二律錯綜
リーナフェルトはシェイラを連れて裁判所まで来た。その近くで待っていた女性がリーナフェルトに気付くと、つかつかと歩み寄った。
「姉さん…勤務中に電話をかけないで。もうしないでって、前にも言ったのに」
「ノエルは相変わらず頭が硬いね。何事にも例外はあってしかるべき。さ、姉に免じて時間をちょうだい」
両手を合わせて頼み込むリーナフェルトに、ノエルは視線を逸らした。
「……駄目、もっと誠意を持って私に頼んで。せっかくの休憩時間だったのに…。姉さんはいつも無茶振りするんだから、そのくらいちゃんとやってくれないと頷かないよ」
「はいはい。お願いします、ノエル様。あなただけが頼りなんだから、手を貸して」
それで機嫌を良くしたのか、仕方なさそうに頷いた。
「それで、何を私に頼みに来たの?」
「大したことじゃないよ。ノエルのところの議長さんに取りついでくれる?」
リーナフェルトがそう口にした瞬間に、ノエルの表情は曇っていく。
「そんなに不機嫌になること?」
「…そういうわけじゃないけど。上司、だからといって簡単に呼ぶことなんてできないよ」
「でも、親しいんだよね? 家ではよく──」
わわわ、とノエルは取り乱してリーナフェルトの口を塞いだ。
「家のことは今言わないで! ……もうっ。というか、それは必要なことなの? 議長だって忙しいのよ。『事情は後で説明する』なんて、思わせぶりなこと言って。私、何も事情知らないのに…」
ふふん、とリーナフェルトは自慢げに口にした。
「この都市に不満があるなら、それを作った内の一人に直談判したほうがすっきりするんじゃないかなって」
*
「というわけで、不満があるならブリューゲルさんと話せばいい。ほら、あなたの大事な人たちの生活を変えられるかもしれない」
「頼んでない……」
シェイラはリーナフェルトの顔を見ずに、車の端っこで答えた。
「……どうせ、私たちのことなんて惨めな人間としてしか見てないんだよね? なら、私たちがどんなふうに生きてきたのかを、憐れに思われたりなんてしたくない」
突き放すように言い放ちながらも、シェイラは反抗的な態度に演じることに疲れていた。
(どうして……放置してくれないの?)
嘘をついているわけではない。それでも、そんな不満なんてわざわざ口にすることなんてなかった。シェイラ自身も、自分がどう思っているのか混乱し始めるくらいに頭がぐちゃぐちゃとした感覚に囚われていた。
「そう怒らないで。そんなつもりはないし、馬鹿になんてしない。必死で生きていることを批判する資格なんて誰にもない」
「きらびやかな言葉ばかり…。なら、どうして私たちの……ただ普通に暮らしていきたいって願いは許されないの? どうして私たちの想いを踏みにじる人がいるの? 全然答えになってない!」
虚勢を貼り付けても、シェイラの心の痛みは消えなかった。
(どうしてこんなにも、私たちは無力なんだろう…。自分の意思で、何もできない)
湧き上がるのは虚しさだけ。嫌われることも、心を殺すことも、せめてそれだけでもと思うものすら叶えることを許されない。
顔を背けて静かになったシェイラに、リーナフェルトは穏やかに話しかける。
「答え、なんて便利なものがあったらいいけど。それが世の中の病理なのか、それとも悪意なのか。私たちは正しい方向に進んでいるのか、間違っているのか。でも、確かに分かるのはシェイラが傷を抱えて苦しんでいるってこと」
リーナフェルトは、シェイラがどんなふうに生活してきて、どんな痛みや傷を負ってきたのかを知らない。それを癒やす方法も知らない。
「あなたからしたら、私は偽善者なのかもしれないね。そうなってほしいってことを言っただけ。それは認めるよ。確かに悪意を持つ人はいなくならないし、世の中は全然公正じゃない。あなたたちは不当な扱いを受けてきた。これは事実」
リーナフェルトは昔から甘いと評価されてきた。大抵のことは妥協し、気楽に振る舞うことを好む。軽い付き合いを好み、正義なんてものとは無縁に生きてきた。
そういう意味では、警察という職業はリーナフェルトにとっては普段の自分とは異なる環境で異なる役割を求められた。
「警察、なんて仕事をしてると色んな事情を持った人と会うことになるんだよね。彼らの犯罪にはそうならざるおえない理由があるのかもしれない。でも、それで職務を放棄することはできない」
責任と規律。
それを嫌というほど叩き込まれ、それに対して不満に思ったこともある。しかし、その重さも身に沁みている。
「私の仕事は治安を維持すること。それはつまり、人が幸福に生きられる場所を守るってこと。生きるために必死だとしても、それが他者を傷つけてしまわないようにね」
とはいえ、それで全てが解決できるのなら苦労はしない、とリーナフェルトはため息を吐いた。時として、命であれ人生であれ取り返しのつかないものを賭けてでも願うことを否定できない。
その時は、リーナフェルトも命を賭けて迎え撃つしかないと覚悟している。
「あなたが苦しんでるのに、私はそれに寄り添ってはあげられない。立場があるからね。ただ、一個人としては……あなたを見捨てたりはしたくない。これから先は長いのに、それを全て棒に振るようなことはしてほしくないな」
覚悟はしているが、そのことを難しく悩むつもりもない。リーナフェルトは哲学者ではなく、ただゲームが好きな一人の人間に過ぎないのだから。
誰であろうと、幸せになってほしいと願うことを辞めたりはしない。
話し終えたあとも表情を見せないシェイラに、リーナフェルトは苦笑した。
「ああ、そうだ。ブリューゲルさんに会うのは明日だから、身嗜みに気をつけないと。……正直、匂うよ」
ピクっ、とシェイラの肩が反応したのを見て、リーナフェルトは愉快そうに笑う。
「まずは風呂に入ろうか。身体は流してあげるよ」




