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第二話 囚われし人  作者: SecondFiddle
第二話 囚われし人
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第二部 尋問

第二部

 東京某所。午前十時。

 生活感が全く感じられないとあるマンションの一室で、数名の男女が集ってひそひそと話をしている。

 リビングのテーブルには夥しい書類が山積みになっているだけだ。いや、部屋の片隅に数台の無線機が転がっているのが見て取れる。

 一人のひげ面の男がヘッドホンを左耳に当てて聞き入っていたが、程なく溜息をついてヘッドホンを左耳から話した。

「国防院ではなにやら慌ただしい動きがある。何だか荷物がどうしたとかKが動いたとか隠語を使っているので、分からないことも多い」

「今までの傍受から類推すると……Kは国家安全保障委員会か、公安のことだと思う。しかし荷物とはなんだ? 今までに無い暗号だ。ま、いずれにしろ、何か重大なことが起きている事は確かなようだな」

「このすきに乗じて計画を実行するというのはどうだろう」

「イヤ未だ早い。焦ることはない。計画はじっくりと練ろうじゃないか」

「畜生」

 もう一つの受信機で傍受していたひげ面の男が叫んだ。

「どうした?」

「国防院の暗号がまた変わった。判読不明だ。解析には数十分かかりそうだぜ」

「よく換えるな」

 ふふふ……と女が笑った。

「私たちみたいに傍受している輩がいるかもしれないと言うことで不規則に変更しているんでしょう」

「支部長どうします?」

「どうします、とおっしゃってもねえ……」

 支部長と呼ばれた四十近い女は長い髪をかき分けた。

「コバちゃん、国家安全委員会からの動きはないかしら?」

 コバと呼ばれた細めの若い男が返事をした。

「表面上、特に目だった動きはないですね」

「兎に角何か裏で何かが始まっている事は確かなようね。目を離さないで頂戴。これを逆手にとれれば我が暗黒騎士団にとっても有利になることは間違いないわ」

「了解です」

 女支部長の言葉に全員が頷いた。


 第六区地下二階は重軽傷者の手当で四つある手術室は満杯、軽傷のものは廊下に寝かされている状態で、さながら野戦病院のようだ。その中を朝倉をはじめバイオヴォーグ医療スタッフが慌ただしく治療をしている。

