一章 天の衝撃 6
天は人混みをかき分け走る。とりあえず、校内に入ってしまえばどうにかなるはずだ。
そう思い、角を曲がる。
背後を気にして走ることに夢中だったため、前方不注意だった。
角を曲がった瞬間、目の前には二人の女性がいた。顔をしっかりと把握していなかった、いやする暇がなかった。
それよりも……。
「や、やべえ!」
ぶつかってしまう!
とっさにそう判断した天は、目の前の女性をよく観察することもなく、右腕を足元へと伸ばした。
「<アイス>→『氷箱・青空ウォーク』!」
彼が理論式を発したのと、魔技陣から氷の階段が出現するまでは一瞬だった。
言葉通り瞬く間に彼女たちの頭上を超えるように氷の階段によるアーチが作られていた。
二人の女性は驚いた顔で見上げていた。何か言葉を発するわけでもなく。ただ、目の前のその光景を見ることだけしかできなかった。
天が氷の階段を渡って彼女たちの前に立つ。急ぎだったため、下りまでは用意できず、彼女たちの頭上付近から飛び降りる形となった。
腰を落とし、無事に着地すると、天は軽く後ろを振り向き、
「すまん!」
ただそれだけ言って、走り去っていった。
背後から何か声が聞こえたような気がするが、それに耳を貸すよりもまずは伊藤から逃げることを最優先させていた。
「行っちゃった……」
「なんだか、あっという間でしたね」
振り返ると先ほどまで階段を歩いていた矢倉屋天がこちらに向かってきていた。もう少しでぶつかるかもしれないという位置まで近づいていたのだが、どうしたらいいのか、わからず立ち尽くしていた。
しかし、気が付くと矢倉屋天は自分たちの頭上を走っており、間抜け面で見上げていたら、今度は自分たちの前に着地したのだ。
何か声をかけようかと思ったら、先にこちらを振り返ってきて、申し訳無さそうな顔で「すまん」とだけ言って、再び走り去っていったのだった。
「なんであんなに急いでいたんだろ?」
「さあ、なぜでしょうか?」
二人は既に小さくなった彼の背中を見つめていると、また足音が聞こえてきた。
今度は端に寄って、道を開ける。
「待たんか!」
目の前を筋骨たくましい男性が走っていった。
「本当に、どうしたのでしょうか?」
「逃げている……んじゃないかな?」
なるほど、逃げているのか……。
「ま、まあ行こっか?」
「そうですね……おや?」
美咲は歩こうかと思っていると、足元に携帯電話が落ちていた。シルバーの折りたたみ式の携帯電話である。
「落とし物でしょうか?」
「そうみたい。見てみよっと!」
「ダメですよ、勝手に見ては」
「だって、見なきゃ誰のかわかんないじゃん」
「もう、香穂ちゃん……」
香穂は美咲の静止も聞かず、彼女から携帯電話を取るとこなれた手つきで操作をする。
持ち主がわかったのだろうか、香穂の指が止まると、目を丸くした。
「あらま」
「どうしましたか?」
見てはダメだと思いつつも、気になってしまったので香穂の横から携帯電話の画面を覗きこむ。ディスプレイには「矢倉屋天」という名前が表示されていた。
「ということは、あの矢倉屋天の携帯電話ってわけか……」
「返したほうがいいのでは? きっと困ると思いますよ」
「確かにそれもそうよね。仕方ない。この後の講義が終わったら届けに行きましょ!」
美咲は頷く。
「はい、そうしましょう。ですが、届けると言っても場所はわかるのですか?」
「矢倉屋天って言えば、末岡研究室に所属しているんでしょ? 前にそんな話を聞いたことあるし」
そう言って、携帯電話をバッグの中に入れると香穂は歩き始める。美咲も遅れないように小走りで彼女の後を追うと横に並ぶ。
「そうなのですね、ではこの後」
「りょーかー」
二人は横並びで校内へと入って行った。
美咲は一瞬見せた彼の顔が忘れられなかった。なんというか、無邪気な笑顔であった。