ぼくとえいりあん
「ぼくとえいりあん」
1☆
それはちょうど中秋の名月が空にかかる晴れた夜だった。
なんだかぼんやりした光がふよふよと夜空を飛んでいた。
明るさはホタルのお腹の光くらいで、よっぽど目をこらさないと、月の光で見失いそうだった。
その動きは見ていてどうも危なっかしくてしょうがない。
「お母さん。何か変なのが飛んでるよ」
台所で白玉粉をこねているお母さんに言うと、
「今忙しいから後で聞くわね」
だってさ。
ちぇっ。
ぼくはベランダに一人走り出て、光の動きをずっと観察していた。
「虫じゃないし、何の光かなぁ?人工衛星だったらちかちか光りながらすぅーっと飛んでいくのに。飛行機でもヘリコプターでもない。一体何だろう?」
ふよふよふよふよ。
あっ、危ない!
そう思った時、光は近所のどこかに落っこちてしまった。
軽い地響き。
「あーあ」
ぼくが思わず声をもらすと、今頃になってお母さんがゆでたての団子を持ってベランダにやってきた。
「なあに、変な声だして」
ぼくは説明しようかと思ったら、
「三度目は誰も出てきてくれないわよ。ピーター」
とお母さんは言った。
無理もない。今日ぼくは学校から帰ってからウソを二度ついた。
だから、お母さんは「オオカミが来たぞ!」とピーター少年がウソをついてふざけていたら、本当にオオカミが来た時に誰も本気にしなかったというお話にたとえてぼくにクギをさしたんだ。
ぼくは言葉を飲み込んだ。
陶器の花瓶に河原でとってきたススキをいけてある。
それを見ながら団子を食べた。
「毎日お月見だったらいいのになぁ」
とぼくが言うと、お母さんが、
「お団子を毎日食べるの?」
と苦笑いした。
「ただいまー」
ちょうどお父さんが仕事から帰ってきた。
ぼくはさっき見たことをお父さんには話そうと出迎えに出たけれど、お母さんの方が先に玄関に飛び出して行った。
ぼくの両親は十三歳もの年の差がある。
ときどき居心地が悪くて困るくらい夫婦仲が良い。
「おかえりなさい、あなた」
なんか気のせいか、ハートマークがこの辺りに充満してるみたいだ。
「ただいま、あこちゃん。ぼくらの一人息子の暁は今日もグレずに元気だったかい?」
ぼくはお父さんからそう言われてみつめられて息苦しさを覚えた。
「それがねー、あなた」
お母さんは手をぱたぱた振ってけたけた笑いながら、ぼくがいかにバレバレなウソをへたくそについたか語って聞かせた。
まず、うまいことやって当番をさぼって早く帰ったぼくに、ウソの理由をつかせておいてから、「先生から連絡があったわよ」ととどめを差した話。
次に、前々から欲しかった飛行機の操縦のゲームソフトをこつこつ貯めたおこづかいで買ってきてみつからないように隠していたのに、ごみ箱の中のパッケージでとっくに存在がバレていたこと。
くっそー。いつかお母さんの度肝を抜くことやってやるぞぉー。
…でもどうやって?あくどいことなら誰だって簡単にできるし、そんなことにぼくは興味はない。やるなら、なにかぼくにしかできないことだ。うん。
「なあに?にぎりこぶしして」
「べっつにー」
ぼくはにやりと笑った。
ぼくら親子は三人でベランダに並んで座った。
「…解説君のバージョンアップがだなぁ…」
お父さんが仕事の話をしている。
お母さんは熱心に聞いている。
以前、「解説君てなに?」って聞いたら、「あなたのお兄さんよ」とお母さんが冗談とも本気ともつかない答え方をしたことがあった。以来、深く聞かないでおこうとぼくは思った。
ぼくはぼくの両親が、そりゃ、はずかしいときもあるけれど、大好きな、ぼくだけの両親なんだ、って思っていたかったんだ。
☆
夜中に目が覚めてしまった。
