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第二話 囚われし人  作者: SecondFiddle
第二話 囚われし人
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第一部 脱走

第一部 囚われし人

 碓氷航空基地第六区地下一二階。

 エレベータが開き、鍵を持った看守と武装した警護隊の三人が無言で下りてきた。長く続く廊下には三人の足音が響き、天井では鄙びたLED電球が侘しく灯っている。

 先の長い廊下を進んでいくと突き当たりに太い格子に囲われた部屋がある。そこはこの第六区で発生した事件の容疑者を収容する独房だった。

「法源浩一郎」

 一人の看守が名前を告げると薄暗い独房の隅から背の高い男が青白い顔を出した。

「虫干しの時間だ、妙な真似はするなよ」

 看守はそう言うと鍵を取り出しその独房を開けた。その前に警護隊の一人が殺傷力に長けている北部十四年式自動拳銃を取り出しその男に狙いをつけていた。

「妙な真似ッたって」

 青白い顔の細面の男が言う。

「後ろに手を回せ」

 もう一人の看守が言う。

 法源と呼ばれた男は素直に後ろでに手を組んだ。看守の一人が、どんな人間でも決して破壊することがかなわないかなり太い手錠をかけた。それはバイオヴォーグ特製の手錠だ。さらに看守達は法源と呼ばれた男に対し、やはり太い縄をかけた。

 がんじがらめに縛られた法源は独房を出て、三人の前に立った。

「行け」

 促すように看守達はエレベータにいくよう命じた。

 法源と看守の少し後を歩いて拳銃を握りしめている警護隊二人……皆無言だ。

 エレベーターを待つ間のつかの間の静寂。

 到着を表すエレベーターの音だけがやけに甲高い。

「乗れ」

 四人はエレベータに乗り込んだ。ゴトゴトと音を立てながら、エレベーターはゆっくりと上ってゆく。

 地下一二階から地上までの道のりは長い。

「俺が」

 不意に三人に背を向けていた法源が言葉を発した。三人はびくっとした。

「この中で暴れ出したら、どうする?」

 法源はゆっくりと振り向いた。一気に場の雰囲気が硬直した。

「抵抗すれば即座にお前を射殺する。命令が出ているのは承知してるだろう?」

 震えたような声だったが、警護隊の一人が北部十四年式自動拳銃を構え直した。

「だが、この狭い室内で発砲したらどうなる?」

 法源は謎をかけるように言う。

「俺は上半身にも人工筋肉で覆われているのは知ってんだろう? それくらいの弾なら跳ね返せるぜ。……よしんば俺を射殺出来たとしても」法源が言葉をつなげる。「強力な弾丸を発射出来る拳銃だ。無差別に発砲したら弾は何処に行く?」

 跳弾……と言う言葉が三人にひらめいた。

「そうなったら、引き金を引く勇気があるか?」

 青白い顔の法源はにやりと笑った。

「武器操作で西田教官から言われたことを思い出すぜ。その自動拳銃はジャムしやすいってな。さらに詰まった弾丸を排出するには手動で遊底をひかなければならない。少なくとも二動作が必要だ。いくらがんじがらめの俺だって排出する前に貴様らを天国に送ることができるぜ」

「だ、黙れ」

 二人が身構える。

「狙うんだったら頭をしっかり狙えよ」

 法源はうすら笑った。しかし彼の目は笑っていなかった。

「き、貴様、射殺されたいのか!」

 語気を強めたが、その声は幾ばくか震えている。

 唐突に、がくん……エレベータがとまった。


 四人は囚人専用の中庭にいた。太陽がさんさんと降り注いでる気持ちの良い午前十時。

「脅かしやがって」

 警護隊の一人が憤慨したように地面を蹴った。

「だからあいつのお守りはごめんだと言っているんだ。いくら制限を設けているとはいえ、あいつはバイオヴォーグだろう? 恐くはないか? ……あいつがまた暴れ出したら、と思うと……俺なんて護衛日になる度ひやっとするぜ」

「無駄口は叩くな。我々と同じくらいの出力しかでないと朝倉博士は言っている。それに二十四時間勤務の看守の苦労を思えば、緊張の連続だろう? その点俺たちは法源を中庭まで連れ出し日光浴をさせた後また独房に送り届ける。それを午前と午後の二回。わずか三時間……三時間我慢すれば今日の仕事は終わりだ。後は訓練場に入ろうが、自室で寝てようが、バーラウンジでカクテルを注文しようが思いのままだ」

 三人を背後にして、光を楽しむかのように上空を見上げていた法源が言う。

「看守さんよ」

 法源の言葉に警護隊二人は拳銃を構える。

「なんだ?」

「煙草、くれよ」

「なんだと」

 警護隊の一人が気色ばんだ。

「まあまあ……」

 看守は胸ポケットから箱を持ち上げ、中から煙草をとりだし、法源の口元にそれを咥えさせた。

「火をつけてくれ」

「気をつけろ。何をしでかすか分からん」

 看守は警戒しながら煙草に火をつける。

 両手を縛られている法源は、うまそうに煙を吐き出す。

「あんた達は俺は娑婆に出られないと思っているんだろう。でも、俺はいつかここをでていくぜ」

「何言ってやがる。おまえのやったことは重罪だ。本来なら死刑になってもおかしくない」

「重罪? 俺が職員の女を殺したと思っているのか?」

「それだけで十分だ。なのに、二井見先生を絞め殺そうとしたこともな」

「女職員の死体に出っくわしたのは俺がそこを通りかかっただけだ。あの女先生は俺に催眠誘導をかけ状況を探ろうとしたからだ。だが、絞め殺そうというのはデマだ。女先生を殺したりしない。現に生きているだろう? 俺は無罪だ」

