第二章 最強アイテムは夏 <9>
しっかりと赤らめた顔。タンクトップから出た肩もひりひりと焼けていた。
石本姉妹と梅田、そして俺。朝から海水浴というイベントを終え、家路に向っていた。結果的にあの緩んだ顔を見れば、無事にミッション遂行できたと見て間違いないだろう。帰り際、姉妹とメアド交換なんて事もしていたし、これでもう俺の出番はないはずだ。
そう、ないはずだった。
少なくとも、この携帯が鳴るまでは……
夕日で染まった商店街の町並みを眺め、何処かへ寄ることもせず歩いていた。出掛ける時には重く感じなかった2WAYショルダーバッグ。その襷が、焼けた肩に擦れるのを気にしながら。
しばらくして、ポケットに差し込んだ携帯から着信音が鳴り響く。すかさず確認。画面には梅田の顔写真。どうせ今日のお礼だろうと通話ボタンを押す。
「もしも〜し」
「梅田ですけど」
声のトーンが低い。
「おう、おつかれ〜」
「うん……」
数分前の陽気な雰囲気と違って、電波の先に暗雲とした重苦しさが漂う。
「ん?どうした?」
「……ちょっと会って話したい事が」
「今から?」
「うん」
益々下がる口調に、何か嫌な予感を感じさせる。先ほどまで鼻の下を伸ばしていたやつが、思い悩むような声。
ただ事ではないと、指定された待ち合わせ場所へ急いで向う。
小学の頃、母さんが一度だけ遊びに連れてってくれた事のある小さな公園。そこに一人うな垂れた梅田が、街灯の脇で携帯を見つめ佇んでいた。
夕日の眩しさに眉をしかめさせ、日頃の運動不足で弾んだ呼吸を整えながら近寄る。
「お待たせ、で話って?」
思い詰めた表情で、梅田は自分の携帯を差し出す。
「ヒカル……これどう事?」
受け取った携帯の画面には、亜美から届いたメールの文章が長々と表示されていた。
「読んでいいのか?」と聞くと神妙な顔で頷く。
「うん……」
「えーっと、ん?はぁ?」
冒頭3行は梅田へお礼の言葉。しかし、そこから先は全て俺への事が綴られていた。
姉を誘ったのは私の気持ちを試す為。弁当を誰よりも美味しそうに食べてくれた。ヒカル君ではなく、ヒカルと呼べた事が嬉しい。終いには、私の気を引く態度をしたと書いてある。
「なんだこれ!」
必死に記憶を呼び起す。どう考えても、全て梅田の為にしたことだ。それにいつそんな態度した?亜美どころか綾にだってそんな事していない。この場に亜美が居たら、すぐにでもカバディ攻めしてやりたい気分だ。
「こんなのデタラメだ……ありえない、なに勘違いしてやがるんだあいつは?」
梅田は強引に携帯をもぎ取る。
「うん、でも彼女……いや亜美は少なくともそう思っていない、それに考え方を変えれば、そう思えなくも無いよ」
落ち着かない足、自分が誰を信じたらいいのか迷っている目。こんな梅田を見たのは初めてだ。携帯を持つその手は、今にも壊してしまいそうなほど硬く握り締められ、挑発しているように見えた。
「おいおいちょっと待て、なに言ってるんだ?これは彼女の勘違いで、それに俺を疑うなんてどうかしてるぞ梅ちゃん」
「どうかしてるのは、ヒカルのほうじゃないか?」
この言葉を聞いた時、どんな大声よりズドンと心に響いた。
親友であるはずの梅田から掛けられた疑惑。他の誰よりも一層の寂しさを感じた。深呼吸をして上を向くと、茜色が刻一刻と変化し、街灯にはそろそろ明りが灯ろうとしていた。そして心の中で呟く。
なんで……
惚れた女の意見を尊重したい気持ちは判らなくもない。だけど、それを鵜呑みにできるほど俺達の友情は柔な物なのかと問いたくなる。確かに、まだ出会って数ヶ月。強固な物になるには日が浅いかもしれない。それでもあのとき実感できたんだ。
こいつは『親友』なんだと。
だからここは断固とした意思で臨むしかない。そもそもミッションで一番大事なのは、こいつとの友情を壊さない事だ。この際、あの姉妹と俺の仲が悪くなろうが知ったこっちゃない。でも、できれば梅田と亜美の仲はうまくいってほしい。頭の中でいくら考えても、一向に天秤の針は安定しなかった。なら少なくともこの疑いだけは晴らそうと思った。
「とにかく全て勘違いで、俺にその気はない!だからこれ以上言いようがない、OK?それでも疑うなら勝手にしろ!」
まだ躊躇っている表情に苛立つ。
「本当に?」
「しつこいな、無いったら無いんだ!」