トイレに立ったぼくは、リビングでテレビの深夜放送を見ているお父さんのところに行った。
お父さんはテレビの明かりだけの室内で、ソファに座って缶ビールを飲んでいる。
「お父さん」
「うわっ」
声をかけるとなんだかとってもびっくりされてしまった。
「何のテレビ見てるの?」
「ホラーSF」
「ほら?」
「怖い話だよ。緑色の宇宙人とか出てくるんだぞ」
「ふうん。面白いの?」
ぼくはお父さんの隣に座って、頭をお父さんのひざの上に乗っけてテレビの方を見た。
「いや、だから、怖い話だって。見ると眠れなくなるぞ。暁、部屋に戻って眠りなさい」
「どっちにしても今夜は眠れないよ」
ぼくはお父さんのあったかいひざまくらで横向きにテレビの画面を見ていた。
有名な映画で『エイリアン』という題名だった。
宇宙船の乗組員が一人、また一人と緑色の怪物に殺されていくんだ。
「明日、学校だろう。早く寝なさい」
「うん。眠くなったら部屋に戻る…」
そんなことをつぶやいていたら、そのままいつのまにか本当に眠っちゃってた。
2☆
翌朝、目覚まし時計で目が覚めた。
気づくと自分の部屋のベッドに寝かされていた。
きっとお父さんが運んでくれたんだろう。
あんな怖い話を見ながら途中で眠るなんて…。自分で自分が不思議だった。
あくびをして眠たい目をこすりつつリビングに行くと、朝ごはんの用意がしてあった。
「暁、早く食べて学校に行きなさい。遅れちゃうわよ」
明るい朝の日差しの中でお母さんがフライパン片手に立っている。
「お父さんは?」
「もう出かけたわよ」
いつも思うんだけど、お父さんいつ眠ってるのかなぁ?
ぼくはもう一度あくびをした。
ぼくが生まれる前は、お母さんもお父さんと一緒の仕事をしていたんだって。ぼくが一人前になったら、またお母さんはその仕事に戻るつもりでいるらしい。気の長い話だ、とぼくは思う。
朝食をがっついて食べるぼくを、お母さんはやさしいまなざしで見ていた。
☆
学校に行くと、今日は季節外れの転入生が来るという話題でもちきりだった。
「どんな子かなぁ。男の子?女の子?」
「かわいい子だといいな」と男の子が言うと、
「いや、かっこいい子の方がいい」と女の子が言った。
わいわいがやがや。
いつもの教室だ。
キーンコーンカーンコーン。
チャイムが鳴ると、みんなはばたばたと自分の席についた。
ぼくのクラスの担任の松永先生はしつけが厳しい方だ。
先生が来る前に席について、次の授業の道具を机の上に出して、黙って手はひざの上に乗せて待つこと!
それがクラスの約束事だった。
準備して、みんな一斉に、しんとなる。
しばらくして、教室のドアが開いた。
「あっ」
誰かが思わず声を出した。
松永先生の後ろから一人の女の子がちょこちょこついて歩いてきたんだ。
その子はちょっと緊張しているみたいだった。
長い髪をおさげに結って、かわいい顔をしていた。
自己紹介の時、彼女はこれまたかわいい声で言った。
「えいりあんです。よろしく」
「えっ?」
ざわざわざわざわ。
教室がどよめいた。
「こらっ。静かに」
松永先生は一声でみんなを黙らせると、黒板に白いチョークで文字を書いた。
『江入杏』
なんだー、びっくりした。
エイリアンって宇宙生物のことかとおもっちゃったよ。
でもちゃんとした名前だったんだなぁ…。
そのことで誰かが彼女をからかったりいじめたりしなければいいけれど、とぼくは心配になった。
いや、もしそんなやつがいたらぼくがぶっとばしてやる。
ぼくは一目見たときから杏ちゃんの味方になろうと決意した。
もしかすると、クラスの男の子の大半はみんなぼく同様、そんなことを思ったかもしれない。
彼女はなんだかそんな風に守ってあげたくなるような雰囲気の持ち主だった。
