うようにする。そしてどうすれば良いのか考えてみるが、なかなか答えが出ない。自分だけではどうしても判断できないときは、それとなく友達に相談したこともある。しかし……
興味ないなら断れば?
好きか嫌いかのどれかじゃん
お前次第だろ
ほとんどこんな回答。
例外として、
「うらやましい、俺にその子紹介しろ」
こんな輩もいた。
確かに、当事者ではないから深く突っ込んだ助言が言えないのは理解できる。だけどあまり判断材料にならない。
「とりあえず、付き合ってみたら?」
とも言われたことがあったけど、どうも安易な気持ちでくっ付いたり離れたりすることが苦手だ。こんな性格だから街角でナンパなんてことはしたこと無いし、逆にされたらその場で間違いなく断っているだろう。別に硬派を悟るつもりはないが、告白することがいかに大変で体力を消耗する行為であるか知ってる。要するにその事に適当な対応ができないだけ。それはたぶん人生永遠のテーマと言っても過言ではないだろう。
ただ、いつまでも悩んでいるわけにもいかず、相手にも失礼だから日本語の長所であり短所でもある曖昧なこの言葉を使うことになる。
「友達から……」
便利な言葉だけどこれが妥当なところ。
今はまだ自分の気持ちに答えが出せないからもっと時間をかけてゆっくりと考えさせてと言っているようなもの。
するとその日からいっしょに下校したり、休みの日はデートなんてこともしながら、互いが互いを探り合うような状況を続けることになる。
告白した側は気に入られようと必死に努力しようとする。こっちはすでに気に入られてるわけだから多少優位に行動できる。でもこれは対等じゃないといつも思う。そもそも対等な恋愛なんてものは存在しないのかもしれない。それがとてつもなく嫌だ。だから相手のそんな必死な姿を見ていることが辛くなって距離を置いてしまう。すると相手も察するのか徐々に会話も弾まなくなり、会う回数も少なくなる。
早い話、自然消滅してしまう。
もったいない。
格好つけすぎ。
最低。
まったく傍観者は勝手な事を言ってくれる。
人として成長するにはもっとこういう経験値が必要なのだというのも事実。だが、いくら経験したところでまったく同じ境遇などありえないし、経験が生かせる保証もない。ただこれだけは誰にどう言われようと忘れてはいけないと俺が信じて譲れない事がある。
それは相手の純粋な好意に対してそれを侮辱し汚すような行為だけはしてはならないという事。
分かっちゃいるんだけどな。
思い起こせばそれに抵触するようなことが、少なからずあったような気がする。まだ数少ない経験ではあるけど、自分のそんな所にほとほと嫌気を感じてしまう。ひょっとしたらこれから先、いくつになってもレベルアップのファンファーレを聞くことができないかもしれないという不安に、時々苛まれる。
こんな具合にネガティブな精神状態になる。だから過去を振り返ることに消極的になってしまう。
とにかく運命なのか自業自得なのか、新しい出発はシングルで始まった。
クラスも決まり、これから一年間お世話になる教室を教壇の位置から全体を眺め、自分の出席番号の席に座る。
そして気になるクラスメートや担任の先生が来るのを待つ。
みんなも次々と席に着いて、自分の周りの生徒がどんな人物なのか確認しているようだ。徐々に雰囲気に慣れて、みんな前後左右の人と雑談を始めてざわめきが大きくなっていく。
チャイムが鳴ると、それに合わせて先生が教室に入ってきた。
そして恒例の自己紹介の時間が始まる。
まず、先生の名前は塚原 真奈美。このクラスの担任で担当は、英語だそうだ。年齢までは言わなかったが、30手前で左手の薬指には指輪はしていない。外したにしてもそれらしい痕跡が見当たらない。そもそも外す必要がない。だからたぶん独身。
職業柄忙しいからか?
性格なのか?