 一人がいきり立った。

「おめえの他に誰がいるってんだよう。証言者もいるんだぞっ。近いうちに軍法会議がおこなわれる。お前は死刑だ。死刑だ死刑っ」

 警護兵は喚いた。しかし法源は冷静だった。

「俺を殺人者に仕立て上げたい奴がいる」

 謎めいた言葉を言い放つと、くわえていた煙草を吹き飛ばした。そして地面に落ちた煙草を勢いよくもみ消した。

 それを見た看守はぎょっとした。もみ消された煙草が強力な足跡とともに地中に潜ったのを。


  第二実験室ではスーパースーツを着込んだ神室がバーベルを上げている。朝倉は、ボディローガーから送られてくる夥しい測定値を出力しているディスプレイをのぞき込みながら西村に合図を送った。

 合図を送られた西村は神室に言った。

「七恵、降ろしても良いぞ」

 ドスン、と言う音とともに神室はバーベルを降ろした。朝倉はボデイローガーから送り出されたデータを解析し始めた。

 朝倉は西村と神室に向かって喋り始めた。

「やっぱり……総括の言うとおり、スーパースーツはたいしたものだ」

「どういうことですの?」

 身軽になった神室は近づいた。

「和田総括は、腕や脚だけバイオヴォーグ化しても強力な力は出せないと言っている。そのために陸上軍の開発している特殊戦闘服『スーパースーツ』をわざわざ神室のために用意した。……確かにそうだ。総括の言葉は正しい」

 朝倉の言っている意味がイマイチ呑み込めない神室だ。

「でもアタシ、一トンのバーベル持ち上げましたでしょう?」

 神室の疑問に朝倉は答えた。

「確かにそうなんだが、和田総括はスーパースーツを着込んだからには二トン以上は持ち上げられるようにとの命令だ」

 冗談というように神室は目を丸くし両手を広げた。

「アタシに自動車を持ち上げろ、と」

「我々はこの軍事施設で極秘計画に携わっているが、元々が民間人だ。発想としては、不幸にして手足を何らの原因で欠損してしまった人たちの補助器具的な考えだ。だが総括を始め軍関係者はバイオヴォーグ……B計画は軍事目的の一つの手段と考えている。だから国家予算としてB計画にも巨額な費用がつぎ込まれている。……まあ、兵器を作るように人間も兵器化することを考えている訳だな」

 西村は思い出すように言った。

「民間人と言えば僕もそうですよ。元々小さな町工場の従業員の一人で、極小モーターの開発を依頼されて……まあ、開発にこぎ着けたんですが、それが軍関係者の目にとまり半ば強制的にここに来させられて……自分が不思議なくらいですよ」

「富雄の気持ち分かるわ」

 西村の言葉を神室は継いだ。

「アタシだってしらとりが墜落しなければここにこうしていられるわけありませんもの」

「まあどちらにしろ軍事的な教育を受けて無い民間人だから、軍関係者と発想が違うのは致し方ないがね。しかしもうじき七恵は東京に行ってしまうのだな」

「そうね……」

 神室はしんみりとした。

「何とかならないんですかねえ。向こうで何かあったらどうするんでしょう」

 ふさぎ込んでいる神室を見て西村が言う。

「どうにもなんらんだろう。せいぜい抑制剤や痛み止め、睡眠薬その他たくさん持たせる以外に私たちのやることはない。聞いた話によると、一ヶ月勤務したあと一週間はこっちに戻ってきて各種データをとると言うようにきいているが」