☆
でも、日が経つうちに杏ちゃんはそんな心配なんていらない女の子だとわかっていった。
見かけ通りのか弱い女の子なんかじゃなかったんだ…
3☆
昼休みに校庭でぼくと友達がボールで遊んでいたら、意地の悪い上級生が近くにいて、自分がボールを取りに来るのが遅かったせいで遊べないはらいせから、ぼくらのボールをとりあげると、プールの中へけりこんでしまった。
季節がらプールは閉鎖されていて、緑ににごった水の上にボールは浮かんだ。
取りに行けないぼくらはくやしくて、でも文句すら言えずにいた。
上級生は、こばかにしたようにぼくらを見ていた。背の高い強そうな男子生徒だ。
そこへあの杏ちゃんがすたすた歩いてきて、ずるずる運んできたタイヤをその上級生の前に置いた。
何をするのかと思っていたら、寝かせ置いたタイヤの上に立って、上級生と同じ目線の高さになると、いきなり相手にびんたをおみまいした。
(その上級生も含めて)ぼくらはあぜんとして杏ちゃんにみとれていた。
「弱い者いじめするなんて最低」
まるで自分の方が叩かれたみたいに杏ちゃんは涙ぐんでいた。
ぼくはこのときから杏ちゃんのことを勝気な女の子だと思うようになった。
☆
放課後。
女の子たちが近所の公園で自転車に乗って遊んでいた時のこと。
一人の子の自転車の、荷台のひもがはずれて、自転車の後輪にからまってしまった。
近くにいた子たちはなんとかしてひもをはずそうとしたけれどお手上げだった。
「ひもを切るしかないね」
「でもハサミがないよ」
「遠いけれど取りに行く?」
そんな会話をしていたら、当番で帰りが遅い杏ちゃんがちょうど通りかかった。
杏ちゃんは無言で少しづつ根気よく、からまったひもをといていった。
まるで魔法の指先だった。
困っていた女の子は大感激で、翌日、杏ちゃんにオレンジ味のキャンディーを一袋お礼に持ってきた。
☆
また、別の日の休み時間。
クラスであんまりめだたない子がいるんだけど、その子の悪口や変な絵を黒板にいじめっこが落書きしていた。
「あんなことを書いている人がいるわよ!」
と杏ちゃんが大声をあげて非難した。
みんなしん、となって一斉にいじめっこを見た。
いじめっこは目に見えて、しゅんとなった。無言で黒板に書いたことを消していった。
☆
そんなこんなで、数日もたつと、杏ちゃんはクラスの誰からも一目置かれる存在になった。
4☆
杏ちゃんは勉強もよくできた。
窓際の席に座った杏ちゃんが、ぼくの席からは良く見えた。
ぼくは授業中、太陽の光を浴びてつややかに光る杏ちゃんの髪の毛によくみとれてしまっていた。
あんな女の子もいるんだなぁ、って思って、ただただため息がでた。
何か話しかけるきっかけが欲しかった。
何の話題がいいかなって考えていて、ふと、この前の夜に見たことを話してみようと思った。
「江入さん。(悲しいけれど、ぼくは心の中でしか彼女を『杏ちゃん』って呼べなかった)この前の十五夜に、ぼく、変なものを見たんだよ」
何気なさを装っていても、声が少し震えているのが自分でもわかった。
杏ちゃんは気づいてなさそうに、
「ふうん」
って笑った。
「なんか、ふよふよ危なっかしく飛んでる変な光だった。しばらくしてどこか家の近くに落っこちたみたいで…」
すると、杏ちゃんは顔色を変えた。
「あなたの家、どの辺り?」
「え?南高江3丁目」
「その話、他の人にもした?」
「いや。してないけど」
「じゃ、絶対に、誰にも言わないって約束して」
杏ちゃんはなんだかすごい剣幕だった。
「う、うん」
ぼくはおされ気味に返事して、やっぱり理由を聞こうと思ったら、次の授業の開始時間になってしまった。
何か杏ちゃんの気にくわないことを言ったかな?
