第3話 無課金兵(ノーマネー)夜
王都アルカディアの夕暮れは、ゲーム画面で見た時よりもずっと、冷たくて残酷だった。 泥だらけで門をくぐり、俺たちは命からがらギルドへ戻った。
「……はい、こちら今回の撤退報酬。ゴブリンを倒せなかったから、事務手数料を引いて、残りはこの銅貨三枚だけね」
受付の女性が、憐れむような目でカウンターに小銭を置いた。銅貨三枚。パンの一つも買えば消えるような端金だ。 ゲームなら「撤退」してもスタミナが半分戻ってくるだけだが、現実では装備の摩耗、傷の痛み、そして何より「時間の浪費」という最悪のデバフがのしかかる。
「ルミナ、ごめん。せっかく戦ってくれたのに」
「いいよ、指揮官が生きてただけで十分。……でも、今夜どうしようか」
ルミナの服はボロボロで、隙間から見える肌には生々しい擦り傷がある。 「ルミナ(俺の嫁)」をこんな低解像度な、薄汚れた状態のまま放置するなんて。重課金兵としての俺のプライドが、運営より先に俺自身を許さなかった。だが、今の俺には「修復」のボタンを押すための石がない。
「……宿を探そう。一泊くらい、なんとかなるはずだ」
だが、現実は甘くなかった。 何軒か宿屋を回ったが、提示される価格はどれも銅貨十枚以上。かつて百万単位のゴールドを湯水のように使っていた俺が、今、たった数枚の小銭が足りずに門前払いを受けている。
「おい、そこの不審者。いつまでも店の前に立ってるな。営業妨害だぞ」
最後に行った宿の主人に、汚物を見るような目で追い出された。ゲームなら会話ボタン一つで「宿泊しますか?」と聞いてくるだけのNPCが、現実では鼻をつまんで俺を罵倒する。これが「無課金プレイヤー」への、この世界の対応(仕様)か。
夜の空気は急激に冷え込み、路地裏からは生臭い湿気と、野良犬の鳴き声が響いてくる。俺たちは仕方なく、荷馬車置き場の隅に、積み上げられた空の麻袋を敷いて座り込んだ。
「……寒いな」
「……うん、ちょっとね」
ルミナが身を寄せ合ってくる。かつての俺なら「密着イベント発生!」とでも喜んだだろうが、今はそんな余裕はない。彼女の体温は驚くほど低く、震えている。 ぐぅぅ、という情けない音が腹から鳴った。「空腹ゲージ」は警告音を鳴らし続け、胃が内側から握りつぶされるような鈍痛が、思考能力(IQ)を削っていく。
(……なんで、俺はこんな目に遭ってるんだ)
最強の軍団を率いて、どんなボスもワンパンで沈めていた俺が、麻袋のチクチクした感触に耐えながら、ドブネズミのように夜を明かそうとしている。
ふと、視界の端に【ショップ】の文字が点滅した。
(そうだ、ショップ……! 何か、運営からの救済はないのか!?)
藁にもすがる思いで指を動かす。だが、並んでいるのは「初心者応援パック」や「魔法石購入」といった、今の俺には到底手の届かない、札束の暴力が支配するメニューばかりだ。 その中に一つ、薄暗いアイコンを見つけた。
【アイテム売却:所持品をゴールドに換金します】
俺は狂ったように自分の服のポケットを探った。だが、あるのは元の世界で何の役にも立たなかった「百円玉」と「レシートのゴミ」だけ。
(ゴミ……? 待てよ。このシステムなら、ゴミでも――「価値」がつくのか?)
俺はおそるおそる、財布の中にあった『コンビニのレシート』を売却ウィンドウに放り込んだ。
『売却完了:1 Gを獲得しました』
「…………1ゴールド。はは、1ゴールドだと……っ!」
銅貨一枚にも満たない、文字通りの塵。だが、俺は暗闇の中で、ひび割れた唇を歪めて嘲笑った。 コンビニのレシート、ガムの銀紙、脱ぎ捨てられた小石。プライドも、思い出も、この世界の排泄物も、全部端金に変えてやる。
「指揮官……どうしたの? 急に笑い出して……」
「なんでもない。……ルミナ、明日はもっと汚い仕事を探そう。排水溝の掃除でも、死体運びでもいい。泥水を啜ってでも、1Gを積み上げて、お前をもう一度『最強』の座に戻してやる」
俺は、自分の中に残っていた「お客様気分」が、冷たい夜風に吹かれて消えていくのを感じていた。ここは札束が舞う楽園じゃない。課金のできない廃課金兵にとって、ここはただの、生々しい戦場だ。
俺は虚空のショップを見据えたまま、一度も目を閉じずに夜を明かした。




