第5話 冒険者の矜持、敗北者の泥
背中を踏みつけるゴブリンリーダーの足に、さらに力がこもる。 「ぎ、ぎいぃ……っ!」 肺が潰れ、口の端から鉄の味がする液体が漏れた。視界の端では、壁に叩きつけられたルミナが苦しげに指を動かしている。 助けなきゃいけないのに、指一本動かせない。
「……情けないな」
頭上から、冷え切った、それでいて重みのある声が降ってきた。
ゴブリンリーダーが動きを止める。次の瞬間、重厚な金属音と共に、俺を踏みつけていた重圧が消えた。ドサリ、という重い音がして、目の前に緑色の頭部が転がってくる。 一撃。俺たちが死に物狂いで抗っても傷一つ付けられなかった怪物が、ゴミのように片付けられた。
「う、あ……」
俺は泥の中から顔を上げた。そこに立っていたのは、返り血を浴びた重厚な銀の甲冑に身を包む男だった。 背中には身の丈ほどもある大剣。その立ち姿からは、戦場を幾度も潜り抜けた者特有の、鋭い「殺気」が漂っている。
「助かった……のか?」
俺が震える声で呟くと、男は、こちらを助け起こそうともせず、ただ冷徹な眼差しで見下ろした。
「あ、ありがと――」 「助けたつもりはない。街の美観を損なう害獣を駆除しただけだ」
彼は俺の目の前に転がっている『古びた鉄の包丁』を、鼻で笑うように一蹴した。
「あ、あんたは?」 「俺はリヒター。町の冒険者をやっている。ふむ、そんな玩具を握って、その娘を連れて外に出たのか? ……正気か、お前」
「これは、その……ガチャで……」
「ガチャ? 何の話だ。寝言は寝てから言え」
リヒターの言葉に、俺は心臓を素手で掴まれたような衝撃を覚えた。 そうだ。この世界の住人にとって、装備は血の滲むような修行や、命がけの依頼で手に入れる『生きた証』だ。空から降ってくる『当選』に縋る俺の常識など、ただの狂人の戯言でしかない。
「いいか、小僧。貴様の今の姿を見ろ」
彼は俺の胸ぐらを掴み、無理やり引きずり起こした。鼻をつくのは、彼が纏う返り血の生臭さと、手入れの行き届いた油の匂い。
「震える足、なまくらの刃、泥まみれの面。……その娘を、ただの肉の壁として使い潰す貴様に、剣を握る資格はない。貴様は指揮官ですらない。ただの、戦場に迷い込んだ死体予備軍だ」
かつて最強の軍団を率いた「全サーバー1位」の俺が、今、名前も知らぬモブ冒険者に、存在そのものを『エラーデータ』として処理された。
彼は俺を路地のゴミ溜めへと放り捨てた。まるで、最初からそこに落ちていた汚物のように。
「……今の貴様は冒険者ですらない。ただの、戦場に迷い込んだ足手まといだ。二度と私の前にその無様な姿を晒すな」
彼は一度も振り返ることなく、気絶しているルミナを背負った俺を置いて、雑踏へと消えていった。
残されたのは、冷たい雨の匂いと、自分の無力さに対する猛烈な嫌悪感だけだ。 「弱いやつに、資格はない……か」
俺は、リヒターに蹴り飛ばされた包丁を握りしめた。指が血で滑り、錆びた刃が掌を薄く切る。 痛い。だが、その痛みよりも、彼に「何も持っていない敗北者」として断じられたことが、何よりも屈辱だった。
「……ああ、そうだ。その通りだ。今の俺は、石一粒も買えねぇ、正真正銘のゴミカスだ。……だがな、クソ野郎。ゴミにはゴミなりの、『クソゲーの壊し方』ってのがあるんだよ」
期待値に裏切られ、現実に叩き伏せられた。なら、次は「正攻法」を捨ててやる。泥の中で、俺の瞳に「暗い熱」が戻った。