「どうします総括」

 状況を見つつ副総括側蛾に尋ねた。

「どうもこうもない」

 和田は腕を組みながらこの状況を見つめていた。

「碓氷基地から応援を頼んだ方がよろしいのでは」

「そうなるといささか面倒だ。何故なら六区以外の隊員が入ってくるようになると機密事項も漏れる恐れが出てくる」

「お言葉ですが総括、これで何か突発できな事故でも起きたら対処しようがありませんが」

「お前の言いたいことは分かる」



 深夜、とある全国チェーンを展開しているカジュアル洋品店で警報が鳴った。警報は直ちに二十四時間態勢の警備会社に届き、近隣の営業所から警備車両が飛び出した。

 警報から五分後、現場に到着した警備車両から二人の警備員が躍り出た。そして正面のガラスが粉々になっているのを二人は認めた。

 警備員は肩のマイクを取り上げた。

「こちら警備車両一号、現場到着した。ももんが洋品瓢支店に賊侵入した模様。正面ガラスが破られている」

「本当か? こちらでは警察に手配をかける。店内状況を慎重に現認せよ。犯人が潜んでいる可能性がある。くれぐれも注意してくれ」

「了解」

 二人に緊張が走る。

 懐中電灯を照らした二人は防御用三段式二十一インチカーボン製特殊警棒を構え、忍び足で慎重に店内に進んでいった。

 散乱している店内と粉々になって散らばっているガラス片……。

 踏みしめる度に、がりっと渇いた音が無人店内に谺する。

 中に入って直ぐ、裸にされた男性マネキンが転がっているのを二人は見つけた。

 一人がしゃがみ込み懐中電灯を当て注意深く観察した。

「服だけ盗んだと言う事か……」

 続いて二人は売り場をくまなく調査した。白い懐中電灯の光が揺らめく。

 物色した形跡がここだけで他に異常が見あたらないと分かると、売り場からレジ内を抜け、誰もいない従業員控え室に向かう。

 整然と並べられているロッカーには、とても人が潜んでいるようは思えない。

「次いくぞ」

「事務室」の看板が見えたとき警備員は、警棒を構えなおした。

 ここには昨日の売上の入った金庫がある。

 もしや、ここに賊が潜んでいるかもしれない……。

 警備員といえども人の子。冷や汗が流れる。緊張の連続の中、懐中電灯を振り回しながら辺りを覗い、二人はゆっくりと進む。……しかし誰も潜んではいなかった。

「侵入者発見出来ず」

 ホッとしたように、肩のマイクを使って警備員は報告した。

「了解。最寄りの交番より警官が出動している。異常がなければ外に出て待機」

 外に出た警備員二人は、バイクに乗って駆けつけた中年警察官と合流し、状況を報告した。さらに指令を受けた巡回中のパトカーが二台やってきた。

 明くる朝午前七時。

 名古屋サービスエリアとやや並行して走っている道路沿いの自動販売機。

「ここいら辺だなあ」

 ピックアップを運転している男がのんびりと、一緒に乗っている同僚に声をかけた。

「ああ。異常信号を流している自販機はこの先だぜ」

 薄型パソコンを膝に乗せた同僚が画面を見つめている。

「あ、あった、あれだなあ」

 運転手が指さした。ピックアップが自販機そばに停車した。

「こりゃ、酷いぞ。今までにない壊し方だなあ」

 ピックアップから降りた二人は、巨大なハンマーで叩かれたようにくの字に折れ曲がっている自販機を見つめ、あっけにとられた。

 歪んでいる扉を苦労して開けた一人が内部を点検する。

「ひでえ……釣り銭がごっそりと盗まれてらあ」

 一通り点検をした運転手はピックアップに戻り、携帯電話を手にした。

「あ~、本部、本部、応答願います。あ~、こちら四号車、被害状況確認しました。酷い有様です。まるで重機で叩いたような感じで破壊されています……釣り銭が多数なくなっています。あと数本の缶コーヒーが盗まれています」

 分かった……とインカムが答えた。報告の最中、同僚は写真を数葉撮り携帯パソコンを取り出すと証拠写真を吸いだし、メールに添付した。


 神室は悪夢にうなされていた。

 激しく揺れるジェット機の中、神室は叫ぶ。

「皆さん落ち着いてくださいっ」

 傍らの座席を掴み必死に耐える神室。窓から地面が見えるとはっとなった……瞬間大地に激突し……神室は目を覚ました。

 脂汗が流れる。目が回る。ぼやっとして焦点が合わない。

「ここどこ?」

 白い天井にLEDライトが光っていることが分かるまで、かなりの時間が経った。

 さらに辺りを見回すとベッドに寝かされている自分に気がついた。同時にあの時もがれた右腕がついている。

 信じられない……と言いたげに右腕をあげ、まじまじと見つめた。紛れもなく自分の腕……。腕を捻ったり手首を回してみた。何処も異常はない。

「神室さん、目が覚めましたか」

 天井から男の声がする。

「ジュピター……? 」

「そうです。あなたは二日二晩寝ていました」

「えっ?」

 神室はがばっと上体を起こした。次の瞬間右肩が悲鳴を上げた。

「痛っ」

 痛みのあまり神室の顔がゆがむ。

「まだ無理は禁物です。人工筋肉との接合部は未だ融合に至ってはおりません。じきにドクターが来ますのでおとなしくしておいてください」

「ふう……」

 痛みが治まった神室は溜息をついた。辺りを見回し、ベッドの上で胡座をかいた。

 程なくしてドアがノックされ、朝倉と西村がはいってきた。

「ジュピターから知らせを受けたよ。やあ、七恵、調子はどうだ」

 西村がおどけた。

「右腕が戻っているわ。先生ありがとう」

 神室は朝倉に頭を下げる。

「おいおい、僕にも感謝して欲しいな。今回の新しい腕は岩槻技師と僕が設計したんだ。かなりの軽量化が施されてるんだよ。腕だけじゃないさ。神室が眠っているあいだにその両足も軽量化したものに取り替えたんだ」

 西村の言葉に神室は朝倉の顔を見た。

「バイオヴォーグは日々進化している。医療チームが軽量化に努め、今回七恵に施術した。今や君の体重は五十三キロになった」

「まあ、嬉しいわ」

「軽量化した腕の調子はどうだい?」

 西村の問いかけに神室が朝倉を見ながら軽口を叩いた。

「直に良くなるんじゃない? ねえ、主治医さん?」

 しかし神室の意に反して朝倉は深刻な顔をしていた。

「先生どうかなさいまして?」

 暗い表情の朝倉を見た神室は何か感じたのであろう。その言葉に朝倉が口を開いた。

「同じバイオヴォーグといえども、彼の力は異常だ。君につけていたボディローガーを解析したところ、彼は尋常ならざる力が判明した」

「尋常ならざる力って?」

 突如和田の声が病室に響いた。全員が一斉にドアを見る。

「想定しているバイオヴォーグの出力以上の力が出ているというわけだ」

 和田は傷跡の残る左頬を上げた。どう見ても笑っているようには見えない。

「ジュピターから連絡があったからきたぜ、それより朝倉、ここにいても良いのか?」

 朝倉は和田を見る。

「手術すべき隊員はすでに終わっている。あとは医療チームで何とかできる」

「そうか、さすが手際のよい先生だな。それより……調子はどうだいお嬢さん」

「ええ……まあまあね」

 神室はどぎまぎしながら言った。

「アイツの力は尋常じゃない。いったいどうやって手に入れたか。朝倉先生、あんたでも分からんか?」

「分からんね……あの時の落雷に関係があるかもしれないが、何故制限値を越えられたかも今のところ不明だ」

「法源さんはどこに行ったの?」

 神室は髪をかき上げた。

「さん、いらん。お前のおかげで奴の動きは把握出来ている。その点は褒めてやる。しかし内蔵電池はそう長くは持たない。それに間に合わせなので電波は微弱だ。全軍が躍起となって探している」