首をかしげつつ授業を受けていたら、今までぼくのことなんか全く気に止めていなかったはずの杏ちゃんが、明らかにちろちろこちらを見ていた。
ほかのクラスメートも何人かそれに気づいたらしく、こっちを見てこそこそ話してくすくす笑っていた。
ぼくはなんだかはずかしかった。
☆
「横田君…だっけ?今日の放課後うちに遊びにきてくれない?」
「えっ」
杏ちゃんがいきなりぼくを誘ったのでびっくりした。
ほかの子がいっしょに行きたそうにこっちをみてたけれど、杏ちゃんはそれには気づかないふりをした。
わけもわからず、ひきずられるようにしてぼくは杏ちゃんの家へつれていかれた。
杏ちゃんの家はぼくの家からそう離れていなかった。
「ただいま。おじいちゃん大変よ」
玄関から家の中へ大声をあげる杏ちゃん。
ぼくはちょっと居心地が悪くてもじもじしていた。
「おお、杏か。帰ったのか」
杏ちゃんのおじいさんが出迎えた。
「この子、同じクラスになった横田君っていうんだけど、南高江3丁目に住んでて、この前の十五夜に例の『あれ』を目撃したんだって」
「なんじゃと」
おじいさんは目をかっ、と見開いた。
「横田…横田。どこかで聞いた名じゃな」
「そうじゃなくて、『あれ』のことのほうが重要なんだってば」
杏ちゃんが大声をあげた。
何がどうしてこうなっているのかいまいち理解できなかった。
ぼくのてのひらが冷や汗をかいた。
「どうする?」
杏ちゃんとおじいさんの二人からじろじろ見られてぼくはよけいに緊張した。
「…ちょっと、待って。何がなんだかわかんないよ。説明してよ」
と、ぼくはやっとのことで言った。
「説明…したら、他の人には内緒にしてくれる?」
「だから、何のことなのさ?」
「ふよふよ飛んでた物体の正体」
え?
ぼくは目が点になった。
一瞬、映画で見たエイリアンの姿が頭の中にぽっかり浮かんだ。
『江入杏は、エイリアン?』
だらだらだらだら。
今度は全身冷や汗がどっと吹き出した。
「こっちに来て。地下室に置いてあるの」
二人はさっさと家の奥へ入っていく。
ぼくはあわてて靴を脱ぐと、手招きされる方へ進んだ。
☆
「うわあ、これ、すごいや…」
ぼくは感嘆の声をあげた。
果たして、円盤型の巨大な乗り物が、そこの地下室に保管されていたんだ。
「じゃあ、…きみ、やっぱりエイリアンだったの?」
「はあ?何言ってるの横田君?」
杏ちゃんはきょとんとしてぼくをみつめた。
ぼくの頭の中は『未知との遭遇』とか『地球外生命体』とかむちゃくちゃなSF用語でいっぱいになっていた。
「おじいちゃんは発明家でね、いろんなものを造るの。この前横田君が見たのはこれを試運転して飛ばしていたところよ。公に許可をとっていなかったから内緒でね」
パニックになっていたぼくは、杏ちゃんの説明がなかなか理解できなかった。
杏ちゃんは必死に説明を続け、そのうち、やっとぼくにも杏ちゃんが普通の人間なんだと納得できた。
「なんか疲れたわ」
杏ちゃんがきれいに片付いた自分の部屋にぼくを案内してくれて、グラスに二人分のジュースをついで運んできた。
「ごめん」
と、ぼくはすなおに謝った。
「前に住んでいた家はね、おじいちゃんの発明品のせいで半壊して住めなくなったの。他にもいろいろ近所に迷惑をかけていたから、そこから引っ越そう、っていうことになって、もうそんなことは嫌だから、目立たないようにしたいのよ。お願い、このことは誰にも秘密にしてね」
間近で杏ちゃんにみつめられて、ぼくの心臓はばくばく音をたてた。
「でも、いつかはばれるんじゃ…?」
「それでも、今すぐばれるよりは良いもの」
「しょうがないな…」
ぼくは頭をかきながら、
「絶対内緒にする」
とゆびきりした。
☆
そんな出来事があってから、杏ちゃんとはちょくちょく一緒に過ごすようになった。
ぼくは内心、とっても嬉しかった。
5☆
夜中にまた目が覚めた。
リビングをのぞくと、やっぱりまたお父さんがソファでテレビを見ていた。
