英雄たちの本質
劇場に入ると、自然光を取り入れつつ天井に飾られたシャンデリアやタイルに刻まれた模様、所々に煌めく金属の細工に目を奪われる。
ロビーには多くの人々が集まり、穏やかな談笑や時間まで居眠りをしながら暇をつぶしているようだった。
その中でも目立つように、三人が遠巻きに囲まれていた。
「あっ、ヒスイさん!」
イロハがヒスイを見つけた瞬間、嬉しそうな笑みを浮かべてこちらへと駆け寄ってくる。
その様子を微笑ましそうに、ゆっくりとフィルモニアが近づいて挨拶した。
その隣の院長は何処か疲れた雰囲気を感じる。
「ヒスイさんも来てたんですね。一緒に見られたら良かったんですけど……確か隣にいるのはレックさん、ですよね。二人とも今日は楽しんでください!」
どうやら友人と二人で来たと思って気を遣っているようだ。
「オレは席を譲っても良いから交換するか?」
「いえ! あんまり、その、ヒスイさんの時間をもらうのも気が引けます。それに、遠くで二人をお見かけしたときの雰囲気からきっと私よりも深い絆を紡いできたんですよね。ぜひ、二人の時間を大切にしてください」
「最近再会したばっかりで、これと言って積もる話もないんだが」
あまりに純真な心から繰り出された言葉に、レックも少し反応に困っていた。
「…イロハ、わたしから頼んで三人が座れるように融通してもらっても良いよ?」
フィルモニアが助け舟を出したが、イロハは首を振る。
「私も、えっと……ぅ、フィルモニアっ母様と、時間を大切にしたいので」
頑張ってその言葉を振り出すように、はにかみながらを笑顔を見せて、最後には赤らむ頬を俯いて隠した。
「本当に君は良い子だね。ありがとう」
よしよし、と幼い子どもを褒めるかのように、フィルモニアはイロハの頭を撫でる。それでさらに顔を覆い隠そうとするイロハを、フィルモニアは慈愛の籠った表情で見つめながら。
ヒスイはそれに巻き込まれないように距離を取っていると、丁度院長と視線が合った。いろいろなことが起こり、忙しいなかでまともに会話はしていない。
そもそも以前からあまり話すような機会がなかった。あのいきなりかかってきた電話がまともに会話する初めてのものだったのだ。
ただ、たまに何度か治療院に訪れたとき、他の研究員からイロハやその姉妹のことを溺愛していると聞いていた。
ヒスイは緊張感を感じていると、ふっと院長は笑って話しかける。
「なんだ、彼女との関係を私が勘違いするとでも? 私はあの子たちのことなら大抵把握しているさ。彼女にとっては信頼の証なのだから、気兼ねなく受け取るといい」
「そうだ。治療院でも内々に無事に帰ってきてくれたイロハとフィルモニア様を主役とした祝賀会を開くつもりなんだ。君もぜひ来てほしい」
「いいのか? 俺は部外者のようなものだけれど」
「君は恩人だからな。……まあ、この祝賀会が楽しいものであるかは分からないが、うん、もてなすことだけは約束しよう。私にも、どうなるのか予想ができなくてこのような曖昧な返事になることを許してほしい」
誠実な人ではあるのだろう。そうでなければ、イロハや他のイロハの姉妹たちを預かる役を引き受けなかったはずだ。
(その準備がうまくいっていないのかもしれないな。……とはいえ、客人として扱ってくれているのに差し出がましい真似はできないだろう。何か贈り物を用意しておこう)
「……はぁ、なんでどいつもこいつも私にフィルモニア様を任せようとするんだ……私が好きなのは子供の無垢さであって、純真さではないというのに」
「話が合わないのか? イロハやその姉妹の話で盛り上がりそうなものだけれど」
つまらない話だというように院長は語る。
「あの人と私の唯一の接点は、あの子たちの成長記録を一緒に共有することくらいしかない。それ以上関係を踏み込もうとも思わないし、必要がないからな。第一、私が語るより映像のほうが雄弁に語るだろう」
そんなことを話していると、ふいに何かを見透かすかのように院長の視線がこちらに向いていた。
「君は……もし、イロハが攫われたのなら助けに行くんだろう?」
何かに思考を巡らせるかのように、院長は沈黙したあと口を開いた。
「……ふむ、君も大概、英雄気質だね。その道がどんなものか、君は分かっていると思うが、少し奥で話さないか?」
*
誰もこなさそうな人気のないところまで歩いて、院長はついてきたヒスイに振り返る。
