セカイが忘れても
穏やかな朝、心澄み渡る晴天の日の下で、ヒスイとイロハは手を繋いで道を歩いていた。
「おや、ヒスイじゃないか。コハクじゃない女の子を連れてるだなんて珍しいね」
「ソラおばさん、からかわないでくれ…」
ヒスイは苦笑して返した。
「でも、何かあるんだろう。ほら、隣のお友達さんもこんなに嬉しそうに笑ってるなんて……どこかで見た気もするけど。ともかく、“朝刊のヒーロー”様、あんたの演説期待してるよ!」
ソラおばさんと別れを告げたあと、ヒスイは何とも言えない微妙な表情をした。
「“朝刊のヒーロー”か、もう少しどうにかならなかったのか……?」
ヒスイの行動は大々的に新聞に張り出された。加えて、“守護者の弟子”という身分やその行動を取り上げようとマスコミがしばらくヒスイの周りを嗅ぎ回っていた。
結果として運営している道場への入門希望者がひっきりなしに押しかける事態となり、しばらく看板を下ろすことにした。
コハクからは、「アタシのいないところで目立っていいわね」と言われた。あれは拗ねているんだろう。
(どちらかというと、レックの方が頑張っていたはずなんだが…)
多くの敵を引き付け、それどころか無傷で返り討ちになった兄弟子の姿を思い出す。
そんな事を考えていると、服の裾を引っ張られた。
「自信を持ってください。少なくとも、“私のヒーロー”なんですから」
そう言って、イロハはふふっと微笑む。
「俺はそこまで大した人間じゃないよ。どちらかというと……セツナさんだったか。彼女の方が相応しいと思う」
イロハを鮮やかな手口で助けたセツナ。彼女は一体何者なのだろうか?
「……色々と裏がありそうだし、今日聞いてみるしかないな」
*
大きな広場には多くの人々がひっきりなしに集まり、何やら話しながら中央に用意された舞台へと関心を向けている。
「……あの純白のアラクネ、生きてたのか?」
「また狂信者が出ないといいが」
「あの四英雄の治癒者が帰還だって! 今までどうして身を隠してたのかな…」
その端を通り、イロハとヒスイは舞台の裏口へと辿り着いた。
「あっ、二人とも元気? ふうん、仲が良いことだねぇ」
セツナは二人の近くにある階段の欄干に座って、上から声をかける。その声は愉快そうに、しかし二人へ向ける視線には何かを見定めようとする鋭いものが宿っていた。
「……うん、やっぱり君たちは私にとって“特別”だ」
やるべきことはなしたからか、鋭い視線をナイフのように鞘へと収めた。
「それで、うちに聞きたいことがあるんだよね?」
ふわぁっと欠伸をして、セツナはただ相手から質問が来るのを待つ姿勢を見せた。
「ああ。君は最初からイロハと一緒にいたんだろう? だったら、攫われる必要なんてなかったんじゃないか?」
そもそも実力があるのなら、誘拐犯たちを撃退できたはずだ。少なくとも、イロハから聞いた身のこなしから彼女が常人でないと、ヒスイは考えた。
その質問に少し気分を良くしたのか、セツナは口を緩める。
「それはイロハちゃんが攫われないと意味がなかったからだよ」
セツナの出方を伺うような視線を感じる。
「それは、イロハが連れ去られることを見て見ぬふりをしたということか? なぜ…?」
「あんまり目的を説明しようとするとぉ、少し抽象的で壮大に聞こえちゃうんだよね。まあ、こう思っておけばいいよ。うちは“世界のため”にやってるって」
「……! それで、犠牲が出たとしてもか?」
ヒスイの視線を受けて、セツナは笑みを深める。
「ねえ、イロハちゃんはどう思う? 君の犠牲のお陰で、他の人が利益を得ている。世の中ってそんなものだけど、そんな世界でも君は自身の血を流してまで救いたいと思う?」
アハハ、とセツナは可笑しそうに笑う。
イロハの答えに期待しているかのように。
「……私は、今までそうやって人の助けになってきました。確かに、それは私が生まれる前から決まっていたことで、これからも私は血を捧げることになるでしょう」
過去を振り返るイロハの瞳には仕方がないといった諦めが混ざっていた。
「でも、それによって少しでも命が救われていることは事実なんです。だから、私は少しでも多くの人のために生きたい。……ふふっ、ヒスイさんや私の周りにいる人たちとこれからも一緒にいたいから」
「その血を君が支払う義務がなくても?」