 朝倉の言葉が終わらないうちに天井からジュピターの声が響いた。

「朝倉博士、和田総括がお呼びです。執務室にコールしてください」

「僕たちに喝を入れようと言うことですかね」

 ジュピターの声に西村は反射的に朝倉の顔をみた。

「どうだろうな」

 そう言いながら朝倉は実験室の柱近くに設置してある受話器を取り上げた。

「和田総括?」

「おう、朝倉先生か、近々第三号が運ばれてくるぞ。いや、それより法源のことだが、アイツの脚は復活しているぞ」

 和田の言葉に朝倉は驚いた。

「そんな馬鹿な。彼の出力には制限をかけている。何かの間違いじゃないのか」

「そう思って俺も看守と一緒にさっき中庭に出てみた。かなりの圧力で煙草は土に潜っていた。さらに奴は娑婆に出る、とも言っていたらしい。コイツは何を意味すると思うか」

 朝倉は否定した。

「これだけ厳重な第六区にありながら脱走することは出来ないだろう」

「何らかの方法で奴はその制限値を外す事が出来たとしたら、ここを抜け出すのも容易じゃないか、朝倉先生よ」

 和田の言葉に朝倉ははっとした。

「急いで法源の体を調べんとならん」


 地下一二階。

「法源浩一郎、こっちに来い」

 独房の前で看守は言った。午前中の守備兵が拳銃を構えている。

「夕飯にしては早いんじゃないか。それとも午後の日光浴かい?」

「これからお前の身体検査をする」

「そうかいそうかい、ようやく娑婆に出られるッてぇ寸法か」

「無駄口を叩くな、早くこっちに来い。後ろを向け。妙な真似をすると今度こそ拳銃が火を噴くぞ」

 看守は独房の鍵を開ける。守備兵の回転式拳銃が鈍く光っている。大人しく手錠をかけられる法源だった。

 支度が済むと法源は独房からゆっくりと出た。

 白衣姿の朝倉が出てきた。

 法源は目を細める。

「懐かしいぜ、先生」

「すまないが、君の体を調べる」

「ほう、俺の体を? さあて調べたら何が出てくるかな」

「後ろを向け」

 法源に看守が命令をした。

 朝倉は持っていた剣山のような注射針を取り出し、無言で後ろ向きになった法源の首筋に睡眠薬を注射した。

 あっという間に法源はその場に崩れ落ちた。

「よし運ぶぞ」

 拳銃をしまった守備兵二人が法源を抱え起こそうとした。しかし……。

「うお、重てえ」

「畜生、持ち上がらんじゃないか」

「四人でエレベーター前まで引きずろう」

 四人は汗だくになりながらエレベーター前まで引きずった。

「ジュピター」

 あまりの重さに根を朝倉がジュピターに懇願するように言った。

「はい、ドクター」

「すまんが神室に西側エレベーターを使って地下一二階まできてくれと伝えてくれ」

「了解」

「今応援を呼んだから、暫く待とうじゃないか」

「しかしなんて重いんだ」

 看守は汗を拭きながら言った。

「彼の体重はどれくらいですか」

 守備兵の一人が朝倉に尋ねる。

「そうだな優に二百キロはある」

「そんなに?」

 一同は吃驚した。

「諸君、彼は第一号と言うことは聞いていると思うが、こちらも手探り状態だったので軽量化の概念は一切なかった。兎に角動かすこと。それだけだった。さらに首から下は人工筋肉で覆っているのでさらに重量が増している。しかし彼にとってはその強力な手足を持っている。つまり、体重は苦にはならない。本来なら第一号として祝福を受けられる立場にあったんだが……ああ、きたようだね」

 ぽーん……と言う音とともにエレベーターが開いた。開いた先にはスーパースーツを纏った神室が立っている。

 朝倉以外の人間は、陸上選手さながらのいでたちの女性を呼んだとは思ってもいなかったので、再度吃驚した。

 朝倉はこともなげに言う。

「悪いな七恵。すまんが手を貸してくれ」

「先生のお頼みとあらば、軍事訓練最中でもはせ参じますわ。……でも、さっきジュピターから聞いたんですけど本当に独房階があるんですね」

 神室は興味津々といった風情できょろきょろと辺りを見回した。

「ああ、問題を起こした人間にはいってもらうところだ。それより七恵、この男を頼む」

 横たわっている法源を神室は見た。

 年の頃は三十代前半、がっちりとした体格と、髭の濃そうな男だ。

 ……この人が法源浩一郎という人? 

 神室は初めて会った第一号をまじまじと見つめた。

 暫くして神室は屈むと、左肩から眠っている法源を起こし、「ちょっと重いわね」と言いながらこともなげに立たせた。

「すげえ……」

 護衛班の一人が嘆息した。その言葉に神室は戸惑った。

「ああ……あ、あたしもバイオヴォーグなの。気にしないでね、皆さん。で、博士この人を何処へ運びましょうか」

「地下七階の第二医療センターだ」

 地下七階第二医療センターでは医療チームと西村が待ち構えている。

 第二医療センターに法源を運び込んだ神室はベッドに寝かしつけた。あまりの重さにベッドが軋んだ。

「さて先生、あとは何を?」

「ああ、後はこちらでやれるから軍事訓練の続きをやってくれ。ご苦労だったな七恵」

 直ぐさま朝倉は上半身を裸にした。鎧のような分厚い胸元が露出される。寝かされたままの法源に天井からおろしたペンシル型透視解析装置を使い、彼の内部を解析した。

「ジュピター、記録をとってくれ」

「了解」

 朝倉の声にジュピターは透視解析装置からの情報の他に音波、超音波、熱源装置など様々な機械を使っていろいろな角度から記録をとる。

 前面五十インチパネルにはワイヤーフレームの人体が3D画面として投影されている。 西村以下、医療チームが見つめている。

 朝倉は天井から五十センチ四方の簡易透視装置をおろし、法源の胸に当てる。

「ううむ……これは?」

 朝倉の唸り声に対しジュピターが言う。

「四箇所あるマクシマル回路が短絡しています」

 解析画像を見ながら別の一人も賛同するように言う。朝倉はジュピター達の指摘に対し疑問を呈する。

「短絡? ショートするわけはない。異常電流が流れない限りは」

 また別の医療チームの一人が言った。

「そういえば何時だったか、落雷騒ぎがありましたね」

 朝倉をはじめ医療チーム全員が思いだした。

「落雷か……。確かに落雷で一時停電があったな。六区全体が真っ暗になることは滅多にない。いや、遭ってはならない設計になっている。しかしあの時は特別だった。バイオヴォーグには内部回路の設計により避雷針のような役目を果たすことがある。あの時の落雷が? 彼はその時どこにいたんだ?」