「申し訳ないが、私の長い語りに付き合ってくれ」
そう前置きした上で、院長は離れたところで人に囲まれたフィルモニアへと視線を向ける。
「彼女は一部では救世主とも見られている。本人は認めないが、そう見る人間がいることを君には覚えていてほしい。世界は今にも滅亡の危機に瀕しているというのにな…いや、瀕してるからこそ求めるのか。ともかく、フィルモニア様の行いはあくまでも延命。それ以上ではない。君が目指す道も、それに類するものだ。つまり、ヒスイ君、君はそういった目に晒されて否応なく期待されるということだ。英雄としての役割を」
院長はまるで歴史を語るように丁寧に語り始める。
「何事も中庸というものが大事だ。それを明確にするために線引きが求められる。過度なものは人を死と言わずとも、転落させるのに十分だからな。君も気をつけるといい。
治癒者の救いは現実と向き合うことを捨てた狂信へと変わり、自己救済のために受け入れられない全てを壊す。
知者の叡智は分をわきまえずに暴走する研究者たちを生み出し、世界を支配できたなどと誇大な妄想に陥る。
勇者の栄光はその眩さから人の目を覆い隠し、その裏にある犠牲や代償を正当化してしまう。
あくまでも、これらは過度な者たちが歪に真似た例だがね。英雄の器としての資格がないのに、つけ上がればこうなってしまう。そもそも、英雄とはなりたくてなれるものでもないが。
そういう意味では、守護者は比較的保守的で必要な最低限のルールを自らに課す理念なのかもしれない。まるで好きなものと嫌いなものを区別するように。何が大切で、何を切り捨てられるか……私にとってのあの子たちを守る、そのためなら私は何でもするつもりだ」
院長は自身の若さもなければ力強さもない細い手のひらを見つめる。
「……はぁ、だが私でも与えられないものや守れないことは数多く存在する。私の無力さも何かを与えられるというのなら、それは悪いことではないのかもしれないが」
それが普通の大人だというように。
「……そう考えると、業腹だが私には力がなくて良かったのかもしれない。少なくとも、自分の身の程を知ることができたのだから。そうでなければ私はイロハやあの子たちを閉じ込める檻になっていただろう。それで彼女たちは命が保証されるなら、私は今でもその誘惑に抗えないと思う。だが、それは健全ではない。彼女たちの健やかな成長を、芽吹こうとする芽を抑えつける壁でしかないのだ……そして、彼女たちを守れると驕ったツケは私がいなくなったとき、或いは私でも守れなくなったときに降りかかる。私は今の立場と結果を気に入っている。それだけは間違いない」
それはこれから新たな道を進んでゆくであろう若人に対して、それなりに年を重ねた先人の忠告として。
「君も忘れないことだ。人には領分と限度があると。理想を追いかけるのは立派だが……かつて頂点と謳われた名高き勇者であってもこの世界を救うことはついぞ叶わなかったのだから」
*
戻ってくると、レックはイロハに幼い頃のヒスイの話をしていた。多くの視線が集まっていることも気にせず、ただイロハは楽しそうに聞いている。
(はぁ。俺のことだから、いいか…)
会話の中身など、大勢の人からしたら大きたこともないつまらないものだと思い直すと、フィルモニアがこちらに気づく。
とんとんと指で肩を叩いてイロハを振り向かせた。
再び集まると、近況ことを軽く共有した。
そうすると、一人の人物に自然と話が向かうことになる。
「セツナは…たぶん、こういった時間を取られることが好きじゃないから」
フィルモニアはセツナを誘ったときの嫌そうな顔を思い出す。
「昔からの知り合いなのか?」
ヒスイからの質問に、フィルモニアは少し考える素振りを見せたあとに頷いた。
「むかし…いつからかな、もうわからない。でも、長い付き合いなのはたしかだよ」
「…そうだ、二人とも喉が渇いたらわたしの用意した水筒があるから好きに使ってね。わたしのおすすめなんだよ。もしよければ今から渡しても──」
「んっん、フィルモニア様…そろそろ貴方と話したい人々が来られてるでしょうから」
院長は強引に話を遮り、フィルモニアの取り出そうとした水筒を戻させた。
「もうそんな時間なんだね。分かった。君たちもまたね」
院長が案内し、フィルモニアが手を振り、その後にイロハがペコリと頭を下げて去っていった。