「はい。私はそうやって生きていくことでこの世界を支えたいんです。そうすれば、未来をもっと多くの命が彩ると思うから…」
その言葉を聞いたあと、セツナは指を鳴らした。
まるで誰かがこの場に入る合図をするように。
こちらに来たのは純白の衣装に身を包む幼い少女だった。
「良い趣味だよね、盗み聞きって。ほら、満足した? どいつもこいつも、身内に甘いんだよね」
「ありがとう。お陰で、私の……そう、可愛い娘? の本心を聞くことができた…」
その雰囲気は周囲を包み込むふんわりとしたベールのようだ。
「始めまして、愛しい娘。それと、君も。君とは以前に会ったことがあるんだけどね。互いに顔を合わせたわけではないから、あれを出会いと言っていいか、わたしには分からないけど…」
ヒスイはこの雰囲気をどこかで知っていた。遥か昔のような、最近のような…
「もしかして、レックの依頼主だったのか?」
あの壁の薄いバラックの奥の扉から感じた雰囲気と似ている、とヒスイは感じた。
「…うん、そうだね。依頼自体を手配したのはセツナだったけど」
「まあ、今回の件については“守護者”に関わった人間が欲しかったからね。そうでなければ、せっかくうちの用意したプランが水の泡になっちゃうとこだったし」
セツナは共有しておくべきことは済ませたというように立ち上がった。
「世界っていうのはね、“希望”を求めてるわけじゃないから。ヒスイくんの師匠は“希望”の灯火を残したけれど、それが世界を救うわけじゃない。そもそも希望で世界が救えるのなら……“勇者”が犠牲になることなんてなかったんだから。今必要なものは何か、それを伝えるのはフィルモニアに任せるからさ。うちがせっかく用意した“空白”を君たちの色で染めてよ。人気商売でここまで積み上げるって大変なんだから」
そう言って、セツナは大衆のなかに紛れて消えていった。
*
多くの人が集まるなかで、フィルモニアは柔らかな笑みを称えたまま舞台上を進む。
「みんな、集まってくれてありがとう。わたしの名前はフィルモニア。君たちにはこう呼ばれてるね、“治癒者”って。わたしがこの場に立ったのは、君たちに大事なことを伝えるために戻ってきたの」
フィルモニアが手で促すと、ヒスイとイロハが舞台に現れる。既に知っている人々もいるのだろう。“朝刊のヒーローだ!”という子どもの声も聞こえてくる。
「そう、ヒーロー。世界はいつだって英雄を必要としてる…。十年前も多くの人が立ち上がり、“勇者”の犠牲と“守護者”が自らを引き換えに展開した結界が守ってくれるから、わたしたちは生きている」
フィルモニアは心のうちにある過去の出来事を思い返しながら、そのあまりに重い記憶から胸に刻まれたエピソードを汲み取り、意識を浮上させる。
「知者は未来に沈黙し、みんな不安になってると思う。でも、安心して。勇者のように勝利を約束することはできないけど、新たな芽は着実に芽吹いているから。恐れないで。その命はわたしが救ってみせるから。この滅亡に瀕したこの世界で、わたしたちはきっと“奇跡”を起こすって信じてる」
*
その様子を建物の上からセツナは眠たげに見ていた。フィルモニアの言葉を全て理解した人はあまりいないだろう。
「多くの人は目の前に迫る危機から目を逸らす。世界を維持するという責任を“英雄”だけに担わせる。彼らはいつか自分に回ってくる可能性を考えずにね」
「多くの人は知らない真実、“結界は永遠ではない”ということから目を逸らし続ければ、その守りを継ぐ人がいない限り、“日常”なんてものは簡単に壊れちゃう」
「世界には“変革”が必要なんだよ。それがどんな痛みを伴って、どんな犠牲を生み出しても……人類が存続するには必要なことだから」
「うちの目的? 大義なんてないよぉ。ただ、世界がなければ人は生きていけないでしょ。そんな単純な理由。うちのことを忘れる“社会”なんてどうでもいい」
「世界がうちを忘れるのなら、うちは世界に絶対にいたっていう足跡を刻みつけるの。うちがいなかったら存続しなかった、アハハッ、とっても愉快だよね。世界は忘却しようと思っても、うちという存在がいた痕跡を消せないんだから!」
「さあ、新たなページを開くときだよ。あわよくば、その主人公が君であるといいな。“ヒスイくん”♪」