 和田のこたえに神室が目を丸くした。

「まあ、そんな大胆に?」

 病室の中を和田は熊のようにうろついた。

「早いところ解決しないと、衆人観衆、特にマスコミが騒ぎつけるだろう。そうなったらこの第六区の秘密もどうなるかわかったもんじゃない。さらに他の極秘計画が白日の下にさらされてしまう恐れがある」

 突然ジュピターが言った。

「和田総括に勝呂基地司令から連絡が入りました」

「和田、聞こえるか」

 いきなり、切れ者の勝呂総司令の言葉が天井のスピーカーから響いた。

「この不始末はどうするつもりだ? 軍は、総力を上げて法源を追跡している。この失態については協力を惜しまない。しかし、最終的にこの不始末を払拭するのはB計画だ。このままでは極秘事項であるB計画そのものが衆知の知るとこととなる。しかし起こってしまった以上、収束させるのが君たちの最大の責務だ。君たちもなんとか手がかりを見つけ出せ」

 和田は静かに口を開いた。

「お言葉ですが勝呂基地司令、法源浩一郎には高精度型位置情報システムが埋め込まれております。第六区高性能人工知能ジュピターが情報を元に解析を進めております。少なくとも彼の居場所は特定出来ます」

「電波は微弱でも、七恵がつけたあれが、高精度型位置情報システムなのか……」

 朝倉の声に和田は耳打ちした。

「はったりだ」

「え?」

 朝倉は吃驚した。

「なんだと?」

 小声で答える朝倉に、和田が頬をあげる。

 そのやりとりが聞こえない勝呂が言う。

「……で、どこにいる?」

「勝呂指令、第六区保安司令室においでください。全てはそこで話しましょう」

「よし、二十分後にそちらに行く」

 通信が切れると、朝倉は和田に噛みついた。

「総括、一体どういうことだ。バレたらどうするつもりだ」

「まあ、俺に任せとけ」

 再度和田が傷跡残る左頬を上げた。


 西村と岩槻が台に置かれた、マネキンの腕のような、長いゴム手袋のようなものを前にして議論していた。

「君の極小モーターとコイツを合わせれば、通常兵士でもバイオヴォーグと同等な力を出せる事が分かっている」

「でも背中に背負うバッテリー装置が重そうだね」

「試作品だから仕方ない。でも取付は簡単だ」

 そう言いながら岩槻は試作品を身につけた。

「簡単に脱着し、それでいて驚異的な力を出せる」

 岩槻は両手の内側を顔に向けながら両腕を目の前に上げ、西村に歩み寄った。

「計算値はあるのかい」

「机上計算ならある」

「机上計算かあ。……どれくらいの握力とか出せるのかな?」

 西村の問いかけに岩槻は冷たい目線を投げかける。

「人間の首なんて、瞬時に折ることが出来る」

 西村は吃驚した。

「例えが悪いぞ。なんで人間の首なんだ。もっと他の表現はないのかい」

 岩槻は西村に迫ってきた。

「おい、止めろよ」

「君の首だって瞬時さ、苦痛は伴わない」

 岩槻の鬼気迫る顔に、西村は後ずさりした。

 二人のやりとりを多次元カメラで見ていたジュピターが言う。

「岩槻技師、止めたまえ」

 岩槻は大声で笑った。

「冗談だよ、冗談」


 保安司令室に戻った和田は、法源浩一郎の夥しいまでの情報を液晶ディスプレイを指をくわえるように見続けていた。

 オレンジ色の光点が法源の居場所を物語っている。保安司令室のこの情報は全軍共有化され、どの基地からも彼の動きが把握できている。

「東南方向移動中」

「陸上軍浅沼基地より一個小隊出動」

「航空軍碓氷基地より偵察ヘリ、まほろば二機帰投」

 法源に関する様々な情報が大型スクリーン上に映し出されている。

 和田がいる保安司令室に二井見が登場した。

「呼びました? 総括」

 二井見の声に和田は顔を上げる。

「ああ、呼んだとも……。色々と先生に聞きたいことがあってな。脱走した法源は何処に行くと思う?」

「何よ藪から棒に。法源さんの心理を読め、とおっしゃるの?」

「先生も先生だな、さん、はいらん。あいつはここから脱走した犯罪者だ。警護隊隊員の半数を重傷者にしちまったんだからな」

 和田は悔しそうに机をどん、と力一杯叩いた。

「朝倉先生を始め不眠不休で頑張っていてけど、だいぶ落ち着いたようね」

 二井見は落ち着かせるように言う。

「俺の命令を無視した西田も処罰対象だ。あいつは下等陸士に降格だ」

「西田隊長は法源さんや神室さんの教官ですのよ。それにいくら和田総括でも人事権はありまして?」

 ぶすっとした調子で和田が答える。

「アイツは俺の命令に背いた」

 二井見が続ける。

「色々考えがあっての事よ。西田隊長は人情に厚く義理堅い人。隊長としては優秀よ。バイオヴォーグのカリキュラムを特別に組んだりして慣れないこともしているのよ」

「先生、アイツをかばうのか? ……それより本題だ。法源は今、ここに止まっている。動きが止まっているように見えるが、拡大すると早足程度で動いていることが分かる」

 和田はディスプレイのオレンジ色の光点を指さした。

「場所は何処?」

「長野県大桑村付近だ。行ったり来たりしている」

「自分の居場所が分からないようね。どっちに向かっていけばよいのか分かっていない様子が感じられるわ」

「方向音痴かアイツは? 奴の走力を持ってすれば、それ以上先に行けるはずだがな、あるいは法源は用心深い。ゆっくりと進んでいるのかもしれん。さて、ここで先生のお知恵を拝借したい。ズバリ言って、法源は何処に行くと思う?」

