第3話 転校生は突然に
「突然だが、明日からこのクラスに転校生が来る。お前ら仲良くやれよー」
今の今まで静寂に包まれていた教室が、担任である谷内先生の一言によって、すぐさまアイドルのライブ会場のような熱気に包まれた。
5月の半ばに転校生とは、また季節外れな。
俺がそんなことを考えていると、持田が挙手をしてお決まりの質問をする。
「先生! 女子ですか? 男子ですか? それ以外ですか!?」
「俺が見たところ女性だったが、深いところは知らん」
クラスの男子生徒は一斉に雄叫びを上げた。その反応に興が乗った様子の先生はさらに続ける。
「それと、これは余談だが……めっちゃ美人」
指笛が鳴り響き、ゴリラのようなドラミングをしている者までいた。男ってのは単純だ。でも、このクラスの雰囲気は嫌いじゃない。自然と、こっちまで顔が綻んでしまう。
ふいに、それとなく視線を感じた。
出所を探すようにチラリと教室の中央付近を覗くと、頬杖をついた遥香がもの言いたげな顔を浮かべている。
声は出さずに「なんだよ」と口を動かすと、やはり無音で「別に」と返ってきた。
この日の2限目は体育で、授業内容はバスケットボール。
案の定、バスケ部である持田の独壇場となった訳だが、流石の余裕を見せた持田は、自分でゴールを決めようとは決してしない。このスポーツマンシップ溢れるお情けによって割を食うことになるのは――俺だった。
「奏向、ほれパース」
華麗なドリブル捌きで相手選手をゴボウ抜きにした持田は、余裕シャキシャキに俺へとボールを回す。
「おい、持田……お前、いくらなんでも俺にボール集めすぎだろ……そろそろ体力の限界なんだが……」
「なに言ってんのー? このくらいでへばんなって! 男だろー?」
「お前……ホント、日に日に遥香に似てくんのヤメロ……」
虫の息でなんとかレイアップシュートを決めた俺は、お役御免とばかりに、逃げるようにコートを出た。
「み、水……」
体育館の外、すぐ傍にある水飲み場までやってくると、大口を開け無心で蛇口を捻る。
その刹那――ブッシャーッ!! という轟音と共に、視界が白く歪んだ。
「ウ、ウガ、ウガガガガガ……ブッハッ……は、鼻に入った……クソっ! なんだよこのバカみたいな水の勢いは!」
外で1人、水道相手にブチギレていると、蛇口の上にあるラミネート加工された張り紙に気付く。
『注意! 右から3番目の水道は故障中です』
その文字を読み、己の注意散漫が原因だったと気付くと、少しだけ落ち着いて、蛇口を変えて水を飲んだ。
上の体操着はずぶ濡れになってしまい、すぐには体育館に戻る気になれなかった俺は、その場でパタパタと服を扇ぐ。
「あれ? 奏向も水飲みにきたのー?」
「あぁ……遥香か……」
後ろから声をかけてきた幼馴染の第一声から察するに、先ほどの滑稽な姿を見られてはいなかったと分かり、少しホッとする。
「今日、女子は体育、なにやってんだ?」
「テニスだよ」
「俺もそっちがよかったな。コート少ないから休憩時間多そうだし」
「てか奏向、汗ビショビショじゃん、きったなぁい。体育で本気だすよな熱血くんだったっけー?」
「いや、これは汗じゃなくて……」
――その時だった。
遥香が顔を近付け捻ろうとしていた蛇口は、先ほど俺が滝行の如く水を浴びた、右から3番目の水道だった。
「ちょ、おま――」
二の舞――少年漫画の技名で出てきそうな文字面が、脳裏に浮かぶ。
「ウガガガガ……」
幼馴染の、気の毒で哀れな悲鳴が響き渡り、俺は思わず目を塞ぎ頭を抱えた。
「ちょっ、なっ、何これぇ〜。最悪なんだけど〜」
顔にかかった水滴を拭いながら文句をこぼす姿に、少しだけ日頃の遥香に対するストレスが緩和された気がした。
「お前、ちゃんとよく見ろよ……張り紙貼ってあるだろ?」
「あ、ホントだ……でもこれ、もっと目立つように貼っといてよ〜。絶対あたしとおんなじ被害者他にもいるよね?」
そう言って俺の方を向いた遥香の白い体操服が、透けていた。青っぽい下着の、質感から柄に至るまで、ハッキリと分かる。
それだけじゃない。決して巨乳とは言えないまでも、ピタリと張り付いた薄布によって露わになった膨らみ……その曲線美は、俺の視線を独占した。
「奏向、どこ見て……って、は!? さ、最低……この変態! 黙ってないで教えてよ!」
自らのハレンチな姿を目視するや否や、赤面し、慌てて胸を両腕で隠す遥香。
「ご、ごめん……! つい……」
「ついってなに、ついって!」
この気まずい状況で、タイミングが良いのか悪いのか、俺を探しにやってきた持田に見つかってしまう。
「あ、いたいた! 探したぞ奏向ー!」
声のした後方へと首を曲げた途端、俺の胸の辺りにズシンと何かが衝突する。正体を明らかにしようと顔を戻すと、遥香の濡れた前髪が、俺の首元に触れた。
そしてその小さな両手は、俺の体操着の両脇付近を、ぎゅっと握りしめている。
「へ……?」
こ、これってまさか、あのメスガキが……俺に、抱きついてきてるのか……!?
「え!? やっぱお前ら、そういう関係だったの!?」
驚いた持田の声だけが聞こえるが、俺も未だ状況が掴めていない。
「ちょ、遥香、なにしてんだよ!」
「だって今、下着スケてるし……隠すには、こうするしかないじゃん!」
「だからって、これはさすがにっ!」
俺が恥ずかしさのあまり、遥香の肩を掴んで引き剥がそうとすると、さらに強い力で引き戻される。
「お願いやけんちょこっとだけ……!」
恥じらいと緊張が同居したような、どこか幼くも見える遥香の表情に、俺はこれ以上抗えなかった。
「あの〜……俺、お邪魔だったみたいだし、これで失礼するわ〜」
「ま、待ってくれ! 今はお前だけが頼りなんだ!」
こうなった経緯を持田に説明すると、更衣室からタオルを取ってきてくれたおかげで、この件はなんとか落ち着いた。
でも俺の心臓は、いつまで経っても鳴り止まない。
遥香の匂いが、感触が、温度が、ずっと残ったまま。
――結局、翌日になっても、その興奮は冷めてはくれなかった。
「じゃあ白峰さん、入って」
谷内先生に呼ばれ教室へおどおどと入ってきた転校生は、今日から共に勉強するクラスメイトから、声を奪った。
「し、白峰 夜空です……よ、よろしくお願いします……」
長く艶めく黒髪に、吸い込まれるような光を放つブラックパールみたいな瞳。同級生の女子にしては高めの身長で、驚くべきはその顔のミニマムさ。8頭身……? いや、もしや9頭身くらいあるのでは? と、つい上から数え、舐め回すように凝視する。その隠しようのないスーパースタイルは、全男子生徒だけでなく一部の女子生徒からも、一瞬にして魂をすっぽ抜いた。
「じゃあ白峰、お前は一番後ろの、あの空いている席だから、もう着席していいぞ」
「は、はい……」
俺のすぐ隣を通って、席へと向かう白峰さん。
石鹸のような、嫌味のない爽やかな香りが、鼻先を掠める。
振り返りたい。ものすごく振り返りたい。
それなのに、視覚と嗅覚だけでは留まらず、体までもが釘付けにされたかのように、指先すらピクリとも動かせなかった。