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Fade-Out  作者: 瀬河尚
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第二章  最強アイテムは夏 <6>

 現実世界に呼び戻されるように目が覚める。ベッドから起き上がり、階下の洗面台で鏡を見ると、体中をべっとりとした汗が滴り、顔には悲壮感が漂っていた。あんな夢を見たのは初めてだった。夢から覚めても、まだこんなに重々しく記憶に残っている。そして、自分が作り出した幻想だとしても、忘れ去れるような内容ではなかった。なんであれ、あの夢は俺にとって害悪でしかなく、朝っぱらから不安定な精神状態で、ちょっとしたことでも癇に障る。今にもこの鏡を叩き割ってしまいそうな、そんな気分だった。

 今日は、二人とも家に居た。母は朝食の後片付けを済ませて、リビングで遥といっしょにTVを観ていた。俺が起きてきた事に気付くと、キッチンに朝御飯があると教えてくれた。味噌汁と焼き魚、しらす干しを添えた大根おろし、そして五穀御飯。リビングで寛ぐ二人を尻目に、黙々と食事をする。食べ終えようとしたとき、遥がTVのコマーシャルを観て、母に何かをおねだりしていた。遥の心を揺るがしたのはプール施設の宣伝だった。今年着る水着がほしいらしい。母には、その年頃の気持ちがよく分かっていたようで、仕方なく重い腰を持ち上げた。二人は俺に同行を求めてきたが、丁重に断った。いっしょに出掛ける事が嫌なわけじゃない。ただ、ダラダラと即決しないあのショッピングスタイルが気に入らないだけ。しかも、遥の水着が目的なら尚の事だ。あの売り場で待たされる程、嫌な罰ゲームはない。

 そういえば、明日だったな……

 準備の為、物置から2WAYのショルダーバッグを持ち出し、バスタオルや海パン、着替え達を小さくまとめて詰め込んだ。

 これでいいな、あとは……

 自分の机の引出しから、今まで一度も恵まれたことのない中折れ財布を取り出し、中身を確認した。そしていつものため息を吐く。

 お前はいつも質素だな……

 そう心で呟き、手の甲で軽くぽんっと財布を小突いた。あとは明日、約束している待ち合わせ場所に行くだけ。そして椅子に腰掛け物思いに耽るように、明日のシュミレーションを頭の中で想像していた。しかし、俺の認識では、あの姉妹の性格はまだまだ未知数で、予想のしようがなかった。つまり、明日はノープラン。その時々の判断に委ねるしかない。なんであれ、梅田の主張を大切にするだけだ。

 準備を済ませると、PCの電源に手を伸ばそうとした。だが、例の夢がまだ尾を引いていて、途中で体を硬直させる。あんな夢は、所詮俺が勝手に作り出した妄想に過ぎないと、振り払うように頭を左右に振った。そしていつものようにログインを開始する。


 またか……

 アイディスプレイには、また池の傍で呆けている映像が映った。どうやら、AIはここがお気に入りのようだ。毎回何がAIの気を引いているのかは分からないが、とりあえず記憶を遡ってみる。


 なるほど……


 あれから、一組のペアレンツとずっと行動を共にしていたようだ。そのペアレンツは、このギルドを発足したジオをバースした二人で、イーサ・カトック と リド・アステートと名乗った。とても息の合ったペアレンツ。父親役のイーサは、小柄でアサシンのように立ち回りが素早く、鋭敏な感覚の持ち相手の行動を見定める冷静な判断をする人。それと、自分の動向をさとられないように、黒い前髪が鼻先まで達し、その隠された眼差しはまるで物影に潜む虎のようだ。しかしそんな風貌とは裏腹に、ジオより子供っぽいハスキーヴォイスで、言葉の端々に関西住民であると主張していた。格好は、身軽で動き易い柔道着で、襟元からちらりと見える鎖帷子の様な素材が黒光りしている。相方のリドは教会のシスターのような格好で、清楚な服飾のわりに大きく開いた胸元には、恥かしそうにシルバーのロザリオが乗っていた。それにしても、一見優しそうな顔から発せられる甲高い声のおかげで、キャッキャと騒がしく少々緊張感に欠ける。でも、その反面戦闘中はイーサを阿吽の呼吸でサポートして、かゆい所を指示される前に処理してしまうほどの行動派。そして薄っすらと白いアイシャドウの瞳は真剣で、格好よく見えた。だが、それでも忙しい口数は覆い隠せないぐらい印象に残ってしまう。他の人がどう思うかはともかく、俺としては好感を持てるペアレンツだ。それにしても、こんな対照的なペアレンツと、一体何をしていたのかと更に記憶を辿る。

