第一話 転移
気分転換に書きました。
男は目蓋を閉じ己の生き様を振り返る。
内乱で荒廃した都で生を受け、乞食から手段を選ばず成り上がり、最後は一国の主にまで上り詰めた。
時には主君を毒殺し、さらには民の心の拠り所を焼き払い、果ては傀儡王を斬殺する。
裏切りなど日常茶飯事、正に『昨日の友は今日の敵』と言った人生を地で歩いて来た。
だがそんな一生も、男の抱く野望には到底及ばない。
男は悔しがる。
もし出自が孤児ではなければ、己はこんな所では終わらなかったと。
だがそれを言っても詮無き事と思ったのか、「ふー」と一呼吸入れるとおもむろに立ち上がり、釜を手にする。
釜には既に目一杯の火薬が盛られていた。
男は蝋燭の火を近づけ導火線に火を入れる。
そして蓋を閉めた。
「平蜘蛛は俺の矜持、渡してなる物か!」
目を見開き一喝する、此処には居らぬあいつに向けて。
男は釜を持った手を振り上げると、それを思い切り足元の火種へと叩き付けた!
ドカン!!
鼓膜が破けるほどの轟音と共に起きた大爆発は男を跡形無く、信貴山城の天守もろとも吹き飛ばした。
戦国の大梟雄、松永久秀の壮絶な最後であった。
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アガサ湖は神山エルベトの麓にある、周囲十キロメートル程の小さな湖である。
この湖は神山から湧き出る聖水を一身に引き受けていおり、人は聖湖などど尊称する。
湖の畔は今日も水妖精達がワイワイとじゃれあったかと思えば、そこらに咲き誇っている聖花に群がり、その蜜をむさぼっている。
さらに湖中にはここの主とも言える水龍が、背後の神山を守護するかのように鎮座している。
端から見ればまるで御伽噺のような世界である。
だがアガサ湖ではこれが当たり前の光景だ。
もちろんここに人が足を踏み入れる事など許されるはずもない。
もし許されるとしたら、それは勇者か大英雄か、はたまた大魔王とでも言った所か。
大魔王が許されるかは疑問が残るが、それだけ格式高い聖地なのである。ここアガサ湖は。
今日も平穏な時が過ぎると思われていた。
が、何やら様子がおかしい。
巨大な空間の歪みを感じ、水妖精が落ち着きを無くす。
すると彼女らを守る為に、水龍が姿を現わす。
だが時既に遅し、歪みは空間を断ち切る程まで大きくなっていた。
そして歪みが最高潮に達した時、パカリと穴が開き、そこから人と見られる男が投げ出された。
それを最後に空間は閉じられ歪みも無くなった。
出て来た男は黒髪で並みの体格をしており、衣装は戦装束と見られる鎧に具足を着けていた。
一見、何の変哲も無い男のように見えるが、水龍は男から放たれる人とは思えぬ邪気に思わずたじろぐ。
本能的な危険を感じ、すぐさま攻撃の姿勢を取るが、次第に邪気は弱まりを見せる。
何故、と思い皆男を見遣る。
すると男の体に魔力が溢れ徐々にに覚醒を始めた。
それは時間にして僅か数秒、気付けば男の黒目はカッと見開かれていた。
男はおもむろに立ち上がり辺りを睥睨する。
その気迫に思わず皆が怯む中、男はニヤリと笑うと水龍に向けて言葉を発する。
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松永は覚醒した。
しかし意識を取り戻すにつれ、記憶とのズレが生じる。
俺は信貴山城で死んだはずなのに、なぜ生きていると……。
目を見開くと見えるは青一色。
快晴の青空。
もしや此処は天国か、などと自嘲しながら以前より軽い体を立ち上げる。
すると見えるは面妖な生き物共。
羽虫に龍、やはりここは天国なのかと再考するが、己の生き様を思い起こすと直ちにその疑念は払拭された。
行くなら地獄のはず、ならば此処は何処になる。
すると目の前の龍がビクリと動き様子を伺う。
松永は化け物が戸惑う姿に、こみ上げる笑いを抑え切れなかった。
そしてニヤリと邪悪な笑みを浮かべると、眼前の龍に向かい口を開く。
なぜか言葉が通じるような気がしたのだ。
「俺は松永弾正久秀と言う。ここは何処だ、大和では無いな」
彼の知る限り大和国にはこのような摩訶不思議な場所は存在しない。
ならば神隠しにでもあったのか、それとも果心居士に計られたかなどと、詮無き事が頭に浮かぶ。
水龍は松永から邪気が消えた事を確認すると、心底安心した様子で彼の問いに答えを飛ばす。
「ここは神山エルベトの麓にあるアガサと言う湖だ。人は聖湖などと言うがな」
水龍はその気になればすぐにでも命を刈れる男に対し、自身でも解らないが何故か怯んでいた。
松永から放たれる“波動”とでも言えば良いのだろうか……、それが嘗て相対した邪龍のそれを凌ぐ程の強さを持っていたからだ。
水龍は松永の深い闇を恐れた。
一つ突けば、それが百倍にもなり己に返って来るような気がしてならない。
その為余計な事は言わずに、彼の問いにだけ答えた。
「聖湖だと。こんな所は知らん。ここは日の本ではないのか」
「日の本は私は知らない。ここはビラインと言う世界だ、異界の者よ」
水龍は松永の言を聞き、すぐさま彼が異界からの使者であると気付いた。
彼も話には聞いた事があるが、魔力の突発的な歪みにより数百年に一度、異界とビラインの一地点が交換される現象が起きる。
恐らくそれに松永が巻き込まれたのだろう、と推測したのだ。
「異界だと。もしやと思ったがやはりか……」
水龍は思案に更ける松永に対し、先の内容を簡潔に説明する。
すると松永は突如破顔し大声を上げる。
「ハハハハハ、これはいい! 神か魔か知らんが、俺は新たな生を受けたようだ」
すると先ほど以来、なりを潜めていた邪気が突如発散される。
水龍はなんとか持ちこたえたが、周りの水妖精らはそれに中てられポトポトと地に落ちる。
「おっといかんな。あまりにもこの地が心地良いので、つい興奮してしまったようだ」
ここは聖地と言うだけあり魔力濃度が格段に濃い。
その為、器の大きな者ですら、僅かな時間でそれが満たされるのである。
だが殆どの場合は精神が耐え切れずに発狂しまうのだが……。
しかし松永は軽々とそれに耐え抜き、その器に溜め込まれた魔力を一気に発散した訳だ。
「すまんすまん、すぐに此処を出るから勘弁してくれ。代わりと言っちゃあ何だか、金と食糧に地図をくれると助かる。それでお前らとはおさらばだ」
すると水龍は全力で棲家へ戻り、人間が残して行った道具一式と食糧を用意する。
最早龍の矜持などなぐり捨てていた。
一刻も早くあの邪神の化身から逃れたいと言う一心が、彼の全てであった。
「はぁ、はぁ、これでいいか」
水龍は松永に袋を差し出す。
「ああ、急かせて悪かったな。約束通り出て行くとしよう」
そういい残すと彼は湖に背を向け、堂々とした足取りで人里へと降りて行った。
嵐が去り水龍は思う。
恐らく殺り合えば負けることはない。
だがこの世界で神に最も近い存在である、龍の本能が何かを告げていた。
奴に手を出してはいけない……。
腕力に劣る人の身でありながら、龍に恐れを抱かせる存在。
水龍は身震いしながらも男の行く末に興味を抱く。
奴が何を成し遂げるのかを。
ビラインの守護者の一柱として、見届けなければならないと強く心に刻んだ。