婚約者に「リリアを見習え!」とほかの女の名前を出されたので、素直に見習うことにしました
婚約者に「リリアを見習え!」と他の女の名前を出されたので、素直に見習うことにしました
よろしくお願いします。
※8/31の日間191位にランクインしたそうです。読んでくださった皆さまありがとうございます。まだまだ拙い文章しか書けませんががんばります。
カリア王国サマセット伯爵家令嬢、マリアベルは今心を無にしようと努めていた。
心を無にして、とにかく観察対象を注視するのだ。
そしてできる限りの学びを得なければならない。
殿方から選ばれる要素を持つ女になるために。
場所は国立貴族学院の中庭のガゼボ。
マリアベルを含め複数の貴族の男女が午後の紅茶を楽しんでいる。
婚約者のヒューバート公爵令息もこの場に参加しているが、彼が楽しんでいるのは紅茶ではなく「ある男爵令嬢との交流」である。
いや…ここにいる人間のほとんどは自分も含めて、もしかしたら誰も紅茶なんて楽しんでいないのかもしれない。
何せこの場の男性のほとんどが「ある男爵令嬢との交流」が目的でこの場におり、その令嬢以外の女性はマリアベルしかいないのだから。
「このスコーン、リリアが手作りしたって聞いたよ。普通の貴族令嬢は手料理なんて作ってくれないのにリリアは本当に優しいね」
ヒューバートがそう言って「ある男爵令嬢」、リリア様を褒めると、他の殿方たちも次々と彼女を褒めだした。
「ヒューバートの言う通りだよな!この前もピクニックに行ったときはサンドイッチ作ってくれたけど、あれも美味しかった。リリアは料理上手だよな!」
「それに努力家でもある…。半年前まで平民だったと聞いたのに、貴族のマナーも段々身に付けているしな…」
「その春色のドレスもよく似合ってるよ♪ほかのご令嬢ならあざとい色選びだなって思っちゃうけど、リリアはちゃーんと着こなしちゃう!やっぱりリリア自身が可愛いからかな?」
上から侯爵令息さま、騎士団長のご嫡男、宰相閣下のご嫡男のリリアへの賛辞である。
ヒューバートを含め錚々たる男性陣からの賛辞を受けて、リリアはやわらかな春を思わせるおっとりとした様子で、控えめにはにかみながら答えた。
「えっと…スコーン上手に出来ててよかったです。ドレスもちょっと派手かなって心配だったしよかったぁ…!マナーはまだまだ完璧じゃないので、みなさん色々教えてくださいね!私、がんばります!」
マリアベルはジッとリリアを見つめ、観察し、思考する。
あのはにかみ方が重要なのだろうか?それとも春っぽい雰囲気が重要?でもあれはリリアの優しそうなかわいらしい容姿があるから効果的なのであって、自分の平々凡々な容姿では再現できないのでは…。それに貴族のマナーは既に自分は習得済だし、やれるとしたら料理か?なら今度の週末にうちの料理長に時間を作ってもらって…。
「で、マリアベル嬢は何か学びは得られそう?リリアを見て学びたいって理由で私たちの茶会にきたんだろう?何かヒントはあった?」
思考するマリアベルに優しく声をかけてきたのは、一人リリアの賛辞に参加せずこちらを見つめるアベル第二王子殿下であった。
本来学院という場でなければ、こんなお傍でお話をすることも難しい方。
この場にいらっしゃるということはほかの殿方と同じくリリアに興味があるはずなのに、マリアベルを気にして話しかけて下さっているに違いない。
なんて立派な方なんだろうと尊敬の念を抱くと同時に、マリアベルは心の中で殿下に最大限の謝罪をした。
殿下自身のリリアとの会話の機会を奪っているのに、自分本位な質問を殿下にすることをお許しください。
「申し訳ございません殿下。容姿が関係しない事柄以外では、料理ができるか否かという事しか今のところわかりませんでした。殿下はどう思われますか?殿方から見て私は何が足りないのでしょう?生まれ持ったもの以外ならば、なるべく改善していきたいのです」
