刹那の合間に
イロハは揺れを感じながら、何も見えない暗闇の中で身動きが取れなかった。
震える体を抑える両手に、もう一つの手が重ねられる。
「!」
咄嗟に叫びそうになった口を、もう片方の手で押さえられる。イロハはパニックになって、身を捩って抵抗した。
「……そんな驚かないで、ウサギじゃないんだから。うちだよ、セツナだよ」
その声を聞いて、荒々しく上下していた胸が徐々に落ち着いてきた。
「怖がらなくていいから。何があってもうちが守るし、ね? 頼りになるお姉さんがいるなら、このくらいの困難なんて大したことないよ」
声を抑えて、耳元で囁かれる声にイロハは言いしれない安心感を覚えた。
しかし、心の中ではそんなことはイロハを落ち着かせるためのまやかしに過ぎないのだと感じていた。
「あ、ありがとうございます……でも……。いいえ、なんでもありません」
この絶望的な状況で、イロハはセツナがいることによる安堵と申し訳なさで満たされていた。セツナはイロハの事情を知らないはずで、善意で助けられている。なのに、そんな人が一緒に巻き込まれて誘拐されている。
(私のことなんて、どうでもいいから。どうか、セツナさんだけでも助かりますように…)
もし功徳によって報われるのなら、その全てをセツナが生き延びるために使われてほしい。
そんなことを密かに思いながら、停車によって大きく揺れた体をセツナに預けた。
「おい、こいつが目的のやつか?」
「そうだ。こいつでだいたい俺らの借金を帳消しにしてやるって。先方の方はまだ来てないのか?」
「あぁ、なんでもトラブってるみたいでな。もうしばらくかかるらしい。まったく、それまでガキを抱えてないといけねぇなんて…」
「巡回の奴らには賄賂を贈ったから、ここまでは回ってこないさ。遅れるたって、別にそれほど時間がかかるってわけでもあるめぇよ。なんたって、あっちがよだれを滴らせるほどほしいって話だからな…」
そんな会話が遠くから聞こえてくる。
「はぁ~、人気者って大変だね」
小さな声でセツナは茶化す。
「借金の対価に人攫いだなんて、釣り合ってないのによくやるよ」
「セツナさん…!」
イロハがしーっと口にすると、セツナはふふっと笑って返した。
「安心しなよ。さすがに地獄耳でも聞こえないはずだから。これくらい意趣返ししてやらないと…いてて、頭の借りも返せないからね」
「あっ、大丈夫ですか? 痛みはどれくらい…」
「大丈夫だよ。むしろ、しばらく気絶してたからぱっちり冴えてるくらいで、……! ちょっと、何してるの?」
セツナは何かの液体で頭が濡れていく感覚を感じていた。
「えっと、気にしないでください。応急処置ですから……」
イロハは手探りで自分の二の腕に歯を立てて、セツナの頭の上で血を滴らせた。誤魔化そうとしたが、辺りに漂う血の匂いは誤魔化せない。
「ふうん、そういうものなんだね」
セツナは雰囲気から詮索するようなこともせず、長いこと沈黙が流れた。
「おい、まだなのか?」
「まずいぞ、サツもこっちを嗅ぎ回ってる。すぐ身を隠せる準備はしとけ。外側なら、あいつらも簡単におってこれないはずだ!」
慌ただしく駆け回る足音が聞こえてきた。
「イロハちゃん、一つ人生の先輩からのアドバイス」
そんな中でも、セツナは変わらない調子で口にした。
「自分を犠牲にしすぎると、本当に欲しいものが分からなくなるよ」
「それはどういう……?」
イロハの疑問は更に大きな喧騒によって掻き消される。
「そっちに行ったぞ!」
「どこの組のもんだぁっ?!」
「名乗る必要なんてねぇだろ! 名乗るような相手でもねぇっ!」
何かがぶつかり合う音が響き合い、怒鳴り声が飛び交う。
そんな中で、こちらに向かう足音が一つ聞こえた。
「イロハ、助けに来たんだ」
ヒスイの声が聞こえた。




