黄金に煌めく変奏の旋律
流れが変わる。
楽団の大衆が重厚で身体の芯まで轟く音を響かせる。凶事を告げるのは死肉を貪ろうとする鴉の群れだった。紅い瞳が地に伏した人々を射抜く。
まず世界に蔓延ったのは人々を疑心暗鬼に陥れる狂気だった。瘴気に汚染された人々は理性を失い、老若男女関係なく襲いかかり獣の参列へと招き寄せる。
アリアは狂乱の中で祈りと哀悼が引き裂かれる鋭い音から徐々に周囲に呑まれて、余韻すらも風を揺蕩う葉のように水面に呑まれて消えた。
*
「その頃の悲痛な感情を、世界がどうしようもなく変わっていく恐怖を、ワタシたちは知らないわ」
アリアは団員たちの前でプログラムの説明をする。
「なんとか想像力で補うのか?」
一人の団員の言葉に、アリアは笑う。
「バカね、いるじゃない。その時代を渡ってきたものがそこに」
*
“共鳴”された楽器が奏者と結びつき、かつての記憶を共有する。いや、記憶だけではない感情や思い出すらも、その人物の全てが一音一音にのしかかる。
芸術など、災害を前にすればすぐに捨てられた。
故郷を捨てて逃げ延びれば、持ち込んだ楽器も人の身体を暖めるための薪として求められた。
そのために、引き絞るように身体を縮め、楽器を身体で隠した。仲間との交流は最小限にした。また会う約束をしながらも、集うことを諦めていた。
諦観の旋律が周囲を支配し始めた。
音楽など、あの時代では幻想に浸るためだけのまやかしに過ぎなかった。時代が終わったのだ。
二度と美だけを追求することができなくなる。
人々を鼓舞する音楽を奏でた。
あの頃の平穏な日常を、ただ生きることが許された日々の呑気で軽快な音楽を紡いだ。
しかし、それらは酒やアルコールと同じ、苦しみを軽減して延命する措置でしかない。
けれど、人々には立ち上がる気力がなかった。
それくらい、疲弊していた。希望などなかった。
篝火は皆を照らして爆ぜながらも、それが行き先を照らすことはなかった。
絶望の色が楽器たちに宿っていく。
たとえ絶望に打ちひしがれたとしても、それでも人生はまだ続く。
*
「あの時代、この都市の誕生と勇者の登場は閃光のように眩かったのでしょうね」
“共鳴”して覗いた記憶を共有して、アリアはさらに微調整をかける。
事実そのものを伝えるわけではない。
芸術とはいつだって美の側面に過ぎないのだから。
「それまでの流れはアナタたちに任せる。ワタシが舞台に上がるまで、何としてでも鑑賞者たちの感情を揺さぶりなさい。そのくらいの調律はできるわよね。テッド!」
*
テッドは指揮棒を振りながら、直感に従って、いや、かつて指揮者であった面影を捉えながら操っていた。
目の前に参考になる絵が立てかけられているようなものだ。その時に感じた感情という絵の具を空白のキャンパスに写すように、整えてエキストラを誘導する。
希望の都市に向けて多くの人々が目指してゆく。
かつての楽器の持ち主であった人々は再び結集し、未来に心を躍らせながら、抱えた楽器を大切に胸にしまっていた。
そこに何か甘い思いがあったわけでもない。
ただ、この都市で新たに芸術の種を植えたかった。
再び、芽が成長し色付くところを見たかった。
だが、その日は十一年前の今日。
最も強大な災害が到来した日、結界が内と外を隔てた日だ。
駆ける駆ける。旋律も人も、自分の命でもそれ以上に大事なものでも残すために。仲間が瘴気に呑まれても、後ろから魔物に襲われても、これだけは失うわけにはいかなかった。
これだけは奪われるわけにはいかなかった。
何処までも鮮烈で、引き裂く音が響き渡る。
アリアが指に力を込めて、その流星を語る。
身体を弓のように引き絞り、鋭く沈み込むように奏でられるは最高の戦士の勇姿。
何処までも無慈悲に、何処までも孤高に、手にした槍は敵を貫く。瞬く間に敵は消え去った。
勇者は瀕死の奏者たちに気づき、振り返る。
しかし、勇者の前には空を覆うほどの瘴気が迫ってきていた。勇者は槍を地面に突き刺した。
『行け』
ただそれだけを口にして、背後を指差す。
振り返ることはなかった。
振り返ることもできなかった。
彼らはひたすらにこの楽器を抱えて都市へと駆け込んだ。この身がどうなろうとも、それだけを為すために。出血で、朦朧とする意識の中で。
視界は暗転する。
彼らがもう音を奏でることはない。
それでも新たな者が楽器を握り、新たな楽章を打ち立てると夢見て。




