迷霧に隠れた不協和音
一方その頃、ヒスイとテッドは黄金楽団の演奏家たちと共に“不協和音”の調査に乗り出していた。
設備の整った部屋で彼らは何度も調律しようとやる気を出して挑戦していたが、どうにも上手くいかないのか次第に表情を曇らせていた。
「これがスランプ…?」という声が聞こえたところで、テッドは休憩の時間にした。テッドは何かを考えていたようだが、ヒスイが近づくとそんなことはなかったかのように普段通りの様子を見せた。
「協力してもらってありがとな。お前も疲れたのなら休んでもらっていい。そうだ。楽団のみんなにうちの家から果物をもらっているから、ヒスイは何か好きな果物はあるか? 取ってこよう」
「そこまでしなくていい。なんというか、テッドといると甘やかされてる感じがするな…。うん、とりあえず進展がないわけだから、誰か他の人を読んでもいいと思う。もしかしたら、予想外の発見があるかもしれない」
「お、ヒスイは顔が広いんだな。頼りになるな」
(まずい……少し期待させてしまったか? 音楽の得意な知り合いというと、特に趣味としては聞かないな。可能性があるとしたら、セツナとか? 多芸そうだけれど、協力してくれるかどうか……)
連絡先に電話してみると、現在は使用できませんと返ってきた。他の人に期待したほうがいいかもしれない。そもそも、彼女が関わることでより大きなトラブルが起きる可能性の方が高い。
(あとは……)
教養がありそうで、こういった悩みを解決するのに適した人物──一人心当たりがあったが、すぐに頭から追い出した。
(ブリューゲル・フォルクハイム……師匠の件で一度会ったとはいえ、知り合いというほど面識もない。テレビで見る彼は冷徹な正義の執行者そのものだ。話を持ちかける理由もない。他を考えよう)
(知的で、なおかつ観察眼があって論理的に問題を解明できそうな人物)
ヒスイは早速電話をかけた。
*
「ふむ、それで私が呼ばれたわけか……まあ、悪い気はしないが」
院長は普段とは違い、白衣も丸眼鏡も外して鋭い切れ長の目を整えられた髪の隙間から晒していた。
「えっと、何か用事でも…?」
「そういうわけでもない。丁度いい機会だから、イロハに良い店へ連れて行きたくてね。君も来るか? 私が奢ろう」
その姿はスラリとしていて所作の一つ一つが洗練され輝いて見えた。少し離れたところから「何あのイケメン…!」という感嘆まで耳に入ってくる。
ヒスイは視線を同じようにお洒落をしたイロハへと向けた。
「その服、すごく似合ってると思うよ」
「あはは…院長さんとショッピングに行ったんです。その時に、院長さんは私の為に服をいっぱい買ってしまって…」
「イロハが着れなくなってもあの子たちが着るのだから問題ない。これは無駄遣いじゃない……そもそも、私に他の使い道もないしな。君たちのために経済が潤うのだから、悪いことではないだろう」
「もうっ、こんな屁理屈をいうんですよ? お金は大切にしないと、何処かに消えちゃうんですから」
頬を膨らませてイロハは怒る。
院長はそれを口元に手を当てて笑うだけだ。
「大人は好きな時に、好きなように使うものだ」
*
「ふむ、私はさして音楽に造詣が深いわけでもないから、あくまで一般論として言わせてもらおう。ここまで上手くいかないとなると、前提がおかしいのだろう。君たちに問題があるのではなく、楽器に問題があるんだと私なら考えるが」
「それは一度考えた。ただ、点検しても問題は見つからなかった。」
「なら、その点検で見るべきところをみていなかったのだろう。……少し貸してくれ」
院長は楽器を借りて軽く演奏をした。それは少なくとも、知っている人の動きだった。
イロハも驚いた目で院長を見つめる。
「鈍っているな…それはともかくとして、この楽器は何処から持ってきたものか教えてくれるか?」
「それは十一年前の災害の時に、かつて存在した楽団が命と引き換えに取り戻してきた楽器だ。毎回、このイベントのたびに使われるらしい」
「……ふむ、つまりは瘴気に晒されたことがあるんだな? 未だに楽器は木材の希少化のために高騰してるとも聞くし、大切に管理されてきたのだろう」
「何か気づいたのか?」
「私の研究は元々、フィルモニア様の血液が中心にあったからな。そして、その血は瘴気と混ざり合うことで生まれた特異なものだ。それ故かは分からないが、瘴気の持つ特性と類似した性質を持っている」
「聖血の本質は同化することにある。瘴気は呑み込むことに本質があるが……二つを分けるのはどちらが主体を持つのか、ということだ。
瘴気は色で言えば黒みたいなもので、好きなように色を濁していく。それは不可逆に生命へ適応を促すんだ。
反対に、聖血は同化されることで人の肉体に馴染んで傷口を塞ぐ。色で言えば透明そのものだが、色を吸収して自ら人の肉体へと適応する。
簡単に言えば、傷口で失った場所の代替となる。以前、どの程度の割合聖血に置換されたら人と呼べるのかという話題もあったが……」
院長は頭の中で推測を膨らませたが、それは現状で大事なことではないと切り捨てた。
「そうだな。その話は置いておくとして、君たちは本来とは違う楽器を使っているのだろう。なら、そこにある違いは“瘴気”にある。何かしら、君たちに作用しているのかもしれないな」
院長はそう口にして、楽器を返した。しかし、周囲は余計に頭を抱えていた。
彼らも演奏の専門家として普通の楽器なら扱いに慣れているが、瘴気によって変質したものとなると、まるでブラックボックスのように仕組みが分からず手を付けられない。
「瘴気、か…」
ヒスイは何かを思いついたように、思考を組み立て始めた。
「何か良い刺激になったのならいいが」
「院長さん。私、もう少し見てもいいですか?」
「君も感化されたのか? 良いんじゃないかな。こういった若者たちが必死に打ち込むのを見るのは、どうにも感情が揺り動かされる。そうやって、イロハも好きなことを試していくといい」
院長はイロハがオーケストラの団員たちに話しかけに行くのを見送り、その様子を遠くから見守ることにした。
「ふっ…若者との交流も必要だな。これからは“家”に招くことを考えなければ」
治療院にはどうしてもそれなりに年を重ねた研究員が入る。人格的にも、倫理面でも院長自身が納得できる人間以外は決して通したりはしない。
しかし、そういった組織は保守的には強いとはいえ、どうしても停滞気味な雰囲気になる。
その固定された関係が、子どもにとって良いとは限らない。
「ふむ、やはり私もまだまだだな。あの子たちのために、できることはまだまだあるのだから」




