第1話:天井のその先へ
「あと10連……これで、これで天井だ……ッ!」
薄暗いワンルームアパート。カップ麺の空容器とエナジードリンクの缶が散乱するデスクで、俺、ケンタは震える指でスマートフォンの画面をタップした。
今月分の家賃? 食費? 知ったことか。今、画面の向こうには、水着姿の『聖女セレスティア』がいる。この0.7%を掴み取れなければ、俺の夏は終わる。いや、俺という存在の半分が消滅するのだ。
「頼む……虹回転……虹演出……来いッ!!!」
祈りを込めた指先が、召喚ボタンを抉るように押す。画面が光り輝く。確定演出の虹色だ。
「き、きたぁぁぁぁぁぁぁ!!」
脳内物質がドパドパと溢れ出す。心臓が早鐘を打つ。あぁ、この瞬間のために俺は生きている……。
ドクン。
心臓が、今まで聞いたことのない嫌な音を立てた。視界が急激に暗転する。薄れゆく意識の中で最後に見たのは、スマホの画面に表示された無慈悲な文字列だった。
『通信エラーが発生しました』 『タイトル画面に戻ります』
(ふざ……けんな……運営ェ……! 補填……寄こせ……ッ!)
俺の意識は、そこでプツリと途切れた。
***
「――指揮官? ……ねえ、起きてよ指揮官!」
鈴を転がすような声と、頬を突かれる感触。重いまぶたを開けると、そこには見知らぬ天井ではなく、見知らぬ美少女が顔を覗き込んでいた。
透き通るような銀髪、宝石のような碧眼。身にまとっているのは、露出度の高いファンタジーな騎士の軽鎧。
間違いない。俺が3年前に完凸し、秒単位のフレーム回避を体に叩き込んだ初期キャラ、『見習い騎士ルミナ』だ。
「ル、ルミナ……?」
「あ、やっと起きた! もう、作戦会議中に居眠りなんて余裕だね、指揮官」
彼女が腰に手を当てて怒る。その仕草、その表情の変化。最新の技術でもここまでは動かない。彼女は完全に生きていた。
俺は慌てて体を起こし、周囲を見渡した。そこは、俺が見飽きるほど見てきたゲームのホーム画面背景……王都の執務室そのものだった。
「ここは……まさか、ヴァルリユの中なのか?」
「ヴァルリユ? 何寝ぼけてるの。ここは王都アルカディアだよ」
夢じゃない。風の匂いも、椅子の硬さもリアルだ。まさか、死んでゲームの世界に転生したってことか?
だとしたら……最高じゃないか! 推しキャラが目の前にいて、会話ができる。俺が数百万つぎ込んだ愛しい嫁たちが、この世界には実在するんだ。
俺は感極まってルミナの手を握ろうとした。その時、視界の端に違和感が浮かび上がった。空中に、半透明の文字が並んでいるのだ。
【ミッション】【編成】【ショップ】……そして、【ガチャ】。
「……UIが出てる?」
俺はおそるおそる、空中の【所持アイテム】というボタンを指で突っついた。ポコン、という間の抜けた音と共に、ウィンドウが開く。
【 魔法石:0個 】 【 所持ゴールド:500 G 】
「……は?」
俺の背筋が凍りついた。死ぬ直前、俺のアカウントには天井分の石があったはずだ。それに、数年間でつぎ込んだ総額数百万に及ぶ課金資産は?
俺は震える手で【キャラ一覧】を開く。
『 NO DATA 』
「…………あ?」
空白。真っ白だ。俺が愛し、育て上げ、婚約指輪(1個2400円相当)を渡した50人の嫁たちは? 俺の最強パーティーは?
「あああああ! セレスティアアア! チャームうううう! 俺の……俺の、人生の、総資産がああああああ!!」
俺は執務室の床に突っ伏し、獣のような咆哮を上げた。絶望。これは死よりも深い絶望だ。無。すべてが無だ。資産価値ゼロ、徳俵に足がかかったどころか、スタミナ限界でコンティニュー不可の状態だ。
「指揮官!? どうしたの、急に発狂して! どこか痛いの!?」
「ルミナ……俺の、俺の魂が……死んでる……」
俺は亡者のような目で【ガチャ】のアイコンをタップした。そこには、見慣れた、しかし残酷な看板が踊っていた。
『ピックアップ召喚開催中! 新規指揮官応援キャンペーン!』 『1回召喚:魔法石 300個』
石がない。石がないと、誰も呼べない。
この世界はリアルだ。だが、俺の能力は「ゲームシステムのまま」らしい。つまり、ガチャを回してキャラを召喚しない限り、俺はルミナ以外の美少女と出会うことすらできないということか!?
「指揮官、さっきから空中の何もないところを触って……大丈夫? それより、早く出撃しよ! 今日は『ゴブリン討伐』の日だよ!」
ルミナが無邪気に俺の手を引く。ゴブリン討伐。いわゆる、デイリークエスト。
その言葉に、俺のゲーマー魂がピクリと反応した。
「……デイリーをやれば、石は貰えるのか?」
「石? 報酬のことなら、ギルドから少し支給されるけど……」
俺はガバッと顔を上げた。その瞳には、先ほどまでの絶望を燃料にした暗い炎が宿っている。
そうだ。データが消えたなら、また集めればいい。無課金なら、無課金なりの戦い方がある。
ログボ、デイリー、ウィークリー、詫び石。あらゆる手段を使って石をかき集め、俺はこの世界で再び最強のハーレムを築き上げてやる。
「行くぞルミナ! 今すぐゴブリンを根絶やしにする! 石回収の時間だ!!」
「えっ、ちょっ、指揮官!? 急にやる気満々!? ……っていうか、顔が怖いよ!」
これは、ガチャという名の地獄に再び足を踏み入れた、一人の狂人の戦いの記録である。