マリアベルの真剣な質問に、最初は目を見張ったアベル殿下であったが、すぐにやわらかな笑みで彼女に優しく答えた。
「私は今の君のままで十分魅力的だとおもうよ。容姿の好みは人それぞれだし、貴族は別に料理が出来なくても問題ないからね。それに君はヒューバートの婚約者として公爵家の嫁になるレベルの教育を受けているだろう?それ以上となると私のような王族としての教育になってしまうよ。君は十分に努力家の素晴らしい女性だよ」
お世辞とわかってはいるが、アベル殿下の優しい言葉にマリアベルは涙がにじみそうになった。
しかしすぐにヒューバートから冷たい言葉か飛んできた。
「甘やかさなくて大丈夫ですよアベル殿下。マリアベルの努力は俺の婚約者として当然のものしかないんですから。リリアのような優しさや、安らぎを与えようという気は一切ないんです。今だって卒業まで自由にさせろと言っているのに意味の分からない事を言って俺たちの茶会に乗り込んできて…」
「ヒューバート。婚約者に対してその言葉はいかがなものかと思うよ。マリアベルの努力を当然と思ってはいけない」
ヒューバートの言葉に被せるように、アベル殿下が彼の発言を非難した。
一瞬にして場が凍りつく。
沈黙が長くなりみなが気まずくなりそうなタイミングで、ぽんとかるく手を叩いてリリアが明るい声をあげた。
「そうだ!今日はスコーン以外にもクッキーも焼いて来たんです!みんなで食べましょう?アベル殿下とマリアベル様も味の感想を聞かせてください」
リリアが殿方に好かれるのは、こういった気遣いもあるのかもしれないと、マリアベルは心のメモにそっと書き留めた。
そもそもなぜリリアから学びを得ようと思ったのかと言えば、ヒューバートがマリアベルという婚約者がありながらリリアに恋したことが事の発端であった。
ヒューバートとは幼い頃の婚約だったため恋愛からの始まりではなかったが、将来のパートナーと自負していたマリアベルにとってこの出来事は衝撃であったし、乙女心もちゃんと傷ついた。
正直一年くらいはヒューバートと話したくないくらいは傷ついていたのだが、そうも言っていられないのが貴族である。
貴族の結婚とはもはや義務。
好き嫌いでするものでもないし、妻と恋人は別という場合も珍しくはない。
もちろん推奨されているとかそういうのではないが。
それに婚約者のいる令嬢たちから、ヒューバートの行いを諌めて欲しいと頼まれてしまっているのだ。
自分の婚約者が、ヒューバートが婚約者以外の人と仲良くしているのを見て同じような考えになってほしくない…という事だろう。
それに、ヒューバート様だけならよかったのだが、リリアは高貴な身分の男性に好かれすぎた。
言い方は悪いが、リリアの取り巻きになっている男性の婚約者にとって、自分の婚約者に苦言を呈するのは義務のような状況になっていたのである。
なんとか二人きりの時間をつくり、ヒューバートにリリアとの接し方を見直すようお願いしたマリアベルにかけられた言葉は、それはひどいものだった。
「誰のせいでこんな事になっていると思ってるんだ。マリアベルはいつもそうやって俺のやることにお小言ばかりで、リリアのような愛嬌もまったくない。おまけに特段美人って訳でもないし可愛いって訳でもない。髪色も特徴のない茶色だし何か秀でた才能もない。つまり君は生まれた血筋と結婚後に生む僕との子供以外に一緒にいる価値ないんだ。正直その君の伯爵家の血筋だって僕の公爵家のものに比べればたいしたことないし、こんな事になってるのは君に魅力がないからだよ」
そこまで一息に言うと、あらためてまっすぐマリアベルの目を見てヒューバートは言い放った
「君も少しはリリアを見習え!」
かくしてマリアベルのリリア観察が始まったのである。
お茶会の翌日、今日はリリアが学院のキッチンでお菓子作りをするというので見学をすることにしたマリアベルは、リリアが手際よく卵を泡立てるのを眺めていた。
