十一年目の今日
ジュー、と熱せられた油がフライパンの表面に落とされた卵に熱を通し、ばたばたと忙しなくいつも通り朝食を盛り付けたり食卓に調味料を出したり動く。
少し離れたリビングからテレビの音が聞こえてくる。
『──もうすぐ公演間近。治癒者フィルモニア様の帰還と十一年目となった災害の追悼を祈念したコンサートが間もなく──』
急須に沸かしていたお湯を注ぎ入れ、リビングへと運んでいく。コハクは机の上に顔を乗せて、だらしなく机に体を預けていた。その手にはお酒が見える。
はぁ、とヒスイは仕方なく手元にある酒を奪い、隣に茶器を置いてお茶を注ぎ入れる。
茶葉の香りが立ち上り、周囲へと広がる。
『その公演で演奏するのはなんと! あの新進気鋭の黄金楽団の──』
机の上に朝食を並べると、コハクは寝ぼけた目で目を覚まして、ふわぁと体を伸ばした。
「疲れてるなら休んだほうが良いんじゃないか?」
「別にいいでしょ……今日は遅くからなんだし」
目玉焼きを乗せたトーストを口に入れて、もごもごと咀嚼しながら怠そうにコハクは語る。
『あっ、見てください! 来ましたよ、孤高の女王ことアリアとその従者テッド!』
温かいお茶を口にして、ふぅとヒスイは息を吐いた。朝の家事を終え、ゆっくりと朝食という時間を使って気を緩めた。食べ終えたら、今度は別にやることがある。
『あれ? こっちに来ますね……あぁっ、マイクを奪わないでぇっ! 『ちょっと、アナタたち。ワタシは孤高の女王なんかじゃないし、デッドも従者じゃないからね? ソコんとこ、ちゃんと覚えなさい!』 ぁぁ、マイク、マイクを返してぇっ』
テレビのドタバタを見ていると、玄関からインターフォンが鳴った。
*
「よ、久しぶりだなコハク」
レックは気安く挨拶した。
それをコハクはどうでも良さげに視線を朝食へと戻す。
「あんふぁ、ししょふぉから勝手に離れた癖に……一体どのふふぁさせて……んむ、ここに来たの?」
「せめて食べ終えてからにしてくれ…」
咀嚼しながら話す姉弟子に、ヒスイは苦笑いをした。
「どの面って、別に師匠はそういうことを気にするような人じゃなかっただろ。ここに来たのは、フィルモニアさんからコンサートの公開リハーサルに招待されてな。お前たちにはオレから伝えてほしいって頼まれたんだ」
レックが取り出したチケットには、『災害から十一年 “勇者”をテーマとしたオーケストラコンサート』と書かれていた。
「……ふん、アンタらで生きなさいよ。二人で解決したんだから、二人で行けばいい」
コハクは不機嫌さを隠そうともせず、自分が遠くに置いていた酒に手を伸ばす。それをレックが止める。
「まあそういうなって。なんだかんだで節目だろ。オレらで見に行こうぜ。よく分かんないけど、オーケストラって中々見に行くものじゃないんだしさ」
「英雄として美化するだなんて、アタシはごめんだね。それを演奏する人も、それを見に行く人も……」
コハクは暫く目を伏せ、溜息を吐いた。
「アンタは勇者が昔っから好きだったでしょ。だから行けばいい。でも、アタシは行きたくない。二人で行って来なさないよ。今回は仕方なかったけど、次があるならアタシを置いてかないでね」
そう言って、コハクは部屋の奥へと戻っていった。
*
「すまない…コハクも遅くまで起きてたから、気が立っていたのかもしれない」
ヒスイが気を遣ってそう言うと、レックはふっと笑う。
「気にすんなって。そもそも十一年経っても災害から立ち直れない人もいる。それに、あいつは師匠によく懐いてた。剣の才能もオレらの中じゃ随一だったし、仕方ないだろ」
そんな会話をしながら劇場に向かう道を歩いていると、一つの大きな像が視線に入る。
「お! 勇者像だ、一緒に写真でも撮るか?」
「子どもじゃないんだから……俺がレックを撮ろう」
カメラを取り出して、勇者像とレックのツーショットを撮影する。
「にしてもお前……随分と成長したな。出会ったときは言わなかったけど、あんなにひょろひょろだったのにこんなに逞しくなってるなんて思わなかった」
「……まあ、色々とあったからね。力がなければ何も守れないから」
「そうか……そうだ、またいつか腕相撲でもしよう。まだまだお前に負けるつもりはないけどな!」
「レックはまだまだ全盛期というか、ほぼ同年代だからどちらかが超すなんてことないだろう…?」
「それもそうだな。なら、お前に絶対負けないぜ」
久々の会話に、ヒスイは何とも言えない心地良さを感じていた。まるで過去のあの日に戻ったような。
「そういえば、相変わらず“勇者”の話が好きだな」
まだ師匠の下にいた時代、子供だったとはいえレックはいつも勇者の武勇伝や言葉について話していた。
とはいえ、もしかしたら過去の思い出を補正しているだけでそれほど語っていなかったかもしれない。少なくとも、彼のイメージは昔から勇者についてと良い兄貴分という記憶が残っている。
「そりゃ、勇者は凄いからな。一人で天を裂き地を割る男と言われても過言じゃねぇよ。一人で瘴気の霧を切り開いた英雄……師匠も凄い人だったが、オレは勇者みたいになりたい」
レックの目には少年の日から変わらない輝きに満ちていた。
「師匠の下から離れたあと、軍に入ったなら会う機会もあったのか?」
「……いや、丁度オレが入った頃から前線が厳しくなって、オレみたいな若輩者は後方に置かれることになったんだ。だから、師匠とは逆に何度も会ったけど、勇者には一度も会えてない……しかも、オレ、悉く運が悪くてな。勇者の帰還を祝う凱旋とか、ああいったものに参加できるはずだったんだが風邪を引いちまって……オレは自分のことバカだと思ってたが、そうでもないらしい」
「凄まじい不運だな…」
「ま、それでも凄い人なのに変わりはないさ。さ、行こうぜ。コンサートって、早めに入っておくものなんだろ」
そうして、ヒスイとレックは二人で勇者像を通り抜け、劇場へと向かった。