「日光浴の時間です」

 ジュピターが答える。

「その時落雷があったか?」

「確認は取れていません」

「そうか……しかしマズいな。この状態では制限値を越える力が出てしまう。西村君、至急倉庫から予備のマクシマル制限回路をとってきてくれ。四個は必要だ。壊れているといかんから、予備としてもう二個、合計六個だ」

「分かりました」

 そう言いながら出ていこうとする西村に朝倉は言う。

「……いや、ものが小さいし数があるから、倉庫をかき回すことになる。であれば、悪いが諸君、手を貸してくれ。一緒に探した方が早い。……おおい、君。麻酔は未だ効いているはずだが、法源が目を覚ますといかん、私が許可するので、もう一回睡眠剤を打っておいてくれ」

 朝倉は近くにいた女性看護師に睡眠薬を投与するように言うと、全員足早に部屋から出て行った。

「分かりました」そう言う看護師は、手慣れた様子で薬品棚から睡眠薬を取り出し、注射器に入れると、法源に近づいた。

 彼は生きているのか死んでいるのか分からないほど、ぴくりとも動かない。

 法源の青白い顔を見て看護師は回想した。

 看護師と殺された女性技士とは仲がよかった。だから余計に法源が憎かった。いっそ、倍の睡眠薬で殺してしまおうか、と躊躇した看護師だった。しかし感情にまかせてはいけない。気を取り直し目をつぶっている法源の首元に注射針を近づけた。

 その瞬間……法源は突然目を開けた。

 吃驚する看護師。

 同時に看護師が手にしている注射器を右手で勢いよく撥ねのけた。砕け散る注射器。

「きゃ」

 法源はガバッと起き上がった。同時に顔を背けていた看護師ののど元めがけて手を伸ばした。そのまま看護師を壁に押しつけ、右手に力を込めた。

「ぐ……」

 看護師は声にならない声で失神した。

「殺しゃしねえよ。暫く眠ってろ」

 法源は不意に誰かにみられているような錯覚がした。

「誰だ……」

 振り返って天井を見ると一部始終を見ているジュピターの半円形小型カメラが埋め込まれていることに気がついた。

 顔を歪めた法源は、傍らにあったステンレスの角皿をカメラめがけて力一杯投げつけた。

 尋常ではないその力。カメラは音を立てて火花を散らした。

 その異常な力で眼を潰されたジュピターは建物全体に響き渡るように警告した。

「第二医療センターにて法源浩一郎破壊活動」

 冷徹なジュピターの声を余所に法源は第二医療センターから飛び出した。

 廊下には法源を捉えるジュピターのカメラが反応した。

「脱走。脱走。法源浩一郎、脱走した。通路北側直進」

 ジュピターの声が第六区全体に轟く。さらに緊急事態を知らせるサイレンがけたたましく鳴り響く。

「なんだって?」

 倉庫でリミッターを探していた朝倉一同は同時に叫んだ。

 けたたましい警報音ととも第六区域全体ににジュピターの声が谺した。

「脱走。脱走。法源浩一郎が脱走した。地下七階第三ブロック逃走中」

 くつろいでいた神室の部屋でも劈くようなサイレンが谺していた。

「脱走? ねえ、ジュピター、なんなの? 法源が脱走したって……何が始まったの」

 神室は不機嫌そうにジュピターに向かって言った。

「法源浩一郎が脱走しました」

「さっきあたしが医療センターに担ぎ込んだ人がやっぱり法源さん?」

 ジュピターとのやりとりの最中、室内モニターが鳴った。緊急連絡用のコールサインが部屋いっぱいに響く。神室がモニターのボタンを押すと恐い顔をした和田が出た。

「神室、至急保安司令室に来い。緊急事態だ」

 同時に突然ジュピターが言った。

「0指令発令0指令発令、第六区施設防衛隊総員、法源浩一郎の身柄確保に当たれ」

「なんなのよ、0指令って」

「スーパースーツを着て兎に角来い」

 神室の言葉を遮るように和田は言ったかと思うとモニター画面から消えた。

「何よいきなり」

 訳の分からないまま、重いスーツを着込んだ。保安司令室は二ブロック離れた場所にある。司令室ドアの前に武装した二人の隊員が待っていた。

「神室特殊隊員到着」

 保安司令室には多数の人間が集まり騒然としている。正面には巨大な液晶スクリーンが眩しく光っている。そこにはいくつもの白線が縦横に走っている。どうやら建物全体の透視図のようだ。

