綺麗な人
「じゃあ、今日も頑張れよ」
「はい!それでは!」
尊敬している先輩だが、部署が違うせいであまり会話する機会がないのが悔やまれる。
それから俺はいつものように社員玄関から社内へ入り、15階までエレベーターで上る。
田舎から都会に憧れ上京してきたは良いが、この上るときの感覚には慣れない。
高い山に車で登ったような感覚。耳がボーッとして気分が悪くなる。
そこで、ピンポーンという音が鳴り、エレベーターについての簡単な注意を呼び掛けるアナウンスと共に自動扉が開き、一人の女性が乗り込んできた。
うちの会社は、出勤時間が他の会社より比較的遅めなので、この時間はあまり人を見掛けない。俺は全く伸びない業績に頭を悩ませる為、否、結花の全く役に立たない講義を聞く為だけにこうして早めに出勤しているのだ。
「あら?もしかして貴方……森神幸哉君?」
「え?」
今日も長い俺への不満を聞かされるのか、なんてブルーになっている俺に突然かけられた澄んだ良く通る声。
そこで俺は初めて乗り込んできた女性の顔を見る。
――うわ、綺麗……。
まず顔に目が行く。たれ目が印象的で、口許には薄く笑みが浮かんでいて、それもまた彼女の綺麗さを引き立たせているよう立った。
腰くらいまでの長く、手入れの行き届いた黒髪はハーフアップにし、髪飾りは控え目だが存在感のある水色の花。
服装もそこまで短くないスカートの丈に白のブラウス、茶色のカーディガンを羽織っている。
そんな俺みたいな一般人でも分かる程の魅力を持つ人が何故話し掛けてくれたのだろう?
「どうして俺のことを……?」
少し声が震えてしまった気もするが、誰だってこんな綺麗な人見たらそうなる!なる……はず!
「だって有名人でしょう?森神幸哉、入社一年で契約件数0。でも気配りのできる性格とその他の仕事においての成果によりいまだにリストラ宣告を受けていないというあの!」
一人で自分を励ましていると、彼女は口許の笑みを悪戯っぽい笑みに変えて自慢話でもするように人差し指を立ててそう話す。
「俺そんなことで有名になってたんですか……」
その仕草に可愛いと思いつつも、他の社員の俺へのイメージが予想してたのより酷くて悲しくなってきた。
なんかもう誉め言葉なんだろうけど、それすらも慰めの言葉に聞こえて、悲しさに虚しさまでもが上乗せされる。
「俺も頑張ってはいるんですけど……」
ついつい弱音を吐いてしまうのも許してほしい。
男がこんなことを言うのもアレだが、俺は意外と打たれ弱いのだ。え?業績も残せない癖に会社に居座ってるやつが何を言うって?俺だって心細い!と言うか申し訳無い!
皆が頑張って契約を取り付けていく様子を見ながら俺は「どうせ無理でしょ」なんて言う結花のお茶汲み係だ!
今俺が会社にいられるのも、さっき彼女が言った通り偶然企画部に呼ばれ、アイデアを出す会議に付き合わされ、そこで俺が何となく思い付いた企画が社会現象を巻き起こす大ヒット商品になった事が大きい。
何故あそこで企画部への異動話が上がらなかったのか……。
今までの会社での出来事を軽く振り返ってみれば、失敗ばかり。自分で自分を傷つけているような状態の俺に、また彼女から優しい口調で声がかけられた。
「大丈夫よ……だって貴方はもうすぐ成功するんだもの」
何処か……それはすでに決定されている事実を述べるような、そんな確信が見える言葉だった。
いや、もしかしたら彼女の言葉だからそう聞こえるだけなのかもしれない。会って数分の彼女に俺は一体何を期待しているのだろう。
「ありがとうございます。でも俺にそんな才能無いですよ」
「あら、そう?私はそうは思わないわ」
また、微笑みながら言う彼女。俺が否定しているのに自分の意見を主張する様子に、俺は少し違和感を覚えていた。
その違和感は、突然流れるエレベーターの到着音とアナウンスによってすぐに掻き消される。
「私はココ。貴方は15階よね?今日は外へ出ていた方が良いわよ」
「へ?」
ウィーンと開くドア。彼女は一度振り向いてそう言うと、間抜けな顔で立ち尽くす俺には構わずその向こう側へと姿を消した。
「あ、名前聞き忘れた……」
――
「あ?13階で降りる黒髪美人だァ?」
あれから少し時間が経てば、皆が出勤してくる時間になる。
俺はその中でも中学時代からの友人、朝島瑠樹に朝の彼女の事を相談していた。
「ああ、瑠樹知らない?」
情報が13階で降りたということだけだと言うのは、あまりにも少ない。
「知らんな」
「即答すんな」
こういう考える系の事は中学時代から変わっていない。ちなみにこいつも俺と同じ業績が全く伸びないグループの一人だ。
「そもそも俺は茶髪ショート派だボケが」
いや、こんなところで自分の趣味の話をし出すな。茶髪ショートと言うことは活発系の女子が好きなのかお前は。
だがひとつ言わせてもらおう。
「あぁ?黒髪ロング美人最高じゃねぇかバカが。と言うか口悪いんだよお前は」
うん、俺は黒髪ストレートロング。
黒髪ストレートの何がいいって、まずその清楚さ。とても大事に扱わないとあんなに綺麗な黒も保てないだろう。そのちゃんと手入れが行き届いている髪が風か吹く度にさらさらと靡くのもまた綺麗だ。
っと、少し喋りすぎてしまった。黒髪談義はこれくらいにしておく。
心の中から田舎へ帰っていた平静を呼び戻し、俺の言葉にイラついたらしい瑠樹の反論に耳を傾ける。
「はァ?口が悪いのは俺のアイデンティティーだろう鈍間が」
お前口が悪いのを自分の良いところだとでも思っているのか……だから彼女どころか友達もできないんだよ!
「語尾に毒吐くのやめろクソが」
「お前人のコト言えねぇだろグズが」
まあこんな感じでいつも通りなにも解決しない争いを繰り広げていると、不意に俺たちの背後からまだ少し幼さの残る声が聞こえてきた。結花だ。
「ちょっと君達~ココ仕事場。分かる?そういう言い合いは表でやれ顔面偏差値平均共が」
途中から真顔でそう言うと、盛大な溜め息をついて自分のデスクへと戻っていった。
「それが一番心に刺さる!」
こうも簡単に現実に引き戻されると、朝のコトも夢だったのではないかとも思えて来る。
あんな綺麗な人に俺は頑張っているって認めてもらえるなんて確かに夢のなかでしか起こらないような出来事ではないか。そう思えば、また始まるのはいつもの日常で、皆はそれぞれの仕事を行い、俺は落ちこぼれのまま。
そういえば結花から命令が出てたな。
騒いでいたときより何倍も重くなった足を引きずって、エレベーターへと乗り込む。
少し期待していたのかもしれない。あの人とまた会えることを。