第二章 最強アイテムは夏 <5>
この日、母は夕方になってやっと帰ってきた。聞けば、父の会社へ着替えを持って行ったのだそうだ。しかし、実の子供ならではの直感だろうか、いつもの母さんではないように見えた。にこにことしていても、どこか違和感のような感じがしていたが、自分の勘に自信が持てないから、何も聞こうとしなかった。帰ってきた母は、なにかを隠すように忙しく晩御飯の支度に取り掛かる。そして珍しく、遥がそれを手伝うと言い出して母の隣に付きまとっていた。それを見て、やはり何か有ると勘ぐった。しかし、遥は何かを問い掛けることもせず、普段と変わらない態度で母を手伝っていた。
気のせいだろうか・・・
その後、いつもと変わらない食卓を囲み、そして各々の行動をする。母は食後の片付け、遥は風呂の準備をして、沸いたアナウンスが聞こえると率先して入った。俺は何をするわけでもなく、ただTVを観ていた。別に観たくてそうしていたのではなく、これ以外思い浮かばなかったのだ。こういう時、普段なにもしない男は、ただ手を拱いているしかない。そして自分は無力だと悲観する。しばらくすると、Tシャツと短パン姿で遥がバスルームから出てきた。俺は待ってましたとばかりに、風呂場へ逃げ込む。いつもなら、何度も催促しないと動かないのにと言いたげな表情をして、母は首を傾げた。あの時、自分の部屋に引き篭もる気分になれなかった。湯気で曇った鏡を拭き、映った自分の顔を眉間を狭め睨みつけた。
男は損だ・・・
桶に溜まった湯を、手のひらにすくい鏡に放り投げ、湯船に浸かった。
風呂を済ませて、濡れた髪をバスタオルで覆い、隙間から見える二人の顔色を確認するように部屋へ戻った。椅子に座り、壁に掛けてあるカレンダーに明後日のところへ印をする。PCを起動させ、その日の天候を調べた。晴れ時々曇り、前後2日は晴れで、雨の心配はなさそうだ。このままなら絶好の海水浴日和、久しぶりに羽根を広げられそうだ。今頃、梅田の頭の中は当日の事でいっぱいだろうな。
やれるだけやってみるさ・・・
そして、今日二度目のログインをする。午前にログインした時と同じく一度、閃光が光りプレイ再開。
アイディスプレイにはまた池の傍で立っている風景が映り、辺りは月明かりの綺麗な夜だった。あれからAIの記憶は別段変わったこともなく、特に気にすることはなかったようだ。周りを見ると、ギルドや小屋にはロウソクの炎が灯り、窓から洩れる明かりの揺れ加減がとてもリアルだ。夜空を見上げると、星を遮る雲はなく、月の光に負けないぐらいの輝きをしている。しかし、ここからではどうしても木々が視界に入る。画面いっぱいの星空を眺めようと場所を移動することにした。集落の敷地内を歩き回るが、どこも部分的に邪魔をされる。仕方なく敷地から出てみると、10cm程の草が生茂る草原が広がっていて、近くには小高く突き出した丘を見つけた。俺は良い場所を見つけたと思い、そこに急いで向う。丘の近くに辿り着くと、弱い風に靡く草葉の影とは別の何かの気配を感じた。
モンスターか?・・・
忍足で近寄っていくと、どうやらモンスターではないことが判った。更に近づくと、両手足を大の字に広げ寝転がっているキャラが居た。そしてじっと目を凝らすと、AIが操作していた時に集落で出会ったあの名も知らぬ女性だった。警戒していた緊張を緩めてそのキャラのところへ歩いていくが、微動だにせず空を観ていた。彼女の傍で歩みを止めても、時折瞬きするだけでただじっと夜空を眺めていた。しかし、先ほどから気にもしなかった弱風が、草葉と共に彼女のスカートを煽り、俺の顔を赤面させていく。
「あ、あの、こんばんわ」
「・・・」
「えっと・・・」
「・・・」
「押さえたほうが・・・いいですよ・・・」
「なに?」
若い声・・・
セラよりも若く同じ歳ぐらいの透き通った声だが、少し棘がある口調だった。
「いや、スカートが・・・」
彼女は視線だけ向け、俺の目をじっと見つめた。
俺は恥ずかしさのあまり、いつもの癖と同時に夜空に顔を向けた。
「そうね」
「あ、でも勘違いしないでくれ、見ようとして見たわけじゃないから」
咄嗟に自分を取り繕うように言ったが、彼女は眉も動かさず動じていないようだった。
「別にいいじゃない、ゲームキャラなんだから」