 この集落から少し離れた場所に、名もない小さな洞窟がある。最近そこに集結しているウルフ族の話が噂されていた。要するに、この情報の裏づけ調査をしていた。そして状況に依っては殲滅も視野に入れて行動していた。

 「グランちゃんは、あたしの後ろに居てねー」

 「あ、はい」

 初めて戦闘になるかもしれないと思うと、動きがギクシャクして心拍数も自然と高鳴っていく。

 「ま、適当に遊んでてくれてええで」

 「肝心なことは、俺っちとリドでやるから」

 集落の池の傍で誘われた時から、この二人は初心者の俺をまるで友達のように扱ってくれた。ジオは責任感が強いせいか、これまであまり会話の内容に楽しむという感情を、感じたことはなかった。噂の洞窟まで歩いて向う途中、メンタル面でもサポートされてる感じで、とても助かっていた。風ひとつない草原を10分ほど移動すると、洞窟の入り口に到着した。来た道を振り返ると、視界には集落の姿はまったく見えず、ただ広大な草原が広がっているだけだった。リドの後を気遅れしないように追いかける事と、イーサの笑い話に耳を傾けているうちに、いつの間にかこんなに遠くまで歩いていた。

 「さて、着いたな」

 そんなイーサの言葉を他所に、リドは周りをキャッキャと飛び跳ねるように喜んでいた。

 「お前、ちっとは緊張感を持ちいや」

 「今日は新人さんもいっしょなんやで?」

 イーサはピクニック気分のリドを、それとなしに注意するがまったく動じず

 「グランちゃん、戦闘初めてなんだよね?だよね?だよね〜」

 「楽しみでしょ?でしょ?」

 と俺に話掛ける。さすがに呆気に取られた俺は、苦笑いした。

 「ほれ、グランも困ってるやろ?」

 再度、注意を促すがまったく効果なし。

 「そんなことないもんね〜グランちゃ〜ん」

 どう返事しようか迷ってイーサの顔を見ると、呆れてているようだった。

 「好きにしてくれ」

 「ほな、行くで」

 そう言って、気持ちを切り替えるように洞窟の中へ進み始めた。相変わらずのリドと俺も、それに続くように後に付いて歩いた。

 洞窟の中はひんやりとして、嫌でも恐怖を植えつけられてしまいそうな雰囲気で、俺はただただこの二人から、離れないようにする事だけで精一杯。それに、モンスターの存在を確認もしくは殲滅が目的の為、むやみに明りを灯すことができない。そのことがより一層恐怖心を煽った。でも、所々に誰かが設置した松明に火が灯っていて、なんとか5メートル先ぐらいまでは確認はできていた。しかし、こんな状況でもリドは、声を発しないものの明るく振舞っている。正直、今の俺には有難く、頼もしく思えた。それにしても、俺の装備は貧弱だ。防具は以前のままで、武器は有って無いようなこの短剣ひとつ。いや、短剣というより果物ナイフと言ったほうが正確だろう。でも、そんな物でも固く握り締め、小刻みに震えていた。その震えを止めようと、もう片方の手で押さえるがまったく意味を成さなかった。しかし、そんな俺の状態などお構いなしに、先頭を歩くイーサはどんどん奥へ奥へと進む。途中いくつか分かれ道があったが、そんなものなど気にせず進む。ただ、分岐点のときには必ず、リドが俺の背後に回り、後方の安全を確認していた。その時の俺は、そんなリドの行動など気にも止めず、前を歩くイーサの動向だけに集中していた。このときAIが操作していたとはいえ、忠実に自分の性格を再現していることに驚きであり、悲しくもあった。

 かなり奥まで進み、曲がり角に差し掛かった時、イーサが突然足を止め、姿勢を低く壁に寄り添うようにした。それに釣られて俺も身を小さくした。リドも足を止めるが俺の肩に手を置き、背中越しにピョンピョン跳ねて小声で