自分で「リリアを見習え!」と言ったくせに、マリアベルとリリアを二人きりにするのを嫌がったヒューバートと、なぜかアベル殿下も一緒である。
「リリア、何か手伝うことはないか?」
「ありがとうございますヒューバート様!でしたらこちらを混ぜてもらえますか?」
「こう…か?」
「うふふ!そうじゃなくて、もっと縦に切るように…ね?」
何故か互いに手を取り合ってお菓子を作る二人を、マリアベルは努力して無感情に見るように努めた。
いったい何を見せられているんだとか思ってはいけない。
それに…自分の見たことのない表情で楽しそうにしているヒューバートを見るのは、無心を心がけなければ辛いものだった。
でも、少し学ぶことがある気がした。
「…大丈夫かい?」
いつの間にか隣に来ていたアベル殿下が、気遣わしげな様子でマリアベルを覗き込んでいた。
どういった目的で殿下がここにいらっしゃったのかはわからないけど、こうして気遣ってくれる存在はありがたかった。
「心配していただきありがとうございます。…大丈夫です。…それに、お菓子以外にも少し学びがある気がしました」
「学び?どんな?」
「…ヒューバート様のあのような様子を見て、そういえば私たちは共に何かをするといった事がなかったなと思ったのです。観劇などの外出はもちろんありましたが、ああして何かを作ったり、失敗を笑いあったり…」
そうやって今日の気づきをアベル殿下に話していると、ヒューバートが嘲笑が飛んできた。
「例え同じことをマリアベルとしても、リリアと同じ気持ちになるわけがないだろう。リリアだから意味があるんだ」
ヒューバートの全否定の言葉に、マリアベルの思考は停止してしまった。
押し黙るマリアベルを横に、お茶会に引き続きアベル殿下がまたヒューバートをたしなめる。
「ヒューバート…私は君がマリアベル嬢にリリアを見習うよう言ったと聞いているよ。彼女はこうして何かを学ぼうとしているじゃないか。このまま君と仮面夫婦のように結婚することもできるはずなのに、君のために何か改善できないかと努力してくれてる。なぜ肯定的に見てあげられないんだ?それに、リリア嬢だって男爵令嬢として将来誰かと結婚しないといけないんだ。君とこうして学院生活を送ることが無駄とは言わないが…君はマリアベル嬢と結婚するんだろ?」
アベル殿下の問いに、ヒューバートは押し黙っている。
心のどこかではわかっていたが、こうしてあからさまに彼の気持ちを感じると、どんどん体が冷えていくのが分かった。
アベル殿下のまえで取り繕う事すらしたくないほど、リリアの事が好きなのか?
もしかして…マリアベルとの婚約破棄すら考えているのか?
マリアベルは場の空気に耐えかねてキッチンを飛び出した。
キッチンを飛び出した後、マリアベルは一人裏庭のベンチで涙をこらえていた。
一人きりで誰も見ていないとしても、なぜかヒューバートのために涙を流したくないと思ってしまっていた。
マリアベルは元々結婚に夢を見ているタイプの令嬢ではなかった。
というのも、マリアベルの母も、祖母も、マリアベルの周囲にいる女性陣の多くが俗にいう「愛ある結婚」とやらではなかったのだ。
マリアベルが婚約を決めるとき、母も祖母もそろって彼女に言い聞かせた。
「相手を好きになるのは構いません。むしろそうできれば幸せでしょう。ですが貴族の結婚は義務というのを忘れてはいけませんよ。女としてではなく、家の一人としての自分の役割を全うする事を考えて生きねばなりません。役割を持たないで生きることは…想像以上に辛い事ですからね」
だから、ヒューバートがリリアに夢中になりはじめても、悲しくはあってもそれで婚約を破棄しようとだとかとういったところまでは考えてはいなかった。
子供の頃読んだおとぎ話のような幸せは手に入らなくても、自分の役割を果たしながら貴族としての生を歩もうと思っていたのだ。
しかし…。
「このまま結婚して生きていける自信…ない…」
思わず口から弱音がこぼれた。
私って何のために生まれてきたんだろう?