色白で髪は後ろで一つ束ねてあるが、アップしてるわけでもないからたぶんセミロングぐらい。入学式だからだろうか服装が少し派手。身長は150cmぐらい。あとたぶん……普通サイズ。
新年度はいつも名前のおかげで校庭が見える窓際。
嫌いではないけど天気の良い日は、春の心地よさと勉学への興味の低さで眠気に負けることが多々。これは損得で言ったら損かもしれない。だけど、これはこれで気に入っている。
出席番号4番の自己紹介が終わり順番が回ってきた。
こういうとき、自分の番になるまで何を話そうか考えていて、前の人が何を言ったかなんてほとんど覚えていない。
「次、5番」
「はい、一宮中出身の今泉 輝 です。特に趣味でやってる事はないけど、好きなのは、読書とゲームです。あ、読書と言っても基本漫画のことなのでよろしく」
話題にもならない自己紹介をした後、先生がディスプレイを見る。
「じゃあ、次」
自分の番が終わると気持ちに余裕ができてよく聞こえる。
「えっと 梅田 克己 です。最近興味があってやってるのは、ネットゲームです。これからよろしくお願いします」
ネットゲームか。
意外だった、一風スポーツマンタイプで顔なんか日焼けしていてクラブ活動を一生懸命やってそうに見える。ゲームのゲの字も想像できなかった。
「うーん、今泉君と梅田君はゲーム好きなのね……あんまり熱中し過ぎないように。やるなとは言わないけど、あなた達は勉強が本分なんだから」
俺と梅田の顔を見てそう言った。
クラスのみんなの視線が俺たち二人に集まっているのがなんとなく分かる。
これは早々に目をつけられてしまったのかも。
クラス中にくすくすと笑う声もちらほらと聞こえてくる。
横の女子に目をやると、そいつも笑っていた。
ちっ……
いつもの癖で額の眉間を人指し指で掻く。
たぶん梅田も同じ心境じゃないだろうか。でも、共通点のあるクラスメイトがいて安心していた。
放課のときに、ゲームの話題でも振ってみるとするか。
いろんなネットゲームをやったことはあるが、どれも長くは続かなかった。初めのうちはジャンルを問わずどんなものかと熱心にプレイするけど、飽きやすい性格なのか途中で冷めてしまってやり込むことなくやめてしまう。浮き沈みの激しい性格ではないと思っていたけど、ゲームに関してはそうではないようだ。とにかく会話の切っ掛けができた。
しばらくして先ほど、笑っていた女子の順番が回ってきた。
「石本 亜美 です」
女性への評価基準が甘いか辛いかはともかく第一印象はまあまあ。
「普段は小説とか雑誌を読んでることが多いです。中学のとき図書室にはよく行ってました」
小説か。
「はい、では次」
仕切る担任。
「はい、大和中から来ました、石本 綾 です。前に座っている亜美とは双子の姉妹で、私のほうが姉です」
生まれて初めて双子を見たがほんとによく似ている。双子だということを聞くと余計に見入ってしまうのだろう、皆の注目を浴びて二人とも少し恥ずかしくて困っている様子だ。姉妹そろって薄っすらと頬を赤く染めて妹のほうは、手をモジモジとさせてうつむき気味。姉は表情には出さないようにしてるようだけど硬い感じがした。
ただそんな姿を見せられるとちょっぴり評価を甘くさせる。
二人とも髪は短めで、あとでどっちがどっちだと聞かれると正直見分けがつかなくて困るかもしれない。
ただ気がついたことがある。姉のほうが少々目じりが厳しくしっかり者のような面持ちで妹と比べると少し我が強い。妹はどこか穏やかでやさしい感じ。本が好きだと言ってたのもなんとなく頷ける。見るからに文芸部向き。姉は体育会系。双子で背格好顔はほとんど同じでも性格は別物のようだ。
これは覚えておいて損はないかもしれない。
自己紹介が無事終わり、学級委員を決めたいと塚原先生が言い出す。
途端に教室の雰囲気が一変する。
みんな、先生の視線攻撃から避けようと目線をあっちこっちと合わせないようにして、ヒソヒソとしていた無駄口もやめてしまった。
確かにやりたくない。
それにしても判り易い反応だ。そりゃ、飴と鞭の鞭しかなくては誰もがやりたがらない。3年なら内申書のこともあるから我慢して手を挙げてもいい。だけど1年生ではあまりメリットがない。先生に対する評価上げ……いや、たぶんやってもやらなくても効果は同じのはずだ。もしかすると下げる危険性もある。
考えに考えた結果、スルー決定。
廊下側の生徒が手を上げる。
意気揚々と立ち上がり、
「先生、僕がやりましょう」
勇者様が登場。皆がその勇者に注目する。先生は他に挙手する生徒がいないか確認する。
「他に誰もいないようなので、お願いしちゃおうかしら」
自信ある声で応える。
「はい」
「新見君、悪いけど後で職員室に来てちょうだい」
「わかりました」
勇者の名は 新見 要。
見るからにこういった役柄に特化してそうで、同じクラスの新入生でよいのだろうかと思ってしまうほど優等生タイプに見える。
みんなスタートラインはいっしょだという言葉は嘘だと思う。俺のように偶然合格できた生徒と、恐らく余裕で合格したであろう彼とでは100歩以上すでに差はあるはず。だから、あんな慰め言葉は信じない。ただし、これは俺の第一印象で、初見の評価に過ぎないから断定はできない。
それにしても、どうしてこういう仕事を背負う生徒は、メガネが似合うのだろうか不思議だ。
そんな事よりもだ。如何にも異性にモテそうな顔立ちに、こう胸の奥底から湧き上がるライバル心が沸々と……
文章修正 12/09