 「なに?なに?いる?いる?」と楽しそうだ。

 「まあな」「でも、大したことあらへんかも」

 「ボスらしいやつが、居るには居てるけど……」

 しかし、イーサの顔は真剣だった。曲がり角の先へ、目を閉じ聞き耳を立てている。

 「2、3、4……6匹ってとこやな」

 俺にはまったく気配すら感じられない。それどころか、リドが先程からぴったりと背中に密着していて、それが気になって仕方がなかった。

 なんとかして……

 リドが俺の左肩に顎を乗せるように耳元で

 「ふ〜ん」と答えた。

 ふと顔を向けると、出会ってから一度も見たことがない真剣な表情をしていた。まさにそれはこれから戦闘が始まることを予感させていた。イーサはリドに何かを合図して、そしてリドは理解したように頷いた。

 するとリドは俺に、小声で耳打ちした。

 「ちょっとの間、あたしから離れないでね〜、お・ね・が・い」

 その言葉に俺が頷くと、リドは素早くスキルを発動させた。それと同時に、薄っすらとリドの周りに霞のような光が漂い、通路を照らした。俺にはとても不思議で、神秘的な光景に見えた。恐らく、これがこのゲームで初めて見る魔法だと想像できた。しかし、どんな効果があるかは、まったく分からない。ただ、その魔法は一種類だけではなく、連続して発動させていることは、なんとなく判った。そしてイーサは一人洞窟の最深部へ突入した。しかも俊足な早業で、一匹二匹と倒していく。俺はそれを息を呑みじっと見入っていた。

 しばらくして、イーサが過半数撃退したのをリドが確認すると、まるでミュージカルでも始めるように両腕を大きく広げ、胸高鳴らせる躍り声を発した。

 「グランちゃ〜ん、アクティブタ〜イム」

 「スピリ〜ット、レッツファイト!」

 「へ?」

 何がなんだかオドオドしていると、後ろから両手で強く押された。そのまま勢いよく前に踊り出ると、唸り声を上げるモンスターが正面で威嚇をしていた。そのモンスターとは、ウェアウルフと呼ばれている狼の獣人。体全体を狼の固い毛で覆われ、エキスパンダーのような筋肉で二足歩行。指先には鋭い爪が今にも獲物を引き裂かんとうずうずしている。更にその形相は夥しい牙が大きな顎から突き出し、険しく光る猫科独特の眼は、一瞬の隙も見逃すまいと睨み凝視している。その姿を目の当りにしたとき、俺は足元から氷付くような恐怖に囚われた。CGの精度が高い上に、これほど生々しい姿は、今までどんなゲームでも感じることのなかった生命の窮地というものを、思わずにはいられなかった。

 「ほらほら〜、そんなことじゃオオカミさんに食べられちゃいますよ〜」

 俺は口をぱくぱくと開いて話そうとするが、竦んで声が出ない。そして額には脂汗がじわりと滲み、構えようとナイフを前面に出すが、大きく振るえ体が硬直して動かない。その間も、ウェアウルフは左右に動き、俺の急所を狙ってまったく目線を外さない。宛ら、蛇に睨まれた蛙のようだ。

 「パパ〜これ〜駄目かしら〜?」

 俺と対峙しているウェアウルフより、一回り大きな相手と交えていたイーサは、ちらりとこちらを見る。

 「こっち片付けたら、そっち行くから、それまで気張っててや」

 「それと……」

 「パパはやめてくれ、俺はそんな歳とちゃう」

 なんとも余裕綽々とした口調で、楽しんでいるようだ。

 「はいは〜い、待ってま〜す」とリド。

 暇なのか、引きつった俺の背後にリドが近寄り

 「ねえ〜ねえ〜、そのナイフでチクッとしちゃいなよ〜」

 「あ……ああ……」

 漸く出た言葉だった。そして、どれだけ頑張ろうと一歩を踏み出そうとしても体が動いてくれない。それにしても、ウェアウルフも一向に動きを見せない。

 なぜだ……

 こんな怯えきった俺など、簡単に倒せるはずなのに……

 このとき気持ちの余裕もなく気付きもしなかったが、後々で聞いた話だと、どうやら後ろでリドがウルフに対して見えない圧力を掛けていたらしい。それによって、何度も襲うタイミングを逸していたようだ。そして、もしその援護がなかったら、あっと言う間に殺されていたことも聞かされた。情けないがこれが俺の現実だった。

