混じり合う水面で
シェイラは機会を窺って一日が過ぎた頃、疲れでベッドにぐったりと横になっていた。
(……暇)
有り体に言えば、何も出来なかった。
それはヒスイに隙がなかったというわけではない。
簡単に言えば、何も手を付けさせてくれなかった。
警戒とか、そういうものではなく、単純にヒスイが一人で忙しく家事でも道場でも動き回っている中で、シェイラは「好きにしていい」と言われて放置されていた。
正直、ナイフ一本で襲っても心許ない。
よく考えてみれば、銃の一つでも仲間からもらえばよかった。そんなことを考えながら、シェイラは自身の親友兼ペットのキマイラのじゃれ合いに付き合ってあげた。
*
キマイラは、首領がシェイラに人形代わりでくれた機械だった。首領はシェイラのように身寄りのない子どもたちを保護して、自分で生きていけるようにと支援をしていた。けれど、その多くは都市で受け入れられることはなかった。
物書きや簡単な計算はできても、それ以上の知識や教養がない。未来には肉体労働くらいしか働く場が用意されていない。そして、次に再会できないことも珍しくはなかった。
別に楽しいことがないわけでもない。
みんな楽しいことが好きで、騒いだり、踊ったり、酒を飲んだり、ささやかでも…気を紛らわせるものであったとしても、愉快な時間だったことにかわりはない。
けれど、だからこそ一度沈んでしまえば、浮き上がるのは難しい。“聖血”と呼ばれるものにある幻惑作用や陶酔感を与えるものが簡単に流行ってしまう。
搾り取られて、奪われていく。
惨めな人間から、人としての尊厳さえ。
だから、首領はそうならないように互助団体を作って蔓延を阻止しようとした。その原因を突き止めようとした。
そして、その悪党に罪を贖わせようと……
でも、それを告発してもすぐにもみ消された。
それどころか、圧力をかけてみんなに迫った。
『職を失いたいですか? こちらには、貴方たちの代わりなどいくらでもいますから』
よりにもよって、それに手を出していたのはこの一帯の企業を束ねるお偉いさんだったらしい。特に細かいことを、大人は子どもに教えなかった。
それでも、その時の下等と切り捨てて見下す目線を今でも覚えている。
*
復讐が悪なら、立場の弱い人間はどう守ればいいのか。屈辱を受けて、地に這って、それでも誰かの機嫌を窺わなければならないのか。
(そうして…みんな、首領の元から離れた)
首領の頑張りを間近で見ていたシェイラにとって、離れていく人を引き留められないことに無力さを感じていた。
誰が悪いわけでもない。
ただ、どんなに頑張っても報われることもない。
そして一歩を踏み出すこと以外にどうすることもできなかった。
「アウー、アウアウ」
「…ん、大丈夫。忘れてたわけじゃないよ」
手元で拗ねたキマイラの喉を撫でて、機嫌をとる。
「気持ちいい?」
「アウー!」
優しく撫でても、心地良い毛並みも温かさもない。
でも、そういった触れ合う時間を無意味だと思わない。
(私は、辛くても一緒にいられれば良かったけど…)
結局、首領は反抗組織のリーダーになった。
どうしてそうなったのか、理由は分からない。
でも、首領がそう決めたのなら、とシェイラは受け入れていた。そして、散っていたみんなが集まったときの嬉しさを今でも覚えている。
もう二度と、あの頃のように無邪気な時間が戻らないとしても。きっと、今を乗り越えなければ次はない。そのために必要なことなら、何でもする。
(子どもだからって、仲間外れはもう嫌…)
そんなことを鬱々と考えて、重くなった頭のままベッドに横になり、気付けばぐっすりと寝てしまっていた。
(今日、何もしてない…)
ただ遊んで、昼寝をしただけ。
そこら辺にいる子供と何も変わらない。
外をみれば、既に暗くなっていた。
よく考えてみれば、ここに来ることだけを考えて、何か着替えの服や他のものを用意したわけでもない。
(なら、寝込みを襲おう)
内側に入れているのであれば、それくらい簡単にできる。そうすれば、すぐに帰れる。邪魔もされない。
*
ヒスイはリビングで休んでいた。ソファーに体を預け、無防備な姿を晒している。シェイラは音が出ないように忍び寄った。これなら、抵抗する暇もない。
(狙うなら、心臓…)
自身よりも一回り大きいヒスイの上に乗って、狙いを定める。そうすれば、力のない腕でも体重をかければ心臓まで刃が達するはずだ。
「死んで…!」
そう口にしてしまったのは、覚悟が欲しかったから。薄っすらと目を開けたヒスイと目が合い、目の前にいるのが生きた人間だということを認識して手が震えても、勢いに任せて刺し殺すため。
刺さる直前、思わず目を瞑って顔を背けた。
しかし、ナイフに伝わる感触は何時までたってもやってこない。
シェイラが閉じていた瞳を躊躇いながら開けると、そこには横からナイフを直接掴む一本の手によって止められていた。
「あ…」
自然と、止めた人間へと視線が動く。
その目は煮え滾るような怒りを込めてシェイラを睨んだ。ぽたぽたと頬に落ちる血が、ヒスイの頭を覚醒させる。
「コハク! 一体何が…」
気付いたときには、喉に剣が添えられていた。
まるで水面のように、その剣はコハクの鋭い視線を反射していた。




