二章 美咲の笑顔 1
「えっと、ここでよかったかなー?」
講義が終わり、香穂と美咲はキョロキョロとしながら廊下を歩いていた。幸いにも、魔法技術学部の研究室が並ぶフロアには、あまり学生の姿は無く、若干挙動不審な彼女たちを怪しく思う人はいなかった。
しかし、理系学部は沢山の部屋がある。
研究室だけではなく実験室のようなところもたくさんだ。迷ってしまいそうである。
「あ、ここじゃないでしょうか?」
二人は一つの扉の前で立ち止まった。扉には「末岡研究室」と書かれたプレートがかかっている。
確か、矢倉屋天は末岡研究室に所属しているという話だったはずだ。ならば彼がいるのはここだろう。
「そんじゃ、さっさと行きますか」
香穂はコンコンとリズムカルにノックをすると、しばらくして扉が開いた。その前に何か部屋が騒がしかったのだが……何かあったのだろうか……。
「はいはい」
気怠げな声で扉を開けてきたので、思わず、
「あ、すみません」
と美咲は謝ってしまった。
扉を開けてきたのは黒縁メガネをかけた男性だった。その整った顔立ちに香穂は見惚れてしまった。
(わお、イケメンじゃない)
別に面食いというわけではないのだが、思わず見惚れてしまう程ではあった。ここまでの男性がこの大学にいたとは知らなかった。
「ん? どうした?」
続いて、もう一人の男性がやって来た。
「あ」
思わず美咲は声が出た。どうして、出たのか自分でもわからないのだが、なぜだか出てきた。
それは彼が先ほど見せた笑顔を思い出したのか、それと今の脳天気な顔とのギャップに感じるところがあったのか……。
「?」
なんだか様子がおかしい。パクパクと口を動かしてはいるのだが、何か言葉を発しているわけではなく。なんだかマヌケだ。
変な沈黙が場を包んだ。それを破ったのは京の言葉だった。
「えっと……どうかしましたか?」
はっと、我に返った香穂が慌ててバックから携帯電話を取り出す。先ほど拾ったシルバーのそれだ。
「さっき、外で携帯拾って、えっと……矢倉屋天さんっていますか?」
珍しい香穂の敬語だ。多分彼らは三回生だから、タメ口でもいいはずなのだが……。恐らく初対面だからということだろう。しかし、それがなんだか異様におかしくて笑ってしまいそうだ。
「あー矢倉屋天ってのは俺なのだが……ってそれ俺の携帯じゃねえか!」
「あ、やっぱり……」
何がやっぱりなのかわからないのだが、とりあえず、言葉が出た。美咲は思いがけず口を押さえる。
(聞かれてしまったのでしょうか?)
しかし、天は美咲の心配など気になっておらず、香穂から携帯電話を受け取った。
「どこにあったんスか?」
「えっと……」
「入口近くの角の……えっと、あなたが魔技? を使った所です」
言葉に窮した香穂の代わりに美咲が言った。珍しく自分から何か言った。香穂もそれに驚いたのか、こちらを見ている。ちょっと恥ずかしい。
「あ、あ……あー」
なんか、おかしい。
天は美咲の方を見るわけではなく、かといって香穂を見るわけではなく斜め上を見ている。なんというか、積極的に目を合わせようとしない。台詞もなんだか変だし。
「何をやっているんだ……。えっと、あなた達は……?」
京から尋ねられて思い出した。そういえば自分たちはまだ名乗っていなかった。
「私は文学部の洲崎香穂です。この子も同じ文学部の天女美咲です」
「天女美咲です。えっと……四年生です!」
元気に挨拶をして頭を下げた。長い黒髪がふわりと舞った。甘い香りが宙を漂った。
「あ、僕は宇ノ木京、でこいつは……」
「天です! 矢倉屋天です!」
京の言葉を遮るように口を出す。その様子に嫌な顔をしつつも京は、彼女たちの方を向く。
「え、お二人共四年?」
「そーですねー……えーっとはい」
「じゃあ先輩ってことっスね」
「天、その~っスねというはやめろ、なんか不快だ」
「お、おう……」
香穂の返事に天が発言し、それに対してツッコミをいれる京。
「とりあえず、携帯、渡したから」
互いの素性がはっきりしたからなのか、香穂はいつの間にか敬語ではなくなっていた。それに違和感を感じることなく、男二人は頷く。
「わざわざこのバカのためにありがとうございます」
京の紳士な態度に、香穂は顔を真っ赤にして両手をバタバタと振る。
「そ、そんな気にしないでよ。ただ、携帯無くしたら大変だろうなって思っただけだし……ね、ねえ美咲?」
「ええ~? ここで私に振るのですか? まあ確かに、香穂ちゃんの言った通りなので、全然気にしないでください」
なんやかんやとちぐはぐな会話である。普段の天ならば流暢な感じで女性の心を掴むような感じなのだが、その天の口数が少ないのだ。
このままでは話が進まないので、何か話題を変えねばと思い、
「あーえーそーあー」
(やべえ、言葉が浮かばねえ……)
天は冷や汗をだらだらかく。美咲を前にすると言葉が続かないのだ。喉が異常に渇く。
そんな状況の研究室前に一人の男性がやって来た。
「天よ、研究室にまで女性を連れてくるのは感心せんぞ」
美咲と香穂の背後から声が聞こえた。びっくりして振り返ると堂々とした男性がいた。少し白髪が混じった黒髪に深めの顔には、しっかりと手入れがされた顎ヒゲが生えている。
冗談交じりにそう言った彼は、この研究室の責任者、末岡源治郎である。