勝利を捧げる凱旋歌
それは人類最後の都市が建創される少し前──
世に瘴気が蔓延り、数多の生物を呑み込んでいた。
多くの生命が理性を失い、体を変貌させ、魑魅魍魎へと堕ちてゆく。そんな地獄絵図の中で、一人の男が流星の如く煌めいた。
男は旗をはためかせた長槍を持ち、連戦不敗を刻み続けた。その背中より後ろにこの災難によって命を脅かされるものなどいなかった。彼こそが、人類を守護する防衛線であり、それより後ろは守護者と治癒者が命を守った。
男は引かず、戦いのなかに身を投じ、常に勝利を捧げる。
その男は尊称を込めて“勇者”と呼ばれた。
勇者がいる限り、我々に敗北はない。
彼こそが破軍の将、我々の希望だった。
──だが、果てなき暗雲が都市に迫り、何処にも逃げ場などなかった。人類に残されたのはこの地のみ。
人の身で嵐をどう鎮められようか?
勇者は一歩も引かなかった。
ただ悠然と嵐の中へと入り、これを食い止めた。
彼に続いた数多の戦士による犠牲とともに。
今なお、
勇者は嵐の中で闘争を繰り広げているのだろうか?
ああ、勇者よ。その不朽の輝きは何処に消えた。
その身で境界は引かれ、人と濁世を隔てている。
『勇者至言──作者の前書き より』
*
「比喩的表現多すぎじゃない?」
アリアは率直な不満を口にした。
「仕方ないだろ。勇者と交流のあった人間なんて、オレの知る限りこの作者とフィルモニア様くらいしかいないし。それに、これは作者の前書きなんだから、好きなように書くだろ」
レックは治療院へと向かう道で勇者について知ってることを共有していた。出会いから数日立ち、予定の合った日にアリアはレックと共に行くことを決めていた。
「その、交流があったって事実なの?」
「それは間違いない。なにせ、オレの上官だった人だったからな。何かで前線に出られなくなって、後方で支援をしてた人なんだ。あとでアポを取るから、まずはフィルモニア様に直接聞きに行くのがいいと思うぜ」
「んむぅ…はぁ、分かったわ。直接聞くって、腹を括る。」
「緊張しすぎじゃないか? あの人、そこまで厳しくはないからな。聞きたいことがあれば答えてくれるはずだぞ」
「少し事情があるのよ……ワタシのママが助けてもらったことがあったらしくてね。消息不明だったから今まで思い出さなかったんだけど、小さい頃から『その時が来たらちゃんと礼をするのよ』って言われてたから…。いや、見知らぬ人からどうお礼をいえばいいワケ?」
そんな感じで話していると、二人は治療院に辿り着いた。レックがアリアを知人だというと、セキュリティを通り抜けたあと入ることができた。
「え? 何ここ、厳重すぎない? どうしてあんなに探知機があるの? 別にここ、軍の施設とか秘密裏に仄暗い研究をしてる場所とかじゃないわよね?」
「……ここの院長が少し、な。まあ、気難しい人ではじゃないから気にすんな。というか、全然落ち着きがないな、お前」
「初めて見たものなら、誰だって驚くでしょ! アナタたちって、思ったより違う世界に住んでるのね…」
そわそわとしているアリアを気にかけながら、レックは治療院を歩いていると小さな子どもたちがレックに駆け寄ってきた。イロハの姉妹たちだ。
「あっ、お兄さん、こんにちわ!」
「おう、お前ら元気か? 好き嫌いせず、ちゃんとご飯食べてるか?」
「そんなのあたりまえだよ? だって、イロハがまいにちがんばってることしってるから! 負けらんないもんね」
「そうか、ならご褒美の飴玉だ。これをみんなで分けてくれるな?」
「うん!」
てくてくと飴玉を持って姉妹たちの下へと帰っていくのを見送って、レックたちは再び歩き出した。
「多分、フィルモニア様ならこの先にいると思うが、お前一人で行くか?」
「それは絶対ムリ! フォローしなさい!」
「ははっ、潔いな。分かった」
室内菜園でフィルモニアは実った野菜や葉を籠に入れて収穫していた。
しかし、レックとアリアが近づいてきたのに気づくと手に持っていた加護を地面において出迎える。
「こんにちは…わたしに何か用…?」
「はい、ワタシは黄金楽団のディレクター兼首席奏者のアリアです。本日はお会いできて光栄です」
普段の傲岸不遜そうな態度は鳴りを潜めて、シュッと背筋を伸ばし、柔らかな笑顔を貼り付けた。
「うん…数日前に綺麗な演奏を見せてくれたのを覚えているよ。聞きたいことが、あるんだよね…?」
「はい、“勇者”について英雄の一人であるアナタなら詳しいのではないかと思って」
「……」
フィルモニアは悩んだような素振りを見せた。
「わたしより、他の人に聞いた方がいいと思うよ…。わたしは彼と仲が悪かったから」
「ふうん、珍しいな。フィルモニア様なら、誰だって好意的に受け入れてると思ってたけど」
レックは意外そうに驚いた。
「彼もわたしを嫌ってたし…、彼は乱暴だったから。考えが相容れないの…。これは以前、君に依頼として護衛してもらったときに答えたことだけど、彼は世間で讃えられるような人間でもなかったんだよ?」
*
フィルモニアはかつての勇者について語り始める。
「勇者…という名前を彼は一度も使わなかった。受け入れてはいたけど、自分で称することもなかった…まるでどうでもいいようにね」
その背中は常に殺気に満ちていたようにフィルモニアは思う。誰に対してということはないが、常に鋭く張り詰めていた。
「わたしは彼の緊張を少しでも楽にしようと思ったけど、断られちゃった…わたしの手を嫌悪するように。ちゃんと話をしたのは最終決戦の少し前…その場でも、彼は何も変わらなかった。彼はわたしにただこう言ったの、『オレを救おうとするな』って。多分、それが彼の本質なんだと思うよ」
天上天下唯我独尊、その言葉が似合うのは彼なのだとフィルモニアは思う。
彼ほど厳しい人間を他に知らない。
彼より強い心を他に知らない。
彼より孤高な戦士を他に知らない。
「…彼はいつも仲間を連れて帰ることはなかった。まるで必要な犠牲というようにね。彼は、多くの屍の上に立っていた。それに恐れることなく、ただ立っていたの。人の命を利用して……えっと、非難してるわけじゃないよ。ただそれが事実なの…、何よりも眩い極光は多くの死を燃料にして輝いた。それが彼、勇者と呼ばれた男だよ」
とはいえ、あの時代ではそんなことは珍しくもなかった。それが特別なのではない。彼が誰よりも名を轟かせたのは、常に“勝利”をおさめていたから。
*
「わたしは彼の策が嫌いだった。それが必要なことだとしても…その戦いに参加した人たちは死を免れなかったから。わたしのところまで来てくれれば…そう思うから」
フィルモニアはそれがわがままであると知っていた。そして、それを許せば人類の防衛線は崩壊していたことを。
しかし、受け入れられるかどうかは別なのだ。
「もし、彼のことを詳しく聞きたいなら知者に聞くべきだよ。わたしには、彼がどんな人だったのか、ということに答えられないから」
「知者って…」
「そう…裁定官ブリューゲル・フォルクハイム。都市の法を調停する裁判所の議長だよ」