「今日は何の番組?」
「映画の『竹取物語』のビデオだよ」
「なにそれ?」
「たぶん、高校生くらいになったら古典の授業で習うはずだけどな。ほら、『かぐや姫』なら知ってるだろう?」
「あの竹から生まれたお姫様が最後には月に帰っちゃう話?」
「そう。あれのもとになった物語だよ」
「ふうん」
『月に帰っちゃう』
その言葉がやけにひっかかった。
「…ぼくのクラスにさ、女の子の転校生が来たんだ」
「へえ。かわいい子かい?」
「うん」
「そうか。それは重要だな」
「かわいいことが重要なの?」
ぼくは眉根を寄せて聞き返した。
「そう。お母さんには内緒だぞ」
「なんじゃそりゃ」
ぼくは時々お父さんがわからなくなる。
「今度お父さんの研究所につれてきて紹介してくれるか?」
ぼくは顔をしかめた。
「『解説君』に会わせるつもりなの?」
「いけないか?」
まあ、あのおじいさんといつも一緒の杏ちゃんなら心配いらないだろうけど…。
なぜか、ぼくの両親は『解説君』というロボットをぼく同様に溺愛しているんだ。
「多分、大丈夫だと思うよ…。変わった名前の子なんだけど、そんなの気にならないくらいしっかりした子なんだ…。あんな子、初めて会ったよ…」
「しっかりした子ねぇ。案外、悩み事を自分だけで抱え込んでいるかもしれんなぁ。お前がなるべく力になってあげるんだぞ」
「うん…」
ぼくは、ちょっとうとうとし始めた。
くすぅー。
ぼくはまたソファで眠り込んでしまった。
☆
「お願いだよ。行かないで。戻ってきてよ」
ぼくは思わず叫んだ。
「何だ?横田。先生はどこにも行かんぞ」
はっ、と気づくと、そこは教室で、しかも授業の真っ最中だった。
ぼくの席の横に松永先生があきれ顔で立っている。
「昼寝は休み時間にでもしなさい」
ぱこん。
丸めた教科書で軽く頭を叩かれた。
クラス中笑い声が起こった。
ぼくは真っ赤になった。
☆
「どんな夢をみたの?」
休み時間に杏ちゃんが聞きたがったけれど、ぼくは夢の内容を話さなかった。
代わりに、
「もう転校はしないよね、江入さん」
と言った。
「なんで?」
杏ちゃんの笑顔がちょっとひきつったみたいに思えたけれど、気のせいだろうか?
「いや、たとえまた転校して行ったとしても、ぼくは江入さんの友達だからね」
真剣なまなざしで、ぼくは杏ちゃんをみつめた。
「なんでそんな事言うの?今日はおかしいよ横田君。…って、横田君はもともとおかしいか」
「なんでそうなるんだよ…」
けっこう本気だったぼくは、ちょっとがっくりした。
「あはははは。おかしいというよりも、おもしろいよ」
杏ちゃんはほがらかに笑った。
ま、いいか。
☆
ぼくの見た夢は、十二単に身を包んだ杏ちゃん(やけにきれいだった)が、シンデレラのカボチャの馬車に乗って(このへん、夢だから混乱しているよね)月へ行ってしまう、というものだった。
6☆
「おじゃまします」
杏ちゃんが元気な声をあげた。
「おお、よく来たね」
お父さんが白衣姿で現れた。
今日は、杏ちゃんをお父さんの研究所につれてきたんだ。
杏ちゃんはびっくりするかと思いきや、平然とお父さんに案内されるままに、お父さんたちが造ったものを見学していった。
遠くにいたロボットを見て、杏ちゃんが叫んだ。
「ああ!あれ、解説君でしょ」
「なんで杏ちゃんそんなこと知ってるの?」
「昔、科学者連盟にうちのおじいちゃんが所属していた頃、かなり有名になったのよ。当時の高校生に負けていられるか、って、おじいちゃん大騒ぎだったらしいもの」
「きみのおじいさんって?」
とお父さんが尋ねた。
「江入龍之介です」
「ああ!あの江入博士か!…で、きみがそのお孫さん?」
「はい」
「世間は狭いなぁ」
しみじみとお父さんが言った。
ぼくはあんまりおもしろくなかった。
おもしろくないついでに、やなやつがめざとくぼくをみつけてやってきた。
「アキラ!久しぶりだねーん」
解説君がおどけて妙な踊りを踊った。
