第四章 友だち
「もしもし。どうした?」
電話の向こうから、男の声がした。
「ううん、別に。何してるのかなって思ってさ。」
少威は感情をしまい込み、友人に返す。声の調子は頭の中と噛み合っていない。
海面が穏やかなほど、海の底の流れは暗く強い。
「特に何も。ゲームしてるだけ。どうした?」
相手の言葉は軽い。
「そっか。いや、ただ暇でさ。」
少威は話題を探して、会話を少しでも面白くしようとする。
けれど、低いエネルギーのままでは、何も浮かばない。
友人は返事を挟まず、そのままゲームを続けた。
そして少威の意識は、ゆっくりと記憶の断崖へ落ちていく。
最初に思い出したのは、ある場面だった。
二人の友人と一緒にバスケットコートを駆け回り、技を競い合っていた頃。
本来なら、楽しいはずの時間。
けれど脳内に、夢の中のあの怪物が現れる。
涙でできた、墨みたいに黒い影。
それは記憶の中の少威を掴み、深淵へ引きずり込む。
耳元に、聞き慣れすぎた声が降りてきた。
幼い声と、少し大人びた声が混ざり合い、同じ言葉を何度も繰り返す。
「兄貴ぶってるくせに全然ダメ。友だちに負けるとか、ほんと役立たず。
何も成長してない。情けないね。」
目の前に、二人の少年が現れる。
一人は少威、もう一人は友人。
その頃の少威は余裕で相手を打ち負かしていた。
けれど次の瞬間、場面が切り替わる。
少し大きくなった二人がまた競い合っている。
友人はもう昔のままじゃない。少威は本気になって、ようやく互角。
さらに、黒い手が背後から現れ、眼前の光景を裂く。
新しい場面が押し込まれる。
少威は、もう友人の動きについていけない。
友人は軽々と少威を打ち負かす。
最後の一本が放たれ、ボールがリングに吸い込まれた瞬間。
すべてが、粉々に砕け散った。
そのとき、電話越しに友人の声が戻ってきた。
「ねえ、何してんの? さっきから全然しゃべんないじゃん。」
少威は我に返り、また感情を整えて答えた。
「ごめん、今メッセージ見てた。そういえばさ、俺らもう長いことバスケしてないよね。
俺が“出ていって”から、やってない気がする。」
友人が返す。
「だよな。俺、今はバレーばっかだし。あと、あの頃お前あんまり帰ってこなかったし。」
「まあ……その頃は外で学校行ってたからさ。」
少威はまた、記憶に沈む。
十五歳。中学を卒業して、高校を選ぶ時期だった。
記憶は、十五歳の高校時代のある朝へ跳ぶ。
少威は電動スクーターに乗っている。
けれど向かう先は学校ではなく、工場だった。
場内へぎこちなく入り、機械の前に立つ職人が一人。
態度は冷たく、技術を教える気配もない。
少威に与えられたのは、材料を運び、取って、また運ぶ。
それだけを延々と繰り返す作業だった。
一日の仕事が終わる頃には、もう午後四時。
少威は電動スクーターで寮へ戻り、身体を洗い、三十分だけ横になる。
それからまた外へ出て、八キロ先の学校へ向かった。
電気科のことを必死に学ぼうとした。
けれど最初の学期、少威は「学べた」と言えるものが何もなかった。
田舎から出てきた子ども。
何度も教師に叱られ、学校では友人もできない。
叱責と孤独の中で、ひとりでやるしかなかった。
放課後、電動スクーターを走らせながら、少威は叫んだり、歌ったりした。
寮に着くまでの、短い間だけ。
戻った瞬間、その笑顔はまた引き出しにしまわれる。
「ねえ、今からこっち来る?」
電話の声が、また記憶を断ち切った。
「行く。……夜、ホラー映画でも観ない?」
少威はふと、思いついたように言った。
「いいよ。好きにして。」
友人は淡々と答える。
「じゃあ今から行く。」
少威はイヤホンを探して耳に入れる。電話は切らないまま。
階段を降り、外へ出て、玄関の扉を閉める。
二年間、彼と一緒に走ってきた電動スクーターにまたがり、家を出た。




