朝露に濡れて
イロハは治療院に帰ってくると、同じ顔をした仲間たちが迎えてくれた。
「ねえ、168番! 何してきたの?」
「今日は良い人たちに出会いました」
まだ自身より幼い子たちに楽しかったことを共有する。それがイロハの日課だ。
「帰ってきてたのか、イロハ。今日はやけに遅かったな」
治療院の研究者たちがイロハを出迎える。
「はい、あの長い大きいパフェを食べました。ヒスイさんとも会って、それから…」
よそ行きの話し方を捨てて、メモを見せながら、純粋な子どものように楽しかったことを取り留めもなく語る。
「また甘いものを食べたのか…」
「あっ、駄目でした? しばらくはソフトクリーム、食べられませんか?」
落ち込んだ様子のイロハに、つい口から先走った研究者が別の研究者に肘鉄を食らわせられる。
「少し厳しいかもしれないけど、イロハちゃんも背が伸びてきたからもう少し食べても許されるかもしれないね」
「…分かりました、わがままを言ってすみません」
「ううん、イロハちゃんは良い子なんだから。もう少しくらいわがままを言っても─」
「おい、お前最近イロハに甘いな。甘味にでもなりたいのか?」
「…そんなつもりじゃ、」
「いいから来い」
「あはは。甘味のお兄さん、また会いましょう」
研究者たちが何処かへと消えていく様子を見送り、イロハは姉妹たちと部屋に戻っていった。
食事の時間になると、それぞれに合わせたメニューが配給される。ただ、イロハには特別質素なものが与えられている。
「イロハの美味しそうじゃないね、私のあげようか?」
他の姉妹が声をかけるが、イロハは首を振る。
「ううん、これは甘味のためだから」
お風呂はまだ未熟な姉妹の着替えを手伝い、就寝時間には誰よりも早く寝る。
イロハは床につきながら、今日の幸福を思い返していた。
*
そんな様子を無駄に大きな大スクリーンに映しながら、一人の女性が見つめている。
「彼女たちは天使よ! 世界を救う希望よ!」
治療院の院長はそんなことを恥ずかしげもなく大声で口にする。感極まったように。
「……まあ、うちの子よりもいい子ですけど…」
院長室に偶然入ってきた職員は何ともいえない表情でその光景から目をそらした。
「……まるで変態を見るような目で見ないでくれ。これだから大人は嫌いなんだ。醜いとばかり決めつけて、本当の美を見ようともしない」
「プライベートガン無視な態度はまごうことなき変態だと思いますけど」
「なっ、さすがに私だって全てを見ようってわけじゃないんだから。苦手なものを必死で食べようとする様子は好きだし、あどけない寝顔も好きだけどさ」
「……聞いてないです」
「ともかく、何の用だ?」
院長は書類を確認しながら、ため息をついた。
「……予算の削減だの、バカバカしい。その削ったもので彼女たちより価値があるものはあるのか?」
「ないとは思いますが…」
またふざけ始めたのかと聞き流そうとした職員を、院長は真剣な表情で見つめる。
「本当は…この予算が“聖血”に付けられてるなど、私も言いたくない。だが、私たちは研究者だ。そして、社会への貢献を求められる立場にいる」
「……そうですね」
「彼女たちの血があれば多くの命が救える。この重みを、私たちは背負っているんだ……そして彼女たちは私たち以上に重みを背負っている。ふふっ、皮肉なものだな。守るべき大人があの子たちより素晴らしいとどうして言えるのか。ははっ、私は時々分からなくなるよ」
院長は疲れたように空を見上げる。
「私は、最後まで彼女たちを見守る。それだけよ」
*
イロハは夢を見ていた。
それはカフェでヒスイと見た二階からの景色。
その通りを楽しそうに歩く親子の姿。
(家族……母……)
コピーからすればオリジナルは母といえるのだろうか。そんなことを取り留めもなく考えながら、夢を見ている。
(そんな人がいれば、もっと甘いものを頼んでもいいのでしょうか…)
甘いものが好きなのは、食べれば幸福にしてくれるから。それに、誰もが甘いものに夢中でイロハの存在に気づかない。
(今日は…思い出にもなりました)
誰かと食べる、それは幸福なことなのだとイロハは思った。姉妹と食べるのは楽しいが、何となく姉妹たちと食べるのとは違うと感じていた。
(多分、他人だから……)
姉妹と食べれば同じようにお腹が満たされる気がする。しかし、ヒスイと食べてもそんな感覚にはならなかった。代わりに、あげたソフトクリームを食べたときの表情を見て、その新鮮な感覚に嬉しくなった。
(疲れた……今日はもう寝よう)
そうして一日が明ける。
それが“イロハ”の日常だ。