「難しい質問ねえ」

 二井見は困った顔をして頬に手を当てる。

「質問に答えるにも、情報が少なすぎます。私にもその法源の情報が知りたいわ」

「その横のディスプレイを使え。座れ。ジュピター、法源の資料をぶちまけろっ」

「了解」

 座った二井見は、紺色のフレームの眼鏡を押し上がながら、あてがわれたディスプレイを暫くのぞき込んでいた。

 ジュピターは克明に記録していた。

 室内での攻防、そして神室との格闘、神室の右腕から火花が散った光景では、一瞬、顔を背けた。

「八メートルある高圧電気鉄条網を軽く越えているのね」

 第六区から逃げ出す法源の映像が映し出されている。向こう側に着地したのを最後に映像は切れた。

「いくら優秀なジュピターでもこの六区を出てしまえば追う事は出来ん。もっとも神室が追跡装置を取り付けたから、ジュピターでも各種通信衛星を使って、ある程度足取りは分かっている。しかし、奴がそれに気づき破壊しないとも限らん。時間は無い。そこで君の知恵を借りたい」

「そうねえ……」

 冷静な二井見が言い出した。

「彼の行動を分析するには時間が必要です、和田総括」

「それをなんとかお願いしてるじゃないかっ」

 和田の剣幕に二井見はじっと見つめた。その間にも法源に関する夥しい数の情報が、流れている。同時に天井から各軍からの夥しい情報が流れている。さながら野戦基地のようだ。

 それにも気に留めない風に、二井見はキーボードをいくつか叩いて、頬杖をつきながら画面を見つめる。そして思い直したようにキーボードを再度叩く。それが数分続いたろうか。納得したような顔をした二井見が和田に進言した。

「彼の行動分析によりますと……可能性が一番高いのは婚約者の元に走ったことですわね」

 和田は咳き込んだ。

「いきなりの結論か? どうしてそんな事が言える? 第一、その婚約者は一体何処にいるんだ」

「彼の行動パターンは、意外と一律です。ジュピターさん、和田総括のモニターに彼の婚約者を出して」

 いきなりディスプレイにチャーミングな女性の顔が映し出された。そのしたには出身地などが流れるように出ている。ジュピターは次々と関連のあるファイルを映し出した。

 二井見は見入った。

「脇坂典枝、二十八歳……香川県多度津群白石町生まれ…… え? でも……」

「でも……なんだ?」

「別の男性と結婚してくらしているようね」

「婚約者じゃなく元婚約者?」

 和田は画面をのぞき込む。

「彼は婚約者を非常に気にしていることは、彼の行動パターン分析で分かりますわ。そういえば……臨床のさいに私に対してそのようなニュアンスを仄めかしていたわ」

「ニュアンスだと? 呑気な先生だな。奴は、先生の首に手をかけたんだぞ。先生を絞め殺そうとしたんだぞ」

「首を絞めた? ご冗談でしょう?」

 和田は不思議そうな顔をした。

「どういう意味だ? 法源の犯行を目撃した岩槻技師からそう言う証言があるんだ」

「岩槻さんがそう言ったの?」

「そうだ、岩槻はそう証言した。記録もある」

「記録? 彼は紳士ですよ。第一、絞め殺されたとしたら……」

 二井見は立ち上がり、左の太腿を和田の机に下ろしながら微笑んだ。

「私は幽霊?」

 切迫した副総括の声が響いた。

「総括っ! いきなり高速移動を初めましたっ」

「なんだと?」

 和田は身を乗り出す。

「この先にNシステムがあります。都合良く制御権を獲得しました」

 程なくして高架橋に設置してある定点カメラが大型スクリーンに映し出された。保安司令室全員の目がそれに注がれる。ジュピターも例外ではない。

 まっすぐな道路。行き交う車も少ない。

「ここは高速道路か」

「いや、国道十九号線です。往来が少ないので飛ばしているのでしょう。ジュピター、ジュピター、見えるか?」

「はい」

 副総括がジュピターに命令する。

「時速何キロで移動しているか計測できるか?」

「六十キロで移動中」

 ジュピターは即座に答える。和田は画面を見ながら唸った。

「少なすぎだ。だが、六十キロで移動していれば、否が応でも人目に触れる。そんな危険を冒してまでも移動するか?」

 副総括が叫ぶ。

「Nシステムが何か捕らえましたっ」

 遙か向こうから一台の大型保冷車がこちらに向かってくる。その大型保冷車は次第次第に大きくなり、最後にはNシステム定点カメラの下を通過した。

 その時、一瞬だったが、保冷車の天井にしがみついているような人影を発見した。

「アイツ……」

 またしても和田が唸った。

「人目があると思ってトラックを利用したんだな。なんて奴だ。だがこの先にはイノダ駐屯地がある。保冷車を止めるように指示を出せるか?」

「やってみます」

 和田の言葉に隊員の一人がこたえると同時に、送信ボタンを押す。。

「イノダ駐屯地か? こちらは碓氷基地保安司令室副総括。こちらの情報を確認しているか。よし、大型保冷車の天井に法源がしがみついている。保冷車を止め、法源を逮捕せよ。抵抗する場合、射殺も許可する」