この先ずっとヒューバートに嫌味や罵声を浴びせられるために生まれてきたの?
腕に爪を立て、痛みで何とかこぼれそうな涙を我慢する。
「…大丈夫かい?マリアベル嬢」
声をかけられると思っていなかったマリアベルは、驚いて声の方に顔を上げた。
そこには心配げに、どこか申し訳なさそうにマリアベルの隣に座るアベル殿下の姿があった。
「すまないマリアベル嬢…。私がヒューバートに踏み込んだ質問をしたせいで、余計君を傷つけてしまった」
「…そんな事はありません。本来は私と彼でああいった話をしないといけなかったんです。…リリア様も巻き込んでしまう形になってしまって、本当に情けない話です」
アベル殿下の気遣いの言葉に、ほんの少しだけ気持ちが落ち着いた気がした。
それに、この出来事をきっかけに真剣に今後についてヒューバートと話せるかもしれない。
アベルはこれ以上心配をかけまいと背筋を伸ばすマリアベルを見つめた。
彼のその視線にいつもとは何か違うものを感じて思わずずっと見つめ返してしまうマリアベルの手を、彼女より大きくたくましい、少し冷たい手が優しくそっと握った。
「情けなくなんて全くないよ。今、僕への最初の言葉でリリア嬢への気遣いを語る君が情けないはずないじゃないか」
アベル殿下の言葉に驚き目を見張るマリアベルだったが、彼はそんな彼女を優しく見つめ続け語り始めた。
「ヒューバートはわかってないんだ。自分がどれほど恵まれているか。王家の次に地位のある公爵家の嫡男が、幼少の頃の婚約者と結婚するという事の意味もまるで分かっていない。私に今婚約者がいない理由をマリアベル嬢は知っているかい?」
「いえ…存じ上げません。何か特別な理由があるのかとは思っておりましたが…」
「残念ながらそうではないよ。…単純に王家の嫁になれる資質がある令嬢がいないんだ。兄上の婚約者と、君以外にね」
「え?わ、私ですか?」
自分は王家の嫁になる教育など受けていない。
確かに他の令嬢よりは公爵家の教育を受けている分の差はあるかもしれないから、かいかぶりだ。
そう思っているのが伝わったのか、アベル殿下はさらに言葉を続けた。
「公爵家は王家の血も流れているこの国の貴族で最も王族に近い家だ。王族に何かあった時のために、公爵家に連なるものは王家の代わりを務められるよう教育される。もちろんすべてが王族と同じわけではないけどね。君も資質自体は王家に嫁いでもおかしくないくらいあるんだよ。それに…私の婚約者候補たちは妃教育に耐え切れず、いまだに婚約者の席は空席。…それくらい妃教育というのは過酷な事なんだ。幼少期にヒューバートと婚約し、今でもその席にいることがどれほど尊いか…私には誰よりもわかる」
「アベル殿下…」
マリアベルの手を握るアベル殿下の手に、先ほどよりも力が入るのを感じた。
「私は…ヒューバートが羨ましいよ。私に君のような婚約者がいたら、尽くされた分以上のものを返すのに…」
きっとアベル殿下がおっしゃっているのは、愛だ恋だといったお話ではないのだろう。
王族として、政治の世界で生きる立場として、共に歩むパートナーの大切さと尊さを語っているように感じた。
平凡な外見で愛嬌もない私だし、まだ学生なのでアベルの言うようにヒューバートを支える機会はない。
でも未来では、ヒューバートにとって必要な存在なれる気がした。
それと同時に、こんなに素敵なアベル殿下の妃になる方は、きっと幸せになれるんだろうなと思った。
「私にはもったいないお言葉を…ありがとうございます。私も未来のアベル殿下のお妃様が羨ましいです。きっと今の私のように、アベル殿下のお言葉に心を癒されながら共に歩んでゆかれるのでしょうね…」
