独壇場のアリア
ヒスイとレックはホールに入って客席に座る。
男二人が隣に座ると席を狭く感じつつ、ステージの上では始まる前に音を調整しているのか綺麗な音色がホール全体に響いている。
「すごいな」
音楽についてよく知らないヒスイでも、聞こえる音一つ一つから力量を感じる。
それがホールによってよく響くからか、それともテレビで放送されたオーケストラを集中して聴いたことがなかったからかもしれない。
なんであっても、大事なのは今感じる音がこれまでとは次元の異なるもののようだということだ。
舞台では、一人の女性がスポットライトを全て吸い寄せているかのように目立っていた。
“孤高の女王アリア”と、テレビで紹介されていた女性だ。
アリアは歩き回って舞台にいる演奏者たちに声をかけている。時折詰め寄って、相手にプレッシャーを与えていた。
「はぁ……一度通してみるわ。埒が明かないもの」
そう言って溜息を吐き、アリアは持ち場へと戻っていった。
「すまないが、隣に座らせてもらうよ」
紳士な服に袖を通した青年がヒスイとレックの隣の席へと断りを入れて座った。
「君たちはオーケストラを鑑賞するのは初めてかな? よければ俺から解説でもさせてもらおう」
「おう、ありがとな。オレはレック、こいつは弟弟子のヒスイだ」
レックの言葉に青年はふっと笑う。
「君たちは気持ちのいいやつだな。俺のことはテッドと呼んでくれ」
「ん? テッド?」
それはこのオーケストラの指揮者の名前だったはずだ。
「ははっ、少し厄介事があってね。代わりに外から確認してくれと……こっちの話だから気にしないで、君たちは楽しんでくれればいい」
そうしてテッドから様々な話を聞いた。
オーケストラの様々な聴き方やホールの特徴、座席を取るならここがオススメだと紹介してもらったりと、まるで緊張を解すように語る。
お陰で、レックは力が抜けて眠気に負けていた。
「そこまで気にしなくてもアリアの演奏を聴けば圧倒されるだろう。あいつは天才だからな」
テッドは情感の込められた視線を舞台の上にいるアリアへと向けていた。
「まあ、多少難があるというか…慣れれば可愛いもんだが。君たちみたいな優しい人から接し方を学んでほしいと思うよ」
「テッドはアリアと親しい仲なんだな」
「ふっ、親しいというか…長い付き合いだからな。おっと、話はここまでだ。そろそろ始まる」
*
始まる前の静寂が始まりを告げる。
指揮者がいなくとも統率されたように音が響く。
示し合わされた音は混じり合い組み合わさり、一つの流れを構築していく。
賛美するように、讃えるように、力強く、かと思えば場面が移り変わったかのように穏やかな音へと変わる。そんな移り変わりが重なり合い、盛り上がりは圧巻させられる。
しかし、アリアはただ納得できない表情をしていた。
はぁ、と憂鬱を切り替えるようにヴァイオリンを構える。その瞬間、先ほどまでの憂鬱は鳴りを潜め、舞台の主役として毅然と立つ。
一瞬、理解が追いつかなかった。
アリアが演奏に加わった瞬間、迫力が心を呑み込む。視線が、思考が、アリアへと釘付けになる。
ただ激しく、鮮烈なほどに彼女という存在が焼き付けられる。激情が煌めきを放ち、それ以外の音が遠くに感じる。
そこには劇場の全てを支配する女王がいたのだ。
*
気づけば、圧倒されて、その余韻から抜け出すことはできなかった。
ぱちぱちと、隣から聞こえた拍手に自然と続いてホール全体が包まれていく。
アリアは頭を下げたあと、鋭い視線を背後へと向けた。
「アンタたち? いつからそんな演奏をするようになったの? 誰もついてこれなかったじゃない。もう本番まで時間はないのよ! 分かってるの?」
感情が昂ぶっているのか、どんどん声のボルテージが上がっていく。
「まさか、ワタシの演出設計に対して無言で反抗してるの? ふん、いいわ。それなら、ワタシを納得できる論理を出しなさい」
ざわざわとざわめく周囲の中で、気後れせずアリアは腕を組む。オーケストラの演奏者たちも近くの人たちでこそこそと話し合う中で、「そんなわけじゃ……」という声をアリアは逃さなかった。
「……分かったわ。アナタたちが理解してないっていうなら、そうね、そこのアナタに聞くわ。さっきの演奏を聞いてどう思った?」
「ん、オレか…?!」
レックは突然指名されて、驚きながらも言葉を選んで答える。
「い、良いと思うぜ。こんなすごい演奏一度も聴いたことないしさ。人の感情がビシバシ伝わるというか、暗闇の中から浮かび上がるように感じたぜ?」
アリアは特に反応することなく、背後にいる演奏者たちへと振り返る。
「さて、意見をもらったことに感謝するとして、さっきのがワタシの答えでもあるわ。ワタシは暗闇の中で一人で舞台に上がるハメになったわけ。今日はこれ以上続けても意味ないわ。……普段の道具でないとはいえ、引き受けた以上は最高を目指す。ワタシを失望させないで」
*
公開リハーサルは予定よりも早く終わってしまい、帰ろうとしたところをテッドに呼び止められた。
「申し訳ないな…いつものことではあるんだ。アリアのわがままは」
「気にしないでくれ。自分が口に出すべきことじゃないと思うが──」
「ソレって、何かしら?」
ヒスイは次の言葉を口にしようとした瞬間に、背後から圧のある声が聞こえた。
「こら、人を脅かせるのもほどほどにしてやれよ」
「別にいいでしょ。リハーサルは終わったわけだし、好きにしたってさ。実質テッドは休憩できたんだから、ワタシのフォローでもしなさいよ」
アリアはすました顔で三人の下へ現れた。
そして視線がレックへと向けられる。
アリアが何かを言おうとしたとき、レックがそれより先に応えた。
「えっと、大した意見も言えなくて悪かったな」
その言葉にアリアは目を丸くする。
「ん? なんで謝るのよ。別に大した意見なんて期待してなかったし、テッドの近くにいたから目についただけよ」
「おいおい、それじゃ誤解させるだろ。アリアは、意外と悪くなかったって言ってるんだ。不快に思わせたなら申し訳ない」
レックはその翻訳に首を傾げつつ、とりあえず謝罪を受け入れた。
「まあ、イロハと席を変えなくて良かったかもしれないと思えばな」
「……ふむ、アナタたち時間はある? これからご飯を一緒に食べない?」
「おい、アリア…」
テッドはアリアを止めようとするが、手で制した。
「オレはいいけどな、ヒスイはどうだ?」
「大丈夫だ」
そう答えると、勝ち気な表情でアリアはテッド経と視線を向けた。
「ほら、ワタシみたいな美女が頼めば大丈夫だって昔言ったでしょ?」
「美女? それは認めるが、食事を受け入れてくれたのは、ただ二人が寛容なだけだ」