どうしてか、昔っから解説君はぼくを笑わせようとばかりする。
「おまえに好かれたいんだろう」
とお父さんは言うけれど、ぼくにとってはいい迷惑だ。
「きゃあ。かわいい」
おまけに杏ちゃんが解説君を気に入ってしまったみたいで、ぼくは複雑な気持ちだった。
「あなたもかわいいですね」
解説君は口がうまい。
「解説君。うちのお母さんの若い頃と、この子ではどっちがかわいい?」
意地悪く質問してみた。
「両方です!女の子はみんなかわいい!」
キャタピラでぐるぐる走りまわる。
「…お父さん」
「なんだ?暁」
「解説君にどんなプログラム入れてるの?」
「限りなく、人間に近づくためのプログラムを。自分で成長するプログラムを」
お父さんはまじめな科学者の顔で言った。
☆
研究所からの帰り道。
杏ちゃんは興奮覚めやらぬ感じで、
「また行ってもいいかしら?」
と言った。
「いいけど、他の人にはなるべく内緒だよ」
「うん」
それから、ふいに杏ちゃんが考え込んだ。
「横田君のお父さんのこと、うちのおじいちゃんには内緒にしておいたほうがいいわ。競争心むきだしで何を造るかわからないし…」
そして、ぼくを見て言った。
「横田くん、気をつけとかないと、おじいちゃんが『助手にする』って言っていたから、危ないかも…」
「えええ?」
ぼくは少なからず身の危険を感じた。
でも…、杏ちゃんがいるから、杏ちゃんのおじいさんと会わないわけにはいかなかった。
7☆
ぼくと杏ちゃんはお互いの家を行ったり来たりした。
いつも学校では友達が、
「江入さんの家って、どんな感じ?」
とか聞いてくるんだけど、
その度、じとっ、とみつめる杏ちゃんの視線とぶつかって、
「別に。ぼくんちと同じ、普通の家だよ」
と答えていた。
けれど、本心では、
「ぼくんちと同じ、変な発明屋敷だよ」
だった。
杏ちゃんの家へ何度か遊びに行ったら、毎回おじいさんが謎の発明を行っていて、ぼくはその実験につきあわされそうになったことが度々ある。
いつも杏ちゃんがやめさせてくれていたので、大事には至らなかった。
杏ちゃんとおじいさんは仲がいいのか、悪いのかよくわからなかった。ただ、二人のやりとりをそばで見ているのはおもしろかった。
☆
そんなある日曜日。
台風が近づく中、ぼくは外を必死で歩いた。
杏ちゃんの家に遊びに行くと、ちょうどテレビで緊急ニュースをやっていた。
気球に乗って世界一周旅行の途中の冒険家の話題だった。
気球がぼくらの街のビルにぶつかり、からまって、いつ落ちるかわからない状態だというんだ。
消防車のはしごではとても届かない高さだし、ヘリコプターで近づこうとすると、下から吹き上げる強風にあおられて危険なのだった。
台風の影響でレスキュー隊の到着も遅れていた。
救助は難航しています、と画面のリポーターが言った。
「おじいちゃん!」
杏ちゃんは立ち上がった。
「な、何じゃ?」
「例の円盤で助けに行きましょう」
「えっ?そんなことをして大騒ぎになったら、またここにもいられなくなっちゃうんじゃないの?」
と、ぼくはあわてて言った。
「でも、人の命がかかっているのよ」
「杏の言う通りじゃ。みんなで助けに行こう」
いつのまに着替えたのだろうか?全身飛行ルックに決めたおじいさんがそこに立っていた。
「今こそわしの偉大さを知らしめるとき!」
とか言ってるけど、大丈夫かな…。
「みんなで、って、ぼくもいっしょに行けるんですよね?」
とぼくが聞くと、
「おお。どっちにしろ、雑用に人手がいるんじゃ」
とおじいさんは答えた。
振り向くと、いつものきぜんとした杏ちゃんがいた。
「わかったよ。行こう」
ぼくはなんだか体中の血がわいてくるような気持ちだった。
☆
「年をとると、どうにもかなわん」
がくがくがくがく。
おじいさんの操縦桿をもつ手が危なっかしくふるえ続けた。
単に風が強いせいじゃなかった。
円盤がふよふよ飛ぶ理由はおじいさんの操縦のしかただったんだ。