「そうかな。私の妃になるなんてそんなにいいものじゃないかもよ?」
「そんな事ありません。少なくとも私は素敵だなと思いました。…それに…やっぱり殿下のお話を聞いて、ヒューバート様との関係をできるだけよくする努力をしなければと改めて思いました。今がそうでなくても、きっと将来は、私でもヒューバート様のお力になれるかもしれませんものね」
マリアベルは自分のやるべきことが見えてきた気がした。
今までもヒューバートと話し合おうとは思っていたが、それはどこか場当たり的な感は否めなかった。
マリアベルとヒューバートの問題は、リリアとの接し方を考えろとか、そういった事ではなかったのだろう。
「今日帰宅しましたら、正式に公爵家にヒューバート様との話し合いの場を設けていただくようお願いしてみます。アベル殿下のおかげで前に進めます。ありがとうございます」
心からの感謝の気持ちを込めて、マリアベルはアベル殿下に頭を下げた。
だからだろう…。
「…私の言葉が君の力になれたのならよかった」
アベル殿下のマリアベルを見つめる視線に、隠しきれない熱が含まれている事には気が付かなかった。
決めたら即実行。
マリアベルは帰宅して早々公爵家にヒューバートとの話し合いの場を設けて欲しいと手紙を出した。
今までのようにヒューバートに直接話し合いを申し出ても逃げられると思ったのだ。
案の定ヒューバートが手をまわしたのか、公爵家から手紙の返事は一向に届くことはなかった。
学院でもヒューバートはマリアベルを徹底的に避けはじめ、アベル殿下にも迷惑をかけたにも関わらず、二人の状況は何も変化がなかった。
相変わらずヒューバートはほかの令息たちと一緒にリリアと楽しく過ごしている。
自分で実践は難しいだろうとは思いつつ、マリアベルは遠くからリリアの観察も続けていた。
きっとリリアは、令息たちに安心感を与えているのだと思う。
貴族とは、どんな時でも家を背負い他人からの評価にさらされ続ける。
たとえ学院という閉じられた学びの場だとしても、それは例外ではない。
でも“元平民”という特殊な境遇故か、彼女は貴族的なそういった当然の評価基準を持っていないようだった。
その価値基準と彼女独特のほんわかした雰囲気が令息たちには魅力的に映っているのだろうと思った。
今現在も学院の中庭で談笑しているリリアやヒューバートたち、それを少し離れたところから眺めているアベル殿下を遠くから見つめながら、マリアベルは結論付けた。
生まれながらの貴族であるマリアベルには、あの空気は到底再現できないものである、と。
今日、学院から帰ったら公爵家に行こう。
先触れもなく無礼かもしれないが、そうでもしないとずっとヒューバートと話し合えない。
そんな状態が続く方がずっとよくない。
距離が空いているはずなのに、なぜがアベル殿下と目が合った。
彼はいつものように、優しくマリアベルに微笑みかけてくる。
彼の笑顔に、力をもらえた気がした。
学院からヒューバートが出たのを確認した後、マリアベルは公爵家を訪ねた。
マリアベルにはこれ以上事態を放置する気はなかった
公爵家の方々に無作法を責められるつもりであったマリアベルは、公爵家の使用人たちのまっていましたとばかりの態度に驚いた。
「先日マリアベル様から話し合いの席を設けてほしいとの要望を受けしたとご主人様よりお伺いして、ヒューバート様から学院帰りに共にお越しいただくと聞いてからしばらくたつのにいらっしゃいませんでしたので心配していたのです。何かヒューバート様とあったのではないかと…。先日からはマリアベル様のお友達とご令嬢を間に介して話す予定だとヒューバート様がおっしゃって…。本日もいらっしゃっておいでです」
本日もいらっしゃってる?
