第二章 最強アイテムは夏 <8>
リアルの友達である梅田。そして、そのキャラの名はアスラン・ウォルズ。二人はゲームの中で、リアルとは違う新鮮さに酔いしれるように自然と会話も弾んだ。同時に、あの堅苦しいジオのレクチャーと違ってお気楽で判り易く、その上このバーチャル世界の裏話など貴重な情報も教わった。
裏話、言い替えればキャラの効率のよい成長と、システムをうまく活用した裏技といったところだ。
要するに、戦闘時なら攻撃する武器に精神を集中、そしてちょっとした闘争心で攻撃力が上がり、防御の時は何かしら守るような硬いイメージを思い浮かべればいい。だが装備はやはりNL(注目度)が重要で、以前ジオが言っていた通り、作りたいと思うその物をリアルで細かく記憶して、ゲーム内で思い出せば製作できる。ただ、どんなに強そうな装備を製作しても、リアルの体や精神が弱くてはただのデザインだけで飾りに過ぎない。精々、威嚇程度にしかならない。しかし、リアルも装備も整っているキャラは強く、自然とNLも上がり英雄のような存在になっていく。そして思いを同じくしたキャラや、親しくなった友人達が集うようになる。
そもそもオンラインゲームの醍醐味は、不特定多数のキャラと知り合い協力して楽しむ。それと珍しい装備や他人の気の引くアイテムを持ち、現実世界ではなかなか叶え味わうことのできない優越感や世界観を感じることにある。そして何より、孤独を紛らわせてくれる。
ただその反面、誹謗中傷、妬み、嫌がらせなど人間味ある感情を生に意思表示するプレイヤーも存在する。本人を特定できないその匿名性が、それを助長させている。しかしそれは一般社会でも同じ事で、言える人と言えない人との違い。世の中、いくら倫理に反する事でも、それを支持する意見が大多数なら正しく、異を唱える者は批判を受ける。だから、ゲームの世界と言えど、なんら変わらない。
アスランは掲示板のほうへ振り向くと
「女はいいよねぇ」と呟く。
俺も彼女達へ視線を向けると、ちやほやする男キャラでまだ囲まれていた。
聞くと女性プレイヤーは少なく、エリアによっては姫と呼ばれ、信者のように男達を引き連れて行動しているキャラもいるそうだ。だからそれを考えると、この集落の男女比率は異常だと、羨ましそうにアスランは話す。
お互い話すネタも尽き欠けた頃、この場にじっとしているのも暇だから何かしようと、アスランは言った。
「今の俺で、何ができる?」
アスランは、しばらくうぅんと考え込むと何か閃いたようだ。
「あまりこの集落から出た事ないみたいだから、外へぶらぶらしに行こう」
「そう……だな」
その提案に同意して、まるで付き人のようにアスランの後ろを歩く。
ここから出るのは3度目と、俺は言い訳じみた口調で話すが、アスランはその事をまったく気に止めず悠々と外へ向う。
太陽は傾き、徐々に空を茜色へと染めていく。だが暗くなるまでは、まだ数刻の余裕がある。それにしても、この一面に広がる広大な草原で、何をするのだろうかと疑問に思いもしたが、特にその事を聴こうとはしなかった。
集落から東にちょっと離れた場所に、以前あの女性と夜空を見上げた小高い丘がある。アスランは、偶然なのか必然なのかそこへ向っている。
俺は後ろを付いて歩きながら、あの晩のことを思いだしていた。
初めて会った昼間の彼女もいいけど、月明りに照らされた彼女のほうが、俺にはとても印象的だった。妖艶な大人の雰囲気の中に子供っぽい側面を持ち、素っ気無い態度でもどこかフレンドリー。自覚はないが、おそらく俺の好みのタイプは、そんな女性なのかもしれない。
そう考えていたときアスランは、はたと足を止める。そして前方に居る何かを見つめていた。俺も視線を向けるが、それがなんなのかすぐに判った。
白く袖下の長い衣に赤い刺繍、学生服のようなスカートにニーソックス。そして青白く長い髪とピンクの唇。
間違いない、彼女だ。
また会えたことに、自然と鼓動が高鳴る。
彼女は、まるで無邪気な子供のように笑い、夢中で小さな動物を楽しそうに追い駆け回して遊んでいた。何ものにも囚われず、そして純真無垢でキラキラと輝いた笑顔は、俺の心を奪うに十分過ぎる光景だった。
幾度と声を掛けても反応しようとしない俺に、アスランは肘でつつく。
「どうしたの?」
「あ、ひょっとして……ほ」
俺は咄嗟に顔いっぱいに脈打つ表情で、無駄な足掻きをする。
「いや、あの…その……」
取り繕おうにも言い訳が思いつかず、言語知識の乏しさに思い知らされうな垂れる。
まな板の上の恋
アスランはにやけた顔で、うんうんと頷く。
「青春だよねぇ」
「バカ!そんなんじゃ……」
アスランの冷かす言葉に、すぐさま反論しようとするが、どうにも首根っこを掴まれた子犬のようにまったく抵抗できなかった。
人の気配に気付いたのか、彼女は俺たちのほうへ振り向く。そしてそれが誰なのか一旦首を傾げる。すぐに思い出したのか、手を小さく振った。
アスランは戸惑うように「知り合い?」
「ちょっとな」と、少し優越感気味に答える。