「七恵、こっちこっち」

 西村が手招きをしている。朝倉も一緒だった。

「法源が脱走したんだ」

「意味がよく分からないんですけど……あの人は眠っていたんじゃないの?」

 神室は朝倉を見つめた。

「私が持っていったのは携帯用簡易注射針だ。広範囲に当てられるが、効果は一時的なものだよ。本格的に眠らすのには少し足らない」



 五分前に遡る。

 第六区の騒動が勝呂基地司令の耳に入った。

「第六区域で異常事態が発生した模様です」

 基地司令補佐官の言葉が俄に信じられないようだ。

「異常事態とは?」

 四十代後半の若い基地司令は尋ねる。

「は、信じがたいことですが、囚人一名が脱走を図っている、と言う事です」

「脱走だって? そんな事あるわけは無い。第六施設の牢獄は地下一二階にある。特殊な人間しか収容しない。この場合脱走ではなく脱獄だろう」

「いや、第六施設では脱走と言っております」

「ふむ」

 椅子に腰をかけている勝呂基地司令は考えるように首筋に手を当てる。

「脱走した人物は特定しているのか?」

「は、報告によりますと……脱走犯は、いや、脱獄犯は」

 持っていたバインダーに目をやった。「法源浩一郎と言います」

 その名前を言い終わらないうちに基地司令は飛び上がった。

「如何されましたか、基地司令」

 その尋常ではない行動に驚いた基地司令補佐官は言った。

「君は知らんだろうが、いや、知らんでよい」

 勝呂は口をつぐんだ。補佐官は勝呂の次の言葉を待つべく直立不動でいた。

「第六区に指令を出す。第六区和田総括に繋いでくれ」

「は」

 補佐官は傍らの受話器を持ち上げた。

「こちら、基地総合司令室。第六区和田総括を呼べ。……ああ、和田総括か?いま基地司令と代わる」

 補佐官は勝呂に受話器を差し出した。

「和田総括か? 勝呂だ。ジュピターに0指令を命令せよ。……そうだ、0指令だ。分かったか? 復唱しろ。……そうだ、ジュピターに命令を出すように」

 それだけ言うと勝呂は受話器を置いた。

『0指令? ジュピター?』

 指令補佐官は頭の中で反芻したが、彼には分からないことだ。

「うむ、鈴木」

 鈴木と呼ばれた補佐官は「は」と答える。

「緊急事態だ。第一会議室に集合するように各部隊長を招集しろ」

 勝呂は壁掛け時計をちらりと見た。

「十分以内に集まれ、と」

「は」

 緊急事態、と言う言葉にただならぬ雰囲気を察した鈴木基地司令補佐官は敬礼をし、基地司令室を飛び出していった。

「法源浩一郎か……」

 勝呂は肘掛け椅子の肘を握りしめた。


 その頃、ジュピターは監視カメラ、暗視装置、熱源装置、紫外線、赤外線装置をフルに駆使して冷徹に法源を捉えていた。

「第二ブロック居住区西側逃走中。全居住区強制施錠完了。誰も外に出るな。一階娯楽施設にいる全員に告ぐ。至急、シェルターに待避せよ。0指令発動。0指令発動」

 サイレンが鳴り響く中、法源は全速力で走っていた。突き当たりを右に。法源は急に立ち止まる。その眼の先には防火扉が閉まっていた。

「防火扉の向こう側は……?」

 防火扉の向こう側では数人の護衛兵が短剣を構えていた。

「良いか、奴の攻撃に気をつけろ」

「来たぞ」

 ジュピターから発信された情報を元にモニターを見ていた警備隊の一人が叫ぶ。

 それは信じられない光景だった。

 隊員の叫びが終わらないうちに、鉄の扉が大反響とともに吹っ飛んだのだ。

 吹き飛んだ扉が、構えていた兵士達の顔面に当たった。衝撃で数人の兵士が吹っ飛ばされた。

「うわ」

 その横を猛烈な勢いで法源が走り去った。

「法源浩一郎、君は逃げられない。法源浩一郎、君は逃げられない」

 法源を補足しているジュピターが冷徹に言う。

「君の行動は全て把握している」

「黙れ、ポンコツッ!」

 法源は喚くと手すりを引き千切り、天井についている全方位カメラを破壊した。

「無駄だ。法源浩一郎、君は逃げられない。君の行動は全て把握している」

「お前のその感情のないしゃべり方が気にくわねえんだよッ」

 防衛隊戦闘員が法源の前に躍り出た。

「抵抗はよせ、貴様を拘束する」

「門前の虎後門の狼ッて訳かい。しゃらくせい」

 法源は体を丸めて戦闘員に突進した。戦闘員はまるでボーリングのピンのように弾けた。

 地下一階保安司令室ではジュピターの全方位カメラで捕らえている法源の姿を十数台ののディスプレイが映し出している。

「なんとかくい止めろ」

 和田が後ろで吠える。朝倉をはじめ医療チームが呆然と立ち尽くしている。そこにやってきた神室を見つけると和田が言った。

「これ以上犠牲者を出すわけにはいかん。法源をくい止めるにはお前しかいない。奴はすでに地下四階にいる」

 和田はモニターを指さした。赤い点が点滅している。どうやらそれが法源のようだった。

「神室、奴を捕まえろ」

「捕まえるとおっしゃっても」

 モニターで法源の動きを見ている神室は和田の言葉に戸惑った。傍らにいた警護員が無言で手錠を差し出した。

「そいつは如何にバイオヴォーグでも破壊することが出来ない特殊合金で作られている。いざの時のためにお前の後ろには戦闘員を配置する。それにこれを奴の体に取り付けろ」

 そう言いながら和田は小さい円形のものを差し出す。

「これは?」

「超小型発信器だ。もし奴を取り逃がすことになっても、コイツが奴の体にとりついてさえいれば、位置情報が判明する。但し気がつかれたら水の泡だがな」