私の友達の令嬢で、私の婚約者と二人っきりで会う人なんていない。
そもそもヒューバートに一緒に帰宅しようと誘われたこともない。
まさか…。
嫌な予感は的中した。
通された応接間ではヒューバートとリリアが、呑気と言われても仕方ない様子でお茶を楽しんでいたのだ。
マリアベルは内心悲鳴を上げそうだった。このお方は…ヒューバート様は一体どういうつもりなのだろう。
私の事もそうだが、リリアの事も一体どうしたいのかとマリアベルは怒りに似た感情が沸き上がった。
「ヒューバート様…!どうしてリリア様と…それに私と話す予定などなかったはずです!」
「マリアベル!…来たのか」
「お話をしたいとお手紙を出したのに何故無視なさるのです!学院でも私をさけてらっしゃるし、それに、屋敷の者に嘘をついてまでリリア様と二人で過ごすなんてどうかしてます!」
「…っ!どうかしてるだと⁉俺に向かってなんて口の利き方をするんだ!」
「ならば、ヒューバート様は私とリリア様をどうしたいのです!私と婚約破棄をなさるのですか⁉リリア様と婚約を結ぶのですか⁉このような非常識な事を続けるのならばはっきりしてください!」
「そんな…簡単には決められない。君だって俺に捨てられたら困るだろう」
「なら私と結婚なさるのですか⁉ならリリア様の将来はどうするのです!リリア様はヒューバート様の愛人をお望みなんですか?こんな下手をすれば醜聞になるような密会をして、下手をすれば彼女は普通の結婚など望めないかもしれないのですよ⁉」
「え?それ、どういう事ですか?」
マリアベルが入室してからずっと押し黙っていたリリアが、初めて口を開いた。
マリアベルから語られた自身の状況に、驚いて目を見張っている。
やはり…貴族になりたてで無知なのだと、マリアベルは彼女の目をしっかり見つめながらかみ砕いて説明した。
「貴族の女性にとって最も重要なのは、嫁いだ家の血を正しく残す事なのです。清廉潔白を証明するため、日ごろから殿方との交流に気をつけるのは、嫁ぐ家と婚約者への操立て。このように簡単に、しかも婚約者のいる貴族男性の家に赴き二人きりになるような女性は、貴族の結婚相手として問題があると思われても仕方がないのです。後から私が来るなどという嘘をついたことと合わせると、大変悪質と捉えられてもおかしくありません」
「え?で、でも!ヒューバート様は公爵家の人ですよ?断ったりするの失礼じゃないですか!それに私たちはただの友達で、学校でだってたまに二人きりになったりしてるのに!」
「それも本来は良くない事ですが、学院で二人きりになるのは不可抗力もありますでしょ?でも、今日のこれはどうですか?リリア様は本当に私が後から来ると思って公爵家にいらっしゃったのですか?」
「そ…それは…。で、でも!ヒューバート様は結局マリアベル様と結婚なさるんでしょ⁉マリアベル様が秘密にして下さったら大丈夫なんじゃないですか⁉」
慌てたように私に縋りつくリリア様の様子に、驚いたようにヒューバート様が問いかけた。
「リリア、君は俺と結婚したくないのか?俺の事を素敵だって言ってくれてたじゃないか」
「ヒューバート様は素敵です!…でも…私、そんな先のことまでちゃんと考えたことなんて…」
リリアのなんとも煮え切らない答えが、ヒューバート様の逆鱗に触れたのか、彼は突然激高しリリアとの距離を詰め始めた。
「君は僕をもてあそんだのか⁉君は僕との結婚を夢見ているはずだ!僕に婚約者がいることを嘆いている、そうだろう⁉」
「あの…えっと…」
「はっきり言えリリア!」
彼のリリアに詰めよる様子に、マリアベルはおぞ気が走った。
と同時に、もうこの婚約は続けられないと心底思った。
こんな人と添い遂げる事は出来ない。
この場から離れようと二人に背を向けようとした瞬間。
怒りのあまりリリアに手を振り上げるヒューバートの姿が目に入った。
なぜそうしようと思ったのかよくわからない。
気が付いたらマリアベルはリリアとヒューバートの間に割り込んでいた。
頬に強い衝撃が走るのと、部屋の外から聞こえてきた足音が部屋に入ってきたのは同時だった。
「マリアベル!!!!!」