 イーサは、先ほど相手にしていたウルフを倒すとゆっくり俺の横に歩いてきた。

 「どうや?」「初めはみんなそんなもんや」「だけど、これができんようでは話にならん」「いつまでも待ったる、頑張ってや」

 そう言って後ろに下がった。そしてリドと雑談を始めた。

 すると驚いたことに、より一層強固な眼で、ウェアウルフが小さく掠れた言葉を口にした。

 「お前……新人か……俺も……なめられた……ものだ……」

 「まあいい……こんな……茶番……早く……終わらせよう……」

 「早く……殺せ……そしていつか……この屈辱……お前にも……」

 この言葉を聴いたとき、おぞましい程の憎悪を感じた。そうだ、相手はモンスターでも中身はAIか人間なのである。俺は居ても立っても堪らず、必死に切掛かった。それはもうでたらめな太刀筋。しかし、ウェアウルフはギッと眼を見開いたまま抵抗もせず、ただ無防備に切り刻まれ地面に倒れ込んだ。急所を狙うとか、そんな技など知るはずもなく、後に残ったのは必要以上に惨殺されたウルフの血溜まりと、無造作に散らばった肉の破片、そして死体。自分の手や体中には返り血がどろりと滴り落ちていく。その生臭い液体を見て、吐き気が込み上げてきて、地面に崩れ落ちるように這い蹲った。


 なんなんだいったい……


 これって、ゲームだよな……


 「はは……ははははははは……」


 気が狂いそうで、なぜか自然と引きつった顔で笑っていた。それはとても異様な光景。イーサとリドは全てが一瞬の出来事で事態を把握できていないようだ。しかし、この凄惨な現状を見て心配になり俺に駆け寄ると、事の詳細を聴こうとする。しかし、俺はしばらく何も口から言葉が出せなかった。動揺が動揺を呼び、そして耐え難い苦痛が言葉にさせなくしていた。何より、あのウルフの眼がトラウマになるほど印象的で、忘れ去ろうにも焼き付いて離れない。これがこのゲームの戦闘システムだと思うと、手や足の震えが止まらなかった。

 そんな血の気が引いた顔色に、吸い付くような視線を注いだイーサは、とにかくこの場から俺を連れ出すようリドに指示した。それは別段取り乱した口調ではなく、実に冷静にそして日常平然と起きうる事のように。その指示に頷いたリドは、俺を優しく包むように抱きしめた。そして、また魔法のようなスキルを発動させた。その間、俺は強張った顔や体に、心地よい人肌の温もりと包むような優しさとが混じり合った感触で、徐々に緊張を緩和させていった。それと共に顔は安らいでいき、そのまま眠るように意識を落とした。


 その後AIは、初ログインしたあの離れの小部屋で、設置されたチーク製アンティークベッドの上で、目覚めることとなった。靄の掛かった朝陽が、時間とともに昇り、ひとつだけある小窓から容赦なく射し込む。そしてその窓の向こうからは、現実世界でたまに聴く、鳩が胸を鳴らすモーニングコール。しかし、どうやらリアルの俺同様に、AIの目覚めもあまり良いものではなかったようだ。リアルの俺は、自分が作り出した幻想の悪夢に。そして、AIは苦痛とも言える精神疲労を抱えていた。まさか、ログインして更に辛い思いをするとは考えもしなかった。重複した精神の苦痛、これは経験しようにもできない事だ。その後、俺の分身であるAIは、足に重りが付いたような歩きでギルド本部の建物へ向っていた。ゆっくりと近づくにつれ、ウッドハウスの中から数人の話し声が聞こえてくる。


 「ふむ……それで?」と微かにジオの声。

 その会話の周辺を囲むように、リドの落ち着きのない声も薄っすらと聴こえる。

 「もうちょい、様子を見てみないとなんとも言えへんけど……」

 「ちっと、影響受けすぎとちゃうかな」とイーサ。

 「ねえ、あたしはかわいいと思うけど、そう思わないかな?かな?」

 俺のフォローしてるようなリドの発言は、いまいち説得力に欠けて聞こえる。 中に入ろうとして扉に手を伸ばしたとき

 「どのみち、今の段階でそんなザマでは、先は知れている」

 「まあしかしあれやな、結論を出すにはまだ早いんとちゃうかな」

 そのジオの会話が聴こえたとき、AIは扉を開けることをやめた。特にプライドなどなかった。いや、なかったはずだった。でも、心の中で何かが砕け、そして足場を失っていた。なんとも意外な場面で見つけた、他人にはなんの価値もない宝物。今まで磨きもしなかったそんな物が、ゲームの世界で発見する事になろうとは。そしてジオとの間に、太い絆で繋がっていると思っていた俺の心情は、単なる飾りに過ぎない紛い物だと思い知った。

 今後どうしていいのか、どうするべきかゆらゆらと足を引き摺りながら、いつもの池の場所で立ち尽くしていた。

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