好転
オーケストラの方では、ヒスイがこの問題に対してある対応策を考えていた。
「なあ、テッド。一つ楽器を貸してもらってもいいか?」
「それは構わないが…ふむ、分かった。考えがあるなら手伝おう」
テッドは団員の持っている楽器を一つ手渡した。
「何をするんだ?」
テッドがヒスイを見ると、楽器を机の上に置いて真剣な表情で指を触れさせた。すると、光の膜が楽器を包み込む。
楽器を包み込んだ光は、ヒスイが気を緩めると空気に消えた。
「さっき、術を使ってみた。上手く行けば瘴気が何処を汚染していているかを特定して浄化できるかもしれない」
「術…ああ、お前は守護者の弟子だったな。そんな不思議なこともできるのか。それで何をしたんだ?」
「瘴気に汚染された箇所と正常な箇所に境目を作って剥離してみただけだ。……ただ、もう少し探らないと楽器にダメージを与えるかもしれないな」
ヒスイは師匠の手際を思い出す。
師匠は触れただけで瘴気の穢れを浄化することができた。精密に、素早く、羽が舞うような軽やかさで。
(自分にはそこまでの知識も経験もない…)
なら、今から知ればいい。
今ここに師匠はいないのだから、拙くとも自分でやるしかない。そうやってコハクと一緒に生きてきた。
汚染箇所と正常な箇所の違いを決めるものはなんだろうか?
「私から少しいいかな」
ヒスイが頭を悩ませているのを見て、院長は思い付いた推測を口にすることにした。
「瘴気というものは無機物や有機物問わずに変質させるが、ここまで特殊なものは滅多にないだろう。特に、有機物に対しては“生きているか”が重要になる。
人はそれぞれの形で瘴気と適応しているわけだからな。
生きているといっても、それが単に生命活動の持続か、はたまた魂や意識というものが消えるまでかは分からないが」
「だとすれば……他の術を使ってもいいかもしれない」
ひらめきがヒスイの頭の中で駆け巡る。
空間に干渉することで結界を張り、
人の心に干渉することで読心術を、
剣に力を込めることで斬撃を放つ。
根源は同じでも、まるで違う道具のように扱ってきた。しかし、その対象が必ずしも断定できないのなら、形式に固執しなくてもいいかもしれない。
頭の中で、師匠の教えがそこへと導いているかのように滑らかに、確実に、繋がっていく。
「すまん、俺には何が何だか…」
「おそらく置換をしているのだろう。
物事には型というものがあるが、それは上達するために最適化された知識に過ぎない。
例えば、道具には用途が予め決められていると捉えるのが普通だ。誰も剣で料理しようとは思わないだろう。しかし、包丁でも剣でも機能自体は同じだ。類似するものを置換することで、連想を活性化させる。
つまりは、ヒスイ君は術の力を本来の用途とは別に応用しようとしている」
テッドは院長の言葉を呑み込んだあと、ふっ、と笑った。
「守破離ってことか。……コンサートを満足するためにそこまで尽力してくれてるなら、俺らも負けちゃいられないな。そうだろ、みんな!」
テッドは気落ちしていた仲間たちを鼓舞した。その言葉に、楽団の演奏家たちは目に輝きを取り戻す。
「何で音楽を始めた? なぜ音楽を続ける? そんなの簡単だ。俺らが俺らの音楽を紡ぐためだ! こと音楽において、俺らより負けず嫌いはいない。できないってんなら、できるまでやり遂げる! それが俺らがやってきたことだろ!」
「そうだ!」「挑戦してやろうじゃないの!」
「アリアに言わせてばっかでいいのか、お前ら!」
「絶対超える!」「エキストラでも、負けない…!」
「なら、お前らの音で知らしめろ。俺らにはそうする以外に、他はないんだからな」
テッドは指揮者として、空気を掌握した。
翳りを払拭し、自信を漲らせて。
「彼もなかなかやるな…。イロハ、しっかり見たか?」
「はい、空気が変わりました…! あんなに爛々と目を輝かせるなんて、魔法みたいです!」
人々に活力を漲らせる魔法。
それは聖血を持つイロハでもできないことだ。
そして、願わくば周囲の人たちにそういう存在として認められたい、とイロハは思った。
*
「これならどうだ…?」
ヒスイは自分の力を、意識を楽器へと浸透させていく。ヒスイはすぐに“それ”に気付いた。
楽器を変質させたものとは何か?
ヒスイは意識を傾け、瘴気によって残されたもの、そこに刻まれた記憶へと落ちていった。