「了解。軍用ヘリ『うみへび』および第二小隊を投入する」

 天井のスピーカーから声が響いた。

 数分後、イノダ駐屯地から軍用ヘリ『うみへび』が離陸、三十分もしないうちに保冷車を発見した。

「保冷車の天板、濃紺のスーツ姿の男を発見」

 ヘリの操縦士が無線で怒鳴る。

「そこの保冷車、停止しろッ」

 聞こえているのかいないのか、保冷車は走り続ける。天井には法源が見上げている。

「警告弾発射準備」

 弾倉を切り替えるスイッチの音が響く。

「了解」

 射手が高速連射砲のスイッチを押そうとした。

「待て、トンネルだっ」

『うみへび』が急旋回してトンネルを避ける。

「出口で待機だ」

 操縦士がトンネルの出口に『うみへび』を回す。そして上空でホバリングして保冷車が出てくるのを待ち受ける。

 程なくして保冷車がトンネルから出てきた。

 射手は高速連射砲を構えた。

「目標がいないぞ」

 トンネルから出てきた保冷車の天井に法源はいなかった。

「チッ、トンネル内部で飛び降りたのかもしれん」

「高速で飛び降りれるか?」

「奴は特殊隊員と聞いている」

 保冷車は順調に飛ばしていたが、道を塞ぐように止まっている軍用トラックを見て、急ブレーキをかけた。

 同時に散弾銃やマシンガンを持った陸上軍第二小隊十数名がばらばらとやってきた。


 一連の動きは国防院でも把握している。しかし法源の素早い動きで、対策が後手後手に回っているのも事実だった。

「トンネル内部では電波が届かん」

 和田が忌々しそうに言う。

「軍だけでは掌握できなくなってきている」

 保安司令室に陣取っている勝呂基地司令が、和田に顔を向けた。

「国家安全委員会と警察に協力を求めよう」

「それではここの存在も知られてしまいませんか」

 勝呂が和田を諭すように言う。

「脱走兵ならかまわないだろう。碓氷基地から脱走兵が逃げ出した、とする。特殊隊員だが、脱走兵として指名手配する。あくまでも脱走兵だ」

「あたしも香川に行きたいわ」

 いきなり二人の背後から神室の声が響いた。

「あたしにもう一度チャンスをください」

 二人は振り向いた。スーパースーツに身を包んだ神室と朝倉が入ってきた。

「もう良いのか」

 和田に神室は答えた。

「あたしは大丈夫」

 しかし和田は首を横に振る。

「チャンスをくれ、だと? お前の右腕をもいだ奴だぞ。その異常な力は限界を超えている。それはできん」

 神室は懇願した。

「お願い。同じバイオヴォーグとして」

「今度は命の保証は出来んぞ。だが、何故そこまで思うんだ? なるべくなら捕らえたいが、今や奴には射殺命令が出ている。今回ナラシノから特殊作戦群が投入される予定だ。精鋭部隊百名で奴をいぶり出す。もちろん投降の機会は与えるがな」

「そんな……」

 天井を向いた神室の目に涙がいっぱいになり、そして頬に涙が一筋光った。

 和田は一瞬たじろいた。

「唯一、かどうか分からんが……」

 暫く無言だった朝倉が口を開いた。

「以前にも話したとおり彼の体重は二百キロある。さらに浮力を持たない。水中に沈めることが出来れば勝算はある」

 朝倉の言葉に和田は憤慨した。

「なんだと、貴様まで何を言うかっ。神室の出番はない」

 涙顔の神室は思いついたように言った。

「彼のいったところは香川県よね」

「それがどうした?」

「海岸に近いんじゃない?」

「沈めようってのか」

 和田は頭に手を当てた。朝倉が言う。

「それに、いくら人工筋肉を纏っている法源とは言え、両手脚以外は生身の人間だ。胴体にしがみつき振り回せば体力を奪える」

 朝倉の言葉に和田は反対する。

「俺は神室をこれ以上危険な真似をさせたくない。だから反対だ」

 三人のやりとりをじっと聞き入っていた勝呂が言った。

「いや、いってもらう」

 その場にいた全員が勝呂指令の顔を見つめる。

「この責任をとってもらうために」


「広範囲に及ぶ犯行は、碓氷基地から脱走した法源浩一郎の仕業としか言いようがない」

 香川県警察に特別に設けられた対策本部会議室では、広域捜査二課長が全員の前で報告していた。黒板には法源の顔写真が大きく貼られている。

「一つは長野県伊達村で発生したももんが洋品瓢支店。ここでは衣服と靴が盗まれている。警備会社が急行したのは警報が鳴って五分後。さらに愛知県某所において自販機の窃盗があった。異常信号をキャッチした配送員二名が現場到着したのが、四十五分後。強力な力でこじ開けられているのが確認されている。一連の犯行は脱走兵に間違いない」