 警護員から悲痛な叫びがスピーカーから聞こえた。

「これ以上は持ちこたえられません!」

 同時に建物のワイヤーフレームから法源の位置を示す赤い点が地下四階を示している。

 和田はマイクをひったくった。

「全員退却! ……ジュピター、法源を屋上庭園におびき出せ」

 そう言うと和田は振り返り神室を見つめる。

「毒には毒を、だ」


 その頃法源は、すでに地下三階居住区に進入していた。白く長い廊下は寒々として静まりかえっている。

「おかしいぞ。誰もいない。それに防火扉が開いている。それにジュピターが何も言わなくなった。コイツはワナか?」

 突き当たりに鉄製の白い扉があり、その扉の先には一階の娯楽施設等に一気に行く事が出来る非常階段がある。だが、そこは強制的に閉まっていることも考えられる。

 法源は暫く呻吟した。そして天井を見た。

 天井裏にはジュピターの監視の目が届かない事を知っている法源は、いきなり腰を落とし、ジャンプした。垂直に跳躍した法源は強靱な力で天井を突き破った。

「天井からダクトに潜入」

 それだけ言うとジュピターは沈黙した。

 総合司令室に陣取っている和田は命令した。

「奴はダクトを通って脱獄しようとしているか。残っている警護隊は地上に集合」

「は」

 残った警護員は敬礼をし、司令室から出ていった。

「あたしも手伝うわ」

 神室がそう言って出ていこうとした所を和田は止めた。

「待て、話がある。……ジュピター、ダクト内部に熱風を送れ。湿度も最大にしろ。ベントを閉じてアイツをいぶり出せ」

「了解」

 空調設備も司っているジュピターは言われるまま、第六区全体の暖房温度と湿度を徐々に上げた。当然三階居住区や一階娯楽施設にも熱風が届くが、ジュピターは全てのの吸排気口を閉じることを忘れなかった。

「話があるッて?」

 神室は振り見た。

「それは朝倉から説明してもらう」

 和田から振られた朝倉は困った顔をしたが、徐ろに話し始めた。

「捕まえると総括は言っているが、そう簡単には捕まらないのは容易に察しがつくと思う。彼は大柄に見えるが、実際は腹筋から背筋から人工筋肉で覆われている。七恵の腹筋と背筋はそのスーパースーツで補っているが、法源は全身人工筋肉の塊だ。いくら七恵が腹部を蹴り上げた所で彼はびくともしないだろう。つまり彼は鎧を着ているのとおなじなのだ」

「だからあんなに重いわけなの?」

 目を丸くしながら聞き入っていた神室に、和田が言う。

「そう言うわけだ。人工筋肉で覆われないのは、首から上だ。汗を出せるのが首から上だけだ。つまり、奴は熱に弱い。そこで熱風を送り込んだ。否が応でも奴は地上の吸排気口から出るだろう。吸排気口は屋上庭園の一箇所しか設けられていない。そこに陣取ってお前が捕まえる」

 和田が話しているそばから、西村が黒いフルフェイスヘルメットを神室に差し出した。

「これは通信用ヘッドギア」

 受け取った神室は、被る前に徐ろにヘルメットの内側を見つめた。内部には配線が見える。

「中味は僕が作ったんだ。間に合わせだけどね」西村は得意げに言う。

 無言で神室は被った。分厚いあごひもをつけると妙な閉塞感があるが、両耳からの外部の音は明瞭だ。

 被るとヘッド下からマイクが下りてきた。

「それに向かって話をすれば、即座に俺たちと話が出来る。メットの上に付いているのはカメラだ。頭部右横のスイッチを押してみろ」

 和田の言葉にヘルメット上方をまさぐりながら押すと、全面に設置してある液晶画面のスイッチが入り、映像が流れた。正面のモニターの一つが切り替わった。その情景は司令室内を映し出している。左右に首を振るとモニターも追随する。

 和田は命令した。

「行けっ! 神室」


 暗いダクトを進んでいる法源はダクト内部が熱くなってきたことに気がついた。

 汗とすすで法源の顔は真っ黒だ。おまけに着ている囚人服も熱と埃で黒くなっている。

「畜生」

 法源は毒づいた。

「俺を蒸し焼きにするつもりか」


 しばらくの時間が経過した。

 司令室で和田は一人指を組み自問自答していた。

 ……奴を捕らえると言ったが、そもそも捕らえることは出来るのか? どこにいる法源。屋上に行くのか、それとも天井を破って室内に侵入するか……。

「おい、ジュピター」

「はい総括」

「お前が法源だったらどういう行動に出るか?」

 瞬間ジュピターは沈黙したが直ぐに答を出した。

「ダクトに潜んでいても仕方ありません。建物内部に侵入する確率は零パーセント。ダクトから吸排気口を突き破り屋上庭園に出ます」

「そうだろうな」

 和田は決心して、マイクを握った。

「神室が捕獲に失敗したら射殺だ、準備を抜かるな」

 和田の声が第六区に響き渡る。

「射殺、ッてさっきの言葉と違うじゃない。可哀想よ」

 熱風が吹き出ている排気口数メートル前で、しゃがんで構えている神室はヘッドギア越しに言う。

「可哀想? 奴は怪物だ。つべこべ言うなっ」

 和田の怒鳴り声がヘルメット中に響き渡り、神室は顔を顰めた。

「神室、聞こえるか」

 和田とは別の声がヘルメットに響いた。それは日頃格闘術を教えてもらっている西田教官の声だった。神室は嬉しそうに答える。

「はい、教官聞こえますわ」

「私は守備兵の隊長として今、君のそばにいる。良いかこれは訓練じゃないぞ、実践だ。私も彼を殺すには忍びない。今まで教えたとおりの格闘術をもってすれば捕まえられる。相手は怪物といえども、君には出来る。できるんだ」