「だからおじいちゃんの発明品は嫌なのよ」
と杏ちゃん。
「わしは『発明家』じゃぞ。わしの設計は完璧じゃ」
「問題は実際に造るのが苦手ってことね」
「わしは手先が不器用なんじゃ」
「操縦も下手だし」
「やかましいわい」
二人のやりとりを見ていて、ぼくもさすがに不安になった。
この調子じゃ、誰かを救助する前に自分たちが救助の対象になりそうだと思った。
「あのー、ぼく、操縦代わりましょうか?」
「なに?動かせるのか?」
「あー、いえそのー」
「早くそれならそうと言わんかい。ほれ交代じゃ」
おじいさんはあっさり操縦席をぼくにあけ渡した。
日頃からうちにあるゲーム機でいろんな乗り物のシミュレーション操縦をして遊んでいたのが、このとき初めて役にたったと思った。
「お母さん。もうゲームのじゃまはさせないからね!」
ぼくはガッツポーズをした。
満足感でいっぱいになりながら円盤を操縦して、少しずつコツをつかんでいった。
ありがたいことに、台風の進路がそれていっているらしく、強風は時々しか吹かなかった。
それさえ気をつけていれば、乗り切れると思った。
「うむ。合格じゃ。おまえさんはわしの助手決定じゃな」
とおじいさんがうなずいた。
「そんな勝手に決められても…」
「そんなことより、ほら、問題のビルが見えてきたわよ」
杏ちゃんの声で我に返ると、テレビ局や新聞社のヘリコプターが円盤の近くを飛んでいた。
みんなこっちを見てる。妙なものを見る目つきだ…。
地上は、はるか下。
この高さから落ちたら確かに命はない。
やがて、しぼんでしまった鮮やかな色の気球が見えた。その下にはかごがぶらさがっている。たよりなくゆれるかご。いつ落ちるとも知れない。
三人の冒険家が助けを求めて身を乗りだし、手を振っていた。
「いちにーさん。うむ。重量オーバーじゃな」
「ええ?」
おじいさんの言葉に、ぼくはおたおたした。
「だ、誰か乗れない人が出るってこと?」
すると杏ちゃんが、ふん、と鼻を鳴らした。
「だったら、つんである冷蔵庫をおろしましょう」
「冷蔵庫ぉ?」
ぼくはすっとんきょうな声をあげた。
何でそんな物を乗せているんだろう?
「バカもの!冷蔵庫は冒険に欠かせない必需品じゃ。第一、食い物無くしてなにができる」
「論点がズレまくってるよぉ…」
ぼくは、なんとかこのおじいさんの助手にされるのだけは勘弁してもらいたいと思ったが、もう手遅れかもしれなかった。
「食べ物は後でいくらでも食べられるわよ。無事に帰れたらね。今は救助が優先でしょ?だから、冷蔵庫は一時的にここのビルの屋上にでもひとまず置いておいて、後で取りに来ればいいじゃない。ね?いいわね」
杏ちゃんがおじいさんにつめよった。
「そうか。それならかまわん」
あっさりうなずくおじいさん。
ぼくは内心ずっこけた。
でもさすが杏ちゃん。ずっといっしょにいるだけあって、おじいさんを見抜いてるよ…。
8☆
円盤が気球に近づくと、三人の冒険家に、おじいさんは悠長にあいさつしようとした。
それどころではない三人は我先にと円盤に乗りこんできた。
「せっかちじゃな。おほん。…わしは江入。科学者じゃ」
おじいさんが胸をはって言った。
一応助かって安心したのか、冒険家たちはおおーっと尊敬のまなざしでおじいさんを見た。
「こちらは横田。彼はわしの助手じゃ」
あ~もう!!困った人だよ。すっとこどいだよ。
そして、調子に乗ったおじいさんの次の言葉がいけなかった。
「彼女はえいりあん」
誰かが悲鳴をあげて、円盤の中はてんやわんやの大騒ぎになった。
「暴れると危ないよ!落っこちちゃうよ!」
ぼくは叫んだ。
☆
「もう、嫌。私の名前、ほんとに嫌」
ふと気づいたら、杏ちゃんが泣いていた。
みんなしゅん、としておとなしくなった。
「ジョークのわからんやつらめ」
おじいさんがぷりぷり怒っていた。
「せっかくわしがつけた最高の名前なのに」
騒ぎの根源はおじいさんか!
