第2話 初期装備の代償
「……これ、マジかよ」
俺、ケンタは王都の外れにある草原で、呆然と立ち尽くしていた。 目の前には、三匹の「ゴブリン」。ゲーム画面では二頭身のデフォルメされたマスコットのようだったが、現実は違った。
鼻を突くのは、腐った生ゴミと排泄物を混ぜたような猛烈な悪臭。湿った皮膚はどす黒い緑色で、所々に赤黒い湿疹がある。**解像度が、高すぎる。**黄色く濁った目でこちらを舐めるように見回し、隙間だらけの歯の隙間から粘着質な唾液を垂らしていた。
「指揮官、危ないっ!」
ルミナが叫び、腰の剣を引き抜く。彼女の動きは鋭い。だが、鉄と鉄がぶつかり合う音は、スピーカーから流れる爽快なSEなどではなかった。鼓膜を直接削り取るような不快な金属音と、飛び散る火花。
「ギギィッ!」
ルミナの剣を弾き飛ばしたゴブリンの一匹が、俺の方へ跳ねた。俺は慌てて「武器」を構えようとした。だが、指先が触れたのは、空中に浮かぶ半透明の虚無だけだ。
「そうだ……装備がないんだ……っ!」
インベントリを開いても、かつて持っていた伝説の聖剣や魔杖は一つもない。今、俺の手にあるのは、初期支給品の「ひのきの棒」……ですらない。ただの「木の枝」だ。それも、折れかかっている。
「クソッ、初期配布武器すらない……だと……!? 運営(神)、どれだけ新規に厳しいんだよ……ッ!」
「ぎ、ぎゃあぁっ!?」
飛びかかってきたゴブリンの爪が、俺の腕をかすめた。熱い。焼けるような痛みが走る。同時に、生暖かい液体が袖を濡らす感覚。 ゲームなら、赤いゲージが数ミリ減るだけで済む「微ダメージ」だ。だが、現実のそれは、吐き気がするほどの激痛と恐怖を伴っていた。
「痛い……痛い痛い! クソッ、止まれ! ノックバック判定はどこだ、当たり判定はどうなってんだよ!!」
俺は必死に木の枝を振り回すが、ゴブリンは嘲笑うように避けていく。土の匂い、草の擦れる音、そして自分の喉から漏れる無様な悲鳴。視界の端で、ルミナも苦戦していた。
彼女は「初期キャラ」だ。俺がかつて重課金で強化していた頃の面影はない。防具は薄く、剣はなまくら。
「はぁ、はぁ……っ! 指揮官、逃げて! 今の私たちじゃ、三匹は無理……!」
ルミナの額から流れた血が、彼女の美しい銀髪を汚していく。その鮮烈な「赤」を見た瞬間、俺の頭が冷えた。
今の彼女は、レベル99・好感度MAXの『聖騎士』じゃない。たった今、サーバーがリセットされた直後の、脆くて壊れやすい『見習い騎士』なんだ。
これは遊びじゃない。コンティニューも、スタミナ回復薬によるゴリ押しも効かない。俺たちは今、たかが「デイリークエスト」で、本気でキャラロストしかけている。
俺は転がるようにして、ルミナの手を引いた。
「逃げるぞ、ルミナ! 石回収は、効率が悪すぎる! 全滅は無しだ!」
背後から聞こえる、下卑た笑い声。俺たちは王都の門まで、一度も後ろを振り返らずに走り続けた。 心臓が破裂しそうなほどに脈打ち、肺が焼けるように熱い。これが、俺が愛した世界の「本当の姿」だった。
王都の路地裏、泥水の中に膝を突き、俺は激しい喘鳴の中で、指先を宙に踊らせた。 「魔法石」の残高は、依然として『0』のままだ。
「……見てろよ、クソ運営。金も、装備も、運もないなら……俺は『システム』を食ってでも、お前らを完凸させてやる」
恐怖で震える指先は、しかし、次の「攻略法」を求めて虚空を叩き続けていた。