 西田の励ましの声に神室は心を強く持った。


 深夜午前一時半。

 天空には張り付いたような満月が煌々と照っている。

 警護隊は階下に行く階段を封鎖しいてる。封鎖した扉の前ではアサルトライフルを構えた守備兵が三人、息を殺していつでも発砲出来るように構えている。排気口を照らすように投光器数台が上下左右に設置されている。

 そして熱風を吹き出している排気口前に待機している神室の後ろには、さらに三人の守備兵が狙撃銃を構えている。

 屋上にはジュピターの監視カメラその他で見張っている。

 ある意味、法源は絶体絶命だった。


「午前一時半を回ったか……奴は我慢強いな。かなり参っているはずだが」

 ディスプレイの時計を見ながら和田は司令室で独り言を言う。いつの間にか司令室には人影がまばらになっていた。朝倉や西村は、司令室隣のシェルターに身を潜めている。

「総括、だいぶお疲れの様子です。副総括に替わってお休みになっては」

 ジュピターの提言に和田は首を振る。

「この事態の責任は俺だ。俺の手でやる意外に無い」

 吸排気口前で待機している神室も眠くなっていた。しかし寝るわけにはいかない。守備兵は交替出来ても神室の代わりはいないのだ。神室も和田もそれを承知している。

 夜が明けたら神室をいったん休憩させよう……和田がそう思いはじめたその時、神室のカメラが捕らえている排気口の金網が、突然吹き飛んだ。

 次の瞬間、黒い塊が猛然と飛び出てきた。

 吃驚した神室。狙撃兵は慌てて構え直す。さらに数台手すり後ろに設置してあった投光器が一斉に作動した。

 ここで六百平米を越す屋上庭園での戦いが始まった。

「待ちなさいッ」

 女の声とともに投光器が眩しく法源を照らす。強烈な光で法源は両腕で顔を覆った。

「法源さん、貴男を逮捕します」

 逆光の中からスーパースーツを着込んだ神室がゆっくりと歩を進めた。

「なんだ女か」

「女だからと言って、馬鹿にしないで頂戴。あなたと同じバイオヴォーグよ」

 神室の言葉に法源は驚いた。

「バイオヴォーグだと? あの手術室で見た女がアンタか……」

「女で悪かったわね。あなたを捕まえに来たのよ。見た目は女性でも」

 そう言うと神室は法源に飛びかからんとするように身構えた。

「あなたを捕まえる使命がある」

「やなこった」

 そう言うなり、いきなり法源が目にもとまらぬ勢いでジャンプした。

 神室の後ろで待機している守備兵は目標を失った。

「待ちなさいっ」

 神室はそう言うと後を追った。

 狼のように法源の目が血走っている。

「さあ、来て」

 神室はそう言いながら法源ににじり寄った。徐々に間合いが詰まっていく。

「神室、用心しろ」

 西田の声がメットを通して響く。

 騒動を聞きつけて朝倉と西村がシェルターから出てきた。

 法源を見つめたままの神室は、手探りで腰道具から頑丈な手錠を取り出した。

 法源は身構えることなく呆けたように突っ立ったままだ。

 そして……神室の手が法源に届くと思った瞬間!  法源の右足が神室の胸を蹴った。

「ぐ」

 神室はその強靱な力によって数メートル吹き飛んだ。さらに衝撃で戦闘服が裂け、二度三度天井にたたきつけられ、俯せになった。守備兵がライフルを構える。しかし法源の動きは尋常ではない。

