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無間地蔵の約束 ~光をくれた人~  作者: 沢 あさと


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第四章 崩れる灯の家

一 戻らぬ日常


健一と春子が家を出てから、季節は二度めぐった。

庭の桜は花を咲かせても、どこか冷たく見える。


由美は帰り道で健一と2人で遊んだ公園に寄り道をするのが日課になっていた。

ブランコに乗り心あらずの無気力な姿に由美を見かける人は不思議そうな顔をして通り過ぎる。

このブランコで彼女と健一が小さい頃によく競争していた。

楽しかった。本当に……

隣にはいつも笑っている健一の姿があった。

それは健一の影を感じる彼女だけの世界。

そして自虐の世界でもあった。


由美の生活は、表面上は「いつもの日常」を取り戻しているように見える。

学校に通い、勉強に励み、母の選挙活動を手伝い、

そして時折、加納と顔を合わせる。


だがそのたびに胸の奥に棘が刺さるように心が痛む。


(あの人が――健ちゃんを、追い出した)

そう思うたび、加納の穏やかな笑顔さえ醜く見える。

健一を失ってから由美の生活は平穏になったが心はいつも嵐のように荒れていた。

誰かのせいにして心の重荷を軽くしたい。

その矛先が加納への嫌悪だった。

その嫌悪には由美なりの理由があった。

加納の目線は由美を1人の女性として物色する男の視線だと気づいたからだ。

由美は自然と加納との接触を避けるようになった。

それは由美の思い込みではあったが未熟で若い由美にとっては心のバランスを取る手段になっていた。


その日は朝から雨が降り続いていた。

由美は傘もささずに1人で校舎を出ていく。

雨に濡れても構わない。何もする気がしない。

なぜなら今日は健一の誕生日だ。

小さい頃は毎年お互いの誕生日会を祝っていた。

でも今はそれが由美の罪悪感を鮮明にさせて心を抉る。


「由美さん……」

「お母様に頼まれて迎えに来ました。」

母も由美の元気のなさに心を痛ませていたのである。

おそらく健一親子を解雇したことを悔いているのかもしれない。

由美は母の態度からそれを敏感に感じ取っていた。


(それなのに加納さんを迎えに来させるなんて……!!)


母の気遣いが的外れなのは家族より仕事を優先させるのが原因になっていた。

それを痛いほど由美は知っている。


由美は校門に車で迎えにきていた加納を無視して通り過ぎようとした。

「由美さん、待ってください」

加納は慌てて追いかけて由美の手を取った。

由美は仕方なく立ち止まる。

ホッとした加納は由美に傘をさす。

「由美さん、最近はいつも不機嫌ですね」

「笑う理由が見つからないんです」

「過去のことを引きずるのは、あなたらしくないですよ」

由美はその言葉に思わず振り向いた。

激しい怒りで美しい顔が歪んでいる。

由美は勢いよく加納の手を振り払った。


「……私らしさって、何ですかっ!?」


雨の中で傘が転がっていく。

由美の瞳から涙が溢れて口元が震えていた。


健一の目を奪い生活さえ奪った私に気にするなと言うのっ!?