 一人が手を上げて言う。

「その根拠は?」

 課長が質問者を見つめて言いはなつ。

「容疑者には指紋がない」

 捜査員の澱んだ声が谺する。

「理由は軍事機密と言うことで審らかではないが、とにかく容疑者に指紋がない。またさらに重要なのが短時間で犯行をおこなっている点だ。これらなんの物証もない点からすると、容疑者法源浩一郎の犯行と断定しても差し支えないと思う。法源浩一郎は特殊任務を帯びた特別隊員という。普通の脱走兵と訳が違うようだ。彼の服装だが、犯行当時からするとモモンガ用品店から盗まれたと思われる濃紺のスウェットスーツに紺の格子柄のシャツ、並びにモーガン社製臙脂の靴だ。全員心してかかれ。しかし対応を間違えると国防院の秘密事項に抵触する。細心の注意が必要だ」


 深夜の名阪高速道路下り伊吹パーキングエリア。

 深夜にもかかわらず、ごうごうと音を立てているトラックが数十台止まっている。皆、エアコンをつけ、思い思いに仮眠をとっている。その傍らで出発するトラックや今し方到着したコンテナなどがひっきりなしに行き交う。

「……地震?」

 小型トラックの運転席で仮眠をとっていた運転手の君島が、割合大きな振動を感じ取り、目を覚ました。

 地震ではなさそうだと感じた君島は時計を見る。

「午前四時か。丁度よい時間だな。慌てなくても三時間後には荷物の受け渡しが出来る」

 君島はエンジンのかかっていたトラックを発進させた。

「あれ、おかしいぞ」

 今までならアクセルを踏むとスムーズに発進したトラックが、急に動きが鈍くなっていた事に気がついた。

「ここに来るまでは軽快だったのになあ」

 君島のトラックはゆっくりと本線に合流した。

 警察車両が入ってきたのは、君島のトラックがでたその直後だった。

「でちまったようだな」

 助手席の男が、液晶を眺めながら言う。

「ああ」

「こちら高速機動隊四班、容疑者が乗ったトラックを見逃した。各サービスエリアで検問を張れ」

「県警本部了解」

 アクセルを思い切り踏み込んでいる君島のトラックは、夜が明けた明石海峡大橋を通り抜け、瀬戸大橋を渡り、高松自動車道津田東インターチェンジに向かっていた。

「間に合うかな、ヤバいな」

 イライラしながらふとサイドミラーに目をやると、赤灯せきとうを回しているパトカーが迫ってきた事に気がついた。

 反射的にスピードメーターを見る。制限速度をちょっと超えた当たりで針がへばりついている。しかしパトカーは君島のトラックをターゲットにしている事には間違いは無かった。ぐんぐんと迫ってくる赤灯……。

「俺が何をしたってんだ」

 君島は毒づいた。

「前方のトラック運転手さん、路肩に止めてください」

 いきなりスピーカーが停止を要求した。

 観念した君島はトラックを路肩に寄せる。パトカーは追い越したトラック前方に止まった。高速隊の警官一人が下りてくる。

「呼び止めて悪かったねえ、スピード違反じゃなくてね、また運転手さんが何かしたというわけでもありませんよ。ただ私たちは積み荷を確認したいだけです。協力してもらえませんかね。積み荷が遅れると言うことでしたら、香川県警が責任を持って荷主さんと事の経緯をお話しします」

 言葉は丁寧でも警官の目は鋭かった。

「捜査令状とか言うのがあるんですかいね」

 君島の問いかけに警官は素っ気なかった。

「無いよ。だから協力をお願いしてるんです。是非拝見したいものでね」

 少しのやりとりのあと、南京錠の鍵を手にした君島は運転台から下りて、開けるべくトラックの後ろに回った。

 いきなり、君島が手にしていた鍵が落ちた。観音開きの扉が開いていたのだ……。

「そんな……開くわけがない」

 それを見た警官がパトカーに戻り、マイクを取り上げた。

「こちら二十四号車、トラックを確認したが、容疑者発見出来ず。容疑者逃走した模様。至急、緊急配備手配願う」

 パトカーから戻ってきた警官は柔和な顔になり君島を見た。

「調査協力に感謝します。引き続き中を調べたいのですが協力してもらえますよね?」


「畜生」

 藪の中で法源は毒づいた。

「なんで俺の行動が分かるんだ」

 法源は腰に手を当てた。ジャケットの下、左手に何か感触があった。

 ジャケットをたくし上げた法源はそれを毟り取った。

「なんだこいつは」

 直径三センチほどの円形の物体を見つめた。青く点滅をしている。

「これは?」

 法源は神室と格闘したシーンを思い出し、悟った。

「……あの時! ……」

 法源はそれを握りつぶした。

「総括、七時五十三分、通信が途絶えました」

 保安司令室にどっかりと腰を下ろしている和田に副総括が告げた。

「とうとう分かっちまったようだな。途絶えた場所は」

「高松自動車道津田東インターチェンジ手前三キロ地点。どうします総括」

「どうしますと言われてもな、どうすることも出来ん。警察も動くし、全軍上げて捜索に当たるしかないだろう。まずは陸上軍高松大隊に連絡だ。警察と組んで消息を絶った付近から捜索だ」

