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恋愛もの

おのろけにーと

作者: 腹黒ツバメ

 週末の駅前は、まさに人の海だった。

 まだ昼前という時間帯もあって、喧騒の多くは若者によるものだ。

 そんな中で首に一眼レフをぶら下げた僕は、そこらの下品なカメラ小僧とはわけが違う。なにを隠そう、某雑誌社に勤めるジャーナリストである。……新米の。

 現在は、誰かと待ち合わせをしているらしき女性に声をかけて、絶賛取材中だ。丁度、名刺を渡してからその女性の名前を聞いたところ。

 佐無柄(さながら) 美貴理(みきり)さん、か。珍しい名前だ。

 僕は日頃の仕事ですっかり鍛えられた愛想笑いで、定型文の質問を投げかける。

「ご職業はなにをされてるんですか?」

 見た目の年齢からして大学生か、新人OLって感じだろうか……と推測していると、


「え! その……に、ニートです」


「……すみません」

「……い、いえこちらこそ」

 おい。

 どうしてくれるんだ、この空気。



〈おのろけにーと〉



 今すぐに頭を抱えて蹲りたい気分だった。

 彼女が今日最初の相手だったのだが、ずいぶんと幸先の悪いスタートを切ってしまった。

 微妙な沈黙の中でつい眉間を揉みながら、けれど僕はげんなりする反面、ちょっと期待を募らせていた。これは、もしかするといい記事を書けるかもしれないと。

 とある(眉唾モノな)週刊誌の長寿コーナー『街角“変な人”』。僕は先日、上司からその記事の作成を任された。

 このコーナーは、読んで字のごとく街角で見つけた変な人を取材して、その人物について(無許可で)面白おかしく紹介する――というものだ。参考までに例を挙げると、冬場にタンクトップ一枚でサッカーをする中年男性や、ビートルズを口笛で熱唱するお婆さんなどがいた。

 晒し者にするようで悪趣味だとも思うし、実際かなりグレーゾーンな企画だ。しかし、長く続くというのはそれだけ読者に需要があるということだ。

 ともかく、僕は急遽としてこの記事を担当することになった。なんでも前任の記者が過労でぶっ倒れたらしい。

 不穏な予感しかしなかったが、ジャーナリストとして有名になる好機でもあったため、僕は即決で引き受けた。まあ上司や偉い人に囲まれて、どちらにせよ断れる状況ではなかったが。

 そして街に繰り出すこと十数分、駅前で忙しなく左右を見回す佐無柄さんを見つけ、取材に踏み切ったというわけだ。

「……だ、大丈夫ですよ。世の中仕事がすべてじゃないですし」

「はぁ……どうも」

 ――しかし、どことなく挙動不審だとは思ったが、まさかニートとは……

 とんだハズレくじを引いたと思ったが、そこで閃いた。外出するニート……これも“変な人”に該当するんじゃないか。うん、悪くない。彼女次第――そして僕次第で立派な変人紹介記事にすることができるはずだ。

 あらためて彼女をこっそり観察すると、まあ納得の出で立ち。

 長く伸ばされた前髪で隠れた瞳は、寝ぼけ眼みたいに細い。やや面長な輪郭や目鼻立ちは整っている方だが、表情からかなり暗い印象を与える。

 服装は……なんだろう。部屋着を組み合わせて精一杯お洒落にしました――って感じだ。端的に言うとダサい。

「その……なにか?」

「あぁいやいや! なんでもないですよ」

 じろじろと眺める視線に気づいたか、佐無柄さんが困惑気味に尋ねてきたので慌てて誤魔化す。

「さ、さて気を取り直して」

 そして咳払いひとつ、わざとらしく取材を再開する。

「では、普段はどんな生活をしているか、お聞きしてもいいですか?」

 尋ねながら、僕は脳内で記事の簡単な構成を組み立てた。まずは一般的なニートの生態を書き連ねていき、次に彼女が外出している理由を掘り下げていく。無職の女が変な格好で人前に姿を現したのだ、きっと特殊な事情があるに違いない。

「普段ですか? えっと、その、あの……」

 佐無柄さんは他人と話すことに慣れていないようで、口内でごにょごにょと言葉を転がしていた。ニートなのも頷ける、見事などもりっぷりだ。

 とはいえ、こちらも不躾な質問だったか。まずは媚び売って警戒心を解いてもらおう。

「失礼しました。実は僕、人の幸せとか喜ぶことについて取材調査してるんですよ。それで佐無柄さんにも、毎日の中で素敵な出来事など、色々とお聞きしたいなと思いまして。いかがですか?」