「見たかったらどうぞ」
そう言うとまた夜空に視線を戻した。
「な・・・」
なんて、女だ・・・
まさかそんな言葉が返ってくるとは思わず、取り乱しそうになった。しかしこの言葉は、俺を試しているようにも聞こえた。
一度、咳払いをして気持ちを落ち着かせる。
「あ、いや、いくらゲームでも恥じらいは持ったほうがいいんじゃない?」
すると彼女は、視線と同時に顔も俺に向け不思議そうな表情をした。
「そうなの?」
「そうなんです!」
当然だという口調で、俺は語尾を強調して答えた。
彼女は俺の言った言葉で呆気に取られ、次第に笑顔へと表情を変えた。
「あはは」
「そうね、ごめんなさい」
そう言って足を閉じ、手でスカートを押さえた。
先程の態度とは一変、その素直な行動を見て俺は偉そうに頷いた。そして、可愛く笑う笑顔がとても印象的だった。
俺も彼女の横で寝転がり、夜空を眺めることにした。なんとなく腕を伸ばし、星に触れそうな素振りをする。
「ここ、よく来るの?」
彼女も夜空に顔を向ける。
「ええ、ここは私のお気に入りの場所なの」
「いいな、ここ」
「でしょ」
なんとなく、彼女の口調が嬉しそうに聞こえていた。たぶん、共感できる仲間ができたとでも思われているのだろう。
「あ、そうだ、俺、今・・・グラン・ソープ」
思わず、実名を名乗ってしまいそうだった。そしてその事を打ち消すように問い掛けた。
「君は?」
しばらく、考えてから彼女は答える。
「内緒」
「え?」
キャラ名を隠す必要がどこにあるのだろうかと不思議に思った。
「なんで?」
「うふふ」
何かを含んだ笑いをしてから、しばらくの間沈黙が続いた。
「今度会ったときに教えてあげる」
そう言いながら、俺の頬を人差し指でつついた。
変な子・・・
無防備につつかれた俺は、不思議な目で彼女を見つめた。でもなぜか、嫌じゃなく、また会いたいとすら思えた。
上半身を起して、彼女は背伸びをする。
「あたし、落ちるね」
そう言って微笑んだ。
「またね」
「おう、また」
たぶん、もうAIに切り替わっているだろう。俺は彼女との会話の余韻を残しつつ、しばらく夜空を眺めて物思いに耽った。彼女との会話を頭の中で幾度とリピートさせていたが、徐々に眠気が襲いログアウトすることにした。早々に各付属品を外し、PCをシャットダウン。椅子から立ち上がると、眠気でぼやけたまま体はベッドに倒れこんだ。
夢を見ていた。
でも、すごく鮮明でリアルな夢。
さっき居た小高い丘の先端から集落を見て立ち竦んでいる。だが夜だというのに、俺のキャラや周りがまるで紅蓮の炎のような明かりで、照らされている。自分が見ているものを見ようとするが、何故かずっと三人称の視点から変える事ができない。
なんだ?・・・
誰かが断末魔のような叫び声を発している。それは一人ではなく、二人、いやもっと。それにしても、何故視点が一人称じゃないのだろうか。常に三人称だ。しかも、それは誰かが見ているような感じの映像。
いったいどうなっている・・・
どうすることもできない。そして一瞬、ある思惑が頭を過ぎる。
何かを伝えたい?・・・
だったら、俺の視点で見せてくれ・・・
どれだけ、もがこうが自分ではどうにもできず、ただ見せられるまま映像を睨んだ。すると俺のキャラが丘の上で頻りに叫び始めた。しかし、顔を歪めるほどの大声で叫んでいるのに、自分の声はまったく何も聞こえてこない。
なんだ?・・・
何を伝えたいんだ?・・・
誰か、誰か教えてくれ!・・・
もし、このまま何のヒントも摘めず夢から覚めてしまったら、途轍もない後悔の念と、取り返しのつかない思いで心打ちひしがれてしまうような胸騒ぎがしていた。
すると、ぱっと閃光で顔を顰めるが、その光の中でジオの姿がフラッシュバックした。
ジ・・・オ?・・・
ジオ?・・・
ジオが関係しているのか?・・・
それが何を意味しているのか、皆目見当がつかなかった。しかも、初心者の俺にどうしろと言うのか。
俺に何ができるというんだ・・・
そう、まだろくに武器や防具も扱えず、しかも製作さえも覚束無い俺程度のキャラに。
他にいないのか?・・・
それとも俺じゃないと駄目なのか?・・・
なあ、教えてくれ!・・・
そうしているうちに、映像の色合いが霞み、白くホワイトアウトしていった。