潮騒のように
遥か遠くから嘆きの声が響き渡る。
赤霧の中で満たされていこうとも。
濁流に呑み込まれても喧騒は鳴り止まない。
深淵から何度も這い上がって、
潮騒のように引いていく。
鼓動が渦の中で響き渡る。
赤き光の下で繭から新たに生まれ落ち、
繰り返し波はぶつかり合う。
さぁ、祝いましょう。
葡萄酒を分かち合い、渇きを癒しましょう。
踊り狂って、果てるまで。
*
その領域を一つの斬撃が掻き分ける。
霜が舞い降り、その行く道は波間を隔てるように侵すことのできない。
「……。フィルモニア! この馬鹿げた行為をさっさとやめなさい!」
コハクは目の前の嫌というほど目に入る惨状から視線を移し、中心部で座っているフィルモニアに呼びかけた。
「…でも、これを辞めるとみんな死んじゃうから」
フィルモニアは首を横に振る。
その瞳には憂いの色が見て取れた。
「どういうこと?」
「彼らは望んで争ってるの…だから、私には止められない」
フィルモニアは周囲で争い合う既に人の原型が崩れ、血だけで形成された人々を見つめる。
「独占欲、支配欲、……あと色々。彼らは私を手に入れたとき、奪い合う選択肢を考えられずにはいられなかったの…」
それらはいつまでも闘争をやめることはない。
或いは、やめることで何かを失ってしまうことを恐れているのかもしれない。
「……元には戻せるわけ?」
コハクからすれば、自業自得でしかないとはいえここまで生き地獄に晒されることを当然だとは、思えない。
「時間があれば、元には戻せるよ。ただ、彼らを落ち着かせないと難しいから……手伝ってくれる?」
コハクは剣を抜いて、一言呟いた。
「──霜刃」
無数の剣が霧を打ち払う。
「アタシも、早くこの騒ぎを片付けたいから手を貸す。でも、その方が早いってだけでアンタを認めてるわけじゃないから」
その言葉とともに、コハクは戦場へと向かった。
悲鳴と衝撃波が遠くからでも見て取れる。
それをフィルモニアは眺めながら、道端にある小さな紅い花を元の白い花へと戻した。
「命さえあれば、まだ…」
彼らについて何も思わないわけではない。
狂った人々の願いが、イロハや子どもたちの願いを踏みにじることになるとしても。
子どもたちには幸せになってほしいという願い、そこに偽りはない。そのために何かを強制させるつもりもない。対価がこの血肉で事足りる限り。
彼らにどんな願望があろうと、悪行を行っていようと、生きようとする意思を否定はできない。自身の欲望を叶えようとする野心があるからといって見捨てることもできない。何よりも命が優先される、なぜなら命は最も取り返しのつかないものだと、フィルモニアは知っているから。
その行いが狂気的に映るとして、どうして自らを血に染めてでも命を拾うことに体面を気にしなければならないのだろうか?
それが生涯に続く苦しみへの誘いだとしても、二度と正気を保てなくなったとしても、その先を常に担保するのは命なのだから。
*
一夜にして終えた戦いは多くの負傷者を生み出した。身体の一部を失った者、心が傷ついた者、それらを癒すには多くの時間と支援が必要になる。
治療院は多くの患者を受け入れ、治療した。その中には多くの小さな少女たちの姿が駆け回り、フィルモニアはそれを少し離れたところで見守っていた。
背後から現れた手が、フィルモニアの頬をつねる。
負傷したセツナがふらりとそこに現れた。
「後先考えずに力を使うのは相変わらずだね。そのことでとやかくいうつもりはないけどさ」
フィルモニアはセツナを見て、眉を下げた。
「……また怪我をしてる」
「せっかく来てあげたのに、そっちに話を持ってかないでほしいな」
フィルモニアは傷口に簡単な手当てをして、セツナをじっと見つめた。
「そんなに見ても何も言わないよ。今回は、君との契約は関係ない。説明する責任もない。違う?」
「私は、友達にいなくなってほしくないから」
「……」
セツナは少ししてから顔をしかめた。
「はいはい、気をつけるよ。君が心配しなくたって、うちは完璧にやるよ」
「大丈夫、まだまだやることがあるから。言われずとも、自分の身は大事にしてる。聖血に頼らずともね」
セツナは遠くで駆け回るイロハを見つけた。
医療道具を抱えて、テントをあっちこっちへと忙しない。
「……いや、暫く出番はないかな。そろそろ、この都市は一歩を歩み出すべきだよ」