 根も葉もない舌先三寸の大嘘をべらべらと捲くし立てる。この手の話術はジャーナリストにかかればお手のものだ。

「じゃあ、それくらいなら……」

 ほうら、食いついた。

 愚者は教えたがり……って言葉は誰のものだったか。少し意味合いは異なるだろうが、とにかくちょろいもんだ。

 そうだ、ニートにとっての“素敵な出来事”が普通なはずはない。きっと駄目人間ならではの回答が期待できる――それを僕がまとめて抱腹絶倒の笑い話に編集してやるのだ。

「えっとですね――」

 そして彼女が語り出した内容は、ネットゲームの話題だった。話によると彼女は実家暮らしで、四六時中PCと睨めっこしてゲームに勤しんでいるらしい。それが彼女にとっての幸せらしい。なんと羨まし……じゃないよ、とんだ親不孝だ。

 僕は懐からペンを取り出して、佐無柄さんの話の要点をメモしていく。今日のために新調した手帳が、ニートの与太話で埋まっていく。

 それにしても、先刻までの彼女からは想像もつかないほど饒舌だ。やや早口で、自分の話に興奮しているのか鼻息が荒い。……こういう人、たまにいるよね。

「それでこのゲームは――、次の面を攻略していくと――」

「ふ、ふむふむ……?」

 ……あれ、おかしいな。ちっとも面白い記事になる気がしない。

 佐無柄さんの話が根本からつまらないのか、僕の聞き手としての能力が欠けているのか……前者だと思いたいが、取材的にはどっちでも問題だ。

 彼女はもうかれこれ五分ほど同じゲームの話を続けていた。それにただ相槌を打つだけのこの時間は、僕の人生の中で最も無駄な五分間だと確信できた。

 そして、僕はとある決意を固めた。

「そろそろ結構です! いやぁ参考になりました! 佐無柄さんって話し上手なんですね!」


 ――彼女の日常生活については、でっちあげよう。


 どうせニートっぽい間抜けな行動を羅列していけば、ほとんど合っているだろう。真実より面白さ優先だ。

 それに、本番はここから。

「ところで普段からゲームばかりの佐無柄さんが、今日はどうして外出を?」

 さりげない皮肉を込めた質問だったが、彼女はそれに微塵も気づくことなく、

「あっ、それはですね……」

 なぜか頬を朱色に染め、僕から視線を逸らした。

 ――え? なに、その反応?

 予想外の仕草に困惑する僕をよそに、佐無柄さんは気色悪く身体をくねらせながら、ぽつりと呟く。


「実は――デートなんです」


 刹那、世界中の時間が止まったような錯覚に襲われた。当然、止まってはいなかった。停止していたのは僕の頭だった。

 脳みそが彼女の言葉を受け入れることを拒絶する。この、恋愛などにまったく縁のなさそうな彼女が“デート”? 信じられない。僕だってまだ……いや、なんでもない。

 確かに決して顔立ちが不細工というわけではない。化粧っ気なしでそう感じるんだから、顔の造作はいいんだろう。

 だが、納得はできない。正直に言うとちょっと悔しい。

 きっと聞き間違いだろう。彼女は滑舌もよくないのだ。

「へー、デッドなんですか。それはご愁傷さまです」

「もぉなに言ってるんですか。デートですよ、愛し合う男女が一緒にお外を歩いて楽しむアレですよ」

 渾身のブラックジョークを聞き流してデートの説明をする佐無柄さん。無意識なのか、だらしないニヤケ面をしている。僕は舌打ちしそうになる。

 言い知れぬ敗北感に苛まれながら、しかし僕は挫けなかった。

 いいんだ、僕は仕事が恋人なんだ。仕事が楽しくて仕方ないんだ、仕事の障害となる恋人なんて欲しくないんだ。

 必死の自己暗示の甲斐あって、平静を取り戻す。事態を落ち着いて分析ができるようになる。

 ――考えてもみろ、この自堕落娘の想い人が真人間であるはずがない。きっと変人に違いないのだ。上手く話を聞き出して、そいつも記事のネタにしてやる。

「詳しく……聞かせてもらっていいですか?」

 まさか他人の惚気話を催促する羽目になろうとは。ペンを握った拳が屈辱に震える。

「えぇ? いやそんな、恥ずかしいですよぉ」

 口では拒みながら、彼女は表情も唇も緩みきっていた。心根では話したくてうずうずしているんだろう。聞き出すのは容易そうだ。

「ぜひ教えてください、佐無柄さんの素敵な恋のお話」

「そ……そこまで言われちゃ仕方ないなぁー。特別ですよ!」

 すっかり間抜け面で了承してくれる。さっきから振り回されてばかりだが、意外とこの娘、扱いやすそうだな。

 などと考えていると、既に佐無柄さんは話し始めていた。

「本当はですね、今日のデートまだ一時間後なんですよ。あたしったら楽しみ過ぎてもう待ち合わせ場所に着いちゃって――」

 どうでもいいわ! おまえの話はいいんだよちくしょう!