「俺を捕まえるなんてできっこないさ。俺は無敵だ」

 法源はそう言いながら素早く倒れている神室に近づいた。

 いきなり神室の左足が目にもとまらぬ早さで法源の腹部を蹴り上げた。

 法源はうなり声を上げる。

 彼もまた数メートルはじき飛ばされた。衝撃で囚人服が裂けた。

「あなたを逮捕します」

 手錠をかけようとする神室。法源の右腕が神室を襲った。

「抵抗しないでっ」

 すんでの所で交わした神室が叫ぶ。身をよじる法源。次の瞬間、法源の右足が神室の足下をすくった。

 派手にもんどり打つ神室。

 同時に法源の強烈な左足が神室の腹に命中した。スーパースーツが粉砕するのではないかと思われるほどだ。苦しさに体を折り曲げる神室。

 あまりにも素早く動く二人に、守備兵の銃口は狙いを定めることが出来ず、彷徨くしかなかった。

「総括、撃てませんっ」

 法源の右腕が神室の頭を狙う。苦しみながらも本能的に身を翻し、攻撃をよける。

 身を翻しながらも神室の右足は法源のあごを狙った。

 すんでの所で法源は見切る。

 空を蹴る神室。

 法源は神室の右足をつかんだ。

 その勢いで法源は空調設備めがけて神室を投げ捨てた。

 神室が宙に舞い、設置してあった空調室外機が派手な音をたてた。

 その衝撃で戦闘服は木っ端微塵になり、神室はスーパースーツだけの姿だけになっていた。

「死ねこの野郎」

 法源は飛び降り、倒れている神室の右腕をとった。

 反射的に起き上がった神室は力いっぱいふりほどいた。

 同時に左拳が法源の腹部に当たった。そして回し蹴りを見舞う。

 派手に転がる法源。屋上庭園の木柱に当ったと思うと、めりめりっと木の柱が折れ曲がり、憩いの場が無残な姿になった。

 法源の囚人服が木っ端微塵に裂けると、上半身裸になった。

 神室は、はっとした。

 その人工筋肉で覆われた異様な肉体が、満月の光に浮かび上がったからだ。

「そうだ、発信器」

 神室は襲いかかり、小競り合いのあと、法源を後ろから掴んだ。そして小型発信器を法源の体に押しつけた。

 振り解こうとする法源の裏拳が神室の顔面を襲う。

「あ」

 叫びと同時にひるんだ神室に法源が両手で再度右腕をとらえる。法源は振り回した。

 それはリミッターが外れた異常な力。

「こんなものっ」

 次の瞬間、神室の右腕から火花がとぶ。

「……!」

 何が起きたのか神室は想像できなかった。しかし激痛が神室の右肩を襲う。

「どうだっ」

 次の瞬間、神室の右腕付け根辺りから炸裂音がした。法源は神室の右腕を引きちぎったのだ。そして仰向けに倒すとのし掛かった。

 法源の右手が無抵抗の神室の首を掴んだ。

 神室は目を見開いた。

 神室は反射的に残った左手で法源の腕を引き離そうと掴む。藻掻く。

「無駄だぜ」

 法源はいたぶるように徐々に握力を加える。

 見る間に気道を潰され息が出来ない神室。

 顔が赤黒く変色する。

 空気を求め、本能的に舌が出る。

「死」という言葉が神室の頭を過ぎる……。

 死にたくない、こんな姿で……!

「止めろ、法源」

 突然、怒鳴り声がした。

 法源は右手を緩めると、ゆっくりと振り返った。そして呟くように言う。

「西田教官?」

 光の中から精悍な顔つきの男が出てきた。

「そうだ西田だ。君を特殊戦闘員として養成した西田だよ。そして神室を育て上げている西田だ。君はなんてことをしてくれたんだ。私は悲しい」

 その後ろでは態勢を整えた狙撃兵数名が片膝をつき、法源に狙いを定めている。

 確かに法源にとってはよき教官だった。しかし今は立場が違う。

「君は包囲されている。無駄な抵抗はよせ。妙な真似をすると射殺する。さあ、女を離し、両手を上に上げろ。ゆっくりと立ち上がれ」

 西田が声を張り上げた。

「教官には恩を感じるが、今はそう言うわけにはいかない……俺にはやることがある」

 彼は右手を離し、女を解放した。

 解放された神室は両肩を上下させ、ゲホゲホと咳き込み、転げ回った。涎が、鼻汁が、涙が、止めどなく溢れる。

 冷ややかに見つめていた法源だったが、両手を挙げると敵対する相手に命ぜられるまま、ゆっくりと振り向いた。

「そのまま、こっちへ来い」

 もちろん捕まえられる法源ではない。

 徐に、西田隊長は超合金で作られた重量物の手錠をサイドバックから取り出した。神室が持っていたのと同じ法源を拘束できる唯一の武器だ。西田は両手でそれを持つ。

 モニターを見ている和田が叫ぶ。

「西田、アイツはもう捕らえることは出来ん。射殺しろ。射殺命令は有効だ。命令違反だっ」

 和田の声は西田のマイクにも届いている。しかし隊長は無言だった。西田の愛弟子が今、捕らえられようとしている。

 隊長はにじり寄った。

 いくら強力な手錠とは言え、今までので騒動を考えると法源がそう易々と捕らえられる訳はない。

 息詰まる攻防。

 狙撃兵達は確実に法源の頭部を狙う。

「撃て、撃つんだ」

 和田が叫ぶ。

「七恵を」

「待て」

 ジュピターが映し出すモニターを見て、屋上にこうとする西村の肩を朝倉が止めた。「この捕り物が終わってからでも遅くない。それに今いっては危険だ」

 突然、モニター内部の法源がしゃがんだ。

「危ないッ!」

 朝倉の切迫した声と同時に一瞬のうちに法源が消えた。

 いや、消えたように見えた。彼は強大な脚力を持って狭い室内の戦いと違い集団の遙か上を跳躍をしたのだ。

 咄嗟の出来事に目標を失った狙撃兵はスコープから目を離した。

「逃げた」「何処だ?」「あいつは向こうにいるぞ」

 集団がパニックになり、誰かの叫び声にもにた声が谺したときには、屋上から飛び降りた法源は高い塀を乗り越え、姿をくらましていた。

 法源がいなくなったことを本能的に悟った西村は屋上めがけて走った。そして神室に駆け寄り抱きかかえた。

「七恵、大丈夫か、しっかりしろ」

 呼吸の荒い西村の声を何処か遠くで聞こえた神室だった。無意識に神室は答えようとしたが、声は掠れ、思うように出なかった。

 西村の後を追うようにやってきた朝倉は、神室を抱きかかえている西村の肩越しに神室の状態を見た。

「こりゃ酷い……見てみなさい。人工筋肉との接合部が完全に破壊されている。血が流れている。……早い所止血処置が必要だ」

 朝倉は持ってきていた鞄を開け、処置を始めた。

 二井見も駆け寄ってきた。

「どうなんです七恵は」

 心配するかのような西村の声。

「早い所、手術室に運び込もう。輸血が必要かもしれない」

「私も手伝います」

 三人は、混乱する現場をあとに、引きずるようにして神室を病室に運び込んだ。



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