 副総括が忙しなく連絡を取った。


 法源が消息を絶ってからさらに二日過ぎた。未だに消息は不明だった。


 一方、碓氷基地から四駆で出発した神室と二井見は、サイレンを鳴らし赤灯を回転させた数台のパトカーの先導のもと、高速道を制限速度以上のスピードでひた走りに走っていた。

「勝呂基地司令は、何でまた、責任をとってもらう、なんて言ったのかしら?」

 揺れる道中、神室が愚痴るように言った。

「責任を……とおっしゃってたけど、あれはバイオヴォーグの試金石ね。それにあなたの技量をみたいと思ったのよ」

「技量?」

 神室は不思議そうに右横に座っている二井見を見た。

「計算高そうに見えて、基地司令は温情のある方。今に分かるわ」


 時を同じくして、保安司令室に陣取っていた和田が副総括に向かって命令した。

「吉本」

「は」

「この場はお前が指揮を執れ」

 吉本副総括が訝しげに和田に言う。

「総括は、どちらへ?」

「確認したい事案がある。済ませたら戻ってくる」

 そう言うと保安司令室を出た和田は、執務室に戻り、どっかりと椅子に座った。

 しばし腕を組み瞑想した。暫くして組んだ腕をほどくと、次に両肘を机に置き、頭を抱えた。この時点で和田の脳細胞は目紛しく回転していたのだ。

「納得がいかん……」

 ふと顔を上げた和田はジュピターに命令した。

「法源の報告書を出せ」

 和田の目の前にある液晶パネルにジュピターは映し出した。

 爪をかみ、和田は見つめる。

 ある疑問が和田の頭を掠めた。

 ジュピターに問いただす。

「全員を把握しているジュピターにきく。ここ最近、異常行動をとる奴はいないか?」

「三人います。二人はこの六区の重圧に耐えきれない様子で、二井見先生の処方箋を受け取っております。しかしこの状態が続くと思わぬアクシデントを呼びそうです」

「アクシデントか……で、もう一人は誰だ」

「岩槻康夫上等技師」

 和田は目を細めた。

「殺人現場に遭遇した彼か?」

「そうです」

「異常行動を裏付けるような資料はあるのか?」

「これです」

 いきなり和田のディスプレイに西村と岩槻のやりとりが映し出された。

「人間の首だと?」

 そう呻くように言うと、改めて報告書に目を通す和田。暫くして和田は呟いた。

「俺はB計画の忙しさにかまけて、報告書を鵜呑みにしたのかもしれない。殺された浅利技師と法源の関係はどうだったのか? おい、ジュピター、二人の関係はどうだった?」

「親密性、関係性とも十パーセント」

「お前は質問をしないと答えないのか?」

「そのように設計されています」

 和田は背もたれに体を押しつけた。

「では何故、岩槻を止めた?」

「以前より岩槻一等技師には注目していました。利害関係が一方的と判断し、停止命令を出しました。この様な場合にのみ権限が与えられています」

「権限だと?」

「そのように設計されています」

 和田は机を叩いた。

「間尺に合わんっ。ジュピターを開発した酒井孝四郞は変人と聞いているが、人間に助言を与えないように作成したのか? お前と話をしていると、時たまイラッとするぜ。……では逆に浅利技師を中心としてみた場合、その親密性や関係性とやらの相関関係はどうなんだ」

「浅利技師を中心としてみた場合、一方的に好意を寄せているのは岩槻一等技師。確率九十パーセント。浅利技師は迷惑していました。浅利技師は七十パーセント以上の確率で西村高等技師に好意を寄せていました」