ここにいるはずのない、アベル殿下の声が部屋に響いた。
マリアベルに駆け寄りリリアとヒューバートから引きはがすと、彼女の赤くなった頬を見てアベル殿下は激怒した。
「ヒューバート!!女性に手を上げるなんて、しかもマリアベルにだなんて、君は何を考えているんだ!」
「い、いや!俺はリリアに…、マリアベルが勝手に割り込んできて…」
「―っどちらにしろ、女性に手を上げたことに変わりはない…。色々話そうと思っていたが、今日はもうマリアベルを連れて失礼するとするよ。…それでいいかな公爵」
公爵、とアベル殿下が声をかけた先に視線をやると、部屋の入り口に眉間にしわをよせたヒューバートの父が立っていた。
彼を見て焦ったヒューバートが何かを言う前に、怒りを抑えた声で公爵はアベル殿下に答えた。
「もちろんですとも。私の方も息子に色々聞かねばならぬようですからね…」
こうしてヒューバートとリリアの秘密のお家デートは幕を下ろしたのだった。
家まで送るというアベル殿下の言葉に甘え、マリアベルは殿下の馬車で帰宅する事にした。
氷嚢をあてているマリアベルを痛ましそうに見つめながら、なぜかアベル殿下は彼女に謝罪した。
「ごめんマリアベル嬢。まさかヒューバートがこんな事をするなんて思わなくて…。もっと早く駆けつけて入れば…」
「そんな事はありません。むしろどうしてあの場にいらしてくださったのかと不思議で。アベル殿下はどうして公爵家にいらっしゃったのです?」
「…今日、君と目があった時、君の覚悟が何となく伝わってきてね。もしかしたら今日ヒューバートと話すんじゃないかと思ったんだ。もし違っても、最近のヒューバートについて公爵の見解を聞いておきたかったからね」
アベル殿下の言葉に、マリアベルは言いようのない感動を覚えた。
あんな距離が空いた状態だったのに、殿下はそこまでマリアベルの事を理解してくれていたのか、と。
気持ちを言葉にしたくてもなかなかちょうどいい言葉が見つからなくて、答えを探しあぐねるマリアベル。
そんな彼女の氷嚢を持つ手に、アベル殿下の手が重なった。
「…君はこんな目に遭うべき人じゃない。もっと尊ばれ、大事にされ、愛されるべきだ」
氷嚢から伝う雫を追うように下ろされたアベル殿下の手は、今度は空いたほうのマリアベルの手をそっと持ち上げた。
そして、そっとその手に唇を寄せる。
「マリアベル嬢、どうか、私を選んではくれないか?君の努力を知っていて、君の傷ついているときに、こんな事を言う私は卑怯だと思う。でも…、それでも…」
――どうか私に君を愛する資格をくれないか?
アベル殿下の言葉が、手から伝わるアベル殿下の唇の熱のように、マリアベルの体にしみわたって行った。
この気持ちがどんな名前のものなのかはわからない。
ただ、ヒューバートへの思いとは違い、確かな幸せと未来への希望を感じた。
「…私、ヒューバート様との婚約を破棄します。そうしたら…アベル殿下のお傍にいさせてもらえますか?」
マリアベルの言葉を聞いたアベル殿下は、それまで見た笑顔がかすむほどの笑みで彼女を見つめた。
氷嚢の水滴で濡れるのも構わず彼女を抱き寄せる。
「約束させてくれ。君が私に尽くしてくれる以上に、私は君を愛すると」
「愛、ですか?」
「ああ。婚約者のために他の女性を見習おうとしたり、その女性をかばうために頬を腫らしたり…そんな姿を見せられたら、愛さずにはいられないだろ?」
マリアベルの体温が一気に上昇する。
男性の抱擁の力強さと、誰かに愛を告げられる幸福を、人生初めての経験を一気に味わうのだった。
その後ヒューバートとマリアベルの婚約は解消され、アベルとマリアベルが婚約。
ヒューバートは次期公爵としては不適格とされ、弟が爵位を継ぐ事になったという。
リリアの元平民という物珍しさにも飽きはじめていた高位貴族令息たちは、ヒューバートの落ちぶれた姿に蜘蛛の子をちらすようにリリアから離れていき、彼女の結婚はどうなることやら…。
幸せな未来を歩むマリアベルとアベル殿下には、関わりのない事である。
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