そう仕向けた加納が憎くて堪らなかった。

でも由美には判っている。それは八つ当たりだ。

加納に怒ることで自分の罪悪感を軽くしようとしている醜い行為だ。


「私は酷い女よ……それしかないじゃない……」


由美は両手で顔を覆い隠す。

加納は黙って彼女をただ見ているしか出来なかった。


雨は2人を濡らしていく。

それは由美の慟哭のようにいつまでも降り続けた。




二 新しい家政婦


母は仕事の多忙を理由に、再び家政婦を雇った。

やってきたのは、二十代半ばの若い女性――**田島絵里**。

黒髪を後ろで束ね端正な顔立ちでありながら、どこか儚げな雰囲気を纏っていた。


最初、由美は特にその家政婦に関心を持たなかった。

由美の中にはまだ晴子の面影がこの家に残っていた。


だが由美とは違い父の敏光はその新しい家政婦に興味を抱く。

敏光は大病の後は仕事を減らし家にいる時間が長くなっていた。

それが由美の生活に以前と違う変化が起こす。

父が絵里と談笑する姿を何度か見かけるようになったのだ。

「田島さん、コーヒーは君の入れるやつが最高に美味いな」

「旦那様、そんな……」

控えめなやり取りであったが由美の胸の奥がざわつき始めた。


夜、書斎の扉の隙間から、

父と絵里の影が寄り添うのを見てしまった時――

そのざわつきは渦となって由美の心を激しく揺らした。

だが由美はそれを黙って胸の奥に閉まった。


……私だって汚い……


由美は父よりも自分を責める気持ちの方が心を占めていた。

そんな自分に冷笑するしかなかったのである。




三 家の亀裂


母の香代子は、勘の鋭い人である。

猜疑心の強い性格もその勘の良さを手伝っていた。

そんな香代子が絵里の存在に気づくのは時間の問題であった。


「あなた、最近妙に機嫌がいいじゃない」

「そんなことはない」

「香水も匂うんだけど、どなたのかしら?」

「知らん! 君の気のせいだろう」

「嘘をつく時、あなたはいつもカップを持ち替えるのよ」


カップの割れる音が響いた。

由美は二階の部屋で階下の騒動に耳を傾けていた。

両親の罵り合う怒鳴り声を聞きながら遠くを見つめていた。


(あの健ちゃんが、目を失ってまで助けた命なのに……)

(それなのに生き延びた父は、母を裏切って浮気をするなんて……)


由美の心に、冷たい感情が芽生えていく。

それは悲しみでも怒りでもなく、

もっと深い、形のない「憎悪」だった。



四 加納との軋み


母は家庭の混乱を外に出すまいと努めた。

選挙活動でも心は嫉妬と怒りで渦巻いていてもは微笑みを絶やさない。

だがその怒りの代償は彼女の隣に立つ加納が支払うことになっていた。


加納は由美の母、香代子の裏の顔を知っている。


(最近の先生は家庭の事情でイライラしている事が多い)

(秘書である自分が間に入って議員活動をサポートしなくては……)


そのような状況で加納の仕事は自然と激務になっていったのである。

本来なら家族の問題は家族で解決すべきだと加納は考える。

だからこそ由美にも助言してきた。


「お母様のためにも、由美さんが支えてあげてください」

加納の言葉に、由美は冷ややかに答えた。

「支える? 誰を? 母を? それとも、不倫を見て見ぬふりをする家を?」


加納は視線を強くして由美を見つめる。

「君は家族を守る義務がある」

「私が守る? そんな事が出来たなら健ちゃんを見捨てたりはしなかった!」


その言葉に、加納は絶句する。

いつもその答えに行き着く。これでは話し合いにもならない。

加納も嫌気がさして言葉を続けたくなかった。

理不尽な由美の態度に加納の合理主義が拒否反応を示したのだ。


加納のその冷静な合理主義は容姿と相まって女性の関心を引くには十分であった。

女性との付き合いで自分から告白した事がないほどの好青年でもある。

しかし由美の美貌を知った時に初めて加納は自分の方から女性に興味を持ちアプローチを仕掛けた。

由美と幼馴染との問題も加納にとっては由美の心に入り込む絶好の機会だと考えた。

しかし今はどうだ?

感情に流されて喚くただの煩い女だ。他の女性と中身は変わらない。

加納の心から由美への興味は急激に冷めていったのである。


由美も加納の変化する態度を冷ややかな視線で観察していた。

彼の優しさの奥にあったのは、理解ではなく打算。

由美に寄せる気遣いの言葉も仕事の延長であり由美への興味は彼女の容姿に過ぎない。

それに気づいた瞬間に由美は男性の優しさに疑問を持つ。

父も新しい家政婦への口調は甘く優しい。


(ああ、結局、男の人って――みんな同じなのね……)

(健ちゃんは……健ちゃんだけは小さい時から変わらない……)


由美の男性への不信は健一への信頼を深くするものでもあった。


---

五 静かな崩壊


夜、父の部屋の灯が遅くまで消えなかった。

階下からは、絵里の甘えるような笑い声が微かに聞こえてくる。

母は今日は出張で帰ってこないから大胆になっているようだ。


由美は布団の中で目を閉じた。

その笑い声が、かつての自分の笑い声と重なる気がした。

私も同じように健ちゃんに笑いかけたのだろうか。


―あの夏の庭。

―「俺が守るから」と言ってくれた少年。


その記憶が胸を締め付ける。

隣で笑って私を見つめる健ちゃんはもういない。

けして戻らない……かけがえのない思い出。大事な人……。

健一は光を失い、彼女は心を失った。

止まらない涙は後悔の涙であった。


朝、由美は鏡の前で髪をとかしていた。

自分の腫れた眼をじっと無表情で見つめる。

その瞳の奥の黒い影は日に日に濃くなっていく。

それは、憎悪とも、拒絶ともつかない色をしていた。


(もう、誰も信じない)

(私のことも……)

その言葉が、由美の胸の奥で静かに形を成していく。


そして――

彼女の中で、「光を失った少年」と「信頼を失った少女」の物語が、

次なる闇への扉を開く。



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