未知の行方に
それは遥か前の思い返された過去の記憶。
天災が全てを飲み込む前の時代のこと。
「フィルモニアにあって、他の人にはないもの……それはなんだろうね?」
セツナは呟きながら、研究室独特の代わり映えもしない部屋を眺めていた。
「セネカも、君を忘れてはいないだろう。態度に出すことはないが」
「はいはい、それは何度も聞いてるよ。君に関しては、随分と独特な手段で記録を残してるみたいだけど……よくやるよね」
当時、ブリューゲルは瘴気の研究をしていた。そして大きな事件が起こり、セツナはフィルモニアとともに研究所へと収容されることになった。
ブリューゲルはカルテを見ながら、セツナに言葉を返した。
「『世界の記憶に残らない』厄介な症例……といえばいいのか分からないが、興味はある。それが後天性なのか、先天性なのか。だとすれば、君は何処から来たのか……それは、間違いなく一つの真理に対する答えだと確信している」
「そんなもの、世に溢れてるでしょ。ほら、瘴気って呼ばれるものとか。あと、君の大好きな勇者くんとかね」
瘴気というものが溢れかえる世界で、いくつ超常的なものが生まれたのか。それは誰にも分からない。その中でも、この研究所には二人の特例がいた。
「そんな冗談は言わないほうがいい。茶化すのは嫌いな男だ。……彼は、どう調査をしても人間という結論しか出ない。明らかに異常であるにも関わらず人の身であり続け、人の域を超えている」
「ともかく、君の話に戻ろう。君には瘴気の影響があまり見られない。もしその仕組みを解き明かすことができれば、人は瘴気のある世界でも人として生きていくことができるだろう」
そう口にするブリューゲルの表情を観察しながら、セツナはその主張に綻びを見いだしていた。それは、可能性に過ぎないのだ。例え、瘴気の研究に対する天才であったとしても、人体に詳しくはないように。
「それを真似できればね。でも、誰の記憶にも残らない存在になるかもしれない。それを選べる人は、どれくらいいるのかな?」
「少なくとも、今の日常は失われるだろう。だが、存続するうえでの選択肢にはなる。君の力も含めて」
そうならないように、と願いつつもブリューゲルという男はその可能性に目を向けていた。
*
「もう十一年にもなるかな。研究所は瘴気にのみ込まれ、結局多くの研究者が散り散りになった。実際、集まった人は優秀だったと思うよ。でも、所詮研究者であって対処の専門家じゃない」
セツナはサーチェスの身体を足で粉々に砕きながら、残念そうに言った。爆発の余波で、サーチェスの体は粉々に砕け、四散している。
「で、その中にうちの資料を持ち出した人間がいることも知ってた。ブリューゲルの保管していたものだったからね。彼は誰がそれを盗んだのかも、何となく察しがついてるみたいだった。でも、それを探すことはしなかった。なぜだと思う?」
口のない者に返答することはできない。
それでも、サーチェスは自らが受けている屈辱から歯軋りするような怒りの声が聞こえた気がした。
「それはね、研究を続けさせた方がメリットが大きかったからだよ。いくら知者と呼ばれても、資源には限りがある。集中させすぎると政治的にも問題があるから、それが危うくても分散させた方が理に適っていた。うちもそれに了承した」
一つ一つ、語りかけるようにセツナは芝居じみた話し方をする。
「つまり、君はおこぼれで生き延びられていたのに、瘴気によって人類の進化を促す? そんな思想、数年も前に根絶させたと思ったけど、やっぱり縋る人っているんだね」
呆れたように、つまらなさそうに、少しいらただしげに、セツナはその残骸を睨む。
「君の新世界に人の居場所なんてないよ。だって、君の考えたのは机とにらめっこしてできた妄想。君のおもちゃになるつもりなんて、誰にもない」
『──ジジッ、──だが、我々は──檻に囚われて──いる。そうだろう?』
何処からか声が響き渡り、地面が大きく揺れる。
『私としては──穏当に進められれば──だが、それは絶対条件ではない。私は──必要ならこの檻ごと吹き飛ばしてやるつもり──だよ』
照らしていた光が、赤色灯に変わる。
仄暗いなかで、明滅する赤い光が何かの訪れを告げていた。
『確かに盗作なのは認めよう──とはいえ、それが本物であることにかわりはない。必要なのは、本物か借り物かという問答ではなく、破壊なのだから』
ありとあらゆる瓦礫が何処からか引力によって吸い込まれていく。
『──そう、何事も時間と知恵さえあれば──乗り越えられる。だが、我々は再び危険な野原に戻らねばならない。安逸は毒だ、何処までも毒だ。ブリューゲルが、研究者としての本分を捨てこの檻を作ったのなら──瘴気であろうと、何であろうと──私は人を繋ぎ止める鎖を断ち切るまで』