「う、うん……わかったよ、でもこれどう返事したらいいだろう?」
適当にと言いたいところだが、俺が原因で起こってしまったのは事実。それに、返事次第ではまた変な疑いを受け兼ねない。ここは冷静になって考える必要があると思った。
数歩先にガーデニングで積まれた煉瓦を見つけ、そこにへたり込む。
こんな事になるぐらいなら、無理して行くべきじゃなかったと今更ながら後悔していた。それでなくても、あの子からポメラニアンのごとく吼えられていたからだ。
「私の誘い断って、あの子達と遊びに行っちゃうんだ……ふ〜ん」
「どうでもいいんだね、私との約束なんて」
「大体さ〜約束したのって、私のほうが先よね?」
「そうなんだ〜それでも行くんだ?」
「その日って、遥ちゃん暇してるか聞いてみようかなぁ」
悪夢だ。正直これ以上思い出したくない。それに勘違いとはいえ、道化の役までしてその気もない女のせいでこんな状況になったなんて、口が裂けても言えない。これ以上大事になるのは非常にまずい。何処でどう彼女の耳に入るか分からないからだ。しかし、元々これは梅田と亜美のこと。いくら応援したところで所詮は本人同士で決着すべきだ。ならこれ以上介入するのは彼、そして自分にとっても良くないのではと考えるのが妥当だと思った。
「なあ梅ちゃん、悪いけどこれから先は自分の判断で考えてくれ。はっきり言って俺もどうしたらいいか分からない」
その場に座りこむ梅田。
「そ、そっか、そうだよね……」
希望を失うように肩を落とす。
いくらサーチしてもこの場面に合う掛け声は一つしか見当たらない。やはりあのとき遥が言っていた言葉。
「どうなるか分からないけど、とにかく自分の素直な気持ちをぶつけるしかないと思わないか?」
声が届いていないのか、うな垂れたまま反応を示さない。
それにしても、溜息の出る話だ。亜美はなぜこんなメールを送ったのか?しかも梅田に。自分に好意を抱く人物にこれを送ったらどうなるかぐらい予想はつくだろう。拒否するにしても、これはあまりにもナンセンスだ。
梅田はすくっと立ち上がり「帰る」と一言だけ呟いて歩き始めた。その後ろ姿は、午前のあいつからは欠片も想像できないほど痛々しく、そして惨めに見えた。そして慰めの言葉を言えない自分を情けなくも思った。
帰り道、ずっとやつの事を考えていた。気晴らしにカラオケとか何処かへ連れ出しても良かったなど、あれこれと策を練るがどれも現実逃避でしかない。最終的にこれで良かったと勝手に決め付けるしかなかった。
なんであれ、今回の件であの姉妹と俺達の間に、大きな溝ができるのは間違いない。今は夏休みだから毎日顔を会わせることはないが、明けてからの事を考えると気が重くなる。
高校入学して、葵から告白され悩み驚いた。あの日、断ってからも落ち込んだ顔など微塵も見せず、彼女は暇を見つけては俺を誘いそして世話を焼こうとする。あれから2ヶ月、そんな葵の直向さにちょっとずつ大切な存在へと変わりつつあるのは自分でも判る。下校の時、必死にクラブ活動で走っている彼女は他の子よりも輝いて見えていたし、目が会えば手も振ったりもした。正直、あのときの事を後悔したこともある。でも、その場に流された気持ちで受け止めることはどうしても出来なかった。そんな今では仲のいい友達。愚痴や思ったことを気軽に話し合える。今日でも本当は、彼女と出掛ける約束をしていた。それを無理言ってキャンセルした事を、ほっぺを膨らませて怒っていた。これから先のことを考えるとわくわくした気分になる。しかしその反面、梅田の件と照らし合わせると、他人事では居られなくなる。本音を言えば葵と疎遠になるのはとても怖い。
遥もそうだが、葵も最新水着を購入したと言っていた。季節の影響だろうか、行動も活発化して気分も開放的になっていく。聞けば「今年は大胆なデザインが多いかも」らしい。冗談なのか本気なのか「オオカミさんになっちゃ駄目だよ」と笑いながら言っていた。負けじとこう言ってやった。
「絵本のオオカミさんは、ストーリーの為にいつもお腹をすかせておくもんさ」
そう言ったあと、葵は腕にぎゅっとしがみついてきた。
そのままいつも下校途中「またね」言い合うY字路に辿り着くまで、声無き波長の会話が続いた。
第二章 完結
引き続き 第三章開始