誰も逃れられないのなら
「終わったぁ〜」
ミシェルはブリューゲルから渡された市長としての課題のようなものを終えて、ぐぅっ〜と体を伸ばした。
「お疲れ様でした、お嬢様。お飲み物をお持ちしましたよ」
「ワル爺〜、ありがと!」
お茶に砂糖、ミルクを遠慮なく入れてミシェルは紅茶を飲んだ。オズワルドはそれを苦笑しながら、ミシェルの机に広がった書類や道具を片付け始めた。
「そろそろアリア様たちが来るでしょう。それまでのんびりとされては?」
「そうだね。頑張りすぎても仕方ないし、ほら、私って文武両道の天才美少女だから」
きらっ、とポーズをして、ミシェルはかわいこぶる。
「そうですね、もう少し…お転婆が治ればよいのですが」
「ほら、完璧なものってすぐに壊れるって言うから。でも、その欠陥も私の完璧さを損なうものではないけどね!」
「そうですね」
適当に相槌を打って、オズワルドはあしらった。ミルクティーを飲んでいると、凄まじい轟音が響き渡った。
ミシェルとオズワルドは窓からすぐに外の様子を確認した。
「…オズワルド、あっちには何がある?」
「色々とありますが、主だったところとなると裁判所かと」
間違いなく何かが起きた、それは誰にでも分かることだった。問題は、ミシェルは先ほどからひりつくような緊張を既に感じていたことだった。
「今すぐ防備を──」
「お嬢様っ、失礼!」
オズワルドはミシェルに覆い被さるようにその場に蹲った。その瞬間、ドォンッ! と轟音と共に窓ガラスが砕け散る。
無数に割れたガラスの破片が光を乱反射し、鋭い武器となって二人に振り注いだ。
「オズワルド!」
「なに、大丈夫ですよ…。っ、流石に老体には堪えますがね」
二人は壁を遮蔽物にして、壊れた窓から外の様子を窺った。何処かに隠れていたのか、銃を武装した兵士たちがこちらに銃口を向けている。
『今すぐ降伏しろ。抵抗しなければ、こちらから命を奪うことはない』
拡声器によるものなのか、重厚感のある男の声が響き渡る。
『繰り返す。今すぐ抵抗を諦めて降伏しろ。俺たちの目的はお前たちの命ではない。抵抗しなければ、無駄に血を流すこともないだろう』
「…? こんなことをしておいて、そんな保証を信じるとでも?」
ミシェルは堂々と姿を晒して、その声に負けない確かな響きで反論する。
『俺が、保証しよう。市長代理ミッセル・マイヤー。俺たちの目的は──』
「それはできないね。君たちのやってることは、この都市の安寧を脅かすことだよ。多くの人たちが築いてきた秩序を破壊する行為を、見過ごせというなら──それなりの対価は覚悟しないと」
兵士たちの銃口が、鋭い視線がミシェルへと向けられる。トリガーを一つでも引けば、その瞬間に取り返しのつかないことになる……少なくとも、この段階で交渉する余地なんてない。
「私たちは最後まで抵抗するよ。君たちに、土足で上がらせるわけにはいかない。そもそも、君たちから引き金を引いたのに、どうしてそれを信じられるとでも?」
兵士が引き金を引こうとした直前、その兵士の胸は銃によって撃ち抜かれる。庁舎の警備員によって。
「ここはもう、戦場だよ」
*
激しい戦闘の音が庁舎で響き渡る。
銃弾だけではない、建物を壊そうと放たれる大砲の音、それを阻む張り巡らされたバリア、兵士たちの雄叫び……この庁舎は文字通り戦場へとすぐさま移り変わった。
庁舎のシェルターを作戦室として、ミシェルとオズワルドは情報を整理していた。
「どう思う?」
「全体の統率は取れていないようですが、既に包囲され、数も多い。籠城するしかないでしょう」
オズワルドは既に前線で情報を受け取り、あの兵士たちの中に旧軍の武器が流用されていること、グルーでそれぞれ別に動いていることを掴んでいた。
「援軍が来るまでってことだね。……あの人たちの目的って、地下だよね?」
「間違いないでしょう。どうやら、通信によると同時刻に治療院も襲撃にあっているようですから。……まあ、あちらの堅牢さはここと並びます。今はこちらに専念するしかないでしょう」
ミシェルは努めて冷静に振る舞った。
心を揺らがさず、絶対に守らなければならない点を堅実に抑える。
「このことから、おそらく敵は隠れていた反乱分子。旧軍時代に抜け出した兵士や聖血の狂信者、そしてこの都市に不満を持つ者たちが利益によって結託したのでしょう」
オズワルドはひとしきり語ったあと、普段の軽い態度を捨てたミシェルを見た。結局のところ、因縁は過去のものであって、若いミシェルがこの場に立つ必要はない。しかし、無縁でもいられない非情さをオズワルドは感じていた。
「お嬢様は、地下にお逃げください。万が一にも貴方を失うわけにはいきませんから」
「え、嫌だよ。むしろ、何がいつ迫ってきてるのか知らない方が不安だもん」
ミシェルは子どものようにわがままを言う。
「なら、ここに逃げ込んできたアリア様とテッド様を地下に送り届けてください。あそこなら、ここが陥落してもまだ耐えられます」
「それはオズワルドがやってよ。負傷してるのはワル爺のほうなんだから」
そして、その言葉は全てがわがままというわけでもない。ここが墜ちたら、全てが終わる。ここは都市の中心部にして、心臓なのだから。
「大丈夫だよ。前に出過ぎたりはしないから、それに……思ったよりも状況は悪くないかもしれない。分かるでしょ?」
ミシェルの目には確信が宿っていた。
オズワルドは、こうなったら止まらないと覚悟することにした。
「……はぁっ、分かりました。私が護送しましょう。しかし、油断をしてはいけませんよ」
納得してくれたオズワルドに、ミシェルは笑う。
「『足元が崩れたと思った瞬間には、致命傷を負っている』だよね。覚えてるよ。そっちも気をつけてね」




