第5話 転校生はわかりやすい
お互いの様子を伺いつつ数秒間にわたり見つめ合うと、先に茹で蛸のような顔色の白峰さんがイヤホンを外し、あわあわと口を開く。
「み、みみ……見ました、か……?」
「み、見たというか……見させて頂いたというか……」
白峰さんは憂いに顔を曇らせると、意を決したように声を張った。
「わ、わわわ、私……転校します……!」
「は……? いやいやいやいや! 昨日転校してきたばっかりだよね!?」
意表を突かれた俺は思いがけず、無意識の内に腰を上げてツッコミを入れていた。
「……だ、だって、子供みたいに箒なんて振り回して、こんな恥ずかしい姿見られたら……もうこの学校では生きていけません……!」
「えーと、あ……そっち?」
「そっちって……ほ、他にどっちがあるんですか……?」
どうやら自分がパンツ丸出しだったことに気付いていないらしい。ここは彼女の名誉の為にも、俺の中だけで永久保存しておくとしよう。
「で、でも、すげえ格好良かったと思う……」
「お、お世辞は……結構です……我慢しなくていいですから、笑うなり、軽蔑するなり、ご自由になさって下さい……」
「ホントだって! これはマジで、嘘じゃない! すっげえ迫力あったし、思わず声も出せなくなるくらい見入っちゃって、音はないけど、本物のライブ観てるみたいだった!」
「ほ、本当……ですか……?」
「嘘だったら針でも糸でも飲む!」
彼女は安堵したように軽く微笑むと、恥じらいながら言う。
「ふふ……針はともかく、糸はどこから出てきたんですか? で、でもそんなことしちゃったら、お口の中に刺繍が入っちゃいますよ……? し、歯周だけに……ふ、ふふ……」
声を押し殺すように、笑っている。
これには、脳の処理に少々時間がかかった。
「え、今のって、もしかしてだけど……冗談、言ったの……?」
「や、やっぱり、面白くなかったですか……? それとも、空気読めてなかったですか……?」
声のトーンが更に弱々しくなり、不安げな表情を浮かべる白峰さん。
「い、いや、意外だったからつい驚いただけで、ユ、ユニークでいいと思う…………裁縫! じゃなくて、最高! なんちゃって……」
なに言ってんだ俺……と、自分でも思ったけれど、白峰さんはこんなつまらないダジャレに腹を抱えて笑ってくれた。
「はははは……そ、そんなに面白い返しがすぐに思いついちゃうなんて、夜木君凄いです……お、お腹痛くて、止まりません……ふふ……」
きっとこの人は、ゲラで尚且つ笑いのツボがかなりズレている。だけど、初めて見たその笑顔は、まるで別人みたいに明るくて、無邪気で、そして綺麗だった。
「あれ……てか俺の名前……」
「あ、その、勝手に覚えてしまってすみません……! もうしません許して下さい……!」
まるで万引きでもバレてしまったかのような反応を見せる転校生。
「いや全然怒ってないし、むしろ嬉しいから。でもどうして?」
「え、えっと……昨日は女子の皆さんで、今日は男子のお名前を放課後に暗記していて……それでさっき、クラス全員分のお名前を、なんとか覚え終わりました……そ、その達成感から、つい、あのような愚行に……」
「マジ、全員!? だからこんな時間まで残ってたのか。でも席替えしちゃったけど顔と名前は一致すんの?」
「私……人の顔は、一度見たら絶対に忘れないので……昨日までの座席表を使って暗記してました……」
「え……まさか、昨日の、あの一瞬の自己紹介で、クラス35人の顔を覚えたってこと!?」
「は、はい……気持ち悪いですよね……」
「いやとんでもなく凄いでしょ!? 特殊能力みたいでカッコいいよ! なんかコツとかあんの!?」
くすぐられたように照れた様子の白峰さん。
「え……!? えっと……その景色を1枚の写真のように切り取って丸ごと覚えるというか。でも私、映像を記憶するのは得意なんですけど、文字とかの暗記は苦手で……だから、こんなに、時間掛かっちゃって……」
「それ、苦手の内に入るのか? たった2日でクラス全員の名前を覚えられるなんて、俺からしてみれば不思議でならないんだけど……」
「そ、そうですか……? で、でも夜木君も変です。私、初対面の人と、こんなに長くお話し出来たの、は、初めてです……それに、私のこと、笑ったり、気持ち悪がらないですし……」
あなたが初めて――男子が言われたい台詞ベスト10には必ずランクインするであろうこの言葉を、あろうことか絶世の美少女から嬉しそうに向けられた俺がどんな気持ちになったか……それは殊更語るまでもない。
「てっきり白峰さんは、誰とも話したくないのかと思ってた……」
「私……極度の緊張しいなんです……でも夜木君とは普通に話せてることに、自分でもとても驚いてます……これ以上ないくらい恥ずかしい瞬間を、見られてしまったからでしょうか……?」
今ではスカートの奥へと隠れてしまった黒い下着が、脳内で鮮明にフラッシュバックする。
「お、俺も……女子の友達ってあんまりいないし……白峰さんみたいな綺麗な人と話すのはやっぱ緊張するけど、は、話せて良かった……」
「そ、そんな……き、綺麗だなんて……お、お世辞は、け、結構ですから……」
「だから俺はお世辞が言えるような殊勝な経験値なんて、持ち合わせてないって……」
「あ、あの……今日見たことは、誰にも、言わないで下さい……そ、それを約束してくれたら、私、なんでもします……!」
まただ。なんでも言うこと聞きます――これも女子に言われたい台詞ランキング上位には食い込んでくるだろう。
「わ、分かってるって……別にそんなことしなくても誰にも言うつもりなんてなかったけど……せっかくの機会だから、俺と友達になってくれない……?」
白峰さんは「えっ……」と小さく言葉を落とすと、俺を見つめる瞳が、まるで自分そっくりのドッペルゲンガーにでもでくわしたかのような驚きに満ちていた。
「あ、ごめん、俺調子に乗ったかな……?」
「い、いえ……わ、私なんかに、お友達ができても……いいんでしょうか……?」
「良いのか悪いのかなんて分からないけど、少なくとも俺は、白峰さんと友達になりたいって思ったんだけど……」
「お、お友達になるって、何か差し上げないといけませんか……? 結婚する時の結納みたいな……あ、でも今私、高価な物なんて持っていなくて……あぁどうしましょう。財布の中にも今日は2千円くらいしかなくって……そ、そうです、すぐに銀行へ行ってお金を下ろしてくるので、ここでしばらく待っていて貰ってもいいですか……!?」
必死に捲し立てる白峰さんに悪いとは思ったけど、沸々と笑いが込み上げてきてしまった。
「ハハハ……し、白峰さん、天然すぎだって……ってかそんなことしたら俺がカツアゲしたみたいになるし……」
「ち、違うんですか……? な、なら私は何を差し上げたら……」
少し癪には障るけど、俺はこの時、持田と初めて話した日のことを思い出していた。
「じゃあさ、あ、握手、とか……?」
「わ、分かりました……」
不慣れな様子でゆっくりと差し伸べられた白い手は、小刻みに震えていた。自分で蒔いた種だし、緊張しながらもそれを握り返すと、冷たくてすべすべとした感触が、直接脳へと伝わるのを感じる。
俺は少しだけ、大人になった気がした。