俺は、手を振る彼女の元へ歩み寄る。
「よう!」
この言葉が精一杯。恥ずかしさと気持ちを悟られまいとし、それでいて少しでも男らしさを強調しようとした。だが、それでも癖は出る。
そんな俺の内情とは裏腹に、見透かしているのかそうでないのか、彼女はぽつんと返事する。
「ども」
「あの……さぁ……」
「なに?」
ちらりとアスランへ視線を向ける。
先ほど足を止めた位置で立ち止まったまま、俺を察して暇を持て余しているようだ。
「次会ったとき、名前教えてくれるって……言ってたよね?」
「そだっけ?」
「そうだよ」
彼女は俺を覗き込みじっと見つめている。そう、それは何かを計っているように。
「そんなに知りたいんだ、私の名前」
試されている?……
「お、俺はただ、その……気になっただけで」
「別に何か疚しい気持ちなんか、これっぽっちも……」
おどおどとした俺の態度が滑稽に見えたのか、彼女はぷっと吹出し、次第に腹を抱えて笑い出した。
「ぷっ、あははは、ごめんね」
「君があまりにも動揺してるから、可笑しくって」
「それにしても、もうやだ、あはは」
とても愉快だったらしく、目に涙を浮べて笑っていた。
どうにも理解し辛い状況。その姿を見て女とは不可解な生き物だと思った。同時に、なにやら弄ばれた気分で面映く、小さな苛立ちを感じた。
「なあ!よく判らんが笑い過ぎだ」
漸く気持ちを落ち着け、彼女は深呼吸した。
「いいよ、教えてあげる」
上から目線の言い方に反意したくなる。
「別に、教えたくないならいいさ」そう言って、俺はあさっての方向を向く。
まるで拗ねた子供。
「もう……」
突然彼女はずいっと近寄り、俺の手を胸元へ引き寄せ両手で握る。
何事かと顔を元に戻すと、彼女の顔がアイディスプレイいっぱいに映っていた。
一瞬心臓が不整脈を打つ。
「私はファウ」
「ファウ・ナチュール」
「ファウでいいわ、よろしくねグラン君」
「よ、よろしく……」
動揺しきった俺の眼をファウは交互に確認する。
「目の色」
「え?」
「よく見ると違うのね」
「あ、ああ、うん」
ファウは俺の肩からアスランに視線を移すと
「ほら、友達待ってるよ」
そう言って俺の体をアスランの方へ向かせ、軽く背中を押した。
「あまり待たせては、彼に悪いわ」
それはファウとの会話が終わる事を意味していた。彼女と出会うまでは、アスランと共に行動することが楽しかった。でも今は、そのアスランの存在のおかげで、この貴重なひとときが終わるのかと考えると、少々疎ましく思えた。
「そう…だな……」
俺は余波惜しむように、また会えるかと尋ねると
「そうね」と、特に気持ちを表情に示さないまま答えた。
そんなファウの表情に、正直寂しく思えてならなかった。そのまま彼女は集落のほうへと走って消えた。そして俺は、アスランとぶらりと行動を共にした。
その後、あれこれと何をしても、気持ちが上向きになる事がなかった。ただただ、彼女とのあのひとときを惜しむ念だけが、脳裏を支配していた。そして、そろそろ辺りも薄暗くなり、明日のことを話しながら二人ログアウトした。
全ての意識が現実世界に戻ると、夕飯のおかずの匂いが鼻をくすぐった。俺はその匂いの元へ、自然と向った。
階段を降りていくと、玄関には遥と母、そして俺の靴が綺麗に並んでいた。二人は、買い物を終えて帰宅していた。リビングに行くといつものようにTVからCMが流れ、キッチンでは母が晩御飯の支度をしていた。鳥の唐揚げの香ばしい匂い、それと炊飯器からお米が炊き上がる炭水化物が蒸された匂い。そして、いつもの母。しかし、そこへいつもと違う遥が脱衣所から台所へ踊りこんできた。
「どう?大丈夫でしょこれ」
母さんは、はいはいと濡れた手をひまわり柄のエプロンで拭い、遥の姿を見る。そして上下に眺める。
「やっぱり、派手じゃないかしら」と首を捻る。
遥は、食器棚のガラスに映った姿を見ながら、ぐるりと回る。
「これぐらい普通よ」
「そう?……」
その水着姿に、遥の考えている事とは別の事を心配しているようだった。
「それにあさって、もう裕子達とプール行く約束しちゃったもん」
「あら、そうなの」
「達って、何人で行くの?」
「4人」
「女の子ばかり4人?」
「え〜っと……」
珍しく口篭る遥のその表情を、母さんはやはりと見抜いていたようだ。
「男の子2人と、うちら2人……」
俺が見てもそう思うのだから、母さんが気付かないはずはない。それに、明らかにしくじったとでも言いたそうな目をしている。
親の立場として、母さんは窘めそして遥は、ばつが悪そうに頷く。
「本当に大丈夫かしら……そんな真っ白なビキニなんて……」
俺はリビングのソファーに座り、背中越しに母に話す。
「大丈夫だろう、それに子供なんか興味ないって」
そう口にすると、如何にも憤怒した足が近寄り、ソファーに怒りをぶつけた。
「痛っ……もう!」
そのまま小鬼は、脱衣所へ退散していった。
俺はそんな遥の姿を、振り返ってにやりとしてみせた。
「平和だねぇ」
母さんは俺のその言葉に渋顔で微笑み、また晩御飯の用意に取掛かった。