 和田は皮肉った。

「さすが、我が日本最高峰の量子コンピュータだな」

「恐れ入ります」

 和田の皮肉は通用しないようだった。和田は再度机を叩いた。

「西田隊長を呼べ。打ち合わせが終わり次第、岩槻技師をここに来させるように。そうだ、それと並行して移動中の二井見達にも情報を送れないか」

 ジュピターが答えた。

「通信衛星『てんが』を使えば送れます」


 程なくして執務室のドアが叩かれた。

「入れ」

 入ってきたのは岩槻だった。若い技師は、威厳を保つようにどっかりと座っている和田の後ろで、腕を組んでいる西田を見とめると、眉間にしわを寄せた。

「なんでしょう総括。これから僕は、新しいヴォーグアームを西村君と組み込まなければならない仕事がありますので」

「三号事案だろ、それは西村に任せておけ。君を呼んだのは他でもない、法源が女性技術者を危めたことについてだ。もう一度はっきりさせたいことがあってな」

 ゆっくりと和田は椅子から立ち上がった。岩槻は、ヒグマと遭遇したような恐怖心を覚えた。

「な、なんですか総括」

 明らかに岩槻は怯えていた。無言の西田はそれを見逃さなかった。

「もう一度きく。あの時法源は女性技師を殺すのを見たわけだな?」

「そ、そうですよ」

 和田は睨んだ。

「俺が法源なら、口封じとして見られた君を瞬時にして殺害するがな」

「そ、それは西田隊長が素早くやってきましたから」

 岩槻は助けを希うように西田を見る。

 腕を組んでいる西田は言う。

「素早くでもなかったな。知らせを受けて現場に到着するには十分はかかっていた、と思う」

「何が言いたいんですかっ」

 岩槻は声を荒げた。彼の額から脂汗が流れる。西田はそのやりとりをじっと観察する。

「もう一度きく。殺された女性技士は何か叫んだか?」

「叫び声を聞いたからそこに向かいました」

「本当にきいたか?」

「聞きましたっ」

「よし、ジュピター、当時の録音を流せ」

「録音?」

 岩槻は怪訝そうな顔をした。

「そうだ、当時その場所にはジュピターが操作できる多次元カメラは設置されていなかった。つまり映像はない。しかし録音が残っている事が判明した」

 天井に埋め込まれているスピーカーから声が流れだした。

「あら、岩槻さん」

「浅利技師、こんにちわ」

「珍しいわね、ここに来るなんて。あら、それは何? 何を身につけているの?」

「見せびらかしにきたのさ。これは僕が開発したバイオヴォーグアーム」

「素晴らしいわ」

「そうだろう? これをつけると、一般兵でもバイオヴォーグになれるのさ。開発に手間取ったけどね、気にいてくれた? それよりさあ、今度お茶しない?」

「それもよいけど、またにして。今開発に忙しいの。西村さんの開発した極小モーターとα崩壊電池との回路設計が巧くいかないのよ。失敗ばかりで……」

「なんだよ、また西村のことかい。確かに彼はモーターを開発したけど、それだけじゃないか。それより僕なんか、自分でコイツを作ったんだぜ」

「あなたは偉いわ、自分で解決できるんですものね」

「西村の何処が良いんだい」

「時たまだじゃれを飛ばすけど、儚げで良いわ」

「じゃあ、僕は儚げじゃないと?」

「あなたは自力で何とかできるけど、西村さんは何だか守ってあげたい気分になるわ」

「君は西村を好きなのか」

「好きとかきらいとかじゃなくて……なんというか……兎に角、邪魔しないで」

 そして会話が途切れた。

 無音の数分が過ぎ、いきなり、どさっと重いものが倒れる音がし、録音が止まった。聞き終わった三人は無言だった。

 暫くして和田が徐ろに話し出す。

「どう聞いても浅利技師の叫び声は聞こえないぜ」

 岩槻は瞳孔を開いた。

 和田は続けた。

「法源が犯人だとすると、最大の謎がある」

「最大の謎?」

 和田は岩槻を睨んだ。

「法源には彼女を殺す動機がない」

 岩槻の額から脂汗が浮き出た。

 素っ気なく西田は言った。

「それに会話で出てきたのはこれか?」

 西田が総括の机の下から、重そうなバイオアームを机の上に置いた。

 岩槻はぎょっとした。

「そ、それは試作品で。どこからそれを」

「君の研究室からだ」

「し、し、し、忍び込んだのか」

「忍び込んだ、とは聞き捨てならんな。私は総括の指令で、情報を集めるべく活動しただけだ」

「人のを盗むなんて、なんて卑怯なんだっ」

 ジュピターが執務室前面の液晶パネルに映像を映し出した。

 岩槻はそれを見てさらに目を見開いた。

 映し出されたのは横たわっている浅利の遺体だった。さらに浅利の横顔がクローズアップされた。パネルが四分割され、浅利の正面と右側面、左側面が映し出される。浅利のその首筋に、赤黒く、くっきりと浮かび上がっている指型が映された。

「これは君が作った試作品とやらの立体図」

 試作品のワイヤーフレームがパネルに映し出された。

 そのフレームを浅利の首筋の指型に重ね合わせると……見事に一致した。

 和田が言った。

「この指型と遺体の首筋の方が一致しているとは思わんか」

「でっち上げだッ」

 岩槻は叫んだ。

「観念しろっ岩槻」

 和田は恫喝した。その言葉に岩槻はその場にへたり込んだ。

 岩槻が告白する。

「息が詰まるこんな研究室に幽閉されて、ナニができるってんだ。でも彼女は唯一、俺のオアシスだった。一目で気に入った。気さくで繊細で、常に俺のことを思ってくれていたと思っていた。一方的な思い入れだったかもしれないがデートを申し込んだ。六区でのデートなんてたかがしれてる。でも僕は彼女を誘い出すことが出来なかったし、せめて部屋番号が分かればテレビ電話でもと思ったが、彼女は部屋番号も何も教えてくれなかった……」

 岩槻はいつしか、涙を流した。

「それが何時しか憎しみに変わっていったというわけね」

 いきなり天井のスピーカーから二井見の声が轟いた。

「移動中のこちらでも、ジュピターのおかげで一連の動きはモニター出来ているわ。特に興味深い心理だわ」

 岩槻は天井に向かって吠えた。

「そうさ、先生は偉い。お見通しだよ。俺はこの試作品のバイオアームを使って……殺したよ。殺したんだ。殺したあと、焦っていた所に法源が通りかかった。渡りに幸い、俺は彼に罪をなすりつけようとした。こんなこと出来るのは彼しかいないから。俺はあとから来て、法源の所作を全て見ていた風に装った。二井見先生に鑑定してもらうように仕向けたのはこの僕だ。そこで二井見の首を絞めようとしたことを目撃したように装ったんだ……」

 徐ろに和田は言う。

「念の入れすぎだったな、岩槻」


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