ぼくはとにかく、操縦に専念していた。
だけど。
しまった!着陸のしかたがわからないぞ!
だらだらだらだら。
冷や汗がどっと吹き出してきた。
「アキラー!ゲンキデスカ~」
ふと窓の外を見ると、ヘリコプターに混じって、一機だけ変な小型飛行機が飛んでいた。
「解説君!」
思わずぼくは叫んでしまった。
「カッコイートコ、みせちゃって!ニクイよ」
解説君がお気楽な声で言った。
「こら!暁!危ないまねしてっ!」
お母さんまでお父さんといっしょに解説君の操縦する飛行機に乗っている。
あちゃー。
あ、でも、着陸まで誘導してもらえたから助かったんだけどね。
☆
稲刈り後の、田園地帯にみんなで降りた。
「横田のとこの一人息子なら、助手は無理か」
おじいさんがそう言うと、
「いっこうにかまいませんよ。暁本人がいいんだったら」
とお父さんたちは答えた。
「そんな~」
「自分の運命は自分できりひらきなさい」
どうせ、お父さんの研究所の助手になる人のあてがついて、ぼくを将来のあととりにする話はなくなっちゃったんだろう。
どっちにしろ、ぼくが解説君を毛嫌いしているからどうしようもないんだけどさ。
「さあ、とっとと帰らなきゃ、報道陣がつめかけてくるわよ」
お母さんがあわてて言った。
解説君の操縦した小型飛行機には、機体に『ジャスト、マリッド(新婚ほやほや)』ってペイントされていて、お母さんはそれが恥ずかしいんだ。
「昔のをひっぱりだしてきたからなぁ」
お父さんがしみじみ言った。
「先に帰ってて」
ぼくが言うと、何か言いたそうなお母さんをおしとどめて、お父さんが、
「気をつけて帰ってこいよ」
と言い捨てて帰って行った。
☆
やがて円盤の周りを報道陣が取り囲み、大騒ぎになった。
「江入博士ですね。あのいくつも特許をとったことで有名な。この乗り物も博士の作品ですか?」
「うむ。いかにも」
堂々と胸をはるおじいさん。完全にこの場の主役になりきっている。
「情報によりますと、息子さん夫婦が龍之介さんと、お孫さんの杏さんの行方を捜し続けていらっしゃるそうですが」
えっ?
ぼくは目が点になった。
「以前住んでおられた街では『名誉市民に』との声まであったそうですが、なぜ姿を消しておられたんですか?」
マイクが一斉におじいさんに向けられた。
「これだからのう、有名人はつらいぞ」
ふぉっふぉっふぉっ、とおじいさんは得意満面だった。
こっそり裏の方で、
「そうなの?」
とぼくは杏ちゃんに聞いた。
杏ちゃんは黙ってうなずいた。
両親と離れ離れで暮らすなんて、ぼくには想像もつかない。
それに、いろんなことが思い浮かんで、ぼくはなんだか杏ちゃんが不憫になってしまった。
「なによ。同情ならいらないわ。おじいちゃんには私がついてなくちゃ何もできないんだから。それに、私は今の状況を気に入っているの」
つん、と杏ちゃんはそっぽを向いた。
「それでも…。これから先、何か困った時はぼくに言ってよ。ぼくに頼ってよ。力を貸すよ。一人じゃ大変だよ」
ぼくの言葉に、杏ちゃんはしばらく黙り込んでいた。
「『えいりあん』じゃなくて、『よこたあん』も悪くないかもね」
「えっ?」
ぼくは思わず自分の耳を疑った。
杏ちゃんはぼくをじぃーっと見てから、
「別にほかの名前でも、名字が違えばかまわないんだけどね」
と舌をぺろっと出した。
「えっ、ちょっと待ってよ。杏ちゃん!」
ぼくはいつもみたいに『江入さん』と呼ぶのを忘れてしまった。
いいや。この先、ずっと『杏ちゃん』って呼ぼう!
ふと見上げた空は、台風が通りすぎた後の、すがすがしい、どこまでも青い空が広がっていた。
fin.