第9話 幼馴染はわかられたい
俺は学校が休みの日は大抵、朝10時頃まで眠っている。この時間は俺にとって至福だ。何人たりとも俺の睡眠を邪魔する者は許さん。
「おはようございまーす……」
大昔にテレビでやっていた寝起きドッキリのような小声での挨拶が聞こえる。
時計を見た訳ではないけれど、まだ起床時間でないことは体内時計でなんとなく分かる。よって無視した。
今度は、布団を被った俺の耳元で、とんでもない大音量が鳴り響く。
「おっはようございまぁーす!!」
「うるせぇー! こっちは気持ちよく寝てんだ邪魔すんな!」
思わず飛び起きて怒号を上げると、そこには目が点になった遥香がいた。
「ちょっといきなりおっきな声出さないでよ、ビックリすんじゃん!」
「先に大声出したのはお前だろ……てか、なんで朝っぱらから俺の部屋にいるんだよ」
「ママと一緒に遊びに来たよ」
遥香の母親と俺の母は、俺たちが幼稚園で一緒になってからのママ友で、頻繁にお互いの家を行き来している。
「もう子供じゃないんだから、なんでお前までいちいちついてくるんだよ」
「休みの日まであたしに会えて嬉しくないの?」
「別に……」
そりゃ嬉しいけど、まぁ、もう少し遅い時間なら尚嬉しい。
「あれ、奏向もしかして照れてる?」
「うっせえ、着替えるから出てけよ!」
「このまま着替えればいいじゃん。もしかして、あたしに見られるのは恥ずかしいのかなぁ?」
キャッキャとうるさい幼馴染を部屋から追い出し、着替えてから1階のリビングへ向かった。
「あ、奏向君おはよう」
リビングのハイテーブルに腰掛け、コーヒーを片手に遥香の母が手を振る。遥香と同じ色の長い髪とそっくりな顔立ち。たまに姉妹と間違えられるくらい若々しいおばさまだ。
「おはようございます」
おばさんの向かい側に座っていた母が、俺の顔を見るなり苦言を呈す。
「あんた、休日だからって寝過ぎ。少しは遥香ちゃんを見習いなさい?」
相変わらず口うるさい、俺と同じ黒髪でショートカットの、どこにでもいる普通のオバサン。そっちこそ、遥香の母親を見習えっての。
「休みなんだから、どう過ごそうが俺の自由だろ?」
「まったく、ああ言えばこう言う。親の顔が見てみたいもんだわ……あ、私か」
ハハハと笑った遥香の母が返す。
「遥香もいつも家ではそんな感じよ? そうだ、奏向君は今日何か予定あるの?」
「特にないっす」
「じゃあ遥香とどこかに出かけてくれば? きっとこの子もそれが狙いでついてきたとよ」
「ちょっとママやめてよ! 全然違うし! あたしは奏向ママに会いにきたの!」
俺の母は緩めた頬に手を添える。
「あら嬉しい……でも、こんなおばさんとじゃ悪いし……奏向、遥香ちゃんをどこか楽しい所へ連れていってあげなさい。これは命令よ」
といった経緯で、休日に幼馴染と2人きりで出掛けることになってしまった。
こ、これはもしや、デートなのでは……?
外へ出ると、ジメジメとした6月の気候が多少不快ではあったが、内心ではすこぶる晴れやかだった。
オーバーサイズの白いシャツとミニスカートをハラリとさせて振り返った遥香が言う。
「ねね、今日は奏向がエスコートしてよ?」
「どうせどこ連れてっても文句言うんだろ? だったら最初からお前が行きたいとこ行こーぜ」
「今日はそんなの言わないって。それに、奏向ママの言いつけ守んないとでしょ?」
いつになくはしゃいでいる遥香に、少し違和感。もしや、嵐の前の静けさなのだろうか。
「じゃあ……」
俺が連れてきた場所は、映画館だった。
「ええー、また映画ー!?」
目を丸くさせて喫驚する幼馴染。
「はい文句言った! ほら言った! だから嫌だったんだよ!」
「だってこの前来たばっかじゃん!」
遥香が言わんとすることも分かる。でも、この前予告で見た中に気になる映画があったんだ。それにもう一度、今度は2人きりで過ごしてみたいという欲もあった。
「そんなに嫌なら、場所変えるか……?」
「ま、まぁ奏向がどーしてもって言うなら、付き合ってあげてもいーよ……?」
向けられた上目遣いが愛らしいのに、どこか不気味だと思ってしまう。この程度で折れてくれるなんて、いつもの遥香らしくない。
こんなこと、普通の男女の間柄では考える必要などないのかもしれないが、長年の経験によって俺に不必要な深読みをさせるのだ。
映画を観終わると、先程までとは打って変わって、俺よりも遥香の方が興奮していた。
「あの映画超良かったんだけど! あたしの映画人生でトップ3には入る名作だし、みんなにもオススメしちゃお。ねぇグッズとか売ってるかな? ブルーレイ出たら即ポチっちゃうかも〜」
「俺よりハマってんじゃん」
幼馴染は、はにかみながら笑顔を向ける。
「たまには奏向も役に立ったから、一応、お礼言っとくね? ありがと」
――あのメスガキが、俺にありがとうと言った?
もしかして、俺は明日死ぬのか?
なんて考えていると、映画館の入場口付近で、よく知った人物を見かけた。
「なあ、あれ、白峰さんじゃね?」
「あ、ホントだ、夜空ー!」
遥香の呼びかけで、清潔感のある白いワンピース姿の白峰さんがこちらを向いた。
「あ、遥香ちゃん……夜木君も。こ、こんにちは……奇遇ですね……」
「夜空も映画観てたの?」
「はい……この前は途中で眠ってしまったので、今度はちゃんと観ようと思って……」
「1人?」
「は、はい……お2人はデート、ですか……?」
「で、デートっていうか……」
「そだよ!」
俺が言葉を濁したにも関わらず、隣の幼馴染はあまりに自然にあっさりと、このおでかけをデートと認めた。
「は!? お前何言って……」
「だって男女が2人で一緒におでかけしたらデートでしょ? 違うの?」
ムスッとした表情で問う幼馴染。
「て、定義はそうかもしんねーけど」
「お、お2人は、お似合いですもんね……じゃあ、私はこれで――」
白峰さんが向けたどこかぎこちない笑みに、胸にチクリと痛みが走った。そして思いがけず、引き留めてしまう。
「白峰さん、良かったら、一緒に遊ばないか……?」
「え……で、でも、お邪魔じゃありませんか……?」
「そんなことないよな、遥香?」
「う、うん。暇なら夜空も一緒に遊ぼ……?」
遥香がほんの一瞬だけ不貞腐れたように見えたのは、気のせいだろうか。
「で、でしたら、お言葉に甘えて……」
「そうと決まれば、昼飯でも食いに行くか?」
「お昼もちゃんと奏向がエスコートしてよね?」
遥香はこの通り、すぐにいつもの調子を取り戻していたから、どうやらさっきのは俺の思い過ごしだったのだろう。