 軋んだ奥歯の隙間から悪霊が漏れ出てきそうだ。彼女は僕の神経を逆撫でする天才に違いない。

「どんな人なんです? そのお相手は」

 もう我慢の限界だった僕は、佐無柄さんの言葉を遮って、なんとか軌道修正を試みた。これ以上続けられると、立ち直れなくなってしまう。

 僕の問いを聞いて、佐無柄さんはしばし考え込むように右拳を顎に当てた。視線が宙を仰ぐ。

 そして、


「――立派な人、ですかね」


 不意に発された言葉は、僕の予想とは大きく異なるものだった。

「立派……?」

「はい」

 私怨も忘れてつい鸚鵡返しをする僕に、淡く微笑んだ彼女が頷く。

「その人は、今よりずっとダメダメだったあたしを、ここまで成長させてくれたんです。あ、傍から見たらまだ全然なんですけど」

 自嘲的にも聞こえるその台詞を、否定する言葉は出てこない。確かに僕は“周囲から浮いた変な人”に取材をしたのだから。

「昔のあたしは本当に酷かったんですよ。こうして外出して知らない人とお話するなんて絶対に無理で、親の脛をかじってただ無気力に過ごしてるだけでした……。そんなあたしを、彼が変えてくれたんです。人と会話する特訓をしてくれたり、ゆっくり進歩すればいいんだって抱き締めてくれたり……」

 いつの間にか、僕は初めて彼女の話に聞き入っていた。

 失礼だが、僕だったら当時の佐無柄さんを変えるなんて不可能だったろう。それどころか、すぐに見捨てていたかも。

「その人は――」

 自然と僕の口を衝いて出たのは、純粋な疑問。

「――最初から、佐無柄さんのことが好きだったんですか?」

 訊きながら、当然だろうなと思っていた。好意を寄せる相手でもなければ、そこまで世話を焼くなんて有り得ない。

 けれど、僕は尋ねていた。記事とか取材とかどうでもよくて、ただ自分の好奇心から。

 彼女は曖昧な笑みを浮かべ、

「……わからないです。でも、告白したのはあたしから」

 きらきらと輝く瞳はまっすぐ前を見ていたが、そこに僕の姿はきっと映っていない。彼女の視線の先には、想いを寄せるその人物の優しい笑顔があるんだろう。

「いつか恩返しがしたいと思っていて……でもあたしはまだ未熟だから、ずっと一緒にいようって決めたんです。彼が困ったときがきたら、その隣でどうにか手助けしようって。――まだ頼ってばかりだけど、いつかは彼の役に立ちたいから」

「――僕は、佐無柄さんも立派だと思いますよ」

「……え?」

「いや、なんでもないです」

 密かな僕の呟きは、佐無柄さんの鼓膜に届かなかったみたいだ。うん、それでいい。

 不思議そうにしている彼女へ、僕はぺこりと頭を下げた。

「では、ご協力ありがとうございました」

 もう充分だ。最後にまた軽く会釈して、踵を返す。ふと振り向き、

「デート、楽しんできてください」

 本心からそう言って、僕は足早にその場を去った。

 すると、ちょっぴり格好つけた僕の背中に、さっきまでの彼女とは思えない大きな声が飛んできた。

「おじさん、取材頑張ってくださいねー!」




 駅前から僅かに離れたコンビニの外壁に背中を預け、僕はふぅと息を吐いた。

 尻ポケットから取り出した手帳を適当にぱらぱらと捲り、走り書きされたページをしばらく眺める。

 そして――

「……よし」


 ――その部分を、びりびりに破り取った。


 細かく引き千切って、ゴミ箱に放り捨てる。意味も意義もなくした紙片に、胸中で別れを告げる。

 これでいいんだ。

 僕はもう、佐無柄さんの記事を書かない。阿呆みたいな脚色を加えた文章で、彼女を笑い者になんてしない。

 僕たちが「変な奴だ」と指差して嘲っていた人間たちにも、各々の苦難が、葛藤が……そして大切な誰かがいるのだと、彼女が教えてくれたから。

 それを知ってなお彼女のような存在を小馬鹿にする厚顔さなんて、僕は持ち合わせていない。

 清々しい気分でコンビニを離れる。

 ――そうだ。今日はもう職場には戻らず、適当に寄り道して家に帰ろう。上司からの連絡が怖いから、スマホの電源も切ろう。明日になったら、堂々と白紙の原稿を突きつけてやるんだ。「この仕事、降ります」と言って。

 じゃあ早速、どこへいこうか。最近はひとりカラオケが流行っているらしいが、ボーリングはどうなんだろう。それか、電車で海にいくのもいいかもしれない。

 これからの予定を考えるのが、すこぶる楽しかった。

 もしも会社をクビになったら、いっそニートになるのも悪くない――なんて、子供じみた妄想をしてしまうくらい。

 まあ、この記者を辞任したら、上司その他諸々に平謝りさせられて、その後は社内で窓際族みたいな扱いをされちゃうんだろうが……

 それでも、今は笑顔でいられた。

 楽しそうに好きな人のことを話す、あのニート娘のように。







 読んでいただきありがとうございます!


 作中に登場する佐無柄 美貴理さんは、昔書いていた拙作〈はたらけ!〉にも主役として出ています。

 よろしければ、そちらもお願いいたします。

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